第6話湖の主

 イツキが言った通り、夕方近くにオルモン村に2人は着いた。


上空から見たオルモン村一帯はシャヴォン湖にかけて真っ白に凍っていた。

そこだけ真冬の世界に戻ったようだった。まるで湖が森を侵食しているように見えた。


「は~。こりゃ凄まじいねえ……」

イツキは呆れたように声を上げた。


「ティアナ。おやっさん達はどこに居るんだ?」


「イオデ山の南東のふもとよ。このまま降りて!」

とティアナは叫んだ。


 絨毯は一気に麓を目指して降りて行った。

「イツキ!あそこ!あの広場みたいなところへ降りて!」

とティアナが指示した場所を見るとそれは森の中のちょっとした広場みたいな空間だった。

イツキは、そこを目指して降りて行った。


 降りるとそこは洞窟前の小さな広場だった。そこに村長オークと村人が居た。


「おお、イツキ。来てくれると思っていたぞぉ」

村長を両手を広げイツキを抱きかかえて歓迎した。

村長オークは流石エルフだけあって体型はイツキと出会った頃から変わっていない。

10年単位ではエルフの見た目は全く変わらない。


「そりゃ来ますよ。おやっさんの一大事と聞いたら……」

イツキは笑いながら答えた。

その顔を見て村長もホッとしたのか、安堵の笑みを浮かべた。

見回すと村人もホッとした表情を浮かべていた。


「ティアナ、よくぞ無事でイツキを呼んで来てくれた。流石は我が娘じゃ」

というと今度はティアナを優しく抱きかかえた。


「はい。お父様。イツキが居てくれて良かったです」

と既に涙腺が緩んでいるティアナの瞳は涙で一杯だった。


「本当に大変でしたね」

とイツキが村長に声を掛けると

「おお、本当にな。主があんな事をするとは……何かの前触れかと思うのじゃが……」

と村長はイツキに話しかけた。


「そうでしょうね。主がなんの意味もなくこんな事をするとは思えません。ただ……」


「ただ、なんじゃ?」


「何か主を怒らす様な事……余計な事を誰かやってませんよねえ……」


「いや、誰もそんな事はしていないと思うぞ」


「本当ですか?湖にドラゴンのうんこなんか放り込んでません?」


「するか!そんな事!」


「でしょうねえ……」


イツキは森を暫く見ていたが、意を決したように


「さて、親子の涙のご対面も済んだので、ちょっくら湖に行ってきます」

と言った。


「おお、もう行くのか?こんな時間から……。ちょっと待て。今村の奴らを集めるから……」

村長は慌てて人を集めようとしたが、イツキはそれを制して、


「いえいえ。1人で大丈夫です。逆に沢山来られると困りますから」


と、まるで散歩にでも行くように軽い足取りで山を下り、1人森の中へと入って行った。


 村長たちはそれを見送るしかなかった。

村長のオークはイツキの後ろ姿を見つめながら

「頼んだぞ。我が息子よ」

と呟いた。



 森の中は静かだった。森自体が持っている生命力さえも凍りついてしまったように静かだった。

いつもなら湖の主のおかげで魔物たちも息を潜めてあまり近づかない森の中は、生命いのちを感じさせない静まり返った世界になっていた。

そんな空気の中ではどういう状況になっているのかさえ分からない。そしてそろそろ日が暮れる時間だ。


 しばらく歩くとやはりモンスター達が現れたが、イツキは片手を軽く振ってモンスター達を一瞬で灰にした。


――この森のモンスターなら寝てても勝てる――


 たしかにこの森レベルのモンスターならそこそこ経験を積んだ勇者であれば勝てる相手だが、さすがに全てを瞬殺するにはそれなりのレベルは必要だ。イツキだからこそできる技である。


