第2話 自殺予告サイト

「浴衣なんて、一年ぶり。上手に振る舞えるかしら」

「お着物はこの前、茶道のお稽古で着たじゃない。だから私たち、所作は大丈夫だと思うんだけど」

「それもそうね」


 ここは湘南、それも海側。

 コットンカフェのテラス席に腰かけ、ふたりは浴衣に合わせたペディキュアと下駄の相性でも見るかのように仲良く足を揺らす。

 ひとりめの浴衣は、白地に赤や薄紫の朝顔模様。ふたりめは、藤色に桜の花びらが舞っている。それぞれの個性に合った美しさを醸し出していた。


 会話のぬしは、私、花野はなのふみと、親友の星野礼美ほしのれいみである。

 着物の所作といっても、二人は先日、茶道の体験会に参加しただけのことだ。礼美がお稽古やレッスンの体験マニアであるため、私もたまに便乗していた。

 それにしても、つい先程まで浴衣の着付けに格闘、いや、ほぼ乱闘していたわりに、その変わり身の早さは我ながら見事だった。

『十五分で出来る! 浴衣のやさしい着付け方』という、いかにも初心者向け全頁オールカラーの本を手に礼美がやって来てから、ゆうに三時間は経っていたが。

 

 そろそろ、ここ湘南の眩しかった日差しが夕闇と交代する時刻。

 富士山が薄ぼんやりと見える西側は、鮮やかなオレンジと紫のグラデーションが夕空を染める。鳥たちは皆、寝床へ帰って行った。


「おー、二人とも馬子にも衣裳だねー。見違えるべ」

 やかましい。私は心の中で、おしとやかにつぶやく。

 彼はコットンカフェのオーナーであり、私のパートナー、西宮真綿にしみやまわたである。

 二十五歳と四十歳という歳の差カップルの私たちは、カフェの三階部分にある居住スペースで同棲中。湘南の海風に吹かれながら、ゆるくコットンカフェを切り盛りしていた。


 私はカフェの手伝いをしてるだけではなく、実は片隅のテーブルで『ふみの』という屋号を使用し姓名鑑定士としての顔を持つ。

 名前から、人生の流れや運命、トラブル、トラブル回避方法などを導き出すのだ。最近では口コミが広がり、メール鑑定だけでなく、少しずつ対面の予約も増えてきていた。対面鑑定は、おのずとカフェの利益にも繋がる。有り難いことである。


 そして、いつも一緒にぐだぐだと行動している彼女は星野礼美。学生時代からの親友だ。

 本人曰く、銀座の会員制高級クラブのトップクラスに位置するホステス。

 確かに化粧した礼美の美しさは素晴らしい。群を抜いている。

 髪をミルクティーブラウンに染めて夏仕様になった礼美は、磨き上げられた美肌とともに、さらに色っぽくななまめかしかった。

 だが何というか、まあ、礼美の沽券こけんに関わることなので控えめに言うが、あえて言うとすれば、そのう……私服が非常にダサい。

 普段しか知らない私からすれば、ちょっぴり残念な部類に入ると思う。うーん、私はそういうのも好きだけどね。


 で、その銀座で人生経験を磨いた礼美でさえ驚愕を覚えた人物が、何を隠そう、ペットを捜し出したら半人前、副業である犬の散歩代行で培った観察眼で、難事件を推理する名探偵。

 抜群の感性と洞察力で、カフェに居ながらにしてミラクルに謎を解く!

 天才ペット探偵、加納伊織かのういおりだ。

 二十三歳という若さ、爽やかで優し気なルックスと穏やかな性格をあわせもつ。

 普段は、どちらかと言えば消極的とも思える彼だが、一旦、謎解きを前にすると、あら不思議。いきなり瞳が輝き出し、いくつかの質問をするだけで瞬く間に解決まで導き出してしまう。

 カフェに一人は欲しい、頼れる我らのペット探偵なのだ。


 現在、午後六時半。そろそろ伊織も到着する時間だ。

 今晩は、茅ヶ崎の花火大会を鑑賞する約束になっていた。

 海へと続くこの通りにはお洒落な店舗が飛び石づたいで建ち並び、しかも昔ながらの古風な店ともうまく共存している。フレンチレストラン、コインパーキング、和菓子屋、ラーメン屋、美容院、パン屋、駐輪場、喫茶店……。

