第4話

「おつかれ」

「あら、居たの」


 霞が生徒会室を辞して、さて帰ろうかと靴を履き替えに下足場へと向かうと、そこには見慣れた顔が少々汗にまみれて突っ立っていた。


「てっきり先に帰ったと思ってたわ」

「いやぁ、一回帰ったんだけどさ」

「ああ、おば様に言われて私を迎えに来たと。ダッシュで」

「よくおわかりで」


 自分の下駄箱に向かいながら額の汗をハンカチで拭ってやり、霞は笑みを浮かべて隼の言う帰宅時の事を想像していた。

 さぞかし隼の母に厭味ったらしく言われたのかしら、いやいや単にいつも以上に優しいほほ笑みを浮かべて自身の不在を問いただしただけかもしれない、などと想像を逞しくしていると、隼が彼女に向かって手を差し出してきた。


「何? おやつは持ってきてないわよ?」

「鞄に飴玉を常備してるのは大阪のおばちゃんだけで十分だ。じゃなくて、荷物持ってやろうかって」

「まさかのフェミ行動!?」

「いや、俺は一回帰ってるからさ」

「なるほど、じゃあお言葉に甘えようかしら」


 手ぶらだと強調するように手を振る隼にそう言って鞄を手渡すと、霞はポケットから小さな鍵を取り出した。

 下駄箱の鍵である。

 この学校の下駄箱は色々と過去に何やら有ったのかして、チープながらも全てが鍵付きのミニロッカーであった。


「うわ……」

「まさかのラブレターin下駄箱。初めて見た」


 鍵を開けて靴を取り出そうとしてみれば、靴箱の中には何通もの封筒が収まっていた。

 どうやら扉の隙間から差し込んだらしい。


「漫画かアニメでしか見たことないぞこんなの。マジでやる奴いるとは……」

「ちょっと待って隼。これは本当にラブレター、なのかしら」

「ん?シチュ的にそうだと思ったけど、違うのか?」

「果たし状とか」

「どこの武侠だ」

「じゃあ校舎裏へ呼び出されて複数の男子生徒に襲われたりして」

「校舎裏って……ここの校舎、裏って言っても人目につくし」

「それじゃあ体育倉庫とか!」

「襲われる前提か」


 校舎の裏は狭い敷地ではあるが、その敷地と外部とを隔てるのは、よくあるコンクリートブロックの塀ではなく、意匠の凝った金属のフェンスであり、物理的な侵入は防げるが目隠し的な意味では用をなさない。

 それ故、校舎裏であっても外部からは丸見えで悪巧みなどを行うには不適であった。

 なお体育倉庫は体育教師が詰めている体育館併設の教員室横にあり、下手な事など出来なくなっている。


「ふむ、色々考えられてるわけね」

「まあ、事故の起こりそうな所は予め明るく照らしとくって奴だな」


 実際に意図してそういう形になったのはどうかは不明だが、事実そういった事柄が起こり辛い状況であるのはそこで勉学に励む立場である自分たちにとっては喜ばしいことだろう。


「さてさてソレはソレとして」

「どうするんだ?」

「こういうのはポイしちゃいたいところなんだけど」

「捨てるのか」

「だって、差出人の書いてない手紙なんて受け取らないのが基本的対処でしょう?」

「まあ確かに」


 履き替えた靴を床にコンコンと軽く叩きつけるようにしながら、霞は上履きを靴箱に放り込む代わりに手紙を取り出してそう言った。


「それに、個人的に告白というのは面と向かって言ってもらうのが一番好みですもの」

「お、おう」


 少々照れくさそうにそう言う霞に、隼は流石にドギマギとした表情で短く返事を返すのみであった。


「んで、どーするよソレ」

「んー、隼ならどうする?」

「ん?とりあえず中身読んでから」

「読んでから?」

「お断りの返事を書く」

「あー」


 意外と真面目だった幼馴染に、霞はうなずきを返すが、自分はソレはしたくないと告げる。


「なして」

「保存されたら嫌だし」

「あー」


 これまでに何ら関わりあいの無かった人物の手に、自分が書いた文が渡ると言うのは確かに嫌かもしれないな、と納得する隼。

 それじゃあどうするか、と考えるが霞は手にした手紙をそのままに、歩みを進めはじめた。


「持って帰るのか?」

「正直、この場で火をつけて燃やしちゃうのが一番後腐れなくていいかもしれないんだけれど、ライターなんて持ち合わせてないですし」

「まあな」

「下手に捨てて誰かに見られて逆恨みとかありそうだし」

「誰かが面白半分に掲示板に貼ったりしたら死ねるな」

「そもそも貰ったこと自体初めてなのに、対処法なんて知らないわ」

「俺だって知らん。出したこともないしな」


 お互い、その手の経験は皆無であった。

 小学生時代はともかく、中学生の頃ならば、見た目の良い二人であればそういった経験の一つや二つありそうなものだが、残念ながらそんな機会が訪れたことはなかった。

 その原因は、二人が毎日登下校を共にし、昼食を一緒にとり、他者を寄せ付けないような二人だけの空間を常時作り上げていたせいである。

 その、如何にも二人の間に割り込む隙間は存在しません、という状況は、圧倒的敗北感を周囲の者たちに撒き散らしながらこれまで続けられてきたのであった。


「取り敢えず、これは持ち帰ってシュレッダーにでもかけるとして」

「廃棄するのは確定なのな」

「実際、直接声もかけてこない人に時間を費やすくらいなら、新刊読んでるほうが有意義だし」

「まあなあ。俺だってもしラブレター貰えたとしても、何時何時にどこそこで待ってます、ずっと待ってますからっ!とか言われたりしたら、正直困る。と言うか相手のスケジュールガン無視する時点でアウトだわ」


