第17話「逢魔ヶ時の霞ヶ関」
階段を覆っていた見えない壁を通り抜けた後、葉月は無言で階段を上り続けた。
その間、彼女は次々と繰り出されるヒルの攻撃の全てを顔色一つ動かさず
ヒルは顔を真っ赤に紅潮させながら、泡を吹いていた。
「なに?照れてるの?・・・・あぁ、そうだったわね、ゴメンなさい。」
彼女は特徴ある含笑いを隠さずに、やっとヒルの手を離した。
ヒルは、予想外の拘束解除に勢い余って後ろに倒れ、階段を下へ転がっていった。
「息ができなかったのよね、忘れてたわ。大丈夫?西宮君?」
上から降りてきたその声は、葉月千夏の能天気な声ではなく、如月千尋の冷酷な声だった。
ヒルはその下で息荒く、必死に久しぶりの酸素の味をかみしめていた。
「ぶっ殺すぞテメェこの野郎ォォ!!」本気の殺意だった。
「ぶっ殺される寸前だったのに?」
ふふっ、と笑いを付け足した彼女の顔は、まるで
圧倒的な力の差を前提とした反逆に向ける、優しさ。
彼女は完全に西宮ヒルをナメきっていた。
「テメェマジで警官かよ・・・」
「今は手帳を持っていないから、普通の女子高生かしらね。」
「・・・普通ね・・・クセェ芝居打ちやがって。」
ヒルは血反吐を地面に吐き捨てて、軽蔑の念を示した。
「付き合ってくれて助かったわ。この風体じゃないと、キミと手を繋いで歩くなんて恥ずかしくて。ありがとうね。」
彼女は彼の軽蔑に感謝を返した。
ヒルはきまりが悪く、それ以上食ってかかることができなかった。
「
「
「魔法使いじゃない人のことよ。」
「・・・だとしても他にやりようあんだろうが。死ぬかと思ったっつんだよ。」
「だってキミって、言っても聞かないじゃない?思ったことはすぐに口にしちゃうし。」
そりゃテメェの偏見だろ。
にしても・・・。彼は階段の先を見た。
階段を上った先の景色は、霞がかかっていて見えなくなっている。
それはいかにも、そのまま進むとどこか恐ろしいところに連れて行かれてしまうような、警告的でファンタジックな景色であった。
ヒルは、いつか先輩に無理やり見せられた「ミスト」というホラー映画を思い出していた。
「大丈夫?」
葉月や如月と名乗った彼女は、ヒルの立っている位置まで階段を降りてきて、心配した風に手を差し出してきた。
ヒルは「二度と握るか」と吐き捨てた後、ここはどこなのかと彼女に聞いた。
「そんなに怖がらなくても、ただの霞ヶ関駅よ。ただしウラではあるけれど。」
「ウラ?つかビビってねぇよコラ。」
「あら失礼。魔法界の側ってことよ。ここは
「まほうかい・・・おうまがとき・・・」
「・・・あぁ、ごめんなさい、順に説明するわ。とりあえず先に進みましょう?別に、霧の中から怪物とかは出ないから。」
いや、出るわね。と、少し後で彼女はクスッと小さく呟いた。
「逢魔ヶ時というのは、昼と夜が移り変わる境界の時間のことよ。
具体的にはP.M.4:00から6:00までの二時間ね。
個人的にはこういう解釈に異議もあるけど、最近ISOに国際規格として採用されてね。まぁ魔法使いも今は国際化の時代だから。」
彼女が話を続けていくうちに、二人は階段を上りきった。
二人の前には見覚えのある改札が現れたが、彼女はそこに向かわずに、千代田線のホームに続く道を進んでいった。
目の前に広がる長い廊下は、その先が霞に覆われているため、どこか不安を煽る情景を描いていた。
「・・・視界が悪いのは仕方ないにしても、冷えるのはどうにもね。」
スカートを短く履いた彼女は、小さくぼやいた。
葉月の時とは打って変わってインテリのように落ち着いて話す彼女は、その風体があまりに耳の印象とかけ離れているため、どこか滑稽に見えた。
「何か質問?」
鼻を抜けたヒルの笑いを聞きつけて、彼女は彼の方へと向き直った。
「いや、アンタさっきゾロ目狙ってたろ?秒数まで。あれは何か意味あんの?」
彼女が階段に足をかけたのは、4時44分44秒だった。
「あぁ、あれは私の個人的な都合でね。進入記録を残したくないのよ。理由は説明しないけど。」
ヒルには彼女の言っていることがよくわからなかった。
「あとキミ、入学してからは言葉遣いには気をつけた方がいいわよ。この国では魔法使いにも年長者を敬う文化があるらしいから。」
「そりゃどうも。葉月ってやつは俺と
「一応女子高生に設定してるけど。彼女はそういう文化に
葉月の顔で、如月は他人事のように彼女を評した。
「フゥ〜ん、それで?魔法界ってのは何なんすか?」
「その説明は見てもらった方が早いわ。もうすぐ到着するしね。」
彼女がそう答えてからそう間も置かず、霞がかった視界が少しずつ晴れてきた。
開けた視界から現れたのは、狼の頭を被った背広だった。
その狼男は、面を食らっているヒルの方へ近づき、何事かを話し始めた。
何か外国語のようだが、彼にはさっぱりわからなかった。
狼狽する彼に代わって、葉月の顔で彼女は、狼男に彼の言葉で返答をしていた。
いたく感謝した様子の狼男は、彼女に深々と頭を下げ、大げさにハンドシェイクしてから別れていった。
「・・・え、英語かァ・・・
ヒルは後方の霞の奥に消えていく狼男を眺めながら、つぶやいた。
「ラテン語よ。
如月の顔で、彼女は静かに訂正した。
そのまま先へ進むんで行くと、ヒルは、先ほどの狼男のように妙な格好をした奴らがゾロゾロと階段を降りてくる光景を目撃した。
ヒルは始め、その階段は千代田線のホームへと続く上り階段だと思っていたが、標識を見ると「
「改札出るわよ。さっき乗り換えるって言ったけど、あれ嘘だから。」
逢魔ヶ線の標識に目を取られているヒルに対して、彼女は自身の発言を悪びれも無く訂正した。
ヒルは平然と人をコケにする彼女に舌打ちを一つだけして、改札に目を向けた。
「
「
ヒルの呟きを冷たく訂正し、彼女は改札を出てから左へ曲がった。
ヒルが地上に向かう階段を目にする頃には、構内の霞はすっかり晴れていた。
霞が晴れると、構内もありふれた普通の駅であるように感じ、彼は気を抜いてもいた。
「Barrier of haze・・・・」
「は?」
階段に足をかけながら、彼女は呟いた。
「魔法界の説明だったわね。・・・そう、私たち魔法使いはね。熊のような存在なのよ。」
「熊?」
「存在を許されながらも、人里に下りてくることは許されない。人に勝るその力を人に行使するなんてことはもってのほか・・・」
「・・・・」
「彼らがそれを許されるのは、人里離れた隠れ里だけなのよ。魔法界というのは、魔法使いの隠れ里。」
ヒルに振り返った彼女の顔は、地上から差す夕日の逆光で影になっていた。
「ようこそ、魔法使いの楽園『霞ヶ関四丁目』へ。」
ヒルは階段を上りきると、開口一番に舌打ちをした。
「・・・クソッ・・・・」
境界の長い霞を抜けると、そこはファンタジーであった。
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