二.虫
三
それから、数日が過ぎた。
その間、引っ越しのダンボールを紐といて、無造作に並べるという単純作業を繰り返していた。
こういった単純作業は良い。余計なことを考えずに済む。
僕は久々に外に出ることにした。出たかった訳ではない。並べる物と食べる物が無くなったからだ。いや、食べる物はまだあるにはあったが、漬物だけでは頼りない。
外の地面は昨夜の雨でぬかるんでいた。田のあぜ道と変わらない所を歩いて舗装道路に出る。舗装……と言っても、起伏とひび割れが激しく、お世辞にも整ったとは言い難いものだ。こんな状態になっても放っておくところに、この山村に対するお役所の情熱と真摯さがうかがえるというものだ。地方の伝統を壊さないためにも、新しい物は極力取り入れない……そんな頑ななこだわりも感じられる。
いっそのこと、増え続ける生活保護と年金を節約するためにこんな村は「遺跡」としてしまいたいのかもしれない。どうせ年寄りばかりの村で生産性はない。それなら、アルバイトでも雇って、サリンか炭素菌でもばら撒かせて壊滅させてしまった方が、世のため人のため税金のためだろう。そういったアルバイトの募集があれば、是非とも応募してみたいものだ。
行き先は地元の売店だった。昔からある地域密着型の店のようだが、特に良心的な価格ということもない。店番の老婆に聞いてみると、山奥だと運賃が高いとか何とか……どうにもはぐらかされた気もするが、「どうせ目の前に居る老婆はあと十年もしないうちに死んでしまうのだから」と自分を納得させて弁当と食材を少し買った。
帰り道、相続の時に老婆の知人であると名乗った老人と会った。彼はどうやらこの村のまとめ役らしく、それもあって越してきたばかりの僕の様子を見にきたらしかった。
僕が手にしている弁当を見ると「若いのだからもう少し良い物を食べないと……」と、顔をしかめたので「金も仕事もないから」と正直に答えておいた。
すると、少し困った顔をして「仕事の世話をする」とまで言い出した。
正直、これは余計な世話だと思った。こんな廃墟同然の山村で、まともな仕事などあるまい。それなら、ろくでもない遺産など処分して、さっさと街に出た方が良いというものだ。
そうは思ったが、僕は黙っていた。この老人はきっと田舎によく居る、世話好き妖怪の類なのだろう。それならば、下手に断って「たたり」に触れるよりは好きにさせておいた方が良いかもしれない。……そう考えている間に、老人は一人で納得して帰って行った。
帰りつくと早速弁当の蓋を開けた。
中にはこの家にあった物と同様に塩辛い漬物に、硬く冷たい白米。その上にやたら衣ばかりが大きく油っぽい天ぷらが乗せてあった。不味かった。
最近では山村謳歌しているテレビ番組をよく見かけるが、現実はこんなものだ。
周囲には大自然とは名ばかりの放置された植林が広がり、ご近所には暖かさとは無縁の面倒な村社会がはびこっている。
所詮、理想は理想なのだ。理想を味わいたいなら、捏造され美化されたリゾート地の方がよっぽど良い。
――さてと……。
弁当の容器をグシャグシャにしてゴミ箱に放り込むと、次にはもうすることが無かった。
おもむろに携帯電話を見るとメールが数件。発信者は同じ。……バイト先で知り合ったどうでもいい女だ。
内容は僕がバイトを辞めたこと。突然山奥の村に移り住むにことに決まったのを心配しているらしかった。
返信しようかとも思ったが、面倒だからやめた。残しておくのも目障りだからと消してしまった。
どうせ返信したところで、あざ笑われるのがオチだ。自ら嘲笑のネタを提供することもあるまい。
バイト先では、あの女は正社員のある男と付き合っているという噂だった。その男は、有名大学卒だというのが自慢で、理由を付けて僕をこき使っては失敗させて嘲笑の的とするのが上手な男だった。仕事は……というと、まあこれはどうしようもない程に「馬鹿」で、その代わりに努力するかというとそうでもなかった。まあ、正社員になったところで明日潰れるかもしれない弱小会社だ。有名大学卒にも関わらずそんな所にしか就職できなかったのだから、たかが知れているということかもしれない。
