第10話「ファンタジー」
「ジャヴァスクリプトッ!!」
少年の確信はファンタジーに裏切られた。
ハロウィンが奇怪な言葉を唱えながら杖を振ると、蜘蛛の巣のような巨大な光の網が杖の前方に展開し、少女の放つ妖しい質量を、まるで盾のように受け止めた。
彼女が加えて何事かを呟くと、巨大な蜘蛛の巣は鬼が放った光を四方八方に乱反射させていった。
反射した光は、轟音とともに地面を、ビルを、コンクリートを穿ち、地震のように一帯を揺らした。
砂埃が、あたり一面を覆い隠す。
闇と砂塵の中、浮世離れした状況に呆然とする少年の腕を、何者かが掴んだ。
「今のうちっス!逃げますよヒルくんっ!!」
少し嬉しそうなその声は、ハロウィンだ。
ハロウィンは、そのオカルチックな帽子を脱いで、手に持っていた。
ハロウィンは、混乱しているヒルの反応を待つことなく、杖を振りながら何事かを唱え始めた。
その後で彼女は帽子の中に手を入れると、その中から箒に酷似したものを取り出したのだ。
帽子から鳩を取り出すマジックもある。赤峰ヒルも、彼女の奇術がその一種であると信じたかったが、期待は時を待たずに裏切られた。
「乗ってくださいっ!!」
「・・・ハァッ!?」
彼はやっと彼女に返事を返すことができた。その時すでにハロウィンは箒にまたがっていた。彼女の後ろにまたがれということだろうか。いやいや、ふざけてる。
「気持ちはわかりますけど早くッ!!じゃないとアイツが、、、」
ハロウィンがセリフを言い終えるまえに、ヒルの頭をすれすれに、ナイフが飛んで行った。
ヒルが振り向くと、確かにアイツがそこにいた。
「・・・タ〜リホ〜・・・クソッタレども。俺様も混ぜろよ・・・。」
少女は傷を負い、血を流していた。
「狼の父を騙すとはいい度胸してるじゃねぇかクソッタレ魔女が。このために今までタヌキ演じてたってわけかい?」
彼女の声は落ち着いてはいるが、そこには剣呑な色が含まれている。
「いやぁ〜あはは、そんなまさか・・・・え〜あの、仕留めるつもりでやったはずなんですけど、もうちょっと時間いただけませんでした?」
頭をかきながらハロウィンも笑顔を引きつらせた。
「くれてやるとも・・・。永遠に・・・。」
少女が不穏にこちらに近づき始めたその時、ヒルは背中に強い衝撃を感じ、宙に浮くのを感じた。
だが、落ちる気配はなかった。それどころか、彼の眼下に広がる地面はどんどんと広がっていくのだった。
「逃げるが勝ちっす!!」
ハロウインが夜空に叫んだ。
そう、ヒルは夜空の中にいた。
比喩ではなく、空中という意味で。
「・・・まったくとんだ災難でしたね。いやぁ〜陰陽師相手なら予想してたんですけど、まさかヤオヨロズにお出迎えいただけるとは・・・。あっそうだ!助かりましたよヒルくん!!杖持ってきてくれて!ありがとうございます!!」
飛行する箒にまたがるハロウィンは、裏首を取られて持ち上げられた猫のような情けない姿勢で並走するヒルに杖を向けながら、嬉しそうにお礼を言った。
ヒルはその時初めて、自分が空を飛んでいることを知った。
「・・・つか、アンタ誰?なんで俺の名前知ってんだよ。」
いろいろ聞きたいことがあったはずだが、彼の頭ではこれで精一杯だった。
「あぁ〜、この姿で会うのは初めてでしたもんね。その前に、この箒の柄を握ってもらえませんか?杖使いながら運転するのは疲れるんで。」
ヒルは抵抗する気力もなく、言われるままに箒の柄をその手で握った。
ハロウィンは、それを確認すると、ヒルに向けていた杖をしまった。
すると、先ほどまで無重力であったヒルの体に、少しの重力が戻ってきた。
「あぁ〜注意っ!。箒を航空機として利用する場合は、体のどこか一部が箒に触れているようにしていてくださいね〜。箒から完全に体が離れると重力が全部戻っちゃいますから。まぁ、簡単に言えば死っすよね。ヒルくん、とにかくまたがっちゃおうぜ。」
ヒルは従った。
「え〜と、なんの話でしたっけ?」ハロウィンはすっとぼけた。
「テメェは誰で、なんで俺を知ってんだっつ〜話だよ。そしてこいつはなんだ?俺は夢でも見てんのかよこの野郎。」
「質問増えてません?」
「いいから答えろこの野郎。」
「え〜っと、じゃあ答えやすい方から。これは魔法で、私は魔法使いです。魔術師としては、え〜得意な儀式はC言語ですが、ルーノカールと言うより、なんでもこなせるフルスタックマジシャンを自負してるっす。あ〜でも名前は聞かない方がいいですね。あんまり誇れる身の上ではないので。どうして君のことを知ってるかについては、、じゃんっ♫」
