第14話「熱力(タパス)」


 如月がスマートフォンを振ると、ヒルの首に何かが絡みつき、気道を圧迫しながら彼をベッドにうつ伏せに倒した。

彼は反射的に首に巻きついた何かを掴んだ。

それは目には見えないが、鉄臭く、まるで鎖のような手触りを持っていた。

そして擦れるような金属音と共に、それはますます彼の首を強く締め付け始めた。

「ほらほら、早く抜け出さないと窒息しちゃうわよ。死にたいの?」

如月はこともなげにヒルに問いかけた。

人の命に手をかけるというよりも、まるで尋問を続けているかのような冷静さで・・・。

ヒルは拘束から抜け出そうと試みたが、如月はいつの間にか彼を背中から押さえつけており、身動きが取れない。

圧倒的暴力にますます首を締め付けられて暗くなる視界は、ヒルにある予感を思い出させた。

あの夜に鬼が放った光の雨を前にした時と同じ予感、すなわち、死・・・・


「ウガアアアアァァァァァァ!!」


 ヒルは雄叫びをあげて力任せに暴れまわった。

その時、彼は再びとなる奇妙な体験に飲み込まれた。


 心臓がうるさいほど強く、そして急速に拍動する。

鼓動に合わせて身体中の血管が暴れまわり、血液はまるで沸騰しているかのように熱い。

心の臓から溢れる力が、血液を通じて身体中に浸透していく感覚。

そして、周りの時間の流れが途端に遅くなったような錯覚。


 あの夜、ヒルの拳が鬼の面を弾き飛ばした時も、今と同じ感覚だった。

それまで速すぎて目で追うことも難しかった鬼の動きが、動悸の激しさに反比例して急にスローモーションに見えたのだ。


今の彼の前でも、台上にあったコップが羽毛のようにゆっくりと地面に落下し、柔らかいはずのベッドは途端に強張った。


 ヒルは鈍化した世界の中で、溢れる力に任せて首を絞められた状態のまま強引に立ち上がると、おそらく彼の首を絞めている本人だろう得体の知れない彼女へと、無意識的に右拳を薙いだ。


 彼の拳は接触した。

しかしその相手は頭でも急所でもなく、彼女の右腕であった。


 鈍化した世界の中でも、如月だけはヒルと同じ速さで動き、武術的な「受け」でもって彼の攻撃を無力化したのだ。


 世界が元に戻っていく。

落下していたコップが地面にやっと接触し、音を立てて砕け散った。


「主任ッ!!」

如月の部下だろう男たちが声を上げ、色めき立った。

彼女は片手を上げて彼らを制止したが、その時彼女の顔からは余裕な色が少し抜けていた。


「へぇ〜、まさかここで戦隊時代の技術を使うことになるなんてね・・・。なるほど、聞いていた以上じゃない。」

如月は口元に少しの笑みを浮かべたかと思うと、受け手をそのまま掌底に変えてヒルの顎を打ちぬき、興奮状態のヒルの暴れをいなしてベッドに投げ飛ばした。

幸いベッドのスプリングのおかげでダメージは少ないはずだったが、ヒルはもはや立ち上がることができなかった。

鈍化した世界で力が溢れてきたのと同じような勢いで、とてつもない疲労感が彼を襲ってきたというのも理由の一つだが、それ以上に、自分と彼女の間に広がる圧倒的な実力の差を思い知らされたからだ。

 

凡庸な言葉だが、これ以上的確に彼の絶望的な心境を説明する言葉はなかった。


「おめでとう、合格よ。疲れたでしょう?オーバークロックなんて。」

そう言って如月が手元のスマートフォンを操作すると、ヒルの首を締め付けていた見えない鎖は消え去った。

如月は、無力感に打ちひしがれる彼とは裏腹に、その健闘をたたえているようだった。

「一体なんなんだっつーんだよ・・・アンタら・・・・」

ほんの短い間の出来事だったはずだが、ヒルは尋常ではないほどの汗をかいていた。

彼は荒れる息を整えながら、目に入った汗を右手でぬぐった。


 再び目を開いた時、彼が見たのはおおよそ見慣れないモノだった。


 彼の右手からは、汗とともに、煙のようなモノが立ち上っていた。

それは透過度の低い「白」と「黒」のエアロゾルで、その白と黒は、まるでミルクを入れたばかりのコーヒーのように、一体化しつつも混ざり合うことなく相反していた。


熱力タパス。この場合は、魔力まりょくとか霊力れいりょくとか言った方が伝わりやすいかしら。」

ヒルの疑問を察したように、如月が答えた。

「・・・ま・・・?」

質問の体をなしていなかったが、それが彼の質問だった。

「そう、魔法よ。ちちんぷいぷいってね。ビックリした?」

「・・・狂ってる・・・・」

「ふふっ、そうかも。」

如月は少し茶目っ気を出し、その場の剣呑な雰囲気が少し和らいだ気がした。

「普通はそんな風に見えるものじゃないのよ、タパスって。逓倍魔法オーバークロックとか狂ったことをすると、そうやって汗腺から漏れ出すこともあるけどね。」

「・・・なら、さっきのアレは・・・・」

「ええ、魔法よ。西宮君、キミのね。」

・・・俺の・・・?まさか・・・狂ってる・・・。ヒルは混乱した。

逓倍魔法ていばいまほうやオーバークロックと言ってね。キミの感覚と動作速度を一時的に高める魔法よ。だけど、あまり使うのはオススメしないわね。ご存知の通りとても疲れるし、脳溢血とか、最悪心臓が破れて死ぬなんてこともありうるから。」

そうか、周りが遅くなったんじゃなくて、俺が速くなってたのか・・・。

「・・・けど、アンタも使ってたろ・・・。」

「私はいいのよ、訓練を受けてるから。これはキミみたいなアマチュアの魔法使いに対する気遣いよ。・・・といっても、素人が発動できるほど簡単な魔法じゃないはずなんだけどね、これ。」

魔法使い・・・。彼は彼女の返答を受けたところで、自分がこのファンタジーを現実として受け入れ始めていることに気づいた。


「キミ、魔術師の才能があるみたいよ。どうかしら?陰陽師になってみる気はない?」


警視庁公安部の如月千尋は、まるで昼食に誘うかのような気軽さで、少年をファンタジーへといざなった。









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