もっとも、そんなことは今となっては遠い過去の出来事のように思えた。
こんな時代から取り残された辺鄙な場所だ。街であった出来事など関係あるまい。
僕は横になった。
今気付いたが、家自体の出来はともかく、あの欄間の彫刻は悪くない。
特にあの穴は、首を吊る時にロープを掛けるのには丁度良さそうだった。
四
仕事が決まった。目まいと吐き気がするほど嬉しかった。
あの老人が突然やってきて、地元の店で働いてほしいと言ってきたのだ。その店は、最近よくある野菜や特産品の直売店で、ちょっとした村おこしに始めたらしかった。
店に行くと、中年男の店長に簡単な紹介があっただけで、面接も本人の意思確認もなく決まってしまった。
仕事は簡単なものだった。朝はわずかばかりの店の商品を並べ、夕に簡単な片付けをする。その間には、一応店番があったが、まず客が来ないのですることがなかった。
そもそも、こんな観光地からも主要道路からも外れた所に村の外からの客が来るはずもなく、地元の人間は野菜などを買うよりは自分で作るか近所から貰うかばかりなので、気が向いた時に地元の年寄りが冷やかしにくるだけだ。
一度だけ迷い込んだと思われるドライブ中のカップルが来たが、呆れるほど横柄な態度で道を尋ねると礼も言わずにさっさと行ってしまった。
そんなことが一週間ほど続き、「店」として機能しているかあまりに気になったので店長に尋ねてみたが、「地方の活性化」の事業の一環としているので売り上げはどうでも良いと言われた。
要するに僕は置物と同じなのだ。時給制で店屋のマスコット人形のバイトをしているのと同じだ。陶器のタヌキや招き猫となんら変わりはない。いや、あれの方がまだ愛嬌があるだけマシかもしれない。
しかし、あの老人はなぜこうまでして僕をここに留めたがるのだろうか? こんなしなびた村に、無意味な役割を与えてまで居続けさせる意味があるのだろうか?
――アアアアァオオオオ……。
不意に動物とも人とも分からぬうめき声が聞こえた。片付けをしていた僕は慌てて店番に出た。
老婆だった。老婆がふらふらとした足取りで何やらうめき続けている。
老婆は血走った眼で僕を捉えると、野生のイノシシを思わせる機敏さで掴みかかった。
痩せ細った枯木のような老婆だったが、とっさのことに対処しきれずにあっけなく押し倒された。
「……アンタあの家に居るんだろう? 虫をオクレ虫をオクレ虫をオクレ虫をオクレ虫をオクレ……虫をオクレ虫をオクレ虫をオクレ虫をオクレ虫をオクレ……虫ヲ虫ヲ虫ヲ虫ヲ虫ヲ……」
老婆は口から泡をふきだしながら、そう叫び続けた。老婆のよだれが顔に吹きかかる。それは不快というよりも恐怖を感じさせた。
――「ムシ」? ……「虫」?
僕は動けなかった。老婆をはねのけようと思えばできたのだろうが、状況に理解が追いついていなかった。
バサッ! ――アアッ!
ほうきの柄が老婆の脇腹に叩きつけられた。
はねのく老婆……見上げるとほうきを持った店長の姿があった。老婆は逃げていったが、店長は追おうとはしなかった。
あっけにとられている僕に言った。
「あの婆さんを許してやってくれ。婆さん、交通事故で息子夫婦と孫をいっぺんに亡くしてしまって……それで、ちょっとおかしくなっちまったんだ」
彼は心から同情しているように見えた。確か地元出身だと聞いていたので、おそらくはそれ以前には付き合いもあったのだろう。
それから僕に今日はもう帰るように勧め、戸締りは念入りにするようにときつく言った。
置物の仕事にもうんざりしていたので素直に従うことにしたが、「虫」という言葉が頭の片隅に引っ掛かっていた。
「やはり処分してしまうべきだったんだ……」
背後でぽつりとそう聞こえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます