人は変わらない派と変わる派、環境で変わる派と遺伝子によって決まっている派に似ている
たまに話題になったりするのですが、人は変わると言う人と人は変わらないと言う人がいます。私はどっちかと言うと変わる派なのですが、変わらないと言うのも一理あると思っています。
つまり表面的なところは環境次第で変わっていくものの、本質的な芯の部分は変わらないのではないかと。勿論過度の精神的なショックを受ければその限りではないと思いますが。心が折れない限りは元の性格がベースになっていて、それは中々変わるものじゃないのではないかと思うんですよ。
つまり、臆病な人が成功体験を経て自信をつけても、何かのきっかけで一度でも大きな失敗をしてしまうと、また臆病な性格が表に出てしまうとか。粗雑な人が色んな経験をして一旦は穏やかになるものの、何かのトラブルに巻き込まれるなどして、また以前の性格に戻ってしまったりとか。そう言う事はあるのではないかと思います。マイナスな事例ばかり例に出してしまいましたが……(汗)。
それと似たようなもので、人はその環境次第で才能を伸ばしていける派と全ての才能は遺伝子によって決まっている派がいると思うんです。学者さんは後者の説を支持する人が多そうですね。
遺伝子の力は偉大ですし、多分能力の限界値は遺伝子に左右されると思います。世に言う才能の差と言うのは遺伝子の差に他ならないと私も思うんです。頑張って少しだけ出来るようになる人と、少しやっただけで多くの事が出来るようになる人の差、ですね。
幼い頃から習い事をさせていればそれでどんどん才能が伸ばせると言う訳でもなく、時期が来た時に才能のある人がやり始めた方がどんどん実力を伸ばしていく。これってスポーツでも芸術でも勉強でもよくある事例ですよね。
勉強の出来る人は勉強しなくても先生の話を一度聞くだけで理解して成績も良かったりしますし。羨ましいなあ。
だからと言って努力が無駄だとは言いませんし、努力にも意味はあると思います。自分の限界を知ると言うのは大切な事ですし。そこで自分の器以上のもの目指してしまうと見果てぬ夢を追いかけるドンキホーテになってしまう気がします。
えー、つまり何が言いたいかと言うと……遺伝子すげえなと。ただ、その遺伝子のポテンシャルを最大限に活かすには努力も必要かな、みたいな、そんな感じで。
うーん、何だかよく分からない記事になってしまいました(反省)。
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