第3話 DG vs ペット探偵

 丹精込めた花火が、この日のために打ち上がる。連続し、さらに大きく。

 しかしこの世の終わりと思うのか、どこかで犬が激しく吠えた。それに続くように、またどこからか犬の声が聞こえてくる。

「音に怯えて、吠えたり逃げ出したりする子が時々いるんですよ。かわいそうに」

 ローマとミラノを撫でながら、伊織がつぶやく。二匹はごろりと横になり、伊織の手に合わせ体をよじった。

 コットンカフェ界隈かいわいの飲食店はそれぞれ賑わいを見せ、客が花火見物に興じている。本日、花火大会の穴場と言えるテラス席はどこも埋まっていた。

 小さな子供連れの若い夫婦、浴衣姿のカップルや仕事帰りと思われるワイシャツ姿の男性たち、アロハシャツが馴染んでいる近所の老夫妻、年齢不詳の女子会の皆さん。

 携帯で花火の写真を撮る人たちも、あちらこちらにいた。


 伊織は二匹をまだ撫でている。彼はうつろな表情で、通行人のほうを見つめ言った。

「……ふみさん、ちょっとお願いがあるんですが」

「いいよん!」

 なぜ、真綿が先に返事をする? 

「うん。なあに?」

 私がグラスを片手に言う。 

 礼美は肘をついて、眠たげに見ていた。

「無山の姓名判断をしてもらえませんか。簡単で結構です。彼の性格や特徴を知りたいんです」

 伊織がこんなお願いを、私にしたのは初めてだった。いつもなら、とっくに謎解きに入っていることだろう。だが、無山は普通の犯罪者ではない。私たちの想像をはるかに超えた遠隔殺人者だった。

 伊織の喜怒の少ない穏やかな素顔の下に、苦悩のようなものがこの時初めて見えた気がした。


「もちろん、大丈夫。すぐ、観てみるね」

 私は店内へ入り占い専用テーブルから、姓名判断用の用紙を一枚取り出した。店内は冷房が効いていて、ひんやりと素肌に心地良い。

 無山恭也。

 私はとりあえず、名前の横にさらさらと字画を書き出す。簡単でよければ、あとは数字を見ながら喋ることが出来る。

 通常、姓名鑑定の依頼の場合は、私が経験と研究で書き付けてきたノートを見ながら、詳しく観させて頂くのだが。

 天格 十五、人格 十三、地格 十三 外格 二十三、総格 二十八。

 私の頭の中で、無山の名前が持っている数字たちの特徴が瞬時に当てはまった。

 この組み合わせでは、運勢はこう動く。この数字は今は影響がないが将来強く意味付けられる、といった具合に。


 名前から性格や運勢などと思われるかもしれないが、生まれて物心がつく前から、私たちは自分専用の名前と一緒に生きている。

 自分にそのような意識がなくとも、まわりはその名前で呼び、その名前で認識する。そしていつしか名前は、自分そのものへとなっていく。ぼんやりしていても、自分の名前を呼ばれると細胞が気付くのだ。

 ある茶人は、陰陽五行で表現された茶室を宇宙だと言った。

 ある数学者は、数学で宇宙が解釈出来ると言った。

 私は名前が持つ数字と五行で、宇宙の欠片かけらである人を説明する。


「おまたせ」

 私はテラスのテーブル席へと着く。伊織もすでに座って、ピザをおとなしく食べていた。二匹は安心し、またウトウトと夢の中へ入っている。(犬も夢を見るんですって!)

「無山のことは何でも知りたいって感じ?」

「はい。この謎を解くには、無山がキーワードとなるのは間違いないんです。ですが、無山の人物像がまだ見えてきません。彼が刑務所に入ってまで、連続殺人を犯す動機。暇つぶしだけとは思えない」

 伊織は現実と想像の中に紛れ込んだ思考に取り付かれ、堂々巡りしたのち、観念して戻ってきたといったような顔をしていた。


「私の鑑定だと、無山恭也っていう人はね。……彼は、生まれながらの表現者。聡明で、多才、精神力もある。見た目も良くて華がある人物、どんな場所でも人気ものになれる人が多いわ。まわりからもそう思われている。器用で、優秀。ん……、集団生活はちょっと苦手かな。彼、頭の回転が速くて、他の人より優れている分、わがままだったりはするんだけどね。このまま行くとエリートコースまっしぐらってタイプ。でも……」

「でも?」

 礼美が繰り返す。さっきの眠たそうな表情はどこにも見当たらなかった。

「晩年が良くない。人生の要所要所でその運気は、見え隠れしてるはず。ていうか、もうすでに刑務所の中だしね。突発的なトラブルが多くて、波乱の多い人生。優秀な人は、嫉妬の対象になりやすいっていうのもある。……肉親との縁も薄いわ。将来は孤独よ」

「冷酷な連続殺人鬼だもの、当たり前じゃん」

 礼美の言葉に、実梨が反応した。

「よく当たっていると思います。でも、彼は、……彼はもっと人間味もある人なんです。優しいところも、……本当にあるんです」


「そうね。実梨さん、まだ聞いててね。気になる点があるの。ここなんだけど。地格 十三、人格 十三。同じ字画が上下にあるでしょ。これを姓名判断では、縦同格というの。こういう同格現象があると、災難や不運に巻き込まれやすい。運命に翻弄されてしまうのよ。だから、そういう人って苦労してる分、人の気持ちがわかったりもするはずなのよね」

 伊織はぼんやりと遠くを見る目つきで、私の話を聞いている。

「伊織くん、大丈夫? 現実に戻ってこれそう?」

 私と礼美がクスクスと、笑いを忍ばせた。


 その時だ。

 伊織の表情がわずかに変化した。いや、確実に変化したと思う。

 あの、例の謎解き段階に見せる顔。同じ人間なのかと疑いたくなるほどの自信溢れる顔だ。

 そして、私たちを虜にしてやまない、ペットの登場だ!

