第450話 深夜の救出作戦②
黒いもやを抜けた先は、薄暗い通路の一角だった。
見回すと、鉄格子のついた牢屋が通路の両脇に並んでいるのが見えた。
あの中のどれかにシルバとアンドレアが捕らえられているのだろう。
早速さがそう、と足を踏み出そうとしたシュリの後ろで、新たな人物が黒もやの中から現れる。
「ここは……城の地下牢か。まさか本当にこうも簡単にここまで来れるとは」
驚愕の声をあげるローヴォの方を振り向いて、唇の前に指を立てる。
静かに、というその合図に、ローヴォはすぐに口をつぐんだ。
そんな彼の後ろからオーギュストの姿も現れ、シュリは周囲の気配に聞き耳をたてる。
今回、隠密行動なのでシュリの猫耳は発動したままだ。
その方が、牢屋番の兵士の動きを察知しやすい、そう考えての仕様だ。
しばらく音を聞いたが、牢屋番がこちらの音を察知した様子は無かった。
シュリは頷き、牢の中を確認しようと身振りで後ろの2人に指示を出す。
通路は3方向に別れており、それぞれ別の通路へと向かった。
シュリが担当した通路は、空いている牢が多かった。
空っぽの牢を覗きながら歩き、通路の終わりが近付いてきて、
(ローヴォかオーギュストの方にいるのかな?)
そう思いながらのぞき込んだ牢に、見覚えのある銀色の髪を見つけたシュリは、目を見開いて牢の鉄格子を両手で掴んだ。
「シルバ!!」
彼は力なく横たわったまま、眠っているようだった。
呼吸にあわせて動く胸を確認して、シュリは思わずほっと安堵の息をはきだした。
(よく、眠ってるみたいだ。でもシルバがここにいるってことは、アンドレアも近くにいるよね? きっと)
そう思い、無事なシルバを起こすのは後回しに、シュリは隣の牢をのぞき込み、その動きを止めた。
その人は力つきたようにうつ伏せのまま目を閉じていた。
むき出しの背中の皮膚は裂けて血がにじんでいる。
そのあまりの痛々しさに、シュリはあわてて念話でオーギュストを呼んだ。
「呼んだか? シュリ」
「オーギュスト、この中に連れてって」
「任せろ」
即座に現れたオーギュストは、シュリの言葉に頷くと、すぐさま黒モヤを出現させた。
シュリはためらうことなくその中へ飛び込み、通り抜けるとそこはもう牢の中。
うつ伏せのアンドレアに駆け寄り、シュリは用意しておいた己の血を混ぜた回復薬をその背中に惜しむことなくふりかけた。
みるみるうちにふさがっていく傷口にほっとしつつも、特に深くえぐれていたらしい傷がわずかに残るのを見て眉根を寄せる。
そしてためらうことなく残った傷に顔を寄せた。
舌先に血の味を感じながら懸命になめると、徐々に血の味は薄れ、傷口に薄皮が張ってくるのが舌先に伝わり。
そのことにほっとしつつ更になめていると、シュリの体の下でアンドレアが身じろぎをした。
「んぅ? シルバ??」
寝ぼけているのか、己の背中にいるシュリを息子と勘違いしているらしい。
「母を想うお前の気持ちはありがたいが、母の背中はいま傷だらけなんだ。そんな風になめたら痛い……いや、痛くないな??」
心底不思議そうにそう言って、アンドレアはむくりと起きあがった。
それを事前に察知したシュリは、彼女の背中からぴょいと降り、身を起こしたアンドレアと目をあわせて微笑んだ。
「やあ、アンドレア。久しぶりだね。迎えに来たよ?」
「お前は……シュリ、か? いや、だが、猫耳が生えてるぞ?? これは、夢なのか??」
「夢じゃないよ。この猫耳は僕のスキルの副産物。でも、詳しくつっこまないでくれると嬉しいな。リューシュから話を聞いて助けに来たんだよ」
若干混乱しているアンドレアを落ち着かせるように微笑みかける。
アンドレアは、
「そうか。リューシュはちゃんとお前の元へ行けたんだな」
ほっとしたように呟き、シュリが本物か吟味するようにじぃっと見つめながら、手を伸ばしてシュリの猫耳に触れ、しっぽに触れた。
「スキルの副産物というわりにはいい出来だ。見た目も手触りも、本物にしか思えない。すごいものだな」
感心したようにそう言いながら、存在を確かめるようにシュリの頭に触れ、頬に触れる。
「夢じゃ、ないんだな」
「夢じゃないよ」
「眠る前まで、私の背中はえらいことになっていたはずなんだが」
「眠る前まで、っていうか、ついさっきまでね。僕の特製の回復薬で治したけど」
「アレを一瞬で治してしまう回復薬か。すごいな。流通の予定は?」
「ないよ。アレは、量産するタイプのモノじゃないんだ」
「そうか。それは残念だ。是非とも我が国でも仕入れたかったんだがな。……リューシュは無事なのか? 元気で、いるか?」
「うん。無事だし元気だよ。連れてくるのは危険だから、僕の家にいてもらってるけど」
「そうか。良かった」
心の底からほっとしたようにこぼし、アンドレアは目を優しく細めた。
そんなアンドレアを見上げてにっこり微笑み、
「じゃあ、そろそろシルバも起こそうか。でもその前に……」
シュリはどこからともなくアンドレアの着替え一式を取り出した。
出発前に、囚人服のままで連れ出すわけにはいかない、とローヴォから持たされたものだ。
「着替えた方がいいね。いくらお母さんといっても、色々出しっぱなしの女性はシルバに刺激が強すぎるだろうし」
