第1話「ヤンキー」


 

 血がたぎる。



「テメェじゃハナシになんねぇんだよッ!!あの野郎連れてこいッ!!」


 威嚇いかく的な出で立ちの男が、青年に罵声ばせいを浴びせた。

いや、少年と言った方が適切かもしれない。

学生服を身にまとう物言わぬ一人の少年に対して、多勢に無勢を引き連れた彼らの行いは、あからさまに不穏なものだったが、いかんせん新宿歌舞伎町の未明みめいの暗闇には、彼らを止める者はどこにもいない。

「オイオイあんま脅かしてやんなよォ〜 震えてんじゃんカワイソウに」

 取り巻きの男の一人が冷やかすと、周りの男たちもへらへらと笑いだした。

 その笑顔は、一様に目の焦点があっていなかった。

 手には金属バットが握られていたが、野球をするには人数は足りていても、グローブが足りていない。

「聞いてんのかこのガキィ!!!」

 泡を吹きながら、リーダー格の男がバットを振り落とした。

 少年の頭上に。


 ここまでは、東アシーアの東の端に浮かぶ島国「なかくに」ではよくある話だった。

リンチも、薬物も、おびただしい血も、すべては日常、リアルだった。


 この話がファンタジーだとしたら、おそらくそれは、彼がことだろう。


 「クックク・・・」

 少年は、額の血を拭いながら、押し殺したような息を漏らした。

 「俺が・・・ビビってる・・・?」

 それは、だった。




––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––


 

「やっぱヒルちんやっくに立つぜぇ〜!!」


夜明けの街。

日の出に黄昏たそがれながら歩いていた少年の肩を、背の高い男が後ろから勢いよく叩いた。

「いってッ!触んじゃねぇよこの野郎」

「つれねぇなぁ〜感謝してんじゃねぇかよ〜♪」

「ウルセェよ。つか先輩よぉ、テメェのケツくらいテメェで拭けよな」

「あっ!お前その口の利き方はないよなぁ〜。お前誰のおかげで飯食えてると思ってんの?」

「はいはい、だからきちんと働いただろ」

不機嫌に答える少年に、「先輩」と呼ばれた男はにんまりと応えた。

「お前マジスゲェよ。あの人数を一人でフルタコ(ぼっこぼこ)だもんな。それも何人かは「拡張肢者エクステンダー」だったろ?恐れ入るぜ。バットかまされた時はヒヤッとしたけど、さすがは俺の後輩!!やっぱ俺の目に狂いはなかったってことだなっ!!あっはっはっはっは!!」

「・・・つか見てたんなら加勢するとかないんすか?」

「バッカ!俺ホストよ?昔みたいに喧嘩して、顔に青タン作るわけにはいかないわけ。わかる?」

「・・・先輩も丸くなりましたね。」

「俺は変わっちゃいねぇよ。俺はあんな田舎を出て、この街でBIGになるって決めたんだ。そのためなら何だってするさ。さしあたりナンバーワンホストになって金稼いで、マンション買い〜の外車乗り回しぃ〜の」

