第3話「幻覚」

 結局、少年は街に出ることにした。

煙草を買いにいくという体だが、内省ないせいを煽る部屋のムードに耐えきれなくなったというのが、正直な理由だった。


 陽が落ちるにつれ、街はウルサイ広告と喧騒けんそうで華やいでいき、灰色の世界を、享楽きょうらく的な光で塗りつぶしていった。

 朝とは打って変わって気色ばむ街にも、彼はまだ疎外感を覚えていたが、それでもこの街の厚化粧は、少年の感傷もいくらか誤魔化してくれた。


  も見えねぇしな・・・。彼は付け足した。

見えたとしても、そいつも誤魔化される・・・。


 ヒルが意識をに向けた時、何かが彼の体にぶつかった。

「いてーだろこの野郎。ちゃんと前見て歩けガキ。」彼は振り返ってドスを効かせた。

「ごめんなぁ〜い」悪びれもしない、あどけない声が返ってくる。

年端もいかない少年は止まりもせず、ヒルにぶつかった勢いのまま走り去っていった。

「ったくどいつもこいつも・・・・」

彼が愚痴をこぼしながらふり返ろうとした次の瞬間、彼は背中に大きな衝撃を受け、地面に倒れこんだ。

それはもはや、強烈なタックルだった。

「イッテェだろこのタコッッ!!どこ見て歩いてやがんだァ!!アァ!?」

ヒルの怒声どせいが街に響く。

「ご、ごめんなさい!急いでいまして・・・」

彼にぶつかったのは女性だった。彼女は申し訳なさそうに顔を上げて、彼と顔を合わせた。

「あ・・・」

「ア?なにガンたれてんだテメェコラ」

ヒルの顔を眺めて呆然ぼうぜんと口を開ける女性に、彼は毒づいた。

そのあとで彼はすぐ、「やっちまったか・・・」と自分に対しても舌打ちをした。


 金髪碧眼きんぱつへきがん国際化グローバリゼーション時代の中つ国ミズガルズにおいて、中つ国語を話す白人など珍しくもない。

しかし、彼女の身なりについて言えば、それは明らかに浮世うきよ離れしていた。


 喪服と呼ぶにはあまりに前衛的すぎる黒いドレスに、ツバとクラウンが異様に発達した奇怪な帽子。

例えるならそれは、ハロウィンの渋谷を顔のついたカボチャと一緒に練り歩いているタイプの服装だ。

ニセイ・ミヤケのデザインと言い訳するにしても、彼だって服を切り刻んで、そこから血液みたいな真っ赤なボディペイントを施すような真似はしないだろう。

 彼女の身なりは、少なくとも西宮ヒルの日常にとっては、あまりにも珍しすぎた。

そして何よりも彼が気に食わなかったのは、そんな彼女になぜか「親しみ」を覚えてしまう、自分自身だった。

「・・・俺もいよいよヤベェかな・・・・」

ヒルはため息をつき、片膝を立ててうなだれた。

一番近くの心療内科はどこだろう。そんなことを考え始めた。

そのうち、彼は自分の落ち込んだ肩が叩かれるのを感じ、顔を上げた。

そこでは無邪気な顔をしたハロウィンが、彼と目線を合わせ、微笑みかけていた。

「少年よ!大志を抱け!私はいつでも応援していますから、君のこと。・・・それと、ありがとう。」

サムアップする彼女の口元には、八重歯やえばが輝いていた。

「・・・黙れよ幻覚ファンタジー

ヒルの毒にも彼女は笑顔で応えると、呆気あっけにとられている彼を尻目に、ハロウィンは名残なごり惜しそうに去っていった。


 彼女が見えなくなると、街は現実を取り戻し、喧騒がヒルを日常に引きもどした。

「・・・一服するか。」

彼も自分の日常を取り戻すために、努めて平素な言葉をつぶやき、立ち上がる。

「・・・なんだこれ」

立ち上がったヒルの目に入ったのは、地面に転がる、だった。

彼はそれを拾いあげて、眺めてみた。

その棒は、柄のようなグリップがあるところを見ると、どうやら振ったりして使うような、何らかの道具らしい。

光沢のある木材を使い、高級感を感じさせるその棒には、何か文字のようなものが刻まれていたが、それはヒルが今までに見たことのない文字体系であった。

彼はこの浮世離れした棒に、を感じ、気まづさを覚えた。

煙草を買うついでに、ゴミ箱に捨ててやろう。彼はそう考え、コンビニに歩みを進めた。

その時である。

「・・・・ない・・・」

彼はすべてのポケットをまさぐり、裏返し、あるものがなくなっていることを確認した。

「あの女・・・巾着きんちゃく切り(スリ)やがった!!」

財布には、先輩からもらった今月分の小遣いが全額入っている。

ハシタ金だが、それでも一銭もなければ、この街で彼ができることはあまりに少ない。

そして彼にできる数少ないことと言えば、イカれた格好をしたスリを追いかけることくらいだった。


 だがそのことは、彼にとって何もかも最悪というわけでもなかった。

良いニュースの一つは、幻覚は財布を物理的には盗まないので、彼が今すぐ心療内科を探す必要はなくなったということ。(少なくとも彼はそう思っている。)

そして二つ目は、初対面にも関わらずなぜか親しみを覚えた彼女に対して、ヒルは少なからぬ興味を抱いており、幻覚でないならきちんと話をしてみたいと考えていたことだ。


 彼は無意識に奇怪な棒をベルトに差し込み、彼女を追うべく夜の街を疾走した。


 良いニュースが、結局はであったということを彼が知るのは、その後すぐのことである。










 

 



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