第3章エルフ
第5話エルフの娘
それはエルフだった。どこから見ても誰が見てもエルフだった。
エルフがこのギルドに来る事は珍しい事だ。
通常エルフは森の中に人目を忍んで集落を作って生活している。元来、森の奥に典型的な自給自足の村社会を形成して生きていく種族だ。
そう同じ種族、血縁関係に結ばれた中でしか生きていかない種族だから、ギルドに来てチームを組むとか軍団に所属するという事はあまりない。
なのでギルドでエルフを見かけると、誰もが一様に驚く。
そのエルフは女性のエルフだった。
尖った両耳。エメラルドグリーンに輝く長い髪。背中にかけた弓。左手に持った魔法の杖。どれもが皆注目の的だった。流石、妖精の子孫と謳(うた)われただけの事はある。
そのエルフの女はギルドの受付にやってきて、マーサに言った。
「ここに、イツキはいますか?」
マーサはこのエルフの女性が就職相談に来たと思ったので
「イツキはいるけど、登録ならここで出来ますよ」
と応えた。
しかしそのエルフは
「私は、ここに登録しに来たわけではない。イツキに会いに来た。会って伝えなければならない事がある」
と言って精も根も尽き果てたようにその場に膝から崩れ落ちた。
「あなた!大丈夫!?」
とマーサは驚いて受付から飛び出した。
エルフを抱き起しながら
「早く、イツキを呼んできて!!」
と大きな声で叫んだ。
エルフの意識は消えかけていた……うっすらとイツキの足元が見える。
――イツキはここに居た。居てくれた――
そのイツキの手がエルフの傷ついた弓を手に取るのが見えるのと同時に、彼女の意識は飛んだ。
暫く経ってエルフの女が目を覚ますと、そこには見知らぬ顔が心配そうにのぞき込んでいるのが見えた。
「彼女が目を覚ましたよ」
と叫んだのはマーサだった。
――ああ、さっき受付にいた女性(ひと)だ――
エルフの女は起き上がろうとしたが、それをマーサが止めた。
「無理しないで、今、魔法で体力は回復したけど、あなた相当疲れているわ」
「ありがとう。でも大丈夫」
そういうとソファーに横たえた体を起こして、背もたれに体を預けた。
「イツキはいないの?」
エルフの女はマーサに聞いた。
「俺ならここにいる」
マーサの後ろからデスクに座ったイツキが応えた。
「あ、イツキ!!」
「どうした。ティアナ」
イツキは立ち上がるとエルフの女に歩み寄った。
「イツキ!……村が……」
そういうとティアナと呼ばれたエルフは瞳一杯に涙を溜めた。
イツキがしゃがみ込んでティアナの背中を軽くさすると、ティアナの涙は堰を切ったように流れた。
「どうした?ティアナ」
優しくイツキは聞いた。
涙声を振り絞りながらティアナは
「シャヴォンの龍が暴れている」
と言った。
「シャヴォン湖の白い龍の事か?」
イツキは驚いたように聞き返した。
「そう」
「あれはシャヴォン湖の主でオルモン村の守り神じゃなかったのか?。何故?」
「分からない。3日前の朝、急に湖の上に白い龍が現れたかと思うと村を全て凍らせた」
「オルモン村は氷の中か?」
「そう。村は氷に閉じ込められている。父はイツキに直ぐに連絡を取るよう言うと、村人をイオデ山の洞窟に避難させた。
そして弟はこの国の北のはずれソロウィンの森に向かった。そこには我が種族の仲間がいる。でもその返事を待っていてはそれまでに村は全滅していまう」
「そうかぁ。トロンはソロウィンに向かったか……」
イツキは遠くを見るような目で天井を見上げた。
「彼女はオルモン村のエルフですか?」
マーサがイツキに聞いた。
「そうだ。ティアナはその村の村長の娘だ。俺がまだ駆け出しの冒険者だった頃にティアナのお父さんに世話になった。俺を息子のように可愛がってくれた」
イツキは昔を思い出すようにゆっくりと語った。
「エルフが人を受け入れるなんて珍しいですね」
マーサが不思議そうな顔をして聞いた。
「まあな」
とイツキは軽く答えて
「そのオヤジが俺を呼んでいる。行かねばならんな……マーサ。暫くはこの事務所は休業だ。よろしく頼む」
とマーサに後の事を託した。
「分かったわ。留守番は任せて」
マーサは自分の胸を軽くたたいて笑った。
「それからティアナの事も頼む」
「なんで?私も行く!一緒に村に帰る!」
とティアナは叫んだ。
「ダメだ。その体でどうする。ここでゆっくり休んでいろ。終わったらちゃんと迎えに来るから」
「嫌だ! 一緒に行く。イツキが連れて行ってくれないなら一人でも帰る」
またティアナ瞳は涙で一杯になった。もうすぐ零(こぼ)れそうだ。
イツキはその瞳を見るとティアナを説得する事を諦めた。
「分かったよ。一緒に帰ろう。ティアナ。」
と優しく声を掛けた。
またティアナの瞳からは涙が零れた。
――どうもエルフの涙には勝てないな――
イツキは頭をかきながら立ち上がった。基本的にイツキは女の涙に弱い。
「ティアナ。その前に飯食っていこう。お前、何も食べてないだろう」
「はい。いただきます」
ティアナがここにきて初めて笑った。
事務所が一気に明るくなった。やはりエルフは妖精の末裔だ。
ギルドの受付の前のロビーはそのほとんどがレストランスペースになっている。
このスペースで、ここに集った冒険者達が飲み・食い・騒ぐのである。
そしてこの国の情報……いやこの世界の情報は、ここで口コミによって広がったり交換されたりもする。
今日も多くの冒険者で賑わっていた。