「……なるほど。ふみさん、興味深い鑑定をありがとうございました。現実がここにあることを、僕は忘れていたみたいです」

 伊織が私に微笑みかける。言ってる意味はわからないが、私も微笑む。お役に立てて、なによりです。

 そして、私たちを応援してくれるかのように、伊織の背中越しに金色に輝く大輪の花火が勢いよく咲いた。


「この事件は、とても巧妙に仕組まれたものでした。DG、ドッペルゲンガーというオカルト的な現象を使って、自殺志願者と呼ばれる自殺予告サイトのリストに記された人々を不安の渦に招き入れる。実梨さんの話から、全員が自ら希望した自殺志願者ではないと仮定すると、これは言わば、計画的な殺人予告サイトに他ならない。リストに載った人々は自分の影、いわゆる分身を見る。あるいは、人に分身を見られる。そして、見られたら死ぬというドッペルゲンガーの恐怖から、精神をいたぶられ、変調をきたしていく。の狙いはそこにあります」

「きゃれら!?」

 真綿が真っ先に食いついた。えー、言えてないし。どれだけ飲んだの? 顔、真っ赤なんですけど。

「そうです。これは、無山恭也の名を語った、悪の組織です」

「悪の組織って! 組織がらみだったっていうこと? じゃあ、じゃあ、何?  無山は加害者? 被害者? どっちなの!?」


 礼美がミステリ好きらしい、上出来な反応を見せる。意識はもうそこにしかない。

 礼美は気付いていないようだが、自分で着付けた浴衣はそろそろ限界を迎えていた。ただ、着崩れはうまい具合はんなり乱れて、またそれが隙をつくり礼美を色っぽく見せていたが。

「被害者と言えば、そう言えるのかもしれない。ですが、殺人者であることは確かです。実梨さん、過度な期待はしないで下さい」

 実梨の複雑な想いを察してか、冷たくも感じる言葉で伊織は先に釘を刺した。

 涙は今では、実梨の専売特許のようだった。深入りしてはいけない想いは、昇天させてあげなければならない。ちゃんと、前へ進めるように。


「まずは一連のDGによる、不思議な現象の謎を説明しましょう。実梨さんが調べてくれた、ここ半年以内に自殺した四名に絞りますが……」

 私たちは伊織に注目する。花火の美しさ、音、歓声などは、もう何も気にならなかった。

「一人目。マンションの四階、エレベーターを降りてすぐの通路部分から飛び降り自殺をした紺野健市という人物。彼の自殺は誰も見た人がおらず、謎に包まれています。遺書も何も残っていない。真夜中、ふわりと手すりを飛び超え、亡くなった。もちろん、警察では検視の結果が出ていると思いますが、例えばドラッグをやっていたとか、誰かと格闘して突き落とされたといった場合のような、証拠らしきものは出ていません。出ていれば、新聞にも載るでしょうからね。そうですよね、実梨さん」

 伊織が実梨に確認する。

「はい。新聞、インターネットは、ほとんど調べました。何も、自殺めいたそぶりはなかったそうです。あ、両足首に微かに圧迫痕があったようですが、それは特に問題になりませんでした。逆に結婚まで秒読みの彼女がいたとかで、幸せの最中だったんじゃないかと思います。自殺予告サイトのリストに名前があったのも、本人が知っていたかどうかさえ分かりません」

 伊織は「圧迫痕……」とだけつぶやくと、目を細め頷いた。


「次は二人目。R女子校の生徒、磯川彩奈さん。彼女は横浜駅構内で電車が到着した瞬間、自ら飛び込み轢かれました。彼女は友達と別れ、ひとりになった直後だったそうです。まわりにいた人々から、彼女が自分から突然駆け出し電車へ飛び込んだという証言があった。そうですか?」

「はい。その通りです。彼女のことも、新聞の記事以上のことは特にわかっていません」

 実梨はメモを見ながら言った。


「三人目は、四十代後半の男性、島崎宏平さん。彼は運良く、自殺を免れた。変な言い方ですね。ですが、橋の下に勇敢なホームレスがいなければ、他の自殺志願者同様亡くなるところでした。彼の話を聞くことが出来たのは、本当にラッキーです。真実を聞けるということは、確実に真相に近付ける」

 伊織はそう言ったが、彼の頭の中ではもうこの事件はほぼ解決してるに違いない。伊織は私たちをらせ、今や脳内に散らばるパズルピースを当てはめたことへの快感を楽しんでいるはずだ。名探偵たちの悪い癖を、伊織もご多分にもれず引き継いでいた。

 私はその時、無山を思い浮かべた。彼と伊織はたぶん同じ匂いがする。同じ種類の人間。善か悪か、その差に過ぎない。いや、もちろんそれが大きな差ではあるが。

 殺人事件などパズルゲームの一つとでも言うみたいだった。伊織は残酷なまでに、死の残照ざんしょうを確かに楽しんでいた。


「島崎さんはリストに自分の名前があることを知って、自暴自棄になりました。かなりお酒を飲んだ後、酔いを覚ますつもりで橋を歩いて帰宅した。川から橋までは高さこそありますが、郊外にある素朴な小さな橋です。古い街灯がまばらにあるだけで、夜は薄暗い橋なんです。深夜だったため、この時人通りはなかったようですが、普段日中は通学や通勤でも使用されている人々に馴染みのある橋です」

