横文字のかっこよさ

エグザイルが苦手だ。


しかしテレビや街中で見かけない日はなく、コンサートも連日満員のようでとても人気があるのだろう。

これは好きにならないともったいない。


と思ってなにが人気の要因か考えてみたら、やっぱり見た目がいいんだろうな。

あと、人数の多さ。人数が多いと、選ぶ方も選択肢が増えるもんね。


AKBやジャニーズのファン達は各々で好きなアイドルの担当を決めるというが、エグザイルのファンの人たちも担当があるんだろうか。

というよりも、エグザイルのくくりはアイドルでいいんだろうか。


ま、いいか。


で、エグザイルのメンバーを見てみたんだけれど、なにがなにかよくわからない。

みんな黒くて同じような服着てて、モロゾフのファンシーチョコレートセットを眺めている気持ちになってきた。別にどれでも一緒じゃん。

なんて事をいったらエグザイルのファンにもモロゾフのファンにも怒られてしまうんだろうが、そう見えてしまうし、そう感じてしまうのだから仕方がない。

たしかに皆さん整った顔をしていて、スタイルもいい。ダンスも歌もさぞうまいんだろう。けれど、なんだか見分けがつかない。

僕は目も舌も悪いんだ。


みたいなことを考えていると、逆に他の人の目から僕がどう見えているのかが気になってきて、奥さんに意見を伺う。


「んー、とりあえずメガネが壊れてる」


彼女の中での僕のイメージは「メガネが壊れている」だった。

これはすなわち、僕よりも壊れたメガネの方が存在感があるということだ。


壊れたメガネより存在感がない。

これは由々しき問題であり、エグザイルがどうだこうだと言ってる場合じゃないのかもしれない。

エグザイルはあれだけたくさんの人間の集まりであっても、それぞれにファンがついている。すなわち各々にそれだけの存在感があるということだ。

彼らのなかに、壊れたメガネより存在感のない人間はいない。

僕とエグザイルのメンバーを比較するような馬鹿な真似はできないが、せめて壊れたメガネよりは存在感が欲しい。


なぜそんな存在感がだせるのか、ウィキペディアになにかヒントがないか調べてみる。


あった。

彼らは、名前がローマ字だ。

ローマ字にすると、だいたいのものはかっこ良く見える。


「はんぺん」と書くと、居酒屋のおでんのメニューくらいにしか感じないが、

「HANPEN」になると、これはもういかりスーパーにおかれててもおかしくないくらいの高級食材感がでているし、こんな名前のハイテクボールペンがあるのか、という錯覚にも陥る。


「ねえ、これ知ってる?『HAN-PEN』ていって、丸善で今一番人気のあるボールペンなんだけど」

「へー、かっこいいね。どこのやつ?イタリア製?」


みたいな。


「おもてなし」もそうだ。

ふつうにおもてなしと言ったところで、おかんがわたわたと家の掃除と店屋物の手配の電話をしているイメージしか思い浮かばないが、

「O・MO・TE・NA・SHI」と書けばそれはもう滝川クリステルだ。斜め45度の奇跡だ。

ひらがなをローマ字にするだけで、東京にオリンピックを呼び込めるのだ。


というわけで、僕も今日から自分の名前をローマ字にしようと思う。

ローマ字にして壊れたメガネ以上の存在感を得た上で、好きになる努力をしようと思う。

と表札をローマ字に書き換えようとしたところで、エグザイル見分けがつかない問題が解決していないことに気がついた。


しかし。


別に見分けがつかなくても好きになる事はできる。

メインクーンとノルウェージャンの見分けがつかないけれども猫は好きだし、メイクイーンとキタアカリの見分けがつかなくてもジャガイモが好きだ。


だからエグザイルを好きになるのに、区別がつかなくてもいい。

好きな理由さえちゃんとあれば、ファンになれる。


で、エグザイルの魅力がなんなのかをインターネットで調べてみると、

「実は努力家」「礼儀正しい」「ファミリー感が強い」「ダンスパフォーマンスが半端ない」

といった言葉が出てくる。


礼儀正しさや努力家、というのは好感がもてる最たるもので、僕もそれを聞いて嫌いになる理由がない。


それ以上に大切なことが、最後の二つだ。

ファミリー感とパフォーマンスの凄さ。


ファミリー感が強いのはグループの一体感があるからだろう。

亀田親子をみれば分かる。家族であるが故に、顔も性格も見分けがつかない。


それが魅力なのだから、見分けがつかなくて当然なのだ。

これは、単に見分けがつかないようにするイメージ戦略をとっていることに他ならない


ここまで一体感にこだわるが故に、ダンスパフォーマンスに統率感がうまれるのだ。

統率感とは、すなわち個の消滅である。

軍隊を見ればよくわかる。個ではなく、隊が重要なのだ。


一体感と統率感。

これはまさに、簡単に見分けがつかない事を裏付けてくれる事実である。


僕は確信を得た。

やはりメンバーを見分けられなくてもファンになれる。


ファンが一体感を好きだと言っているのだ。

これは裏を返すと、ファンの人たちも見分けがついていないに違いない。


見分けがつかないにもかかわらず、これだけ沢山の人がファンであるエグザイル。

その細やかなイメージ戦略には脱帽せざるをえない。


例えメガネを直しても、メンバーの見分けはつかないだろう。

それでもいい。

僕は、エグザイルそのもののファンになったのだから。















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