 駐輪場の斜め前がここ、コットンカフェ。

 本日は花火大会ということで、レストランやパン屋、喫茶店などはわざわざテラス席を用意してお客様を待っていた。

 もちろん私たちも、ビーチまでは行かない。とんでもない込み具合だと予想できる。そんな体力と気力は、誰も持ち合わせていなかった。

 湘南=スローライフ。

 のんびりと店先のテラスで、ボサノヴァでも聴きながら、アルコールや食事を楽しむに限る。

 真綿がキッチンから、ピザとレバーペーストのカナッペを手に現れた。ピザは湘南野菜が山盛り、私の大好物だ。


 真綿がグラスを手渡してくれた。茶色い前髪が、少し目にかかってきている。私の好きな長さ。そして片目を細め、眩しそうに私に笑いかけた。

 私を幸せにしてくれる、日焼けした男らしく逞しい両腕。あの腕に優しく包まれると、とろけそうな気持ちになる。

 その時、急になぜか、真綿の部屋にたいそう大事に掲げられている色紙を思い出した。

『ゆるくなければ、お前じゃない』

 ……何だろう一体、ハードボイルドの真逆を行くあの座右の銘は。

 強くなければ、男じゃないでしょ、普通。

 全く、もう。上手い具合にパクりやがって。

 勝手に思い出して、結局、勝手にイラッと来る私であった。


 太陽の亡霊がいつまでも名残惜しそうに消えずにいる。そんな夕日の向こうから、一人の若者と二匹の大型犬の姿が見えた。

 あれが、噂のペット探偵。

 その両隣でベージュの艶やかな長毛をゆっさゆっさと揺らし、リズミカルに闊歩しているのはゴールデンレトリバーだ。かなり大きめの健康優良犬に見える。

 中央にいる彼はトイプードルが先祖にいたと言われてもおかしくない、可愛らしい容姿。

 そして、ラフなサーフブランドのTシャツとハーフパンツにビーサンという湘南らしい服装。黒いサングラスをかけた伊織の表情は見抜けないが、両脇の二匹はすこぶる笑顔だった。