 実梨は自分の足でつかんだ情報を披露した。

「そして、橋の中程まで渡ったときに突然、車が島崎さんのほうへ突っ込んできたそうです。島崎さんは逃げ切れず、とっさによじ登った手すりからバランスを崩し落ちてしまった。ですが警察に調べてもらったところ、その時間帯、付近のコンビニの防犯カメラの映像には、車の姿は一台も映っていなかった。なので、彼は自殺などしていないにも関わらず、信じてもらえなかったそうです」

 実梨の情報に、私たち(伊織以外のね)は首をひねった。


「そして、四人目の犠牲者が、……岩乃麻弥さん」

 伊織が重々しい口ぶりで言った。麻弥さんが亡くなった経緯は、私たちには分かりすぎるほど分かっていた。

 麻弥さんは、無山に遠隔で精神をコントロールされて、無残にも自殺に追い込まれた。幼い子供をこの世に残し、麻弥さんはひとり死んでいったのだ。

 もしかすると、最後まで無山を信じていたのかもしれない。偏執的へんしゅうてきな手紙に惑わされ、儚い夢を見たのだろうか。


「以上、四名の当時の状況が今、僕たちに提示されたこの謎の全てです。どなたか、真相がわかった方はいますか」

 くぅ。なんて意地悪な。伊織くんって、こんなにドSだったっけ?

「ああっ!!!」

「こ、この謎は、天才的じゃな……!」

 私は、人差し指を掲げる真綿を押さえ込み、口を手で封じる。あほかっ、この酔っぱらいめ。

「伊織くん、降参よ。みんな、そうよね?」

 私は「こうさーん!」と叫ぶ真綿を羽交い締めにしつつ、ふたりに聞いた。不安げな実梨と、しぶしぶ礼美が頷く。


「先程、僕はふみさんに現実に戻れるかと、冗談で聞かれました。僕はその時、推理という名の迷路に迷い込んでしまってました。想像が深く現実を飲み込み、何ともいえない奇妙な現実感を味わっていたんです。そこから引き戻された時、もしかしたら、無山の現実とはこの感じなのかもしれないと思い付いた。例えるとしたら、……VRです」

「ブィアール? また、アルファベットかよー」

 真綿が一気に萎える。

「ええ。ヴァーチャルリアリティ。仮想現実です」

「仮想現実!?」

 私と礼美の声がハモった。これは、一体全体、意味不明な。

「仮想現実とは、現実そっくりな仮想の世界。人間の五感を含む感覚を刺激することによって得られる、人工的な現実感のことです」

「伊織くんは、まったく小難しいわね」

 礼美である。


「すみません。……彼は刑務所内での生活を余儀なくされています。彼の現実とは、刑務所。実梨さんや一般の人々と関わることは出来ないに等しい。そこで彼は、脳内で想像するんです。人と交わること。人を愛すること。人を殺すこと」

「その発想はぞっとするけど。でも、想像で人を殺すことは出来ないわよ。いくら無山でもね。超能力でも使わない限りは」

 私の言葉に、伊織が喜ぶ。正確には、唇の端を得意そうに歪めただけだけど。

「超能力なんか、まさか。……彼はきっと、ずっとそうしてきたんです」

 伊織はそう言うと、ほんの少し悲しげな横顔を見せた。


「この事件の発端は、DGという怪しげな自殺予告サイトにあります。このサイトは何のために必要なのか。誰が利益を得るのか。利益と言っても、金銭に関わることではないと思います。麻弥さんや、実梨さんがリストに載ったことを考えると、金銭というより無山に関わることと考えたほうが自然なんです」

「じゃあ、無山とその一味が連続殺人を犯してたってこと? でも、どうやって。まさか無山が、手紙で一味のやつらに指図してたとか? えー、きっと手紙も刑務所で検査されてるわよね」

「もちろん手紙の検査もあるでしょうし、殺しの指図をしたところで、誰が簡単に人殺しなどしてくれるでしょうか」

 伊織は礼美をかるく一瞥いちべつして言った。


「まあね。そうだろうと思ったわよ。じゃあ、一体何なのよ。犯人も動機も殺害方法も全くわからない。結局、自殺でした……ってことになるんじゃないの?」

 礼美が頬を膨らませながら、伊織に突っかかった。

 まあ、礼美がそう言いたくなるのも理解出来る。真綿など、もうコクリコクリと船をこぎ始めてるじゃないのー、こらー!