 イツキがこの森に入るのは久しぶりだった。

現れるモンスターにさえ懐かしさを感じながら瞬殺していた。


――悪いな。急いでなけりゃ、もっと遊んであげるんだが――


 10匹ほどのモンスターを倒した頃だろうか、イツキは湖畔にでた。

既に陽は沈んでいた。

辺りは真っ白な氷の世界でだった。月の明りが氷に反射して幻想的な風景を作り上げていた。



 夜のとばりがそこかしこと降り始めていた。

月明かりに照らされた凍った湖面にイツキは大きな声で叫んだ。

「イリアン・エメラルダス・ドラコ。シャヴォンの主よ、古(いにしえ)よりの守り神よ。願わくば我が前に姿を現し給え」

空気が震えた。

凍っている湖から霧が出てきたかと思うと、その呼びかけに応じたように白い龍が現れた。


イツキはまた叫んだ。

「おお、シャヴォンの主よ。我が名はイツキ。聞き覚えなしや?」


 白い龍はまた霧の中に消えたが、しばらくすると霧が晴れ、湖上に一人の女性が立っていた。

その女性は自分の背丈より高い魔法の杖を持ち純白のドレス姿で、静かに滑るようにますぐイツキの前に現れた。


 イツキは立膝でひざまず

「シャヴォンの主よ、御久しゅうごさいます」

と挨拶をした。


「やはり、イツキが来てくれましたか。感謝します」

シャヴォンの主はイツキに声をかけた。優しい声だった。


「いえいえ。主よ。何かありましたかな?村長が心配をしておりますが」


「主はやめれて下さいね。昔のようにイリアンと呼んで下さい」


「分かりました。久しぶりなもんで、ちょっと緊張しました」


「ほほほ、本当に久しぶりですね」

シャボンの主イリアンは微笑んでイツキを見つめた。

「本当に……あの少年だったイツキが……」


「大人になってからも会ってますよ。イリアン」

イツキは笑いながら応えた。


「そうでしたね。イツキ」


「はい。ところでこの状況はどうしたのですか?まだ冬にはちと早いように感じますが…」


「もうすぐ。この村はホロデの山に飲み込まれます」

とイリアンはイデオ山に連なる山の名を告げた。


「え?本当ですか……だからイリアンは村人避難させるために住めなくしたんですね」

ある程度予想はしていたとは言えイツキは驚いた。


「そうです。それに私の本当のこの姿を知っているのはイツキ、あなただけです。だからあなたに来て欲しかった。本当にありがとう」


「そうですね。初めて会った日もこんな月夜の晩でした」



 まだイツキがこの世界に転生して間がない頃。はじめての冒険に出て訪れた村がここオルモン村だった。

もちろん初心者モンクで誰も相手にしてくれず、パーティーも組めずに1人で冒険していた。


 エルフの村という事で、当然のごとく村に入る事を拒否された。

仕方なくこの湖のほとりで野宿をしていたイツキは腹を空かせながら寝ていた。

それは満月の夜だった。

湖からの水が跳ねるような音に眠りを破られたイツキは、湖に近づき木陰からそっと様子を伺ってみた。

するとその満月の光の中、沐浴をしている美しい女性が居た。

月の光に照らし出されたその姿は神々しくて儚(はかな)いものに見えた。

余りの美しさに、茫然ぼうぜんと)と見とれてしまったイツキはその場から動けなくなった。


 人の視線を感じたイリアンは急ぎ龍の姿に戻ったが、それに驚いたイツキはその場に座り込んでしまった。


「お前は何者ぞ!」

 その白い龍はイツキに食らいつかんばかりに怒り狂って問いただした。

イツキは湖面に浮かび上がった白龍を見上げながら答えた。

「ぼ・僕は冒険者。武闘家モンクのイツキだ!あ・あんたは誰だ?」

少し声が震えている。


「私はこの湖の主。人は私の事をシャヴォン湖の白い龍と呼ぶ。そなたは我が姿を見たな」


「見た。はっきり見た。食い入るように見た。細部までばっちり見た!」

イツキは観念した。そしてやけくそになった。


「なんだとぉ!」

白い龍が少し赤くなった。

それを見逃さなかったイツキは畳みかけた。

「なんで、そんな奴がこんな公衆の面前で風呂なんか入っているんだ!ちゃんと銭湯へ行け!風呂代位持っているだろう?」


「いや、こんな夜中にここに来るものが居るとは……それに沐浴だから……」

予想もしない返事に白い龍は返答に詰まった。


「それはあんたが浅はかなだけであって、オイラの責任ではない!!」


「でも、シャヴォンの主が銭湯へなぞ行ける訳もないし、そもそも私は一応女神の部類に入るんだし…そもそも沐浴だし……」


「知らん。公衆の面前で裸になったら、普通は裸になった方が罰せられるぞ!」


「それはそうなんだけど……」


「オイラだから良いようなもんだ。他の人だったら見られるだけでは済まなかったと思うぞ」