そう言いながら着替えを手渡すと、そこでようやく自分の状態に気づいたようにアンドレアは己の体を見下ろした。
「そう言えば、背中が痛すぎて服を着てられなかったんだったな。確かにこれはシルバの目には毒かもしれんな。我が息子ながらウブでいかん。もう少し女慣れしたほうがいいとは思うんだが。だが、シュリ……」
「ん?」
「お前はお前で動揺しなさすぎではないか?」
「ん~? そう言われてもなぁ。僕の周りは女の人が多いから、一緒にお風呂に入ることも多かったし」
「見慣れていると?」
「まあ、簡単に言っちゃえば」
「そう言うところはまだ年相応なのだな。見慣れていようとなんだろうと、大人の男となれば、雌の裸には鼻息が荒くなるものだが。それとも、私の胸はそんなに魅力がないのか?」
「そんなことないよ! すてきなおっぱいだよ!!」
「そうか?」
「うん!!」
「そうか……。なら、さわってみるか?」
「うん!! ……じゃない! なに言ってるの!?」
「ん? いや、どうせならシルバが起きる前に、助けてくれた礼にいいことでも、と思ったんだが。こう見えて、私は上手いぞ?」
「ふぅん、そうなんだ……じゃなくてぇぇ!! そんなことしてる場合じゃないでしょ!? こんな時にこんな場所で!!」
「ふむ? こんな時にこんな場所じゃなければいいんだな? 分かった。では落ち着いたら改めて時と場所をもうけよう」
「ん?? えっと……え??」
「よし、じゃあ着替えるぞ。シュリはシルバを起こしてさっさと着替えさせてくれ。こんな辛気くさい場所からは早く脱出するぞ」
「え? あ、うん」
「ローヴォもいるのか?」
「うん。一緒にここに来てるよ」
「こちらに控えております、陛下」
シュリが答えるのと、牢の外から彼の声が聞こえるのはほぼ同時だった。
声のする方へ目を向ければ、牢屋の外でこちらに背を向けて立つ豹頭の人物が見えた。
「中に入って着替えを手伝え。まったく、もっと簡易な服を用意すればいいだろうに、略式とはいえ正装をこんなところに持ち込むとはな」
「我が女王陛下を部屋着のような服で連れ回す訳にはいきませんからね」
「まったく、相変わらずああ言えばこう言う奴だな。まあいい。とにかく今は着替えだ。こういう服は1人で着るようには出来ていないんだ。だからお前が責任を持って侍女の代わりをしろ」
「しかし、男の私が女王陛下の肌を見るのは……」
「お互い、今更欲情するような間柄でもあるまい。いいから早く来い」
「……」
アンドレアの命令に、ローヴォは非常に不本意そうな雰囲気でのっそりと、オーギュストが設置しておいた黒モヤをくぐり抜けてきた。
そんな彼の様子に笑いをかみ殺しつつ、
「じゃあ、僕はシルバの方へ行ってくる。アンドレアもローヴォも、準備が出来たらこっちに来てね」
そう言い置いて、オーギュストに合図すると、新たな黒モヤをくぐって隣の牢へと向かった。
◆◇◆
夢を、見ていた。
謀反など起きていない、平和な獣王国の。
シルバはシュリを獣王国へ招いて案内している。
リューシュを己の婚約者だとシュリに紹介して、はにかむリューシュの顔が最高に可愛いな、とにやける口元を隠しきれずにシュリにからかわれる。
途中、女王業務を放り出して乱入してきた母にシュリをかっさらわれ、母の手から友人を救うために走り出す。
リューシュの手を離さぬよう、しっかりと握って。
楽しくて幸せな気持ちを噛みしめながら、でも、とシルバは思う。
でも、これは夢だ、と。
今、自分は牢に閉じこめられ、隣の牢では1日中責めさいなまれた母が疲れ果てて眠っている。
シルバは母の強さを信じていたが、それでも1日1日と日が過ぎて行くにつれ、母の声から少しずつ力が失われていく事を感じていた。
それだけ、与えられる責め苦が激しいのだろう。
それでも口を割らない母はすごいと思った。
自分はどれだけ耐えられるだろう。
母を責めても無駄と悟った時、反逆者達が次に目を付けるのはシルバだ。
母はどれだけ折れずにいられるだろう。
息子の傷つく様子を見せつけられて。
折れないで欲しい、と思った。
気高く、正しいと信じた道を曲げない母を心から尊敬し愛していたから。
「……きて」
母が折れないことで、己の何が失われたとしても、耐えてみせる。
己は母の息子なのだから。
「……きて、シルバ」
たとえ命が失われても、2度とリューシュに会えないとしても。
耐え抜いた母を、責めたりしない。
「もうっ……いい加減に起きてってば!!」
ぺちん、っと頭に衝撃が走る。
ちっとも痛くないけど、その声には聞き覚えがあった。
少しずつ、意識が浮上する。
シルバはゆっくりと、目を開けた。
目の前にあったのは、愛らしさと美しさが見事に融合した、もう2度と会えないかもしれないと思った友人の顔。
リューシュを逃がす口実に助けを呼んできて欲しいと送り出しはしたが、まさか本当に助けに来るとは思っていなかったその友人の顔を、シルバは信じられない気持ちで見つめた。
「シュリ?」
夢かもしれない、と思いつつ、友人の名前を呼ぶ。
まったく寝起きが悪いんだから、と唇を尖らせた後、
「助けに来たよ、シルバ」
ちっさいくせに頼りになるシルバの友人は、にっこり可愛く微笑んだ。
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