「VRというのは、無山的思考の模型モデルなんです。回りくどく、とても緻密な。彼はこの思考方法で今までずっと、人を愛し、人を殺してきた。僕も彼のやり方で、この謎を考えました。そうすると、静かに見えてきたものがあります。……謎を解明します」

伊織は有無を言わせぬ沈黙を強いた。


「まずはマンションの四階から飛び降り自殺をした、紺野健市さん。彼はエレベーターで四階まで行き通路へ歩き出してすぐ、自らの意思で飛び降りたかのような殺害をされました。彼はどのようにして、殺されたのか」

 礼美がグラスにあと僅かのビールを一口飲んだ。喉の奥でゴクリと音がした。

「この犯罪は組織的なものです。一人では決して成しえない。彼は犯人に突き落とされました。しかし、大人の男性がそんな簡単にマンションの手すりから、突き落とされるでしょうか。考えられる殺害方法は、……紺野さんが手すりから深く下を覗き込めば、犯人は両足を掴み持ち上げるだけで、楽に突き落とすことが出来るというやり方です」

「楽にですって!? 犯人はマンションの通路で、ずっと待機してたってこと?」

 礼美が口を挟む。


「いいえ。紺野さんが帰宅する時に一緒にマンションに入り込む。そしてエレベーターに一緒に乗り、一緒に四階で降りる。それだけです」

「それが出来たとしても、どうやって下を覗かせる?」

 真綿も黙ってはいられない。

「紺野さんには結婚間近の婚約者がいたとか。例えばその人が、下から紺野さんを呼んだら……どうでしょうか。普通、手すりから下を覗き込みませんか」

「じゃあ、婚約者がDGの共犯者かっ!?」

 いやいや、まさか。真綿、それは違う気がするよ。

「違います。犯人はあとで説明することにしましょう。まずは、殺害方法からです」

 あー、焦らすなぁ。

「共犯者は婚約者のふりをして、マンションの下からだけを紺野さんに聞かせました。録音した声です。言葉は、紺野さんの名前だけで充分だと思います。静かな夜中でしたら、四階だとしても声は届く。そこで、手すりから深く下を覗き込む紺野さんに対して、後ろにいた犯人がすぐさま両足を持ち上げ落下させたのです。両足首の圧迫痕も説明がつきます」

「シンプルな犯行なだけに、簡単に出来そうな気はするけどね。気だけね」

 これは私。伊織がちらりとこっちを見た。


「次は女子高生が、横浜駅で電車に飛び込んだ事件です。この事件には目撃者が周りにいたそうです。その人たちによると、電車を見て駆け出すようにして飛び込んだと。彼女は本当に自分から飛び込んだのでしょうか。これも例えばですが、線路の向こう側に何かを見たとしたら……。何かとは、もちろん自分自身です。自分の分身を見たと仮定して下さい」

「あっ」実梨が言った。

「磯川彩奈さんは電車が来る直前、線路の向こうにふいに現われた自分の分身を見た。彼女は今時の女子高生で、情報弱者ではありません。DGのサイトについても、きっと知っていたと思います。友達の間でも噂になっていたのではないでしょうか。彼女は自分を確認してしまった。犯人の共犯者が、磯川さんそっくりに扮していたんです。真正面からでなく雰囲気でも似ていれば、人は惑わされる。マスクや帽子も普段いつも付けていれば、その人の特徴になるんです。……そして、思わず身を乗り出した瞬間、後ろにいた犯人が彼女を線路へ突き飛ばしたんだ」

「共犯者が……扮した。自分そっくりの雰囲気に惑わされたなんて。じゃあ、自分で自分自身をはっきり見たっていう人は?」

「それは、きっとポータブルプロジェクターを使用したんでしょう。今はコードレスの、とても小さいサイズのものが売られてます。ちょっとした壁があれば、野外でもどこでも映せますし。それまでに自分の分身を人に見られてる。自殺志願者としてリストにも載り、疑心暗鬼になってるところに突然、ぼんやりとでも自分の姿を見たら、身の毛もよだつと思いますよ」


 必ず、犯人は近くにいる。DGのリストに載った、自殺志願者を狙って。


「三人目の被害者、島崎宏平さん。彼は幸いにも、生き残った自殺志願者です。彼の場合は特殊でした。無事、助かったからです。そのおかげで、真相に近づくことが出来たと言ってもいいでしょう。彼に、話を聞いてくれた実梨さんにも感謝します」

 伊織からの思いがけない言葉に、実梨は慌てて恐縮するそぶりを見せた。

「その日、島崎さんはかなり酔っ払い、深夜歩いて橋を渡っていました。古く小さな橋。たぶん、車一台分が通れるくらいの幅だと想像出来ます。そして橋の中程のところで、彼はありもしない車に突進されて川へ落ちた」

 私たちは全く声も出ない。ありもしない車……、そこにはどんなトリックが隠されているのか。

「彼は間違いなく車と言ったんですね、実梨さん?」

「あ、はい。間違いないです。そう言いました」

 伊織は改めて実梨に確認すると、満足そうに頷いた。


「彼は確かに車だと思ったんですよ。……そののことを」

「えっ、自転車!?」

 私たちが揃い踏みして言う。

「はい、普通の自転車です。なので、付近の防犯カメラの映像に車は映ってなくても、自転車は映ってるはずですよ。二台、ちゃんとね」

 二台って? どういうこと!?

