第6話

「愛宕」

「はい」


 私立蒼空学園一年一組担任教師、香椎翠二八歳(独身・恋人募集中)は、もう一人の日直である愛宕霞の名を呼んだ。

 それに応えた霞はと言うと、特になんの感慨もなく、ただ単に名を呼ばれたから返事をしただけ、という反応を見せた。


「何が有ったかわかるか?」

「何が有ったかはわかりますが……」

「ふん?」

「何故騒ぎになったのかはわかりません」

「ほう。それはまた異な事を」


 騒ぎの原因を知っているにも関わらず、何故騒ぎになったかわからないなどとは。

 そう思った香椎は、愛宕に対して詳しく話すように告げた。


「では、その『何か』というのを言ってみ。それが何故騒ぎにつながったかどうかは別にして、ね」

「……はい」


 霞は、ほんの少しの逡巡のあと、先ほどの出来事を朗々と語り始めた。


「――そして、隼……中島君と私とが、二人の関係を告げたところ、いきなりクラスの殆どの人達が騒ぎ出して押し寄せてきたのです」

「……うん、愛宕。お前とそのもう一人の関係を色々と聞きに来た者が居て、その当事者の――なんだ、中島、は、お前か。とで説明をした、と」

「はい。私と彼の間柄を告げただけなのですが」


 耳障りの良いソプラノで語る内容に耳を傾けていた女教師・香椎は、その内容を吟味しつつ、そのクラス全部に波及するほどの影響を与えた原因を理解した。


「あー、お前ら。美男美女がくっついてたのが発覚した点については色々思うところはあるだろうが、そういうのは授業の妨げにならんようにやれ。あ、もう座っていいぞ」


 そう言って、立たせたままだった川西にも着席を促した香椎は、残り少なくなった朝礼の時間で出欠をとるだけとった後、こう告げるだけ告げた。


「重ねて言うが、各教科の先生に迷惑かけるんじゃないぞ!日直!」

「起立、礼、着席」

「あーまったくもう。今日は特に連絡事項無くてよかったわ。じゃあな」


 そう言って教室を後にしたのだった。


 ☆


 香椎翠は自分が担任を受け持つ教室を出て、一時間目の授業を行う教室へと向かおうとして、ため息を吐いた。

 受け持ちのクラスが朝から大騒ぎを起こしていたのを見て、すわ学級崩壊の波がこの学園にまで!?しかも私が担任のクラスとか勘弁して!と思いながら教室に駆け込んだは良いが、いざ話を聞いてみると何の事はない。ただの色恋沙汰に盛り上がっていただけであった。

 最近の若いもんは、などとは言うつもりはないし男女交際についても行き過ぎない限りは咎めるつもりも無ければ、そんな拘束力を持つ校則などもない。

 自分が同年代だった頃を思い、懐かしくさえ思うくらいだ。

 彼女は小さなころから教師になるのを夢見て中高大学とその為に頑張ってきた才女であるが、男っ気が無かったわけではない。

 少々目つきがきつめではあるが、美人と言える顔つきであるし、スタイルも自分でも悪くはないと思っているし事実出るところは出て引っ込むべきところは引っ込んでいる。

 実際に、高校から大学にかけてお付き合いしていた元カレも存在していたし、教員となってからも忙しい合間を縫ってコンパにも参加したりもして連絡先を聞かれることもしばしばであった。

 高校時代からの元彼は、飛行機の距離ほどに離れた別の大学に通う事になったため、当初は遠恋を楽しんでいたのだが、次第に連絡も途切れがちになり、大学二年目の冬にお互いが地元に戻った際、お互いどちらから言うともなく別れる事となった。

 教員となるために結構な忙しさだったこともあって、以降の学生生活はきちんとしたおつきあいを始めることはなく、その後就職してからこっち、それなりに出会いはあったがだがしかし、これはという男性に巡り合うことはなかった。

 そうこうしているうちにアラサーと呼ばれる年齢層になるに至って、そういったお誘いに参加することも激減した。してしまった。

 今年の誕生日が来れば三十路にリーチがかかってしまう、ある意味ぎりぎりのお年頃である。


「……蒼空学園に入ってるってこたぁ、実家もそれなりに裕福ってことだよなぁ。おまけに頭はよくて顔もいい、結構な男前も捕まえて、順風満帆じゃねえか。しかも男の方、アレ入試成績順位一桁じゃねえか。勝ち組か!正直羨ましい!くっそ、テロ組織が学園ジャックとか起こさねえかなぁ」


 物騒なことをぶつぶつと呟きながら、授業を受け持つ教室を通り過ぎて慌てて戻る香椎翠二八歳(独身・恋人募集中)であった。


 ☆


 香椎教諭が教室を後にした直後から、それは静かに再開された。


「ねえねえ愛宕さん。それで彼氏とのことなんだけどさー」

「あの、愛宕さん。ファンデ何使ってるの?」

「あっそれ私も聞きたーい」

「そんなことより彼氏との経緯でしょ。今後の参考に是非!」


 霞は再び周囲を同級生女子らに囲まれて、女子談義が再開されたのだが。

 隼の方はと言うと。


「な、中島君。部活はどこかもう決めたか?」

「あっこらてめえ。抜け駆けすんな」

「お前んとここそ弱小部は引っ込んでろ」

「憎しみで人が殺せたらッ!」

「ノンケを食う……それも一興か」

「俺らは帰宅部のつもりだよ!ってんなことで口論すんな!お前は気軽に殺すとか言うな!あとお前!同性同士でも同意がなかったら強姦罪は無理でも強制わいせつ罪は適用されるんだからな!あと切れて血が出たら傷害もおまけだ!ていうか何なんだよお前!」