 用事があるから行けないのに待ってると言われたりしても正直困る。

 連絡先も知らない場合、お断りするには直接行かねばならないわけで、しかしながら行けないから断れないし、断れないからもしかしたら本当にずっと待っているかもしれない、などと堂々巡りの負の思考に陥ってしまうかもしれない。

 夜遅くに「もしかしてまだ待ってたりしたらどうしよう」などと考えて深夜の道を学校まで見に行って、そのせいで不幸が襲い掛かる、などというのは物語的にはありそうだよな、などと考える隼。考えすぎかもしれないが。

 貰った方は結構考え込むというのに、送った側はそのあたり、どう考えているのだろうか。


「それにね。そもそも、口をきいたこともない人に告白とかどうなのよって話だし。気に入ったのは見てくれだけって事?ってその時点でアウトよ」

「だな」


 何だかんだと言いつつ校門をくぐった二人は、少々日が陰ってきた道をいつもの如く無駄話をしながら帰宅していったのである。


 ☆


 霞と隼の卒業した中学校からは、当然二人と同じく蒼空学園へと入学した者も存在する。

 しかしながら、私立高校故にその数はそう多くない。

 殆どの者は近隣に存在する公立高校へと入学するからだ。

 故に今回のような事案が発生したと言えるかもしれない。


「なあ、新入生にすっげー綺麗な娘居たよな」

「ああ、見た見た。モデルとかやってそうな娘だった」

「新入生代表の挨拶したって奴だろ?頭も良くて見た目も良いってことだよなぁ」

「あんな子もそのうち誰かとおつきあいすんのか、クソッなんて時代だ」

「時代は関係ねーだろ」


 これまでの小中学校であれば、全ての生徒児童が持ち上がりでそう言った情報の共有が自然と行われていた。

 だが高校になり、しかも私立と言うことで、これまでのコミュニティーは全て一新されてしまう。

 すなわち、彼らを取り巻く環境が、ガラリと変わってしまったと言うことである。


「罰ゲームな。お前ラブレター出してこいや」

「え」

「わかってるよな?」

「……は、い」


 こういった、イジメに関わる可能性や。


「お前新入生挨拶のあの娘と同じ中学だって?彼氏とかいんの?知らね?」

「ん?いっつも一緒にいた男はいるけど、幼馴染だって話だし、付き合ってるって話は聞いたことないなぁ」

「っしゃ、メアド知らね?」

「そこまで付き合いなかったし。だいたい女の子のメアドなんて入ってねえよ!(血涙)」

「わ、わりい。他の奴に聞いてみるわ」


 などと言う、別の被害が発生したりもしていた。


「一応読むのか」

「開けてみて、記名してあったらね。書いてなかったら読まないわよ」


 隼の部屋に当然のごとく上がり込んだ霞は、勝手知ったるとばかりに彼の机の引き出しを開き、ペーパーナイフを取り出したかと思うと、シュパッと開封、ざっと目を通しては元のように折り畳み、封筒に差し戻していった。

 それを幾度か繰り返し全てを開封し終えた霞は、ため息を一つ吐くと全てを一纏めにして手にし。

 全力でそれらを床に叩きつけたのである。


「どした」

「いえ、他人様に自分の願望というか幻想を押し付ける輩がこれほどむかつくとはと再認識してそれで被った精神的ストレスを発散しようとしただけよ」

「ああなるほど」


 別に、親や知人友人から期待されたりする分にはその限りではないが、二人にとって見ず知らずの人にそういった言葉を投げかけられる事例は少なからずあり、本来の自分とはかけ離れたイメージを持たれては勝手に幻滅され、さらにそのことで文句まで言われるなど、二人にとっては「知らんがな」と言いたくなるのも当然といえば当然であった。

 腹も立とうというものである。


「美辞麗句が並べてあるのはまだしも、それが私にかかる形容詞だなんて怖気がするわ」

「褒め殺しか」

「そっちの方がまだましね。ああ寒気がするわ虫唾が走るわ鳥肌が立つわ」

「んで、差出人がわかる奴あったのか?」

「一通もなかった」

「さよけ」


 そうして床に叩きつけられた封筒は、そのまま彼の父の書斎にあるシュレッダーへと放り込まれる結果となったのだった。


 ☆


「霞ちゃん、お夕飯食べてくでしょう?」

「はい、いただきます」


 シュレッダーに封筒ごと便箋を放り込んだ後、部屋に戻って本を読み始めた二人の元に、隼の母が声をかけてきたのである。

 もはや恒例となっているそれは、すでにただの確認事項となっており、買い出しの時点から霞の分も含まれているのであるが。


「家の方はいいのか?」

「最近じゃ、私の分は下ごしらえの状態でそのまま冷蔵庫よ。また明日のお弁当のおかずになるでしょうね」

「毎日ありがたいこってす」


 最早二人の両親にとっては、彼らが将来くっつくのは既定路線のようで、多少の金銭的負担など持ちつ持たれつで良い意味で曖昧になっていた。


「今日私が隼の家で夕飯を摂る、しかし明日の昼はうちの食材が隼の胃袋に入る」

「持ちつ持たれつだな」

「そして私はおば様に良い顔ができる」

「ずるくね?」

「きちんと労力という対価は支払ってますのよ?」

「ぐぬぬ」


 そんなこんなで二人は夜遅くまで夫婦漫才を続けるのであった。

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