ただで済まないのは間違いなく見た方なのだが、イツキの思わぬ反撃にシャヴォン湖の主も気が動転したようだった。


イツキはこの時点でこの場をしのぎ切った事を確信した。


 シャヴォン湖の主はまた女性の姿に戻ってイツキの前に現れた。

「私の名前はイリアン・エメラルダス・ドラコ。今日の事は誰にも言わないでくれます?」


「僕の名前はイツキ……今日の事は誰にも言わない」


――大丈夫、僕の口とあそこは固いのだけが自慢だ――


と下世話なジョークを思いついたが流石に少年のイツキは言えなかった。

今のイツキなら間違いなく臆面もなく下世話なジョークを吐き出してシャヴォン湖の主に瞬殺されていただろう。


「あ~良かった。でも何故あなたはこの夜中にここに居たのですか?」


「エルフの村に行ったら、相手にされずに追い出されたのでここで野宿していた」


「そうですか。エルフは人との接触を極力避けますからね」


「お陰で良いモノが見れました」


「ばか!」


     ・

     ・

     ・

     ・

     ・



イツキは昔の事を思い出していたが現実に意識を引き戻して答えた。




「分かりました。私は村人に、村を移れ!と言えば良いのですね?」



「そうです。村人に避難するように伝えて欲しいのです」


「しかし、これから彼らはどこに住めば?」


「この村から山裾を南東に行ったところの森にエルフ達がショーハンと呼ぶ小さな湖がります。その畔(ほと)りを切り開くのがいいでしょう」

イリアンはその方向へ魔法の杖をかざして言った。


「ちなみに山が崩れるのはいつですか?」


「明日にも起きましょう。そう、明日……この一帯は地震に見舞われます。それと同時にホロデの山は崩れます」

イリアンは悲しそうな顔をして凍り付いた村の方角に目をやった。


「は~。急ですねえ…ぎりぎりだなぁ。地底の王でも復活するんですか?」


「そうではない……イツキが昔倒した炎の魔王の事は覚えてますか?」


「はい。覚えてますよ。最後はイリアンが湖の水を王宮にぶち込んで炎の力を抑えてくれてたので倒せた相手でしたが……」


「そう、その主が居なくなった宮殿に善からぬ者たちが住み始め、宮殿が荒れ放題になっていたのです。荒れた宮殿は崩壊するのが定め、世の常です」


「あれ?あの魔王はその後復活せずですか?」


「あまりにも経験のない名もない武闘家モンクに仕留められたという事で復活は叶わなかったようです」


「そんな事があるんですねえ」

イツキは苦笑いしながらも新たなこの世界の仕組みを知ったような気がした。


「ふ~ん。なるほどねぇ……そうですか……後任無しで荒れ放題ですか……。

地震で崩れて、その影響で山も崩れると……。で、今は魔物たちの住処ですか。そんな物騒なモンはさっさとなくなってしまえば良いんですけどね。

でも、崩壊した後にモンスターや魔獣が地上に出てきて村を襲うという事はないのでしょうか?」

イツキは頭に浮かんだ心配事をイリアンに尋ねた。


「ほとんどの魔獣は、その崩壊後に地上に出てくるでしょう。その時は私が村人を守ります」


「ふ~ん。そうかぁ……うじゃうじゃ余計なものが出て来そうですねえ……地震は明日でしたね。じゃあ、ついでに宮殿の魔獣をお掃除してきます」

イツキはそう言って剣をポンと右手で叩いた。


「イツキ。そんなに強い魔獣はいないと思いますが、1人では危険です。私も行きます」


「いや、僕1人で大丈夫でしょう。待っていて下さい」


「いえ。行きます。イツキ!そういうところは昔と全然変わっていませんね」

とイリアンは怒ったようにイツキを睨んだ。


イツキは諦めたように

「それではお願いします。イリアン様」

とお願いした。


――この人も昔から全然変わってないなあ――


 イツキは彼女がイツキの事を心配しているのではなく、一緒に戦いたいだけだという事を良く分かっていた。流石にイツキがここの魔獣に倒される事があり得るとはイリアンも微塵も考えていなかった。


イデオ山とホロデ山の連なる峡谷にその宮殿へ続く通路の入口があった。



――オルモンの深き場所――

それがこの入口の呼び名だった。


2人はその入口の前に立った。

高さはゆうにイツキの背丈の5倍はありそうな入口が開いていた。


「ここに立つのは久しぶりですね。イツキ」

とイリアンはイツキに話しかけた。


「そうですね。その時は、まだ腰に剣もぶら下げてませんでしたけど」

「本当に無茶な少年でしたね」

「はい。その通りです。優しい主のおかげで今を迎えられております」

「ほほほ」

イリアンは楽しそうに笑った。


「では、参りますか。イリアン」


「はい。参りましょう」


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