毒舌系金髪幼女はオレンジジュースがお好き。3
シェソンの様子を見たいという毒舌少女と一緒に医務室へと向かう。彼女にはいろいろと訊ねたいことがあったが、また下手な質問をして罵詈雑言を浴びるのではと思うと、二の足を踏むばかりでそれでもできなかった。途中、とある客室の扉の前に膝を抱えて座る、シェソンや毒舌少女よりも少し年下の姉弟らしい少女と少年の姿がある。揃ってこちらを見あげる彼女らの顔はつい先ほどまで泣いていたとすぐにわかるものだった。
「どうしたの?」
私は膝を折り彼女らと視線を合わせてそう訊ねた。訊ねてから、後ろからお約束の言葉が飛んでくるのではと身構えたが、今回はそうはならなかった。姉弟はただお互いを顔を見合わせるばかりで問いには答えない。
「どこか痛いの?」
今度は、二人ともふるふると首を振ってくれた。
「あの、パパとママが――」
姉の方が口を開いた。
「中でケンカしてて、それで」
続く言葉を遮るように、どん、と鈍い音が響く。姉弟は短い悲鳴をあげて躰を縮こまらせながら互いにきつく抱き合う。
「パパとママはなんでケンカしてるの?」
「ママが、あの、パパの着替えを、忘れてきちゃったって、それで」
「その程度で。まったく器の小さい男ですね」
そう吐き捨てた少女お得意の毒舌は私に向けられたそれよりも明らかに嫌悪感に満ちていた。
「パパは、いつもは優しいんだけど、お酒を飲むと、時々、怖くなるの。昨日は、夜遅くまで飲んでたって、だから――」
たどたどしくも父親を擁護する娘の好意を無下にするかのように、ドアの向こうから、野太い男の怒鳴り散らす声が聞こえてきた。続けて、それに反論する女の甲高い声。声はくぐもっていて、言葉の意味まではわからない。だがそれは幼い姉弟を震えあがらせるには充分すぎた。
対する毒舌の少女の胆の据わり方は大したもので、眉ひとつも動かさずにただじっとドアを見つめている。
やがて再び怒声が届いた。それが合図となったように、毒舌少女が動いた。彼女は座りこんだ姉弟をどかして、ドアを開け、勢いこんで中へと侵入していったのである。
「え、ちょっと」
慌てて後を追う。
中型クルーザーとはいえ、客室自体はホテルのスウィートルームに引けを取らない広さと豪華さを兼ね備えている。入ってすぐ、敷き詰められたふかふかの絨毯に上に転がった空の酒瓶を跨ぎ越え、進んだ突き当りのリビングはざっと二十帖ほど。天井で輝くシャンデリアを始めとした、空間を埋め尽くす高級家具に囲まれた男女二人が、突然の闖入者に瞠目し立ち尽くしている。
「な、なんだね、他人の部屋にいきなり失礼な」
わずかな沈黙を経てようやく、いかにも裕福層らしい、ちょび髭を生やした小太りの男が言葉を発する。
「すみません、すぐ、出ていきますので」
なんだねと問われたところで、私には、そう答える他にないわけで、恐縮そうに見えるよう執拗にぺこぺこと頭をさげながら、少女の肩に手を置く。が、少女は私の手を振り払って、リビングを進み夫婦の元へと近づいていく。
「ちょっと、ねえ、この子、なんなの」
顔に毒々しい化粧の跡を滲ませた女性がヒステリック気味に叫ぶ。
「どうぞお気になさらず」
少女はそういい放つが、誰がそのいい分を聞き入れようか。
「通りすがりの単なる子供です」
少女はずんずんと二人に近づいていって、やがて、その正面に立ち、男を見あげた。
「あなた」
「な、なんだね」
「お酒が好きなようで」
「それが?」
少女が、パッと男の手を取る。
「この指、どのように見えます?」
「質問の意図がわからないな。手を離してくれないか」
男が手を振り払う。それから私を睨みつけて、
「おい、きみぃ、早くこの子を連れ出してくれんかね」
「は、はい。どうもすみません」
私がぺこぺこと頭をさげているというのに少女はまったく意に介さずに続ける。
「私には、指の先が丸く、平べったく、爪のつけ目がわずかに隆起してるように見えます」
「――ばち状指?」
私は思わず口を挟む。
「そう。あなたの指は、ばち指です」
少女がいった。男は実に不快そうに眉根を寄せる。
「いったいなんだね、それは」
少女は男の質問を無視する。
「親戚の方で心臓病で亡くなった方はいますか?」
はあ?――と男は頓狂な声をあげた。
「ばち指は、心臓病の兆候です。船をおりたらすぐに検査をした方がいいですね。それまではなるたけ安静に。もちろん、お酒はお飲みにならない方が賢明でしょうね。もちろん、あなたが死をお望みで、家族のことなどどうでもいいと思っているのであれば話は別ですがね」
それだけいうと、少女は硬直する夫婦を尻目にくるりと向き直り、私のわきをすり抜けてさっさと部屋を後にしてしまった。
「あ、ちょっと。えっと、すみません、それでは失礼します。あの、私は船医ですので、なにか気になることがありましたら医務室へきてください」
そういい残し、私も部屋を後にして彼女の背中を追った。
「ねえ、ちょっと待って!」
子供のわりにはやたら足の速い少女にようやっと追いつき、肩に手をかけた。彼女はぴたりと足を止めて肩越しに振り返る。
「なんでしょう。のんびりしないで、早く医務室にいきますよ」
「それは、わかってるけど。えっと、さっきのことだけど――」
「何故、彼がばち指とわかったか、ですか?」
「え、ええ。そう」
「声です」
え?――と思わず呆けた声があがる。
「ドア越しに、彼の怒鳴り声が聞こえたでしょう」
「ええ。えっと――まさか、声で、彼がばち指だとわかったの?」
「いいえ」
少女は即答した。
「声で、彼が太っているとわかりました」
「ん?」
「そして太っている人の指というのは、大抵、指先が丸く、平べったくなっているものです」
「え、てことは、まさか――彼はばち指じゃない、ってこと?」
「彼はただ太っているだけです」
私はこめかみを軽く小突いた。私は、私自身がはっきりと見たわけじゃないのに、そうだと信じこんでいた。少女の断言するような口調に引きずられたのだ。プロとしてあるまじき失態である。
「じゃあ、どうして、あんなことを?」
「ああいっておけば、少なくともこの船にいる間は、お酒を飲まないでしょう。彼がよほどの怖いもの知らずか、バカでなければね」
ああ――と私はひとり合点する。
「もしかして、子供たちのために?」
そういうと、少女は、ぷいっと顔を背けた。
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