第3話

 古典的にナプキンで包まれた弁当箱を膝の上で解くと、現れたのはこれまた古典的なアルマイトの弁当箱。

 これぞドカ弁という感じの、実用一辺倒な弁当箱の蓋を喜々として開く隼。

 それを微笑ましく見つめながら、かすみも同様に膝の上で弁当を広げる。

 こちらはこぢんまりとしたサイズの曲げわっぱと呼ばれる、更に古風な弁当箱であった。


「うん、美味そうだ。かすみが全部作ったのか?」

「まさか。私が作ったのは厚焼き玉子と、ピーマンとソーセージの炒め物くらいよ。ほら、さっさと食べなさい」


 市販品では最大級なのではと思える大きさの弁当箱を手に喉を鳴らす隼に、かすみは気恥ずかしいのか、さっさと食事を始めろとばかりに自身の弁当に手を付けた。

 隼のお弁当のご飯部分にはと海苔が重ねて乗せられ、いわゆる「のり弁当」となっている。

 そのご飯部分が弁当の三分の二を締め、空いたスペースにこれでもかという感じでおかずが詰め込まれていた。

 件の厚焼き玉子とピーマンとソーセージの炒め物は、その中央部にドンと配置され、その存在感をアピールするかのようであった。


「うん、いい塩加減だなぁ。ご飯が進むぜ」

「そ、良かったわね」


 塩コショウの効いたソーセージとピーマンを口に含み、白いご飯を海苔ごとかき込む隼。実に幸せそうな顔で咀嚼する彼を、ニコリともせずに横目で見つめるだけのかすみであったが、若干口元が緩んでいるのを、見るものが見れば理解できたであろう。

 二人が昼食をとっているのは校舎から少し離れた裏庭のような場所で、植樹された樹々が日差しを遮ってくれる外壁沿いの芝生の上だ。

 結構人気のスポットになりそうなのだが、4月上旬とはいえやはりまだ肌寒いせいか、お昼休みの今は幾人かが思い思いの場所を陣取って弁当を広げている程度で、賑やかと言うには程遠い空間であった。

 お陰さまで、二人はごくごく静かに食事を摂ることができていたのである。

 やわらかな日差しを受けつつ、のんびりと二人で箸を進めていると、校舎から一組の男女が姿を表し、隼達に駆け寄りながら二人の名を呼んだのだった。


「あ、居た居た。おーい隼」

「隼くーん、かすみちゃーん」


 その声に視線を上げた二人に、大きく手を振りながら近づいてくる女子生徒と、苦笑いの男子生徒。

 女子の方は少々小柄で、男子の方は頭二つは大きく見えるガッシリとした体格であった。


「ん?智ねーちゃんに良次郎にーちゃん?」

「あら、本当」


 箸の手を止め、小走りで駆けて来る二人を待ち受ける。

 この二人は彼らの数少ない友人たちで、同時に各々の両親らが結婚以前からの友人という間柄だ。

 上坊良次郎と穴吹智美は、二年生。年齢が1つ違うだけのペアは、親同士の交流がそのまま友人関係と移行していったわけである。


「こんにちはー、隼くん、かすみちゃん」

「正月ぶりか、元気そうだな」

「ええ、お二人ともおかわり無さそうで」

「毎度」


 直ぐ側まで駆けて来た二人は、息を切らすこともなく芝生に腰を下ろしている二人に改めて声をかけると、向かい合うような位置に並んで座り、二人と同様に弁当箱を取り出し始めた。


