第16話「境界」

 午後四時、新宿駅の雑踏の中に、西宮ヒルはいた。

不機嫌な顔で佇む彼は、先日自分を「陰陽師」という仕事にスカウトしに来た警視庁公安部の如月千尋と待ち合わせをしていた。


 今日は、ヒルが来月から通うことになる魔法使いの職業高等学校「陰陽学校」の入学手続きを彼女と共に行うことになるらしい。


 ヒルは、半ば恫喝じみた如月の説得に応じたのだった。

彼は屈辱の日を思い出していた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「・・・で、その陰陽師ってのは何する仕事なんすか」

沈黙した病室で先に口を開いたのは、ヒルだった。

「あら?興味を持ってくれた?」

「・・・ガキを風俗に沈めんのがアンタらの仕事なのかと思ってよ。」

「まさか。立派な正義の味方よ。陰陽師は。」

彼女は少しのけぞって、足を組み直した。

「悪い魔法使いをやっつけるのよ。アニメのヒーローみたいにね。」

彼女は腕を広げ、大げさなジェスチャーで楽しさを表現した。

「・・・アンタもそのヒーローなんだろ?ふざけてんな。」

「あらあら?わたし嫌われちゃったのかしら?」

「聞かなくてもわかってんだろ。心が読めるんなら。」

「ふふふ、そうね。なら、ついでにこういうこともわかるわよ?」

彼女は意地悪な笑みを浮かべた。

「キミは力を求めてる。スーパーヒーローみたいな、圧倒的な力を。」

「・・・・・・」

「悔しかったんでしょう?こんな女に簡単にあしらわれて。君は魔法の力の恐ろしさに震えている。」

「・・・だからなんだって――――」


「できるかもしれないわよ、復讐。キミの大事な人たちを奪った男への。」


 彼女の言葉を聞いた瞬間ヒルは、体毛が逆立ち、身体中の筋肉がこわばる感覚に陥った。

如月は、彼のその様子をシニカルな微笑で眺めていた。

「・・・学校できちんと勉強すればね。」

如月はそれだけ付け足すとスッと立ち上がり、振り返って部下たちに撤収する指示を出し始めた。

「・・・お、おい・・・っ!」

しばらくしてから、ヒルはやっと声を出すことができた。

如月はヒルの呼び止めに対して、彼へ何かを投げて応えた。

「キミ、携帯電話持っていないでしょう?後の詳しいことはそれに連絡するから失くさないようにしてね。」

彼女が彼に投げ渡したのはスマートフォンだった。

「少し早いけど、入学祝いよ。西宮ヒルくん。」

特徴的な冷たい笑みを浮かべて、如月千尋は彼の病室を出て行った。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 「チッ・・・!」