「はいはい、ねぇ先輩タバコある?」

のぼせ始めた先輩を遮るように、少年は言った。

「何?きらしてんの?」

「・・・いや、猫に盗られた」

「ブッハ!!クロちゃん!?」

先輩の吹き出したツバが少年にかかる。

「きったねっ!!ンの野郎ォ!!」

「お前なに、猫に禁煙させられてんの?ウケる」

先輩は謝る代わりに、笑いながらシガレットを一本、彼に差し出した。

「チッ・・・あのクソ猫、煙草モクやると機嫌悪くなんだよ。買う金もねぇってのに・・・クソッ・・・」

くわえ煙草タバコで愚痴をこぼしながら、彼はポケットのライターを探し始めた。


 彼の視界が一瞬黒く染まったのは、その時だった。


「オォ!クロちゃん!!」

先輩の歓声の先には、黒猫が一匹、佇んでいた。

毛並みのいいその小動物の口もとには、と、人を小馬鹿にしたような笑みが浮かんでいるように見えた。

少なくとも、ライターを手にしたその少年にとっては。

「んのクソ猫ッ!!」

少年が煙草を取り返すため、黒猫をつかまえようとするが、猫はやすやすと少年の腕をすり抜ける。

「ちょこまかとォ!!」

大男たちを蹴散けちらす彼の力をもってしても、その猫を捕らえることは困難だった。

「ゼェゼェゼェ・・・猫鍋にしてやるぜこの畜生がぁ・・・」

「もうよせってヒル。どうせ捕まえられねぇよ。」

「ニャー♪」

黒猫は、先輩の悟しに応えるように、シガレットをゴミ箱に投げ入れた。

「あっ!!テメェ!!」

「な?にしても頭いいなぁ〜ミーちゃん。芸とか覚えさせれば一儲けできるんじゃないか?うん?・・・うん、ガチでいけんじゃね。」

「・・・そういうのいいから、なぁ先輩」

ことのほか真剣な顔で考え込む先輩に、少年はうんざりしながら手を出した。

「ん?ヤダ」

先輩は少年の意図を汲み取るも、即座に期待を裏切った。

「は?」

「禁煙しな未成年」

「アンタだってガキだろうがよ」

「俺はいいんだよ。働いてるからな。働かざる者吸うべからず、ってね。文句があんなら金稼いでこい!この不良ヤンキーニート!!」

「・・・できねぇよンなの」

「なんならお前もやる?ホスト。つっても年齢詐称ねんれいさしょうするにも限界があるよなぁ・・・」

「ぜってェやんねぇからな。」

そうふてくされて答えると、少年は背にズシリとした重みを感じた。

猫が服に爪をかけて、彼の背に張り付いている。ぶら下がっている。

「頑張れってよ。クロちゃんも。」

「・・・もう疲れたわ。」


 いつの間にか、夜は完全に明けていた。

日は昇り、背広のサラリーマンがまばらに道を行くようになった。

 そこは表の世界だった。

明るい都会。

そこは暗闇や、貪婪どんらんで無秩序な照明によって誤魔化されることのない、正常な、秩序ある、灰色の世界だった。

そしてその秩序の中には、少年の居場所はないように思えた。

少年は、誰にでもなく、この街の与える疎外感に舌打ちをした。


「うしっ!じゃあ牛丼でも食いに行くべ!!」

先輩の明るい声が、肩の衝撃ととも少年の痛覚に響く。

「だから、イッテェんだよ!!アンタわざと怪我したとこ狙ってんだろ!!」

「だからそれをねぎらってやるって言ってんだよ。なんでも好きなの頼んでいいぜ。なんとトッピングも可!!」

「しみったれてる・・・」

「なんか言ったか?」

「別に。」

「クロちゃんは何がいいかな。金のスプーン?」

「こいつが何してくれたって言うんだよ。・・・いっとっけど、このクソ猫キャットフード食わねぇぞ。マジで、リンゴしか食わねぇ。」

「うそ?猫って肉食だぜ?」

「知るか。ンなのこいつに聞けよ。とにかくリンゴしか食わねぇ。獣のくせして贅沢なヤロウだ。」

「・・・あれ?でもこの前買ってきたキャットフードなくなってたじゃん。」

「・・・・・」

「おかしくね?」

「・・・・さっさとメシ食いに行こうぜ」

「食ったなお前」

「・・・食ってねぇ」

「食ったんだなヒル!」

「ニャー♪」

「クロちゃん見たんだな!?」

「ウルセェな!殴んぞオラァ!」

少年の怒号、しかしどこか楽しんでるような声が、都会の雑踏に響く。

道行く背広は、それに少し眉をひそめて見せたが、すぐに無表情を取り戻した。

二人と一匹は、また次の夜を迎えるために、朝日に背を向け歩みを進めた。


 世界はこうして、変わらず毎日を繰り返す。

そう信じていた頃が、彼にもあった。


 クソみたいな街で、クソみたいな仲間と、クソなりによろしく生きる。

そんな日常がいつまでも続くのだと、少年「西宮にしみや日琉ひる」は、はまだ信じていた。

 

 少なくとも、彼が「使」と呼ばれるようになるまでは。



「どうした?」

急にピタリと歩みを止めた黒猫に、ヒルが問いかける。

その猫の視線は、どこか遠くを見ているようだった。

「たまにあるよな、猫ってそういうの。」黒猫の代わりに先輩が答える。

「人目のつかないところで集会開いたり、何もないとこ見つめてたりさ。いやな、俺も昔飼ってたんだよ、猫。」

「・・・フゥ〜ん」さして興味もなさそうに答えるヒル。

「なんかファンタジーなもんでも見えてんのかねぇ〜。・・・幽霊とか?うわこっわっ!!キンタマちぢむっ!!」

「アホか、ガキじゃあるまいし。それに、ンなもんよりいくらでも気をつけるもんあんだろうがよ、ここらへんには。」

上客ホスト狂いにつきまとう薬物中毒ジャンキー彼氏とかな。」

「あれは別に、楽勝だったわ。」


「にゃー♪」

いつの間にか黒猫はいつもの調子に戻っていた。

そしてヒルの背中に飛びつき、爪を使って登り始めると、あっという間に彼の首に巻きついた。

「おっ出た!夜行バスで寝るときとかによく首に巻いてるやつ!いいなぁ〜、俺もやってくんねぇかなぁ〜」

「クソッタレ・・・暑苦しいんだよ・・・」ヒルは、猫型ネックピローに毒づいた。

「お前猫背だから乗っかりやすいんだろ。背筋伸ばして歩けよヤンキー。」

「チッ、説教垂れてんじゃねぇよ。クソホストが。」



・・・・・ファンタジー、か・・・。

ヒルは声に出さずにつぶやいた。

その時彼の視線は、一瞬、虚空こくうの「何か」を一瞥したかのように見えた。




 夢の中で、ある女が言った。


「この世界は連続的アナログなんです。人間が思っているほど離散的デジタルじゃない。言葉を使って世界をけようとするのも、かろうとするのも、結局、人間ぐらいなものですからね。

不思議の国のアリスでも鼠浄土ねずみじょうどでも、今の世界から足を踏み外すことになるきっかけは、ほんの些細ささいなことからです。

何が君のHello,Worldになるかは、わからない。

だから気をつけてください。現実からファンタジーへ振り落とされないように。

君の善が、悪と呼ばれないように。

その点と点は、結局、一つの紙の上にあるものです。」

 










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