第4話地龍 上

 熱い。風が、大地が。

 それに、獣のいななきが聞こえる。ここはどこだろう。

 周囲には草木はなく、見上げると山頂が憤怒している。火山だ。

 マグマに紛れて赤い眼がギロリと睨んでいる。水龍ではないのか?

 少年! 我が門を開け! 愚かなる人間どもの産物で穢れたこの世界を浄化するが良い。

 少年! 少年! 少年!

 違う! 俺は望、新井望だ! ちゃんとした名前があるんだ!


 「……はっ!」

 蝉の泣き声が望を現実に連れ戻した。

 「また夢かよ、しつこいな」

 望は、とある民宿にて一人、布団で眠っていた。

 同行者のりかは隣の部屋で眠っているはずだ。

 盆が過ぎ、八月が終わりかけるころ、望とりかは関東地方に入り、故郷の東京都へ向かう途中だった。

 「望、起きてるー?」

 扉からりかの声とノックの音が聞こえる。望は汗を拭い、扉の鍵を開けた。眼鏡は言われなくてもかける。

 「今起きたところ」

 「もう、望、汗臭い! 私は待っているから、朝食の前にシャワー浴びてきたら?」

 りかは鼻をつまんで言った。

 「また……夢れも見たんれひょ?」

 「鋭いな、りか」

 夢、見たよ。望はそう答えた。

 「れも、何の夢なのかは教えてくれないのね」

 「ごめん」

 「良いのよ。仕方がないじゃない」

 共に過ごす時間が増えるうちに、りかは事情を察し、深追いしなくなった。

 望から詳細を明かしたのではない。むしろ何一つ情報を提供していない。りかの方から「おじさまと何かあったのでしょう?」と言ってきたのだ。重ねて言うが、りかは本当に鋭い。

 それに、りかは望の父親、紅太郎とは距離を置きたがる。そのせいか、以前のように腹を立てなくなったのだ。


 「さすがにフェーン現象は辛いわね」

 「ああ、そうだな」

 望とりかは関東北部から東京都に向かって南下するところだった。

 「望、朝食、あれだけで足りたの? もっと食べるべきだったと思うわ」

 りかは帽子と腕カバーという紫外線防備の姿で言った。

 望から見たらたいへん暑苦しいが、あえて言わなかった。女は日焼けを気にするものだと認識しているからだ。

 望はキャップのつばを摘まんで答えた。

 「そうは言っても、りか。俺はごはん二杯も食ったぞ。男子高校生としては普通だと思う」

 「そうかもしれないけれど、望は元の体重を取り戻さないと、栄養失調で倒れちゃうわよ」

 ほら、とりかはゆとりのできた望のシャツを掴んだ。望のシャツはMサイズだが、現在の体型ならばSサイズで間に合うのかもしれない。

 望は自分の体型変化の原因を理解していた。だからこそ、りかには言えない。父親との約束だからだ。

 「なあ、りか。もうすぐ東京都に着く。これからりかには実家に帰ってもらう」

 「え? 望は?」

 道をひたすら歩いていたが、りかは足がピタリと止まってしまう。

 「俺は後から戻る。父さんにはすでに伝えてある。母さんには、くれぐれもこの体型のことを内緒にしていてくれ。頼む、父さんとの約束なんだ」

 父さん、という言葉が出た途端、りかの困惑した表情が強張った。望はそのことに対して気の毒に思った。望はりかのその表情を望んでいなかったからだ。

 「……分かったわ。でも、私との約束も守って。私だって望との約束を守ったんだから。ご飯をたくさん食べて、体調管理はきちんとして。吐いたらすぐに休んで。お願い」

 「ああ」

 「あと、せっかく携帯を持っているんだから、時間を見付けて連絡して」

 「うん」

 「……あと、ちゃんと無事に帰ってきて。これ、一番のお願い」

 「分かった」

 望はりかの願いを全部叶えようと、返事をした。体調に関しては保証できないけれど、少しでもりかに安心してほしかった。

 大切な幼馴染みで、数少ない良き理解者だから。

 そう思ったところで、望は違和感を覚えた。

 けれど、望の足は止まらなかった。止まるわけにはいかなかった。

 「なあ、りか。本当に九州は火山が多いんだよな?」

 「そうだと思うわ……本当に行くのね」

 「うん、でも、りかが都心行きのバスに乗ってからだよ」

 「ずるいわ」

 「仕方がない」

 望は不思議な気分だった。いつまでもこうしてりかと話していたいと思ったのだ。

 その理由は分からない。本能的に分かろうとしなかった。

 「じゃあな、実家に着いたらちゃんと電話しろよ。店の番号で」

 「疑い深いと、モテないわよ」

 りかはバスに乗り、窓から望を見下ろした。舌を出して顔をしかめている。

 「さて……と」

 望は西へ旅立った。


 その後、望は関西、中国地方を経て九州地方に辿り着いた。二ヶ月はかかった。

 その後福岡県、佐賀県を越え長崎県に向かった。県の南東部には火山の一つ、普賢岳があるからだ。

 望は西へ向かううちに何度も驚いた。自然に恵まれた土地であるのに、駄菓子を食べる子どもたちは自然のありがたさを知らず、平気でその場にゴミを捨てるのだ。

 東京都よりもたちが悪い。りかに見せなくて良かったと思った。

 

 それからローカル線を何度も乗り換え、望は普賢岳のふもとに到着した。

 山頂を見上げると、望は胸の鼓動が激しくなった。何かに呼ばれているようだ。

 上下左右、あらゆる方面から視線を感じる。その姿は見えないけれど、人ではないのは確かだ。

 視線の主が人であれば、これほどの動悸がしないはずだ。

 望は左胸を押さえ、麓より奥に入った。それから眼鏡を外し、オッドアイを解放した。

 すると、山頂に繋がる地面からもっとも強い視線を感じた。

 少年! 我が名を呼んでみよ。さすれば、大地の浄化に力を貸そう。さあ、呼べ!

 「その口調、水龍ではないよな。だったら名前ってなんだ? 大地の……龍?」

 望は獣道のゴミを拾いながら、考えた。

 早く! 少年!

 「今、答えなければならないわけ? この辺のゴミ、本当に酷いんだけれど」

 お前なら知っている。その血が覚えている!

 端から見たら、望は独り言を言いながらゴミ拾いをする奇妙な少年に映るだろう。

 たとえ獣がこちらを見ていようと構わない。人であっても。

 望は己のやるべきことをやるだけだ。

 「血って何のこと……待てよ! 『ち』だと?」

 望の手はピタリと止まった。

 「もしあんたが水龍の仲間ならば、ち……地の龍。地龍! あんたの名前は地龍だ!」

 そのときはまだ、望の身に何が起きたのかは分からなかった。

 ただぼんやりと、赤い両眼と視線を交えたことだけは確かだった。

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