「深夜の暗い夜道。遠くから二台の自転車が並行して走って来ている。……想像して下さい。今はかなり明るめのライトを自転車に取付けてる人たちがいますが、たまに勘違いして、車が向かって来てると思ったことってないですか?」

 あー、そう言えば、あるかも。車のライトと同じくらいの車幅で、自転車を並行して乗ってる人たちって紛らわしい。

「あるわ! 私、この前、あったー。先週の夜中ね、街灯の下で自転車のサドルだけいやに高く調節して、乗ってる男の人がいたんだけど。薄暗くて遠目だったから、頭の部分しかはっきり見えなくて自転車が見えなかったの。私、人が馬に乗ってるのかと思っちゃった!」

 えー、礼美ちゃんったら。その勘違いはないわぁ。


「礼美さん、貴重な体験談をありがとうございます。そうです。人の脳は簡単に錯覚してしまい、テーブルマジックでよく行われるように、目の前で起こる事象も自分に都合の良いように勝手に置き換えてしまうんです」

「いやいや、だけど、さすがに車と自転車くらいの見分けはつくだろ。いくら深夜、飲み過ぎたとしてもさ、普通」

 この手の錯覚に関して一番怪しい真綿が、伊織にもの申した。

「はい。そうですね、……普通は」

「え、じゃあ、どうして」

 伊織はうつむき、携帯の画面に指を滑らせ、何かを検索している。

「……脳が騙されるように、仕掛けられたからですよ」

「仕掛けられた!?」

「あ、これだ。はい、そうです。えっと、皆さん。クロスモーダル現象ってご存じでしょうか?」

「……」

「……」

「……知ってる訳ねーし!」

 真綿が思いっきり、伊織に裏手ツッコミを入れた。


「あ、すみません。えっと、そうですね。例えば、風鈴を見て、風鈴の音色を聞くと涼しく感じたりしませんか」 

「うん。それはするかもね」

「ふみさん、まさにそういうことなんです。人によっては、風を感じることもあるそうです。視覚、聴覚など五感のいくつかを刺激することにより、他の感覚を補う現象のことなんです。島崎さんは、橋を歩きながら帰宅していた。そうすると、橋の反対側から一台の車が現われる。それはスピードを増し、島崎さんをひき殺しそうな勢いだった。……実際には、並行する二台の自転車が眩しくライトを点灯し、猛スピードで近づいて来ただけのこと。ただ、臨場感ある車のを響かせながらですが」

「えー、そんなトリックで?」

 島崎さんはお酒を飲んでいたので、もちろん普段より騙されやすい状況だったのかもしれない。

 彼は眩しく光るふたつのライトを見て、エンジンの音を聞き、瞬間、本物の車と思い込んでしまった。そして、避けようと思わず手すりによじ登り、そのまま落ちてしまったのだ。


「なるほど。考えたものね。で、犯人は一体誰な……の、あっ」

 礼美の言葉の途中だった。

 伊織が立ち上がろうとテーブルに手をついた瞬間、箸と小皿が転がり落ちた。すぐに屈み、拾おうとする。

「すみません。実梨さんと真綿さんの足下に箸が……」

「あ、はい」

「おっ、こっちにもか」

 結局、ぐだぐだと三人はうずくまって拾い出した。

「ねぇ、大丈夫?」

 礼美が一応、声をかける。

「ふみちゃん。箸と小皿、追加で持ってきて」

「はーい」

 などという飲食店にありがちなトラブルを通過し、私たちは改めて席に着いた。

「すみませんでした。僕は不覚にも動揺してしまったみたいです」

 伊織がなぜか得意顔で謝る。

 それ、おかしいよね。あ、でも、この流れは。

 あの、例の、いわゆる、謎解きタイムかもしれないー!


「皆さん、お待たせしました。僕は無山の思考方法で考えると言いましたね。そうすると、自然にの卑劣な犯行が見えてきました」

 真犯人!? 

 伊織の右手の人差し指が、ゆっくりと天を向いた。気を集めるかのような集中の動作。いつもの、謎解きクライマックスの合図だ!

 その時だった。

 ベンチ席前でおとなしく眠っていたベージュの二匹がふわりと耳を動かし、ムクムクと同時に起き出す。そして、凜々しい顔を伊織に向けて、美しいお座りをした!

「どしたー?」

 真綿も声を上げ、伊織以外の私たち四人は、犬たちの反応に驚く。

 ちらりと二匹を見た伊織は、無表情で指を下げ「フセ」と一言。

 二匹は何事もなかったようにその場に顎をつけ、またペタリと寝そべった。


 なるほど。謎が解けた。

 伊織が毎回謎解きの際に見せる指を立てる行為は、犬へのお座りのコマンドだったのだ。伊織の集中が極限へと達すると、無意識に出てしまう可愛らしい癖なのかもしれない。 

 まぁ、そんなことはこの際どうでもいい。それよりも、真・犯・人!

 伊織が気を取り直し、瞳を閉じる。息を吸い、酸素を脳へ送り込む。

 瞼をゆっくりと開ける。その瞳には、すべてを見通す輝きを放っていた。


「改めて、解明します。この事件は、……この謎は、じゃない!! 理解不能な狂人による、至上最低な連続殺人事件です。人を殺さなくては気が済まない、シリアルキラーによる身勝手な快楽のみの犯行!」

 私たちがドン引きしているのを知ってか知らずか、伊織は推理に酔いしれた。

「無山を遙かに上回る、悪の思考の持ち主です。悪の根源と言ってもいい。自分の欲望のためだけにDGサイトを運営し、殺人リストを作った。そのリストの人物は全員、無山に関係のある人々なのでしょう。リストを公開することによって、無山を奮い立たせ、思い出させようとした。破壊の連鎖をね」

 私、途中から意味がわからなくなってきた。

 破壊の連鎖とは何かしら。

 真綿を見ると、キョロキョロと通りを見てばかりだ。きっと、真綿もついて行けてないのだろう。

「一連のシリアルキラーによる犯行。……連続殺人犯の真犯人とは、無山恭也のです」


「えっ!? 嘘だわ。そんなの信じられません!」

 実梨が驚いて、伊織に言った。

「無山くんのお母様は、着付けの先生をされていて、とても上品で素敵な方なんです。先生のファンも多くて、熱心なお弟子さんもいらっしゃるくらいです。シリアルキラーなんて、馬鹿げてます。ありえない。無山くんのことに心を痛めていて、殺人とは一番縁遠い位置にいらっしゃる方だわ」