「あっ、テメェそれ・・・」
彼女が取り出したのは、猫用の首輪だった。
「・・・ってか、クロって安直すぎません?」
「寝言は寝て言えコラ。なんで猫が人の形してんだよ。」
「なんで人が箒で空飛んでんだよってことですね。ちなみに夢じゃないっすよ〜ん。」
「・・・嘘だろ・・・クソッタレ・・・」
「巻き込んじゃったことは、ごめんなさい・・・・。でも、私もそんなつもりはなかったんですよ・・・。だから黙って部屋を出て行ったんですけど・・・。」
「・・・・・・」
「だって、ヒルくんが助けに来るんだもん。・・・まったく・・・また、助けられちゃいましたね、私・・・・。」
「・・・別に・・・助けに行ったわけじゃねぇよ・・・・。」
二人の間に、しばし沈黙が続く。
混濁する頭といたたまれない空気から逃れるように、ヒルは眼下の風景に目線をそらした。
「本当に浮いてるんだな・・・。」
「そりゃあまぁ。でも気持ちいいでしょう?私好きなんですよ、夜空を飛ぶの。最近は怪我治したりでご無沙汰だったから、余計に気持ちがいいですね。」
「怪我って、猫の時の?」
「そんなところです。」
ヒルは未だに現状を受け入れられてはいなかったが、それでも彼は、彼女に感じる親しみの正体を受け入れるには、彼女がクロであると認めるのが一番理にかなっているのではないかとも思い始めていた。
だからだろうか。彼はこの怪しい女に踏み込んだ。
「さっきも妙なのに襲われてたな。俺にぶつかった時にも逃げてるみてぇだったし。何かしたのかよ?お前。」
「・・・ん、まぁそんなところです。」
含みのある、彼との間に壁を作るヨソヨソしい返事であった。
「いったい何を、、、、」
「あっ!見えましたよっ!」
ヒルの声を遮って、彼女が声をあげた。
彼女が指をさす方向には、ヒルの住むアパートがあった。
彼女は、アパートの近くに人気のないところを見つけると、そこで徐々に箒の高度を下げて、ヒルを降ろした。
「今度こそ、ここでお別れですねヒルくん。最後にきちんとさよならが言えてよかったですよ。先輩さんにもよろしく伝えておいてください。」
「・・・あぁ。」
寂しげに、しかしそそくさと別れを告げる彼女に、ヒルは生返事を返した。
「あと、今日のことはやっぱり夢ですから。ちゃっちゃと忘れちゃった方がいいですよ。」
「なんだそれ。んならテメェの魔法だとかなんとかで記憶でも消してくれよ。ついでに怪我もよ。」
「・・・そうですね。本当はそうしてあげた方がいいんですけど・・・・」
ヒルの何気ない返事に、彼女は予想外に沈痛な顔を見せた。
そのあとしばらく悩んだ様子を見せると、彼女はやけになった様子で少年にまくし立てた。
「あ〜っ!もうっ!!「リリス・チューリング」ですっ!私の名前っ!前々から言いたかったんですけどテメェとか大変失礼っすよっ!次からは名前で呼んでくださいね!覚えましたか?ヒルくんバカなんだから!」
「アァ!?なんだとテメェこの野郎ッ!!」
「ヤロウじゃねぇしぃ!やっぱ全っ然バカじゃないっすかぁ!」
ヒルと口論する彼女の声は、どこか嬉しそうにも聞こえた。
応じるヒルも、その応酬に不思議な居心地の良さを感じていた。
赤峰ヒルは、いつもはそこまで口を開く人間ではない。
その日初めて出会った関係ならば、なおさらだ。
それでも今日の彼が、彼自身少し饒舌に感じているのは、やはり彼女がクロであるとヒル自身感じ取っていたからだろうか。
「あぁ、そうだ。帰るんなら餞別くれてやるよ。」
ヒルは思いついたように彼女に言い、ポケットから部屋の鍵を取り出した。
「お前以外食わねぇんだよ、アレは。」
苦笑いしながら、彼がドアノブに手を伸ばしたその時、彼女の顔が急に青ざめた。
「待ってッッ!!それは────」
ノブを捻ったその瞬間、ヒルは激痛に襲われた。
例えるならそれは、身体中の血管と骨髄に煮えたぎる油を流し込まれるような感覚だった。
ヒルは、リリス・チューリングと名乗った女が自分に必死に呼びかけているようにも、感じていた。
彼にとって、それは定かではないのだ。
その時彼の鼓膜は、彼自身の悲鳴によって麻痺してしまっていたからだ。
それはあまりにも懐かしい痛みで、彼は痛みと怒りに発狂しそうになる精神を、次第に走馬灯の記憶の中に沈めていった。
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