「いらっしゃい、伊織くん。今日はまた、大きい子連れて来たねー」

 真綿がグラスを掲げ、伊織を歓迎する。

「すみません。犬連れて来てもいいって言われたので。お言葉に甘えました」

「もちろん。大歓迎だよー 思ってたよりも大きいけどね」

 ブルーデニム地のエプロンをテラス席のイスへ掛け、真綿は二匹のワンコに駆け寄る。子供の頃、見捨てられた犬や猫を拾い育てた経験から、彼も動物に目がない。

「お利口だねー お水とクッキー持ってきてあげるよー」

 しゃがむ真綿に喉元をなでられ、ワンコたちは気持ちよさそうに目を細めた。真綿も似たような顔つきになっている。同類だな。

 彼も時々迷子の子犬のような顔をする。その度に放っておけない気持ちになった。

 そういえば、私と彼が出会ったばかりの頃、彼は私の瞳を見つめ…… ってか、そんな話はどうでもいい。


「伊織くん、それはそうと何か言うことない?」

 礼美がうさぎ柄の扇子をパタパタさせながら、藤色の浴衣の帯に手をやり、思わせぶりな顔をした。伊織はサングラスを外す。

「あ、すいません。えっと、礼美さん、なんかいつもと違います。いつもは、えっと、グレーのスウェットの上下に、あ、最近夏になって、上は白の無地のTシャ……」

「あー、もういいわ!」

 礼美が扇子で、伊織の話を遮った。

 伊織はわざとなのか、天然なのか、女心が死ぬほどわかっていなかった。

 いつもあれほどずば抜けた推理力を発揮しておきながら、何だろう、この不甲斐ない口ぶりは。


 クーン、クーンと毛深いお友達が、揃って急かし始めた。

「あ、ごめん。ロー、ミラ、こっちおいで」

 伊織と犬たちがベンチ席の方へと移動して行く。

 真綿が、犬用の特製クッキーと水の入った皿を持ってやって来た。お互い満面の笑みだ。

「君たち、美味しいものあげるよー。お名前は何て言うの?」

「あ、こっちの男の子がローマで、こっちの女の子がミラノです。友人の犬なんですが、しょっちゅう僕が面倒をみてて」

 犬たちはお利口にお座りをしている。伊織が手振りで紹介した。

 立ち位置が入れ替わったら、どっちがどっちだかわからないほどよく似ていた。

「イタリア人みたいな名前だねー よろしくね」

 まさかイタリア人が自国の首都を人の名前に付けるとは思えないが、そんなことはどうだっていいらしい。真綿はもう二匹のワンコにメロメロだった。

 真綿特製のクッキーを砕いて、少しずつ口元へ持っていく。

「ボーノかい? ボーノだね。やっぱり。よーし、よしよし」

 二匹のリードをベンチシートの脚にくくりつけ、伊織がグラスに入った氷入りコーラを美味しそうに飲んだ。


「ところで、今日はね。もう一人お客さんが来るの」

 私が、礼美と伊織を見ながら言う。真綿は了承済みだが、今日ギリギリまでは誰にも言うまいと話し合っていた。

「誰よ?」

 礼美がピザにのっかっている薄切りのズッキーニを、指でつまんで食べる。

「先月、姓名判断に来てくれたお客様。水河実梨みずかわみりさん。……覚えてる?」

「あー、私がビーチヨガに行ってた時の話ね。自殺……いや、殺人事件だったのよね。幼なじみの事件だっけ。伊織くんが謎解きしたんでしょ!」

 礼美が伊織を指差しながら言った。


 その通り。

 水河実梨は、友人の岩乃麻弥いわのまやの死体を発見した。麻弥の自宅に遊びに行った実梨が、すでに亡くなっていた麻弥とその幼い息子を見つけたのだ。

 不可思議な幾つかのヒントは、伊織によって解明された。そして、そのヒントにより、殺人鬼、無山恭也むやまきょうやという男をあぶり出した。

 無山恭也は以前犯した殺人の罪で、今も刑務所にいる。

 彼は刑務所に居ながら、操り人形を動かすように人を殺したのだ。たぶん、腹を抱え笑いながら。暇つぶしという目的で。

 結局、麻弥の死に事件性はなく、自殺と判断された。だが、私たちは知っている。すべては無山恭也が、意のままに操っていたことを。


「実梨さんが今日来るのは歓迎だけど。それは、私たちと花火を見るためだけ?」

 礼美がするどく聞いた。

 真綿も伊織もグラスを持ち寄り、テラス席へ着く。

 ローマとミラノは、ベンチ席の前で仲良くねんねしていた。

「実はね、この前、辻堂駅で実梨さんの後ろ姿を見たの。改札口あたりで。混み合ってたから近づけなくて、声は掛けらなかったんだけど。それで、その日の夕方、実梨さんに電話したらね、いきなり悲鳴をあげて……殺されるって」

「はあ? 一体、どういうこと!?」

 礼美は目をパチパチして、私を見つめた。


「わからない。でも、私が見かけたって言った途端、実梨さんすごく動揺してヤバかった。尋常じゃなかったの。殺されるって何度も口走って。だから、話を聞かせてほしいって、実梨さんについ言っちゃった。……それでみんなが集まる今日、来てもらうことにしたの」

 私は上目遣いで言った。このメンバーには通用しないと知りつつ。

「ふみちゃんはトラブルを引き寄せる才能がある子だからね。許してやって。まあ、詳しい内容は、本人に直接聞いた方がいいと思う」

 真綿があごをクィっと斜め横に向けた。あごの先には、先月より少し痩せた実梨が見えた。


 実梨の肩までの茶色いウェービィヘア、シンプルなジーンズのコーディネートは、先月会ったときとほとんど変わっていなかった。

 可愛らしさを強調する丸い小顔が痩せて、さらに小さくシャープになったように思える。笑顔はとうの昔に忘れてきたようだ。

「こんばんはー。実梨さん、待ってたよ。こっちこっち」

 真綿が陽気に手を振り、実梨を促す。実梨は見つめる私たちに、ぺこりとお辞儀をした。

「こんばんは。今日はお邪魔してしまって、すみません。私、先日ふみさんにお電話を頂いて、……その時に、実は取り乱してしまったんです。そうしたら、今日、相談にのって下さるって」