ヒルは記憶に現実で舌打ちをし、道行く人々に警戒心を与えた。


 つくづく気に入らねぇ女だ・・・。彼は心の中で毒づいた。

スカした態度も、なんでも見通しているような目も、氷のように冷たい声も。


 あの女は、あの白目の男を知っているのだろうか・・・。

いや知らなかったら、あんな捨て台詞は吐かなかったはずだ。

復讐だとか煽りながら、一方的にメールを送りつけてくるだけで、こっちからのメールには返すこともなければ、電話も繋がりやしない。

つ〜か待ち合わせ時間過ぎてんじゃねぇかよ、クソが。


ヒルのフラストレーションは溜まるばかりであった。


「ヨォ〜ッス!ヒルちゃん♪」

能天気な声とともに、ヒルは尻に蹴られたような衝撃を受けた。

「アァッ!?」

ヒルがドスを効かせながら振り返った時、そこに立っていたのは見知らぬ女子学生だった。

着崩した制服に、ウェーブのかかった栗色の髪。

手元にはデコレーションの施されたスマートフォンが握られている。

いわゆる「ギャル」と呼ばれる風体の彼女について、ヒルの感想は一つだけだった。

「・・・誰だテメェ?」

「うわヒッド〜い!ちょっと待ち合わせの時間に遅れちゃっただけじゃ〜ん!」

待ち合わせ?何を言ってるんだこのバカは・・・。

勝手にプリプリと怒り出す彼女を、ヒルは訝った。

「もうっ!しょうがないな〜」

彼女は恥ずかしそうに周りを少し確認すると、にわかにヒルの両肩に手をかけ、つま先立ちになってヒルの左頬にキスをした。


「如月よ。適当に合わせて。」


ヒルの左耳に小さく、が響いた。

彼の紅潮しかけた顔は、一気に青ざめた。

マジか・・・こいつが・・・。


「えへへっ、機嫌治った?ヒルちゃん。葉月千夏だよっ!もう絶対忘れんなよっ!」

いつの間にか顔を赤らめて離れていた彼女は、いかにもだったが、注意深く見てみると、確かに顔のディティールに如月に通じる手がかりがあるような気がしてきた。

それをと見なすのは、あまりにも困難な作業ではあったが。


「じゃっいこっか♪しゅっパァ〜つ!」

呆然とするヒルを無視して、彼女は無邪気に彼の左手の指に自身の右手の指を絡めた。

女性と手を繋ぐのは、ヒルにとって初めての経験だった。


「お、おい・・・っ!」

ヒルは彼女の手のぬくもりに正気を取り戻し、とっさに彼女に声をかけようとした。


 その瞬間ヒルは、彼女の握力が急に増し、自身の左手に激痛が走るのを感じた。

しかし彼は、その激痛に呻きも悲鳴もあげることができなかった。

それどころか、まるで喉の筋肉が全て硬直したかのように、彼には呼吸することすらできなくなっていた。


「次に変なこと言ったら、グーだかんね♪」

パクパクとあわれに口を動かすことしかできないヒルに向けて、葉月と名乗った彼女は、おどけるように、冗談めかして拳を突き出した。

しかし、彼女の無邪気な笑顔が解ける一瞬、ヒルは、その目が以前彼の首を絞めた時と同じ色になっていることに気づいた。

ヒルは葉月千夏を、如月千尋と同一人物であると認めた。


 ヒルは彼女に手を引かれるまま、不承不承についていった。

その先は、地下鉄「丸ノ内線」のホームだった。


「・・・どこに行くんすか?」

「あははっ!なにそれっ!タメ語でいいって言ったじゃ〜ん!」

聞いてねぇよクソッ・・・。彼は適当に合わせた。

「あぁ、わるい・・・」

「着いてからのお楽しみかなっ!とりあえず霞ヶ関かすみがせきで乗り換えるよ。」

東京・池袋方面行きのホームで、到着する列車があおぐ風に髪をなびかせながら、彼女は答えた。

ほんの一瞬でも可愛いと思ってしまった自分が、ヒルは心底腹ただしかった。


 新宿駅から霞ヶ関駅まではそれほど距離はなく、13分ほどで到着した。


 霞ヶ関駅。

中央省庁や最高裁判所が立ち並ぶ官公庁街「霞ヶ関」に続く地下室。

気に入らないところだと、ヒルは列車からホームに降り立ちながら思った。

陰鬱な空気も、無表情な背広たちも、何もかも彼の文化に合わない気がした。


 葉月は、時折バカらしい世間話をヒルに振りながら、彼の手を引いて霞ヶ関駅を歩いていった。

ヒルは彼女が「乗り換える」と言っていたことを思い出した。

霞ヶ関駅は、丸ノ内線、日比谷線、千代田線と三車線が交わる駅だ。

 

 葉月に連れられたヒルは、日比谷線のホームに来ていた。

そこでは、ちょうど北千住方面行きの列車が発車するところだった。

彼女はそれを見送った後で、次の列車を待つ整列地点に並んだ。

「・・・いいのかよ。さっきの乗らなくて。」

「うん。次のに乗るから。」

彼女はヒルの問いに顔を上げずに答えた。

彼女はスマートフォンのロック画面を眺めていた。

彼女の眺める画面では現時刻が大きく表示され、4:39.21と秒数まで数えていた。


「・・・ねぇ、この駅ってさぁ。変な作りだよねぇ。」

しばらくして、葉月は彼に問いかけた。

「は?」

「だってさ、どの列車に乗り換えるのでも、必ず日比谷線のホームを通らなくちゃいけないじゃん?」

言われてみればそうだなと、ヒルは思った。

霞ヶ関駅では、丸ノ内線と千代田線の間で乗り換える場合、一度日比谷線のホームに降りてから、ホームの両端にある丸ノ内線・千代田線それぞれのホームに続く階段を上がらなくてはならない。

彼も上京したばかりの時にはこの構造がわからず、丸ノ内線から千代田線へ乗り換える方法を駅員に聞いたことがあった。


「まるでだよね。」

聞きなれない言葉を彼女は使った。

境界きょうかい・・・?橋みたいだとは思ったことはあるが。

「お婆ちゃんが言ってたんだけどね、昔の人はこういうところをメッチャ恐れてたんだって。ほら、田舎なんかに行くとさ。村とか街のはずれにある辻とか峠とか橋のたもととかに、お地蔵さんとか小さい神社みたいなのがあるじゃない?」

何を言ってるんだこいつは。

「昔の人はね。そういう内部うち外部そと境目さかいめにはが出るって考えてたから、お守りを置いて守ってもらってたんだって。笑っちゃうよねぇ〜?」

「・・・このホームに幽霊でも出るってか?んなの田舎モンの迷信だろ。」

「うらめしや〜!!」

彼女は突然おちゃらけてヒルを脅かした。

ヒルは無反応だった。

「ノリ悪ぅ〜。・・・でもさ、こういう迷信って中つ国だけのものじゃないらしいよ?ハロウィンってあるじゃん、オバケの仮装してトリックオアトリートなやつ!あれって元々は「サウィン」っていう、西洋の古代人が「夏と冬の境目さかいめ」を祝う祭りだったんだって。」

ハロウィン・・・。彼はリリス・チューリングと名乗ったあの黒猫のことを思い出していた。

「まるで「冬と春の境目」を祝う節分みたいだよね。鬼はソト〜福はウチ〜。」

彼女は再びスマートフォンへと目を落とした。表示されている時刻は、4:43.45。


「・・・彼らは信じていたんだよ。物事の【境界】には、鬼と福をもたらす【異界への扉】が開くってことを。」


彼女の声のトーンは平然としていた。

だがその時ヒルは、葉月の口元にを見た。


列車が到着するアナウンスが入ったその時、彼女はヒルの手を引いてホームの整列地点から離れ始めた。

「お、おいっ!どこに―――」

ヒルが葉月に向かって声をかけようとしたその時、彼は再び左手に激痛を感じ、発言を呼吸ごと止められてしまった。

もの言わぬヒルを片手に葉月は、千代田線のホームへとつながる階段の前で立ち止まった。

そしてスマートフォンを眺めながら、何かを見計らうようにして、彼女は階段に足をかけた。

ヒルもまた、彼女に引きづられるかたちで階段に足をかける。


 その時彼は、自分が水面に落とされたかのような錯覚に陥った。

それは、自身の体が何かを通り抜けるような感覚だった。


 空気のない世界でヒルが見たのは、葉月のスマートフォンに表示されていた時刻、4:44.44の文字列であった。

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