 伊織は実梨にどう言えば理解してもらえるか、悩んでいるようだった。

 確かに私たちも連続殺人なんて怖い事件の黒幕が、女性のしかも上品な着付けの先生だなんて、ちょっと想像を絶する。

 伊織は続けた。


「紺野健市さんがマンションから突き落とされて殺されたとき、下には着付け教室の熱心なお弟子さんがいて、指示された通りに動いていたんだと思います。弟子というよりは、信者と言ったほうがいいですね。シリアルキラーを崇拝している悪の信者です。彼らは魅力的でカリスマ性のある無山の母親を畏怖崇拝し、犯罪に加担していた。ですが、実際に手を下したのは母親だけでしょう。信者は、彼女の駒にすぎない。彼女は殺人という行為を欲し、人を殺さずにはいられないんだ。……狂気に満ちている」

 伊織が激しい憎悪をにじませた。


「彼女は和服を着た楚々とした美女です。もし、エレベーターで一緒になったとしても警戒する人間がいるでしょうか。紺野さんも同じです。彼女はエレベーター内の開閉ボタンの前に立ち、紺野さんを先に降ろした。そして、外から信者によって録音させた婚約者の音声を聞かせ、手すりから下を覗かせる。そこでいきなり両足を持ち上げ、突き落としたんだ」

「でも紺野さんが婚約者の声に気付いて下を覗いたとしても、女性が男性の足を持ち上げることなんて出来るかしら。男の人って痩せていても結構体重あるでしょう?」

 礼美が納得出来ずに聞く。

「礼美さん、彼女は……心の底から狂ってるんですよ。異常な精神状態なんです。その怪力は、火事場の馬鹿力のようなもの。通常は脳が勝手にセーブするため、八十パーセントほどしか機能しませんが、その時はリミッターが外れ百パーセントの力が出る。彼女の場合、殺人行為によってアドレナリンが噴き出すんだ。無山の母親は、自分の中に湧き起こる強い欲情を満たすためだけに、人を殺すんです」


 恐ろしい欲は殺人行為を繰り返し、そこにはもはや動機という概念さえない。それは自然に生まれ、着実に蔓延はびこっていった。私たちの近くまで、何食わぬ顔をして。

「無山くんも……そうなんですか?」

 実梨は静かに涙を流していた。

 私は胸のつかえを取ることが出来ず、何も言えない。

「無山は、母親とは根本的に違いました。彼は母親の凶悪な遺伝子を受け継いではいなかった。彼はただ……運命に翻弄されたんです。ですが、麻弥さんを遠隔で自殺に追いやったのは、無山に間違いありません」

 伊織は私を黙認するように、あえて翻弄という言葉を使った。無山は太刀打ちできなかったのだ。強い宿命に操られる悲劇から。

「実際、無山には殺人の動機が二つあります」


「ふたつもー!?」

 真綿ったら、もう少し小さな声でお願い。

「はい。彼は幼少の頃、すでに殺人を犯しています。その後も、ことあるごとに殺人を行っていたはずです。彼は試され、そして、受け入れた。無山が大人になった時に見えた景色は、絶望と、そして、実体のない仮想現実でした。動機の一つ目は、愛。彼は悪魔のような母親に愛されるために、人を殺し続けたのです」

 歪んだ愛情を、そうとは知らず受け入れた過去の断片。それは吐き気を覚えるほどの悪夢だったに違いない。

「母親が、子供に殺人を強要したってこと!? それって、子供に対する虐待よね! どんな理由があったとしても、正当化出来ない。人として、絶対に許せない!」

 礼美が激しくいきどおった。噛みしめた唇が赤い。

 伊織は今もなお、無山的思考とやらで、旅を続けているのか。暗い瞳の中の真実は、私の想像をはるかに超えていた。


「虐待というより、悪の英才教育と言ったほうが近いのかもしれません。悪魔が与えた歪んだ愛情は、そちらの世界では正常なのです。彼は母親の喜ぶ顔が見たくて、ただ殺人を犯した。……僕はずっと前に、同じような光景を見たことがあります。洋服屋で、子供に万引きをさせている母親がいました。子供は盗めば、お母さんに褒めてもらえる。もし見つかっても、母親は子供が勝手に持ってきた……と言えば済むと思っているのでしょう。ですが、子供の気持ちを考えると、僕は未だに胸が苦しくなります」

 伊織は来る気配のない夜明けを待つような、暗い表情で言った。


「二つ目の動機は、……大切な人を守るため。実梨さんと麻弥さん。……無山の唯一の幸せな記憶です」

「じゃあ、なぜ、麻弥を殺したの!!」

 実梨が取り乱した。涙が乾く間もなく、また溢れ出す。

「……わかりません。実梨さん、すみません。ただ、無山には無山の、何か法則のようなものに従って、麻弥さんを死に向かわせたのだと思います」

 謎解きの途中、めずらしく伊織の顔に疲労の陰が見えた。彼の精神は異常犯罪を追い詰め、疲れ切っていた。

「無山には大切な人が、あと一人います。……母親です」

 子供はどこまでも、母親を愛する。それがいくら異常な母親だとしても。

「彼は大人になり、常識と相反する母親との間で悩み苦しんだ。それでも母親を見捨てることが出来なかった無山は、自ら刑務所へ入り、母親と距離を置くことにしたんです。その事件が、現在服役中の殺人の罪。連続性犯罪者を殺して、自ら逮捕されました」