 実梨が目の周りを赤くし、少し泣きそうな声で言った。はかなげな女性を目の前にして、男性陣の心はすでに決まったようだった。


 その時、私が紹介する間もなく礼美が口を挟んだ。いつにも増して、態度が上からだ。

「私、ふみの友達で星野礼美って言うの。よろしくね。話はふみから聞いてます。私たちが相談にのるってことは、あなたとっても運がいいわ。花火が始まる前までには解決してあげるから、大船に乗った気で……えっ、何?」

 うさぎ柄の扇子で実梨を指しながら適当なことを言う礼美の口を封じようと、私と真綿が「まあ、まあ、まあ」と夫婦漫才のように割り込んだ。全く、礼美ったら、何を言い出すかと思えば、花火が始まる前までに解決だなんて。


「実梨さん。私たち、真面目にご相談にのります。だから心配しないで、全部お話してほしいの。伊織くんがこの前みたいに、謎を解いてくれるかもしれないし」

 私の言葉に少し心強く思ったのか、実梨はやっと微笑した。

「実梨さん、何飲む? 何でも言ってね。食べながら、話そう」

 冷たいウーロン茶とお礼の言葉を真綿に言うと、実梨は私たちに顔を向ける。そして、ゆっくりと話し始めた。


「最近、若い人の間で話題になっている『DG』っていうサイトをご存じですか。現れては消える幻のサイトって噂になってます」

 私たちは、皆、首をかしげた。唯一、礼美だけが、ん?という顔をしたが。

「でーじー? アルファベットか、それは?」

 そこからっ? ウーロン茶のグラスを実梨に手渡しながら、真綿がおじいちゃんのように聞く。

「はい。ディージーです。ご存じですか?」

 真綿が少し眉間にしわを寄せた。集中しているような、何にも考えていないような、結局何も思い付かないような。

 ハッと、真綿が顔を上げて私を見る。

 まさか、何か思い浮かんだのだろうか。

「あれだ。ディー、ジー。……堂本、ジョージ。新人の演歌歌手か?」

 ……。私に聞かないで! 私は頬がみるみる紅潮するのを感じながら、自分の彼の残念さを改めて認識させられた。

 お願い、もうずっと黙ってて。その時、私の心の声を知ってか知らずか、礼美が隣でつぶやいてくれた。

「もしかして、……ドッペルゲンガー?」

 実梨が礼美を見つめた。そして、頷いた。


「少し前にうちのお店でも話題になったの。誰が言い出したのかは、わからないけど。その『DG』っていうサイト、自殺予告のサイトなのよ」

「自殺予告!?」

「うん。確かに幻のサイトって言われてる。アップされたかと思えば、数十分で消えちゃうの。それを偶然見つけた人が口コミで広げてる感じ。そうよね?」

 礼美が実梨の顔を見た。

「はい、そうです。ドッペルゲンガー、通称DGです。自殺予告を公表するサイトなんです。常時、十数人がそのリストに名前を連ねてます。今までに何人も、そのリストの人物が自殺しているんです。私が調べた中だけで、半年の間に四名が亡くなっていました。そして、先日、……そのリストに、私の名前が書き込まれてたんです」


 誰も声を発することが出来なかった。実梨は細い肩を震わせる。

「あれは、自殺志願者が自分で登録するサイトじゃないの!?」

 沈黙を破ったのは、礼美だった。

「違います! 私は登録してないですし、死にたくなんてありません!」 

「勝手に誰かが登録したってことか」

 真綿が腕を組んだ。

「私、絶対に死にたくないです。リストの中の亡くなった人は、皆、自殺で処理されてました。警察も事件性がなければ、本気には動いてくれないと思います。……助けてください」

 実梨の頬を涙がつたう。それまで、微動だにしなかった伊織がゆっくりと体勢を変えた。


「その『DG』というサイトの中で、亡くなった人物の死亡状況を教えてもらえますか。実梨さんが知っている四名でいいので」

 伊織が声を発すると、ベンチ席の前でおとなしく眠っていた二匹の耳がぴくりと動いた。実梨は、自分のかごバッグの中から小さなメモ帳を取り出す。

「……はい。一人目は、紺野健市こんのけんいちという三十代の独身男性です。都内の自宅マンションの四階から飛び降り自殺をしました。特に遺書はなかったようです。詳しい内容まではわかりませんが、靴を脱いだりといった自殺めいたことはしていなかったそうです」