ギルドの受付に一番近い席に座った2人は、向かい合って軽い食事を始めた。
イツキはグラスに注がれたワインを飲みながらティアナから村の現状を聞いた。
「……と言う事は、朝起きて霧が晴れたらそこに白い龍が湖上に居たという訳だな」
「そう、それを長老のハシャドが見つけた」
そういうとティアナはビーフシチューにパンの切れ端を付けて食べた。
「ああ、早起きの爺さんね……全然変わらんな」
「そう。今でも村一番の早起きよ」
「そうか……。ハシャドの爺さんもたまげただろうな」
「うん。うちの家に飛んで来たわ」
ティアナは笑いながら話した。
「そっかぁ。でも何故、白い龍が暴れるかな? あれはあの湖の主で村の守り神なんだよなぁ……」
「そう。昔からあの白い龍は村の守り神。そして静かに……いつも静かに皆を見守ってくれていた」
「そうだなあ。夏はティアナ達は白い龍と一緒に湖で泳いでいたもんなぁ」
「そうそう。村の若い娘だけは遊んでくれる」
「女好きな主だな」
「かもしれないわ」
ティアナは笑った。
イツキと会えて落ち着いたようだ。
兎に角早く村の現状を伝えようと、ここに来るまでの3日間飲まず食わずで来たらしい。
それは傷ついた弓と杖が物語っていた。
ここに来るまで何回モンスターに出会って死にそうになった事か……いくら弓の達人で魔法も使えると言っても所詮は戦闘経験の浅いエルフだ。森のモンスターに一人で挑んで勝てる訳はない。
そこを一人で3日間一睡もせずに走り抜けてきたティアナ。
よく無事でここに辿り着いたものだと改めてイツキは感心した。
――もう少しのんびりと居てあげたいが――
とイツキが考えていたら、それを見透かしたようにティアナはイツキに言った。
「イツキ、そろそろ行きましょう。私は大丈夫。回復剤も持ったし、ここのおいしいビーフシチューも堪能したわ」
「そうだな」
そういうとイツキも立ち上がった。
イツキの腰にはいつものヒノキの棒とは違って、黄金の剣がぶら下がっている。
そこには惰眠をむさぼる2匹の龍と無駄吠えする獅子が彫ってあった。
ギルドの外はまだ明るかった。
「暗くなってから出るのは嫌だからな」
とイツキは少しホッとした。
ギルドを出ると目の前に大きな黒い影が突っ立ていた。逆光で顔が良く見えない。
「イツキさん、黙って行くのは冷たいよなあ」
その声の主はシラネだった。
「ああ、団長さんか、毎日モンスターの”殺戮(さつりく)”ご苦労様です」
「いや、だからその言い方ではなく”退治”ですから……」
シラネは焦った。
「イツキさん、シャヴォンの龍を退治しに行くんでしょう?一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。ここに一人、心強い味方も居るし」
とイツキはティアナを見た。
ティアナを一瞥したシラネは笑いながら
「まあ、イツキの旦那が『大丈夫だ』っていうんなら大丈夫でしょうがね。もし人手が要る様ならいつでも連絡してください。
取り敢えず、なるべくそちら方面に巡回するようにしておきますから」と言った。
「ありがとう。でもシャヴォンの龍を退治しに行くわけではないからね」
そういうとイツキは右手を顎の下に持ってきて、少し考えてからシラネの耳元でなにか囁いた。
シラネは一瞬驚いたような顔をしたが直ぐに
「分かりました。じゃあ工兵も回しておきます」
と答えた。
「それと王宮にも一応言っておいてね。こっちは大した事無いと思うけど」
「分かりました。伝えておきます」
シラネは敬礼して答えた。
「よろしく頼むよ。あ、ところでこの前、紹介したヨッシーは元気にやってる?」
「ああ、彼なら大丈夫です。頑張ってますよ。兎に角『防具が臭くないから良い』って喜んでモンスターを”皆殺し”してますよ」
「元剣道部だからねぇ……。でも”皆殺し”とはね…まあ、よろしく頼むよ」イツキは笑いながらシラネと別れた。
「あの人は?」
とティアナがイツキに聞いた。
「ああ、あの人はここの自衛団の”モンスターなら見つけ次第皆殺し軍団”の団長ですよ。酷い人でしょう……」
とイツキは笑いながら答えた。
「さてと、時間がないので一気に行きますか?」
というとイツキは魔法の絨毯を呼び出した。
「え?イツキは魔法使えたの?」
「まあね、少しだけね。本当は筋斗雲(キントウン)を呼びたかったんだけどね。さ、乗って乗って」
――流石にサルにはなりたくないからな――
2人は絨毯に乗ると一気に空の上に駆け上がった。
「絨毯は初めて乗ったわ」
「そう? なかなかいいでしょう? 眺めも」
「うん。人が小さく見える。落ちたりしないよね」
「それは大丈夫」
「まあ、夕方までには着くよ」
「ええ、そんなに早く?」
「うん。早く着かないと意味が無くなるしね」
「え? そんなに大変な状況なの?」
「そういう訳ではないんだけどね、このペースなら大丈夫。余裕で間に合うよ」
何故か慌てるどころか余裕を持て余している風に見えるイツキだった。
それがティアナには少し不思議だったが、彼女はイツキの事を信頼して「何か考えがあるんだろう」と安心しきっていた。
それ以上考えると最悪の事態しか思い浮かばないので、思考を停止したと言った方が良いかもしれないが……。
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