「無山はわざと逮捕された……。それなのに、母親は今もまだ無山に殺人をけしかけてるの? 彼の知り合いばかりを狙って、興味をそそらせ誘惑してるんだわ。無山に犯罪を強要してるんでしょ?」

 伊織は私に向かって、少し微笑んだ。

「ふみさん、その通りです。さすがですね。無山はVRという独自の方法で、自分で狂気から逃れるすべを覚えた。現実の殺人行為を、リアルではない架空の現実で人を殺したと思い込むこと。自らの精神をコントロールすることで、彼はかろうじて狂わずに済んだ。それなのに母親は異常な正義を振りかざし、息子を甘美なる殺人へと誘惑している。今現在も。殺人を継承する遺伝子。遺伝子レベルの執着。呪われた輪廻りんねなんだっ」


「私、耐えられません!! もう失礼します!」

 突然、実梨が立ち上がりバッグを掴むと、人のまばらな通りの中央へと駆け出した。私たちは驚き、一瞬動けない。事件を解決するどころか、実梨を怒らせてしまった。

 伊織は、追いかけようとする私の腕を掴み制止させる。

「だめだ。ふみさんはここにいて」

 真綿も私を抱き寄せ、イスに座らせようとする。

「どうして! 追いかけなきゃ! 実梨さん、あのままじゃ……」

 私の声が、真綿の胸板にかき消された。


 伊織がベンチ席へと歩み寄る。ローマとミラノも、すかさず身を起こした。するりとリードを引き、二匹に視線をやる。

 立ち並ぶ店舗のテラス席こそ人で賑わっているが、花火が終わりの気配を迎えている今、通りにはほとんど人の流れがなかった。

 伊織が二匹を連れ出し、通りまで出る。実梨の後ろ姿を見つめた。

 その時だ。

 真綿は抱きしめていた私を放り出し、なぜかいきなり通りの反対側へ駆け出して行った。えっ、なんで!?

「ロー、ミラ! 今だ、行けーー!!!」

 伊織が実梨の方向へ大声で叫び、何かを投げる。

 二匹はベージュの長毛を優雅に揺らし、ものすごい速度で、嬉々として何かに向かって走って行った。


 この時のことは、後で思えば走馬灯のように、ゆっくりとした感覚で思い出せる。だが、その瞬間の出来事はおかしな夢のように私を混乱させた。

 何やら懐かしい走りのフォームで、二匹を追う礼美もいた。

 彼女は中学時代、陸上部の短距離走で活躍していた。ポニーテールをなびかせ、美しい白馬のように気高く走る姿を、私はよく教室の窓から見ていた。

 そう言えば、パソコンの時間。礼美ちゃん、ダブルクリックに苦戦してたなぁ……なんて、一瞬のうちにそこまで思い出した気がする。


 実梨の後ろに、浴衣姿のカップルがぴたりと寄り添った。先程まで、喫茶店のテラス席で花火を観ていたカップルだと思う。

 伊織の投げたものが、カップルに当たりそうになる。男の方が振り返った。

 その後ろから、大型の愛らしい二匹が猛突進を続けている。二匹は、伊織の投げたもの(どうやら、あれは犬用のボールらしい)を追いかけ、男へ高くジャンプした。

「きゃー!」

 その騒動を見ていた人たちから、悲鳴があがる。

 私も夢中で追いかけた。ただ、浴衣と下駄では限界があった。ローマかミラノのどちらかが、その男へ突っ込んだ。

 その懐から何か落ちた。その瞬間、少しの差で到着した礼美が、身をていして何かに覆い被さる。

 カップルは酷い形相で、逃げる姿勢を見せた。


 追いついた伊織が、カップルへ掴みかかろうとした。

 その時。

 近くにいた若い男性ふたりが、伊織の加勢に入る。

 それからは、あっという間だった。

 浴衣のカップルは腕に覚えのある助っ人の男性らに取り押さえられ、その直後、真綿が交番のおまわりさんを連れて来たのだ!

 身を挺してうずくまり何かを守っていた礼美は、若者の一人に手を差し出され、起こしてもらっている。礼美の瞳はキラキラのハートになっていた。

 そして同じく騒動に巻き込まれ、突き飛ばされてしまった実梨も、若者のもう一人に手を差し出されていた。

 その男性は言った。

「……水河実梨さんですね。お怪我はないですか?」



 本日、大活躍したローマとミラノは、真綿からご褒美のおやつをもらい、またベンチ席前でおやすみしている。

 私たちはコットンカフェの店内に入り、涼むことにした。礼美は着崩れてひどい有様だし、私たちも全員汗だくだった。

 あの騒動のあと、浴衣のカップルは警察に連行されて行った。

 例の助っ人男性ふたりによる実梨を狙っていたという証言と、礼美が命がけで守った浴衣の男性の懐から落ちたが物的証拠となった。

 助っ人らの話によると、あのカップルは無山の母親の手先で、今夜人気のない場所まで実梨を誘導する役目だったそうだ。

 もし伊織が気付かないまま実梨を帰していたら、実梨は今頃、無山の母親に殺されていたかもしれなかった。想像すると、ぞっとしてくる。

 でもなぜ、真綿はあんなにタイミングよく、おまわりさんを連れて来ることが出来たのかしら。


「伊織さん。さっきの私、どうでした?」

 実梨が微笑みながら、伊織に聞いた。

 えっ、どういうこと?