 皆、おとなしく話を聞いている。伊織は、合わせた両手を顔にあて、目をつぶり、黙っていた。


「二人目は、磯川彩奈いそかわあやな。茅ヶ崎にあるR女子高の生徒です。横浜駅のホームから飛び込み、電車に轢かれました。彼女も遺書などはありません。友達と別れ、一人になってすぐに飛び込んだそうです。友達が自殺をするような子じゃなかったと言ってたので事故かと思われたのですが、ホームにいた乗客が電車が着く瞬間、彼女が駆け出すのを見たと。そして、DGのリストに名前が載っていました」

 実梨はメモをめくった。

「三人目は、島崎宏平しまざきこうへい。川崎市在住の四十代後半の男性です。彼は橋から飛び降り、川へ落ちました。彼もリストに名前がありました。……ですが彼は、亡くなっていません」


「えっ」

 私たちは顔を見合った。

「どうして?」

 誰ともなく実梨に聞いたが、よくよく考えるとかなり失礼な質問だ。

「はい。彼は川へ落ちましたが、運良く橋のたもとに、そこを寝ぐらにしていたホームレスの男性がいたんです。しかも水泳の得意なホームレスだったみたいで、溺れた島崎宏平は助かりました」

「相当運のいい男だな。それで、彼は自殺したと言ってたの?」

 ビールを片手に、真綿が感心しながら聞く。

「そこなんです。島崎宏平は、自殺なんかしてないと言ってるんです。お酒を飲み、酔いを覚まそうと深夜、橋を歩いて渡っていたそうです。高さはありますが狭く短い橋なんです。一人で歩いていたら、急に車が突っ込んで来て、慌ててよけた拍子にバランスを崩し、橋から落ちてしまったらしいです」


「彼はと言ったんですね」

 伊織が自分に言い聞かせるようにそう言った。

「はい、そうです。でも、警察でそう言っても、信じてはもらえなかったようです」

 なぜだろう。本人が自殺じゃないと言ってるのだから、信じるも信じないもないだろうに。

「その橋へ向かう道路沿いにコンビニがあるのですが、防犯カメラにはその時間帯、車の行き来がなかったそうです。なので、警察は彼が嘘を言ってるんだと思い、自殺未遂で終わらせたみたいです」

「なるほど。面白いですね。わかりました。では、四人目の自殺者はどのような方でしょうか」

 伊織がそう言うと、実梨は唇を噛んだ。

「四人目は、……麻弥です。岩乃麻弥。リストに載っていました」


 私たちはまさに唖然とした。

「麻弥さんがリストに!? でも、あれは自殺だったけれど、厳密には自殺じゃなかった。無山恭也に操られていた殺人よ。そんなばかなことって」

 私は憤りを感じた。

 麻弥さんは自分が心の病に壊れていき、最愛の息子を自らの手で殺すかもしれないという恐怖に怯えていた。息子のるいくんを守るために、苦しんで苦しんで死を選んだのだ。しかも、無山に心を支配されて。

 そんな麻弥が、自分の自殺を予告するなんてありえない。


「私も何かの間違いかと思いました。麻弥はひと言もDGの話はしてなかったですし。たぶん、そんなサイトに自分の名前があるなんて知らなかったと思います」

 実梨は目を伏せた。今でも、麻弥の亡くなった姿を思い出すに違いない。 

「麻弥さんの名前がこのリストにあるということは、何かしら無山と関連性があると考えてもおかしくなさそうですね」

 伊織が実梨の顔を見る。めずらしく、いつもの優しげな伊織は影を潜め、厳しい表情をした。

「実梨さん、違いますか。それから話を聞いていると、理解出来ない箇所があるんです。……どうしてふみさんが駅で見かけたと電話をした時、そんなに取り乱したんでしょうか」


「それは、……DGの死の兆候が、私に表れたからです。DGのリストに載った人たちは、自分の影と呼ばれる自分にそっくりの人間を見るんです。ふみさんから電話をもらった時のように、人から私を見たと言われることもあります。私はあの日、駅には行っていなかった。ふみさんが私を見ることは絶対にないんです!」

 実梨が感情的に声を荒げた。そして、そのまま感情を吐き出すように泣き出した。子供っぽい、理性を無視した、精神的に追い詰められた人間のそれだった。


「実梨さん、大丈夫。落ち着いて。伊織くんはあなたを助けたくて、質問をしてるの。決して、意地悪で言ってるんじゃないの。伊織くんなら、きっとあなたを助けてあげられる。お願い、落ち着いて。そして、全部話して」

