第89話秘書
「おい」
「はい。なんでしょか?ボス」
「ボスは止めろ。魔王の娘にボスと呼ばれたくはない」
「ではなんと?ダーリンとでも呼べば?」
「ちがう!……ってそんな話をしている場合じゃないだろう?雇うなんて一言も言ってないぞ!」
イツキはそう言って怒鳴ったがメリッサには何の効果も無かった。
ノックの音がした。ドアを開けて入ってきたのはヘンリーだった。
「イツキちょっといいかな?……あ、取り込み中か?」
「いらっしゃいませ。私イツキの秘書をさせてもらっております。メリッサと申します。よろしくお願いします」
とヘンリーに対して礼儀正しく深々とお辞儀をした。
「え?イツキ、秘書を雇ったのか?エリーを雇う約束はどうした?」
「はい。エリーは来年こちらでお世話になりますが、私が先に秘書室長として着任いたしました」
イツキが応える前にメリッサがさっさと答えた。
「あ、そうなんですか。それはそれは。私ここのギルドマスターのヘンリー・ギルマンです。お嬢さん」
と、驚いたようにヘンリーはメリッサに自己紹介をした。
「これは失礼いたしました。以後よろしくお願いします」
と言ってメリッサは頭を下げて名刺を渡した。
「おい、なんで名刺まで作っているんだ?」
「え?これもエリーやダイゴに作って貰ったのよ。どう良いでしょう?ボス」
「勝手に余計なものを作るな……たく……あいつらも裏切りやがって……」
「そうよ。もう彼らは魔族ですからね。魂売って当然ですわ。おほほほほ」
とメリッサは手を口に当てて楽し気に笑た。
「うるさい!メリッサ!」
イツキはそう罵った後にヘンリーに向かって
「おい、ヘンリーあんたまで何を乗っているんだ?もう分かっているんだろう?」
と聞いた。
「いや、まあね……というかどういう事だ。この秘書はオーフェンのところにいた黒薔薇騎士団(シュヴァルツローゼンリッター)のメリッサだろう?聞きたいのはこっちの方だ」
ヘンリーにもこれがあのメリッサである事がすぐに分かったようだ。
「はい。いずれイツキの妻となりますが、それまでは秘書としてよろしくお願いします」
メリッサは悪びれもせずにそう言い切った。
ヘンリーはその返事を聞くとニヤっと笑って
「よく分からんが、メリッサに魅入られた……という訳だな」
とイツキに言った。
「いやそれは違います。見初めたと言って頂きたいものです」
と一瞬でエプロン姿の新妻に変身したメリッサが口を挟んだ。
「なるほど……」
ヘンリーは深く頷いた。
「いや、そうではなくて……ヘンリーもそこで納得するな。俺にもよく分からんのだ。気がついたらこれが押しかけてきていた」
イツキは慌てて全てを否定したが、遅かったようだ。
「魔王オーフェンの娘が秘書かぁ……それはそれで良いのではないか?これから黒槍騎士師団(シュヴァルツランツェンリッター)にもっと人を送り込む事になるんだからな。ちょうど良いと言えばちょうど良い」
ヘンリーはイツキの意見を省みることもなく一人納得し始めていた。
「おい。ヘンリー。冗談はよしてくれよ」
「いや、イツキ。これは冗談ではない。メリッサの給料はギルドで出すから雇いなさい。これはギルマスからの命令です」
「え??」
イツキは絶句した。
「ヘンリー様。ありがとうございます」
メリッサはそう言って再びOL姿に戻ってヘンリーに深々と頭を下げた。
「イツキの秘書かぁ……花嫁修業には良いんではないか?」
ヘンリーは笑っていた。
「ヘンリー、面白がっているだろう?」
イツキは恨めしそうにヘンリーの顔を見た。
「そんな事は無い。これからのギルドの事を考えても最良の方法だと思っているよ。では」
「え?何か用事があったんじゃないのか?」
「それはまた後で良い」
「先にメリッサの入社手続きをしないとな」
そう言うとヘンリーは笑いながら部屋を出て行った。
――こんな面白い事は早くみんなに伝えなければ――
ヘンリーは悪企みの笑みを浮かべならがイツキの部屋を後にした。
イツキは力なく自分の席に座るとため息をついた。
「なんでこんな事になるんだぁ?」
「あの日あなた様がわらわを木っ端微塵にされた時から、これは約束されていたのです」
「自業自得だと?」
「はい」
メリッサは満面の笑みで微笑んだ。それは魔女というより一人の恋する乙女の笑顔だった。
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