「お前らも水臭いよなぁ、ここに入るんだって聞いてたから、てっきり顔見せに位来てくれるんもんだとばっかり」

「いやいや、入学早々上級生の教室に足運ぶって、なんですかその苦行。と言うか、そもそも何組か知りませんし」


 ブツクサと二人に対して文句を言いはじめた良次郎であったが、即座に隼から反論されてしまった。


「そうよねー。クラス分け、発表されたの今朝だもの。教えられなきゃわからないわよねー。はい、良次郎くん。おべんと」

「おっ、さんきゅー。いや、別に教室に来る来ないじゃなくて、だな」


 手にしたトートバッグから、先程の隼に渡された弁当箱と同サイズの物が渡された。それを自然に受け取りながら、彼は更に言い募ろうとしたのであるが。


「うふふ、良次郎くんはお兄さんしたかったんですよね」

「な、ちょ、おいそこは黙っててくれよ」


 微笑みながら彼の意図をバラしてしまう智美に、慌てて口をふさごうとする良次郎であった。


「にーちゃんお小遣いくれ」

「お兄さま、最近手元不如意ですの。幾ばくか御用達して戴けませんこと?」

「……揃いもそろって金の無心とか、相変わらずいいコンビだなお前ら」


 和気藹々とそんな馬鹿話をしながら、四人はゆったりとした時間を過ごすのであった。


 ☆


「生徒会からの呼び出し?ああ、そういやそういうのもあるんだよな。俺には縁のない話だけど」

「良次郎くん、飲み込んでから喋りなさいよ、お行儀悪い」

「……すまん」


 もぎゅもぎゅと、嚥下し終えてから謝る良次郎に、笑みを浮かべて頷く智美をみて、二人は(なるほど、餌付け完了済みか)と失礼なことを考えていたりした。


「聞いたわよ?主席入学ですものね、そりゃあ生徒会からも声がかかるわけよ。流石はかすみちゃんね」


 おっとりとした口調でかすみを褒め称える智美であるが、そこには一切の負の感情が見受けられない。

 寧ろ「うちの妹分が凄い!嬉しい!」という、高揚感しか感じられなかった。

 他人の負の感情に晒されることに慣れてはいても良い気分ではない二人にとって、智美のこういった性根がたまらなく有難かった。


「お二人にはそういったお話は?」

「無いね。あっても断るけど。部活忙しいし」

「無いわねぇ。成績優秀な人にしか声かからないから」

「そうなんですか」

「そうなのよ」


 そうは言うが、二人がそれなりの成績であることは付き合いのある両親達から伝えられている。

 実際、智美の方は常に学年上位10位以内、良次郎の方は平均よりはちょっとマシ程度とは言え、その分部活では好成績を上げていた。

って学年10位以内でも声がかからないのかと、意外に高いハードルに内心驚く二人であったり。


「じゃあこのお馬鹿にも声がかかっても不思議じゃないのにね」

「成績優秀なのは認めてるくせに俺の代名詞にお馬鹿とか酷くね?」

「勉強できる馬鹿はよく居るでしょう?」

「ああ、そりゃまあ確かに」


 テストの成績などは良くても、普段の言動やら何やらが壊滅的な輩はどこにでもいるものである。


「ああ、俺も馬鹿でいいから成績優秀な人間になりてぇ」

「うふふ、良次郎くんはそのままでいてね?」

「ん?そうか?ならいいか」

「ごちそうさまです」

「ごちそうさまでした」


 隼とかすみの二人が、食事も終わっていないのに食後の礼をしたのも仕方がないことであろう。


 ☆


「ただいま」

「おかえりなさい。あら、霞ちゃんは?」


 一人帰宅した隼に、母が首を傾げて息子の相方の所在を尋ねた。


「ん?ああ、生徒会に呼び出されてまだ学校」

「あらまあ、入学早々何か有ったの?」


 いつもなら二人揃って学校から帰り、霞は自宅に戻る前にまず隼の部屋で予習復習宿題を済ませてしまうのだが、その日々のルーチンが崩れているのを訝しんだ母であった。


「生徒会に参加しないかって、スカウトされたみたい」

「あらあら、まあまあ。で、なんであんたは帰ってきてるの?」

「なんでって……」


 ニッコリ笑う母の笑顔の中に、ちらりと怒りの般若の面が覗いたように、隼は思えた。


「え、そりゃ用がなきゃ帰る……わかりました。只今からお迎えに行ってまいります」

「……よろしい。ほれ、ダッシュ!」

「行ってきます!」


 子供じゃないのだから一人で登下校など別に、と思って先に帰宅した隼であったが。

 母はそれを許さなかった。

 猫可愛がりしているお隣の娘さん、というのもあるが、純粋に霞の身の安全と、二人の仲を心配しているのである。


「まったく男の子は。気が利かないわねぇ……」


 走ってゆく息子の背中を見送りながら、玄関に放り出していった鞄を拾い上げ、家事の続きに向かう母であった。


 ☆


「失礼します」


 生徒会室と書かれた扉をノックして、扉の向こうからの応答待ってゆっくりと扉を開き、入室する。

 伏せた視線を上げると、生徒会の役員であろう数人の上級生と、一人の教師が室内で整然と席についていた。


(……面接会場か何かかしら)


 窓側の長テーブルにずらりと並ぶ生徒会役員と思しき面子。

 先日の入学式にも見た顔ぶれが並んでいたが、誰が何の役職なのかは霞は記憶していなかった。

 なお、昼休みに呼びに来た上級生は見当たらなかった。


「かけてください」


 椅子を指し示し、着席を促す相手に、霞は逆らわずに面接マナー入門の作法通りの着席を行った。


(左側から1.2.3っと)


 悪食と言えるレベルで書物を読み漁ることが趣味の霞にとって、○○入門のたぐいは基本であった。

 着席の足運びすら完璧である。


「愛宕霞さんですね。」

「はい」


 向かい合う位置に並ぶ上級生の中心、おそらくは生徒会長であろうイケメン男子が霞の名を呼んだ。


「率直に言いましょう。貴方に次期生徒会役員候補として、生徒会に参加していただきたい」

「お断りさせていただきます」

「これは名誉なことですよ?通常ならば1~2ヶ月の猶予期間を経て学校での生活を拝見してから声がかかるのが……なんだって?」


 即座にお断りした霞に対して、入学早々生徒会に誘われる事の異例さを語りだした男子生徒は、青天の霹靂にでもあったかのごとく顔をこわばらせた。

 霞的には(反応が遅いひとだわー。ノリツッコミ的な何かかしら)程度の芸人扱いであったが。


「あの、愛宕さん?」

「はい?何でしょう」


 脇に控えていた教師と思しき女性。

 おそらくは生徒会顧問なのだろうが、その女性が見かねてか霞に声をかけてきたのである。


「生徒会に勧誘されている意味は理解できてるのかしら?」

「はい?ええ、次期生徒会役員と見込んだ生徒を候補として育てる為の見習い期間ですよね?」


 大体合ってる。


「少し違うかなー。新一年生を、特に優秀な新入生を生徒会に参加させるのはね」


 苦笑交じりの表情で霞に苦言を弄してくる女性は、生徒会に参加することの意義と、その優位性を滔々と説き始めた。


「という訳で、貴方の為にもなるのよ」


 要するに、成績優秀眉目秀麗な生徒をピックアップして学校の顔的な役割を背負わせて対外的なアピールをさせるとともに来年の更なる新入生獲得を目論んでいるのだが、内申に色を付けて差し上げるので無償で奉仕しろと(霞視点)言うことらしい。


「わかりました」

「ええ、そうでしょうそうでしょう」

「改めて、キッパリとお断りさせていただきます」


 そう言って、霞は椅子から立ち上がり、面接マナー入門通りの礼をして生徒会室から退室したのであった。

 唖然としている生徒会関係者を一瞥もせずに。

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