 私もある意味必死だった。私たちを頼ってきてくれた人を、こんな状態のまま帰すわけにはいかない。死と隣り合わせにいるのだ。それは、真綿も礼美も同じ気持ちだと思う。

 私たちは弱いもの、苦しんでいるものを放ってはおけない。


「DGのリストに載った自殺志願者と呼ばれる人たちは、死ぬ前に皆、同じ経緯を辿ります。必ず、自分にそっくりの影、いわゆる分身を見るんです。それは自分以外の人が目撃する場合も多いです。今回、ふみさんが私を見たと言った時、影を見られたと思いました。ホームレスに助けてもらった島崎さんも、第三者に分身を見られ、自分でも見ています。はっきりと自分の目で、自分を見たそうです。それでやけになってお酒を飲んだ帰り道、橋から落ちたんです」

 実梨はそう言うと、ひと呼吸置いて黙った。


「……島崎さんは、姿と言ったんですね」

 伊織が目を開けた。彼の瞳には、まだあの輝きは見えてこない。いつも華麗な謎解き段階に入ると、瞳がきらきらと輝き出し、ただならぬオーラに包まれる。

 私たちはそれを何度も見てきた。

 人差し指を天に掲げ、百獣の王ライオンが崖の上から遠くを見つめるようなまなざしで、謎を解いていく。彼の瞳は……、

「あ、ちょっと前をごめんねー」

 私の目の前を菜箸さいばしが、通り過ぎていった。礼美が、唐揚げをせっせと銘々の小皿に分けている。

「数が決まってるものはね、一応分けといたほうが。実梨さんなんて、遠慮してなかなか唐揚げは取らなさそうだしね。よーし、これでOK。ん? 何? ふみ、お礼なら別にいいわよ」

 礼美が唐揚げを頬張りながら、私を見た。いいえ、何でもないです。唐揚げをどうも。


「……実梨さん、無山恭也のことで、知ってることを教えてもらえませんか」

「えっ、あの、何を、ですか」

 実梨はなぜか動揺しているように言った。

「知ってることを何でも。容姿、性格や家族構成、趣味思考……、あと殺人で逮捕されたいきさつについてもお願いします」

 真剣な伊織をよそに、真綿が私の肩に腕を回し、その流れで腕時計を覗く。

 暑いし、筋肉質の腕は重かったが、それより真綿の小学生並みの集中力がきれて、欠伸でもしだす方がまずいと思った。

「今、七時十五分! 三十分から花火、はっじまーるよー」

 伊織はお酒が入り上機嫌になった真綿を無視したまま、実梨から目をそらさずにいた。実梨は覚悟を決めたように喋り始めた。


「無山くんとは、小学生のときに同じクラスになったのをきっかけに話すようになりました。彼はIQが高いということで、一目置かれる存在だったんです。私たちは当時、他の生徒とコミュニケーションが取れず孤立してました。それで、自然と仲良くなって一緒にいるようになったんです。私たち、家庭が複雑だったのも理由としてあります。無山くんは母一人子一人で、私の両親は離婚寸前でした。その後、岩乃麻弥が転校してきて、今度は三人で固まるようになりました。一年後、麻弥が引っ越してしまうまで」

 実梨は、一息ついた。その後、実梨と麻弥が再会するまで、十数年の月日を要することとなる。


「私と無山くんは、それから同じクラスになることは一度もありませんでした。高校も別でしたし。彼はご自宅で着付け教室をしているお母様と、ずっと湘南で暮らしてました。美人で魅力的なお母様だった。私たちは地元なので、偶然ばったり会うことが何度かあって。……そして高二の夏、付き合い出しました」


「はぁ!? 無山と付き合ったぁ」

「嘘でしょ!?」

 皆、それぞれ最大級の驚きを表わした。真綿は腰を浮かしてのセリフ。右手を見ると、菜箸でフライドポテトを食べていたようだ。全くもう!

