毒舌系金髪幼女はオレンジジュースがお好き。4

 医務室への道すがら、いくつも思い浮かぶ疑問の内、優先度の高いものを二つピックアップして、私は彼女へと質問をぶつけた。

「ねえ。あなたの名前は?――それと、あなたが医療関係に対して場慣れしてる感じがあるのは、どうして?」

「その二つの質問には、ひとつの質問で事足ります」

 少女はいった。

「わたしの名前は、メアリ・ハイム・木下です」

 その名前を聞くや否や私の鼓動は急速に高まっていった。その名前には――、覚えがある。

「もしかして、アメリカ・ワシントン医療ジャーナルに論文が載った、あの?」

「ええ」

 と彼女はそれがまるでなんでもない些事であるかのように頷く。

「あれは趣味で書いた論文だったのですが、教授が勝手に学会へと提出してしまったようで」

 メアリ・ハイム・木下。わずか十二歳にしてアメリカの大学を出た天才少女だ。大学自体は、有名なハーバードやジョンズ・ホプキンスなど、日本でいうところの東大京大ではなく、地方の国立大程度の知名度しかないところだが、それでも、その年齢と、一流の専門紙に論文が載ったという事実は、天才の呼び名に相応しい偉業である。

「その、メアリさんが、どうしてこんな船に?」

「呼び捨てで結構です」

「あ、はい」

「大学を卒業してから世界各国を旅行して回っているんです。今はその途中です」

「ひとりで?」

「ええ。大学を出れば、もう立派な大人ですからね」

 得意気な顔で胸を張って見せる彼女に私は苦笑する他ない。

「なんです、その変な顔は」

 じろりと睨まれる。

「ああ、変なのは元々でしたね。そもそもあなたは――」

 私は慌てて話題を変えた。

「大学院には進まないの?」

 日本とアメリカでは医者になるためのルートが少し違う。詳細は省くが、日本では六年制の医学部を経てから医師免許試験を受けて医師になるのに対して、アメリカでは、通常はまず一般の四年制大学を出てから、メディカルスクールと呼ばれる四年制の専門職大学院に進学するが一般的である。つまり大学を出ただけの彼女は、医学についてはまだなにも学んでいない状態――なはずなのである。

「まさか。わたしが医者にならないというのは、医学界史上最大の損失でしょうに」

 これを大言壮語と笑い飛ばせないのが恐ろしいところである。

「まあ、すべては旅行を終えてからですね。すでにいくつかの大学から声をかけていただいているので、じっくり考えてから決めるつもりです」

 そうこうしている内にいつの間にか医務室のすぐ近くにまできていた。伸ばした指先がノブに触れようという、まさにその瞬間、獰猛な勢いでドアが開かれた。その奥から、廊下へと転がるように飛び出してきた人影はホーだった。青ざめた彼の顔は脂汗でぬらぬらと輝いていた。

「ど、どうしました?」

「あ、せ、先生!」

 彼は私の白衣の袖を強く引き叫ぶ。

「早くきてください、シェソンが!」

 医務室へ飛びこんだ。奥の半分開かれたカーテンの向こう側で、安いパイプベッドがギシギシと激しい音をあげて揺れている。駆け寄り、サッとカーテンを開け放った。

 ベッドの上、シェソンは悪霊に憑りつかれているかのように白眼を剥いて、全身を激しく震わせていた。頭床台の上の、ホーが持ちこんだらしいペットボトルに四分の一ほど残った水も激しく波打っている。

「これは――」

「訊くまでもないでしょう。発作を起こしています。ほら、なにをのろのろしているんですか。早くジアゼパムを投与してください」

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