「実梨さん、完璧でした。真綿さんも、思ってた以上にタイミングばっちりでしたよ」

「思ってた以上って、何だよー」

 三人が嬉しそうに笑い合う。

「ちょっと、どういうこと!? 何なのよ。三人だけで、わからない話して」

 傷だらけの礼美が、足を私に預けたまま怒っている。とっさの判断で裸足で駆け出して行った礼美の足に、私は絆創膏を貼ってあげていた。

「あ、ご心配をかけてしまって、ごめんなさい。……実はさっき、私が怒って出て行ったのはだったんです」

 実梨が驚きの告白をする。

「演技!?」

 私と礼美は同じくらい、目を丸くした。あんなに心配したのに、なんてこと!


 急いで、伊織が説明する。

「あの、礼美さん、ふみさん、本当にすみません。実は、僕がお願いしたんです。どうしても今夜、真相を突き止めたくて。犯人グループを捕まえるには、あの時実梨さんに協力してもらうしか方法がなかったんです。花火の途中で、斜め向こうのテラス席にいた浴衣のカップルが怪しいと気付いたんですが、確証が何もなかった。そこで僕が小皿を落とした時に、テーブルの下で実梨さんと真綿さんにお願いしました。真綿さんには警察を呼びに行ってもらい、実梨さんには一人で帰る演技をしてもらったんです。予想は当たりました。ただ、……まさか実梨さんが、ずっと無山に守られていたとは気付きませんでしたが」


 そうなのだ。

 私たちは今日、驚きの瞬間に何度も立ち会っていた。

 その中でも信じられないような出来事があった。あの最後の見せ場で登場した若者二人。彼らは、無山をカリスマとして活動している熱烈なファンだったのだ。

 無山の母親の信者とは、真逆の位置にいる無山の支持者。彼らもまた組織化され、無山の指揮のもと行動していた。

「あの人たちは無山に指示されて、実梨さんをずっと母親から守っていたのね」

 礼美がしんみりと言った。

 伊織も続けて言った。

「川から落ちて、水泳の上手なホームレスに助けてもらった島崎さんですが……。僕は、そのホームレスがあの彼らだったとしても全く驚かないですよ」 


 通りの店舗が終了時間となり、ぽつりぽつりと灯りを消していく。

 真綿の瞼も、今にも閉まりそうだ。

「伊織くん。なぜ、あの浴衣のカップルが怪しいと思ったの?」

 私の質問に、伊織が少し恥ずかしそうに答える。

「これと言った理由が、特にあるわけじゃないんです。何というか、……勘みたいな」

「でも、何かきっかけくらいはあるんじゃない?」

 伊織が首を傾げる。

「……そうですね。あ、彼らは携帯で写真を撮っていたんですが、なぜか花火じゃなくて、こちらを撮っていたり。あと、……浴衣がちょっと」

「ん? 浴衣が何?」

 伊織が私と礼美を見て、気まずそうな顔をした。


「あの、浴衣が、違うなって……」

「え、どういうこと?」

 とっくに謎解きモードから、通常の草食モードに切り替わっている伊織を問い詰める。

「はぁ。あの……浴衣が、違うなって」

「うん。それはわかったから。浴衣の何が違うの?」

「……あのカップルの浴衣は、時間が経っても同じだったんです。でも、ふみさんや特に礼美さんの浴衣は、時間が経つと段々……」


 このまま伊織に喋らせていても、らちがあかないので私が代弁する。

 伊織が言いたかったのは、カップルの浴衣の着崩れ方が私たちの浴衣とは違ったらしい。向こうは時間が経っても、和装のモデルさんみたいに綺麗なまま。こっちは、温泉旅館で目を覚ましたときの室内浴衣のような庶民的?な着崩れ方だったそうだ。(そこまで酷くないと思うけど!)

 もし、無山の母親が着付けたとしたら、あんな感じなのではと思ったらしい。

 だが、美容室で浴衣を着付けてもらう人だってたくさんいるのだから、そんなことぐらいで犯人を断定した伊織はやっぱり凄すぎる。

 私たちにはわからない、特別な名探偵の勘が存在するに違いない。


「ちょっと、伊織くん。そんなのひどい! 私だって実梨さんのために、必死で走ったの。走ったりしなかったら、もっと綺麗だったはずよ」

 今度は腕に絆創膏を貼られながら、礼美が今にも泣き出しそうな顔をして言った。

 みんな、わかってるよ。必死で頑張ったこと。

 礼美は、決定的な物証になるナイフを確保したんだもの。

 そうじゃなかったら、あのカップルを警察へ突き出すことなんて出来なかった。ひいては、無山の母親なんて到底逮捕出来ない。

 礼美の手柄でカップルは自供するだろう。身勝手な悪の根源に、忠誠を誓うなんて馬鹿げている。

 シリアルキラーが逮捕されるのは、もう時間の問題なのだ。


 伊織が礼美を見て、小声で優しく言った。

「今日の礼美さん、……世界で一番綺麗でした。僕、一生忘れません」

 礼美の頬が淡く染まる。その表情は、懐かしくてあどけない中学生の礼美だった。

 頑張り屋さんで、可憐な礼美の顔だった。

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