△▼△▼黒箱△▼△▼

異端者

一.遺産


 遺産が、手に入った。


 いや、いきなりそう書くのは、正確ではない。

 詳しくは、遠縁の親戚が死んで、他に身内が居ないからその遺産が僕に転がり込んだのだ。

 ちなみに、僕はその老婆のことはあまりよく知らない。母の葬儀に来ていたことを覚えているだけだったので、死んだと聞いても何の感情も湧かなかった。

 ただ、遺産の相続――彼女の遺した家に住んでほしいと言われた時には、自分は運が良いと思った。

 僕には行く当てが無かった。母も父も早くに死んだ。姉も一応一人いたが、男と一緒に出ていったきり、帰ってこなかった。そんな訳で、細々とアルバイトで食いつないできたが、それも何だか面倒になって辞めてしまい、家賃をどうしようかと思案している最中だった。

 ……結局のところ、人間は頑張っても死んでしまう。それに、僕は他人の心配などする必要が無い。そう考えていると、安い金で真面目に働いていることが馬鹿らしくなったからだ。これでも履歴書に堂々と書けるだけの資格や学歴があれば違ったのかもしれないが、あいにく僕にはそんなものなかったので、ちょうど良かった。

 もっとも、気になることもあった。全ての遺産を相続するにあたっては、彼女の知人と名乗る老人から、奇妙な「条件」を付けられていた。

 その一つが、この家に住み続けるということだったが、条件はもう一つあった。それは、その家のある部屋を決して開けてはならないというものだった。その部屋には、さも「開けるな」と言わんばかりに板が釘で打ちつけられ、その上からお札が何枚も貼られていた。

 どうやら、この地方の山村の風習らしかったが、それ以上何も聞かなかった。年寄りの迷信じみた行為など、興味が無かったからだ。

 まあ、部屋は腐るほどあるから、四畳半一つぐらい使えない程度、気にすることもない。

 そう思いながら、僕はけば立った畳に腰を下ろし、茶をすすっていた。

 外では雨音が響いていた。雨樋が壊れているらしく、窓の脇の所にボタボタと水滴が滴っている。部屋の中は湿気と暑さでどんよりしていたが、この時期のクーラーのない家などそんなものだろう、と諦めていた。

 僕はごろりと横になった。

 起きたら、とりあえず、この家を一通り調べてみよう。前に老人の案内で見に来た時には、ざっと見ただけだったので、まだ台所の調味料の場所さえろくに覚えていない。……それに、これでも地元ではそこそこの家柄の旧家だったようだ。もしかしたら、思わぬ掘り出し物でもあるかもしれない。



 目覚めた気分は最悪だった。

 不快感極まりないけだるさと、汗でべったりとまとわりついたシャツ。これなら、居眠りなどしない方が楽だっただろう。

 そう思ってから、自嘲気味に笑った。――馬鹿らしい。どうでも良くなったはずだったのに、まだ不快感はあるのか。

 結局のところ、人間は欲望をそう簡単に捨てられないらしかった。自殺しようとした人間が特に理由もなく何度も思いとどまったり、自殺者の手首には致命傷以外に幾重ものためらい傷があったりするのは、よく聞く話だ。それを不思議とも思わずに受け入れてしまう周囲の人間も、同類なのだろう。

 僕は投げやりに押入のふすまを開けた。……ガラクタ。乱暴に閉める。そして次に開けるべき場所を探す。

 どうせ自分の家だ。少しぐらい乱暴にしても構わないだろう。

 次の部屋も、ガラクタばかりだった。古いばかりで、到底価値があるとも思えない物ばかりだ。薄汚れた衣類、黄ばんだプラスチックの扇風機、表面の模様が剥げて縁が欠けた器。「掘り出し物」は実はそれ程期待していた訳ではないが、日用品にしても質の良いとは言い難い物ばかり……。

 せめて古い着物でも出てくれば高く売れないかとも思ったが、まずそれはなさそうだった。老婆の生活は相当質素だったらしく、金銭的価値のある物は皆無のようだ。

 大きな段ボールが部屋の隅にあったので開けてみると、健康食品と買い溜めしたと思われる缶詰――それも幾つかは賞味期限が切れている物が入っているだけだった。

 更に次の部屋へ……。途中の廊下の床がギシギシと歩くたびに沈む。床も壁も天井も全てが老朽化してきているらしく、この家は売りに出しても値が付かないことは安易に予想できた。たとえ家は潰して土地だけ売るとしても、こんな辺鄙な土地で買い手が付くかどうか、付いたとしても安く買いたたかれるだろうし、家の解体費用との差し引きでは利益が出るのかどうかさえ怪しいものだ。

 次の部屋は、漬物の容器が幾つも置かれている、食糧庫のような部屋だった。安そうなプラスチックの容器を幾つか開けてみたが、いずれも漬物だった。菜の漬け物を少しちぎって口に入れてみたが、塩がきつい。辛い。どうやら、近年の塩分控えめな「嗜好品」としての漬物というよりも、本来の目的である「保存食」として作られた漬物のようだった。もっとも、これは今まで出てきた中で一番まともなものかもしれない。種類も多いし、後は米とお茶さえあれば数日はこれだけでいけるだろう。

 それにしても、贅沢な部屋の使い方だ。漬物にまるまる一部屋……都会では考えられない使い道だ。しかし、不思議と見た目は贅沢には見えない。

 その後、他の部屋も漁ってみたが、ろくな物が無いというのがこの家に対しての結論に達した。

 あの部屋の開けてみたいとは思ったが、わざわざ釘抜きで板をはがすのも面倒だったので、諦めた。

 しかし、こうして自分で散策してみると、案内された時よりも、あの部屋やこの家に対して「異質さ」を改めて感じた。

 この家は明らかに間取りがおかしかった。平屋であの部屋だけが家の中央に位置していて窓が無い、それを取り囲むように廊下、最外周には幾つもの小部屋。まるで、あの部屋だけを外部から遠ざけるためだけに存在する家。まるで何かを護っている、あるいは閉じ込めているかのような印象を受ける。

 ――護る? 閉じ込める? ……何を?

 分からなかった。ただ一つ言えることは……

 ――騙された。

 そうだ。僕は騙された。

 遺産に価値のある物など一つとしてなかった。残してあった銀行預金は、引っ越しと滞納していた前の住居の家賃を払ったらそれで尽きた。

 とりあえずと移り住んだこのボロ家も、結局のところ早まったとしか言いようがなかった――かと言って、出ていって新しい所に住むような金銭的余裕もない。

 つまり、僕は騙されたと知りつつ、相手の都合に従って、このボロ家に住み続けるしかないのだ。

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