 同じ部活に隼を入れれば、自分たちの試合の応援に霞が来る!といきり立った者や、本気ではないだろうが殺意に目覚めた者、本気かもしれないノンケを食う事に目覚めた者など、色々とお断りしたい状況に陥りそうな奴らが集っていたのであった。


「ほら!チャイムなったから!いい加減にしてくれ!」

「よかろう、今は引き下がる!だが覚えておけ!俺は再び貴様の前に現れる!」

「いやお前、俺の前の席だよな。ていうかなんでそんなに偉そうなんだ」

「趣味だ」

「あ、そう」


 そうして一時間目の授業が始まるギリギリまで、それは続けられたのであった。


 ☆


「おねえちゃんおかいりなさーい」

「おきゃーりなさーい」

「あら、今日はこっちなのね。只今、ふたりとも」

「お兄ちゃんにはお帰りなさいのお声がけはなしですかそうですか」


 一日の授業をを終え、周囲の追随を振り切ってさっさと帰宅をした二人を出迎えたのは、彼らの幼い妹と弟であった。


「あらあら。武蔵ちゃん、はやてちゃん。お兄ちゃんにもお帰りなさいしましょうね?」

「おーかーえーりー」

「なーさーいー」


 靴を脱いで三和土から上がった霞は、しゃがみこんで幼い二人をまとめて抱きしめて「ただいま帰りました」と告げると、振り返って隼にもお出迎えしてあげなさいと二人に言うと、にへらと笑みを浮かべて見下ろす隼に向かって気のない挨拶を送るのだった。


「コンのガキどもはあからさまに態度変えよってからに」

「仕方ないわ。この位の歳だと好き嫌いがはっきりしているものだし」

「それって俺より霞のが好かれてますよって言うことだよな。自慢か?自慢なのか?」

「まあそれも当然という話よ。私の手作り豆大福は二人の大好物ですし」

「俺も大好物です」

「また今度作って持って来てあげますからね」

「わーい、かすみおねえちゃんすきー」

「わーい、おねえちゃーん」

「わーい霞お姉ちゃーん」

「正直キモいのでやめてくれない?」


 両手に花の霞は、小さな二人にお菓子を作る約束をし、妹たちの口調を真似る隼に対し、ダメ出しをしたのであった。


 ☆


「第三十五回、勧誘失敗対策会議を始める」

「案外多いよね、生徒会入り断られたの」

「そりゃまあ割と時間取られるし」

「会長顔はいいけど性格がおかしいし」


 二人が自宅で和気あいあいとしている頃、生徒会室では何やら臨時会議が行われていた。


「昨日行った勧誘失敗原因追求会議で出された内容を元に、今後の生徒会メンバーを選抜するにあたって様々な考察を行いたいと思う」

「下手に演出とか凝るから余計に逃げられるんじゃないかな、たぶん」

「圧迫面接でもしようと思ったんでしょ。圧迫面接でやり返したとかのまとめサイト読んで面白そうだとかなんとか言ってたし」

「うちの生徒会長が某掲示板脳だった件について」

「政治に関してもその傾向が強いっぽいからなぁ、会長」

「ネトウヨか」

「本人曰く、ちゃんと情報の裏は取ってる! らしいよ?」

「まあ私に被害が来ないなら別にかまわないんだけど」

「だいたいはあの娘が被害担当艦だからねぇ」


 会議の開始を宣言した会長をよそに、雑談を始める生徒会メンバー。

 徐々に額に青筋が浮かんでくる会長をその横で諌めようとしている女子生徒は、先日霞を呼び出しに来たその人であった。


「……まあいい。それで、今後の勧誘に関して何か意見のあるものは」

「一ヶ月から二ヶ月は観察にとどめてそれから勧誘してけばいいんじゃないでしょーか」

「そうですよ、実際候補になったからって、役員になるのは翌年の新年度からなんだし。焦って集めたって実はこんな奴でした!なんてことになるのが落ちですよ」

「ぐぬぬ」

「ま、まあまあ。会長は逸材を見つけたからには早めに手元に置きたいと考えてるんでしょうし」

「そう言って去年逸材取り逃がしましたよね」

「ああ、彼女なぁ」

「あれは惜しいことをした」

「ああ、穴吹智美さんな」


 穴吹智美、彼女は隼と霞にとって優しいお姉さんである。

 柔らかいふんわりとした雰囲気を持つ彼女は、そばにいるととても落ち着くともっぱらの評判で、それでいて勉強もでき現在お付き合いしているという彼氏には、毎日お昼にお弁当を持参するという料理の腕を持つ家庭的な一面も持っているという。


「彼女に対しての勧誘も、当時副会長だった現会長が行ったわけですが」

「その時の敗因をどうぞ」

「俺は悪くぬぇ!向こうが告白だと勘違いして話途中でお断りされただけだ!」

「下手に格好つけて『あなたが欲しい』なんて言うからですよ」

「ぐぬう。こっ今回はその時の反省も含めて事前に呼び出しを行ったではないか」

「その時の光景を、現場で実際に声をかけた会計の方にお話を聞いてみました」

「あう……申し訳ございません」

「そもそもの呼び出しが駄目だったのかよ!何した会計!」

「わっ私だってあんな態度取るつもりじゃなかったのよ!うわーん!」


 生徒会の闇(笑)は深そうである。

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