第11話「走馬灯」

「どう?ヒル。勉強はかどってる?」

不機嫌に飯を口に運んでいるヒルに、活発そうなセーラ服姿の少女が話しかけた。

「なんでやってること前提なんだよ。」

少年は不機嫌なまま返事を返す。

「ハァ!?やってないの!?参考書買ってやったじゃん!!金返せコラァ!!」

「ウルセェ!お前が勝手に押し付けてきたんだろうが!俺は頼んでねぇし!・・・つかなんでカナと同じ高校なんだよ。絶対入れるわけねぇじゃん。」

「平気平気ぃ、うちの高校割と下にも裾野広げてるから。少子化ばんざ〜い。」

「・・・にも限度ってもんがあんだろ。」

「あっ、自分がバカだってことは自覚してるんだ。感心感心♪」

「ぶっ殺すぞテメェー!」赤くなりながら、ヒルは吠えた。

「ゴラァ、誰だァそんな汚い言葉を使う野郎はァ」

ヒルの声を聞きつけて台所からヌッと現れたのは、コワモテのスキンヘッドの男だ。

「ヒルくんでぇ〜す♪」セーラ服がおどけてみせる。

「ヒルお前コラ、門限遅れた上に学ランのままメシ喰ってんじゃねぇ」

「ふざけろハゲ。門限ならカナも遅れてんじゃねぇか。」

ヒルが失礼に毒づいたその瞬間、ヒルの頭頂に何かがぶつかり、「ピコッ!」という間抜けな音が部屋に響いた。

「ハゲじゃねぇ、剃髪ていはつだ。毎日剃ってんだよこの野郎ォ。」

スキンヘッドの男の片手には俗に「ピコピコハンマー」と呼ばれるおもちゃが握られていた。

「〜〜〜〜ッッテェェェェなァ!!なんでそんなのが痛ぇんだよッ!!ハゲッ!!」

スキンヘッドの男は軽く叩いた程度だったが、ヒルは本気で痛がっているようだった。

「悪い子だけ懲らしめるようにできてるからなァ〜。」

「わけわかんねぇんだよ!!クソッ!クソ!クソッ!」

ヒルはハンマーを奪って男の身体を叩きまくった。だが、ピコピコ間抜けな音が響くだけで全く効いていないようだった。

「あとカナは華の女子高生だからな。門限も緩めてるんだよ。お前も自由が欲しかったら勉強して高校入れ。学費安いとこな。」

「やぁ〜い中坊、言われてやんの〜」

「チッ、どいつもこいつも・・・」

ヒルは返す言葉もなく、食卓の唐揚げを一つ頬張った。

「・・・っとぉ、そろそろ行かなきゃ。じゃあ先生、10時までには帰ってくるからっ!」

時計を見て思いついたようにカナは言った。

「今日もバイトか?飯は?」先生と呼ばれた剃髪の男が答える。

「うん。オーナーがめちゃいい人でさ〜。食べきれないくらいまかない用意してくれるんだよね〜。今度みんな連れて食べに来てよ。サービスするってさ。」

「そりゃあいい。気をつけて行ってこいよ。」

「はぁ〜い。あっ!ヒル!帰ったら勉強見てやるから、ちゃんとやってろよ!!」

「ウルセェ、さっさと行けバーカ。」

ヒルの悪態に笑い声だけ返して、カナは出て行った。


「いい子に育ったもんだよなぁ〜、カナは。」

ドアが閉まる音を遠くに聞きながら、先生は当てつけがましくつぶやいた。

「誰と比べてんだよ、おっさん」飯をかきこみながらヒルは答えた。

「まぁお前ほどじゃないにせよ、カナはもう少し悪い子でもいいな。」

先生は、少し呆れたようにため息をついた。

「せっかく高校入ったんだから部活でも入ればいいのに、あいつ気を使うから・・・。知ってるか?カナのやつバイトの給料、ほとんど施設に入れてるんだぞ?」

「・・・ふぅ〜ん・・・・」

「お前の参考書だってそうさ。ちっとくらい期待に応えてやったらどうだ?」

「・・・知るか。ご馳走さん。」

箸を置き席を立ったヒルの片手を、先生が掴んだ。

掴まれたヒルの手の拳骨には、赤黒いかさぶたが張り付いていた。

「お粗末さん。だが、ケンカじゃメシは食えないぜ。お前もそろそろ真面目になったらどうだ。」

いつになく真剣な先生の声に、ヒルはたじろいだ。

「チッ!余計なお世話なんだよ!アンタもカナも!」ヒルは乱暴にその手を振りほどいた。

「余計なお世話が俺の仕事だからな。けど、カナのお世話は違うだろ。純粋なお前への思いやりだよ。汲んでやれ。」

「・・・・・・っ」

言葉に詰まるヒルをしばらく眺めた後、先生は付け足した。

「・・・しかしまぁ、純粋というのは言い過ぎかもしれんな・・・。ヒル、お前が中学に入りたての頃の事件、覚えてるか?」

「・・・んなのあり過ぎて覚えてねぇよ。」

「お前がカナに絡んでた上級生をぶちのめしに行った話だよ。」

「なっ!なななんでオッサンが知ってんだよッッ!!」

「あれ以来、あいつはお前にお姉さんぶりたいんだよ。いわく「ヒルは短気で暴力バカだけど、まっすぐだから、そのせいで道を踏み外して欲しくない。」んだとよ。・・・少しは甘えてやれ。喜ぶぞ。」

「・・・どいつもこいつも・・・・だから勉強しろってことだろ?ウゼェ・・・」

「別に俺としちゃ真っ当に生きてくれりゃあバカでも構わないさ。お前の人生だ。」

「わかんねぇ・・・真っ当ってなんだよ・・・」

「宗教的信条を抜きにすれば、テメェ自身に胸張って生きることだ。自分を恥じちまうことなく・・・。」

「・・・・・」

「お前はロクデナシなんかじゃないさ、ヒル。まぁ確かに、宗教的には喧嘩っ早いのを治して欲しいがね。」

それだけ言うと、先生はヒルの肩を軽く叩いて台所の洗い物に戻っていった。ヒルは、自分の心情を見透かされたようできまりが悪く、舌打ちをした。

「・・・あぁ〜気分悪ィ〜・・・・」

「なら久しぶりに禅でも組むかァ思春期ィ〜!捗るぞォ〜!」台所の奥からヒルの小言の返事が飛んできた。

「ウルセェ!!黙って皿洗ってろクソ坊主!!」

ヒルの方も悪態を返し、食堂を出て行く。



 今思えば、悪くない日常だった。

彼は記憶を俯瞰しながら、そう思った。

家族を知らない自分でも、何か太い繋がりを感じられたのは、きっと幸運なんだと思った。

児童養護施設というよそよそしい名前とは裏腹に、みんな余計な世話を焼きたがる文化を持っていて、当時の彼はそれが嫌いだと思っていたが、振り返れば彼はそんな雰囲気に救われてもいたのだ。


 そんなことを、今知ってどうなる・・・・。


彼は再生される記憶の波を、ここで止めてしまいたかった。

目を瞑れるのなら、そうしたいと、願った。


 場面が変わる。

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