「真綿。箸、箸」

「ん? おっと、わりぃ。いや、だけどさ、無山と付き合ってたって、驚きだよね。最低なやつだろ?」

 真綿の言葉に、実梨はハンカチをギュッと両手で握りしめた。


「無山くんは……、彼は、一緒にいると穏やかで優しい人なんです。私なんかと違ってすごく頭のいい人なので、自信家な面はあるかもしれませんが。彼のそばにいると危険はないんです。逆に守ってもらえる感覚があるくらい……」

「そんな訳はないよね。彼は実際、殺人を犯してる」

 真綿が冷たく言い放った。

 私でさえ、不自然なおかしさを感じた。実梨は、無山を正当化しようとしている。

 恋心は軽々と理性を超えるが、それとはまたちょっと違う。実梨の怯えた顔つきから、例えば、何と言うか、洗脳に近い感じさえした。

「では、もし彼を裏切ったら?」

 伊織が意地悪な質問をする。

 実梨の顔は途端に青ざめていった。

「べ、別に、それは彼じゃなくても、誰だって怒ると思います。でも……彼の元へ戻れば、彼は、……きっと許してくれると思います」


「実梨さん、何だかその関係、危険な香りがプンプンするわ」

 それまでお利口さんに話を聞いていた礼美が口を開いた。礼美は銀座で、男と女の恋愛事情をうんざりするほど見てきている。

 野心家な男、男性的で自信満々な男、子供っぽく甘え上手で責任感のない男は、共通して女好きする要素を持っている。どういう方面からかは違えども、女心をくすぐるタイプなのだ。

 それに合わせ、プライドが高いと、もっとややこしいことになる。

 自分が頂点で世界が回ってると勘違いするため、わがままで、思い通りにならないとキレやすい人格になるらしい。

 一緒にいても気持ちの休まることはないだろう。そして、それが日常化し、周りにいる人間は振り回され徐々に疲弊していく。感覚は次第に麻痺していき、気が付いた時には常識とは程遠い世界の住人になっているのだ。

 ……そのようなことを礼美は要約して言った。

「実梨さんあなた、まだ無山と関係続いてるでしょ?」


 答えは一目瞭然だった。ついでに一瞬、時も止まった。

「マジかぁ……。なんでそういうことになる?」

 真綿が文字通り頭を抱える。

「私、私、……わかりません。DGのサイトで自分の名前を見付けた時、気が動転して、どうしたらいいか分からなくなりました。頼れる人は誰もいなかった。でも、無山くんの側にいれば、もしかしたら助かるかもしれないと思ったんです。彼は人の生き死にまで左右出来るような、カリスマ性のある人です。……私、彼に手紙を書いてしまいました。そして、刑務所から返事がきました。彼は昔みたいに、優しかった。普段は決して威圧的な人ではないんです。私は彼と付き合うしか選択技はなかった」

 実梨は泣いていた。涙は後から後から溢れてきて、止まらなかった。


「よくわかりました。話してくれて、ありがとうございます。ですが、無山と付き合って、ハッピーエンドなわけがない。それをわかっているから、実梨さんは今日ここへ来たのでしょう? いくら優しげに思えても、彼は結局犯罪者です。実梨さんが添い遂げる相手ではありませんよ。無山の容姿と、あと逮捕内容についても教えてもらえますか」

 伊織が優しくも厳しい口調で言った。それは有無を言わせぬもので、不安定な実梨を安心させる効果があった。


「容姿……、背が高くて痩せ型。黒髪で耳にかかるくらいの長さです。以前は、……白いシャツを好んで着ていました。それから、黒ぶちの眼鏡をかけていることも多いです」

 空中に漂う記憶を追いかけるようにして、実梨は答えた。

「逮捕されたのは、四年前の冬でした。見ず知らずの男性をいきなり刺して殺したんです。あとでわかったんですが、殺された人は性犯罪の前科があって、それを繰り返している人でした」


 伊織は立ち上がり、おもむろに日の落ちた空を仰いだ。

 え、もう、謎解き!? 伊織はベンチ席へと歩き出す。あ、まだ謎解きタイムではないようだ。

 仲良く眠っていたローマとミラノの二匹は、伊織の気配に気付き目を開けた。彼はそばへ近寄りしゃがみ込むと、二匹を優しくなでる。

 突然、前触れもなくドンという爆音と、夜空を引きちぎるような音がした。

 まわりの店舗にいたテラス席の人々から歓声が上がる。通行人も立ち止まって、夜空を見上げた。

 頭上には満開の花火が幾つにも重なり、夜空をいろどり始めた。

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