第421話 天使の舞い降りるとき⑥

 「あ~。これはどういう事、だろう」


 「さ、さあ」



 シュリのおいた竜玉の煙を頼りに、現場と思しき建物の前に到着したレセルファンは、隣にたつエルミナと共にあんぐりと口を開けた。

 貴族の別荘と思しきその建物の出入り口から、次から次へと縛り上げられた男達が吐き出され、屋敷の外には彼らの屍(いや、死んではいないようだが)が山になっている。

 アレでは今は死んでいなくとも、1番下に追いやられた者から儚くなりかねない。

 そう判断したレセルファンは、とりあえず彼らの回収を優先する事にした。



 「どういう事になっているのかよく分からないが、あそこに転がっている者達が敵勢力ということには違いないだろう。皆はまずあの山を片づけろ。俺とエルミナは中へ突入する」



 もっと護衛を、との声があがったが、レセルファンはそれを一蹴し、エルミナと共に建物の入り口へと向かった。

 その途中、最後に放り出された2人がすぐ側に転がり出てきたのを見て、レセルファンは目を見張る。

 1人は面相が分からないほど顔が腫れ上がっていて誰かは分からないが、もう1人の白目をむいた男にはしっかりと見覚えがあった。


 スヴァル公爵家のジグゼルド。

 次期公爵である彼は、オリアルドとはいとこ関係ということもあり、誰の目から見ても明らかなオリアルド派だった。

 その彼がここにいる、ということはやはりスヴァル公爵家も黒幕の一部であったということだろう。

 まあ、分かり切っていた事ではあるが。


 身分の高さから考えても、計画の中心に近い人物であることは確かだ。

 万が一にも逃げられないようにしっかりと見張っておくべきだろう。

 そう判断したレセルファンは、意識不明の悪党の山を切り崩している兵士に声をかけ、足下の2人を厳重に拘束するように命じた。

 直立不動でその命に応じた兵士達が駆け寄ってくるのを待たずに、レセルファンはエルミナを促して歩みを再開する。

 そして慎重に扉を開け、様子をうかがいつつ中へ踏み込んだ。


 中は、悪党が根城にしているとは思えないほど静かだった。

 ぴすー、ぴすー、と何かの寝息のような音が聞こえ、そちらを見たレセルファンは目を丸くする。

 そこには、気持ちよさそうに寝る大きな狼型の獣がいた。



 「殿下、あれはポチです。シュリの眷属なので問題ありません」


 「シュリの。なら大丈夫だな」


 「ここにポチがいるなら、シュリの護衛もいるはず、ですが……あっ!!」



 レセルファンにポチの説明をした後、周囲を見回したエルミナは小さく声をあげ、慌てた様子で駆けだした。

 彼女の向かった先には、床に座り込んだ女性の姿があって、エルミナは床に膝をついて女性の顔を心配そうにのぞき込んだ。



 「ちょっと、大丈夫? 怪我でもしたの?」



 親しげなその口調に、エルミナとその女性は知り合いらしいと判断するレセルファン。



 「何とか言いなさいよ!! 大丈夫なの? 大丈夫じゃないの!?」



 うつむく女性の肩をつかんでがっくんがっくん揺さぶるエルミナ。

 それを見たレセルファンは慌ててエルミナの肩に手を置いた。



 「エルミナ。もし怪我をしていたり頭を打っていたりするなら、そんなに激しく動かさない方がいい」


 「あ、そうか。そうですね。ありがとうございます、殿下。我を忘れてうっかりしてました」


 「いや。しかし、君がそんなに慌てるとは、よほど大切な人なんだね」


 「ええ。幼なじみなんです。ずっと離れていたけど、久しぶりに再会した……」


 「君の幼なじみ……ということは、彼女も帝国の人間なのか?」


 「えっ!? いえ、あの、その!! 幼なじみ、というのは言葉のあやでしてぇっ!! なんというか、古い知り合いというかっ」



 ついうっかりジェスが帝国出身という秘密に繋がる言葉をこぼしてしまったエルミナは、慌ててどうにか誤魔化そうとする。

 シュリがここにいたなら、レセルファンにならバレても大丈夫、と言ってくれただろうが、そのシュリはここにはいない。

 誤魔化されてくれそうにないレセルファンに、エルミナが困った顔で冷や汗を流していると、



 「……エルミナ?」



 彼女の窮地を救うべく、という訳ではないだろうが、ジェスがようやくその意識を現実へと向けた。



 「ジェス!! ようやく私の声に反応してくれたわね。怪我は? 治療が必要なの?」



 顔を輝かせたエルミナがぎゅうっとジェスを抱きしめて、彼女の両頬に手を添わせ、心配そうにその顔をのぞき込んだ。



 「いや、怪我は、してない。してないが……」



 幼なじみの心配の言葉に答え、ジェスは悔しそうに唇を噛んだ。



 「しかし、シュリから貰った大事な仮面が粉々に……っっ」



 こみ上げる悔しさをこらえきれずに、床に伏してだんだんっと床を拳で叩く。

 その様子に、どうやら本当に怪我はなさそうだとエルミナはほっとし、レセルファンはその傍らに片膝を落としてジェスの肩にそっと手を置いた。



 「悔しい気持ちは分かる。だが、今はその気持ちを抑えて俺にシュリがどこにいるか教えてくれないかな?」


 「シュリは2階へ……そうだ、シュリ!! シュリの助けにいかねば!!」


 「落ち着いて。シュリの手助けには俺が。貴女はここで少し体を休めた方がいい」


 「しかし……」


 「エルミナを護衛に置いていこう。エルミナ、ここの確保と護衛、頼めるね?」


 「はっ。ですが、お1人では……」


 「大丈夫。あちらに行けばシュリがいる。それに、俺だってそんなに弱く無いつもりだよ。俺を、信じてほしい」



 その答えでエルミナの反論を封じ、レセルファンは立ち上がり2階へと向かう。

 上に着いて耳を澄ませてみれば、かすかに人の話す声が漏れ聞こえていた。

 その声のする場所に、シュリとオリアルド、運が良ければファランとアズランもいることだろう。

 吸った息を細く長く吐き出して、レセルファンは表情を引き締める。

 決着の時が、迫っていた。


◆◇◆


 「どういう、ことだ」


 「わからない? 僕の連れは強いってことだよ。あなたの自慢の戦力よりよほどね」


 「ジグゼルドも向かったぞ。アレはそれなりに強い」


 「ふぅん。本人がいないところでは呼び捨てなんだね。でも、アレは向かったって言えるのかな。落ちた、が正しいと思うよ。正確には僕が落としたんだけど」


 「……もしアレが役に立たずとも、アレが頼みにする駒も中々だ。騎士団が放り出した奴をジグゼルドが拾ったが、強さだけ見ればそこらの騎士にひけはとらん」


 「残念だけど、僕のジェスはもっと強いんだ。それに……」



 近づいてくる気配を察知して、シュリは笑みを深める。



 「僕の方は増援がきたけど、あなたの方はまだ、なのかな?」



 その言葉と共に、シュリの後ろの扉が開く。

 そこから姿を現した人を見て、オリアルドは目を見開いた。



 「レセルファン」



 名を呼ばれたレセルファンは、静かに母親違いの兄を見つめ、それからその後ろにいるファランを見つけてほっとしたように表情をゆるめた。

 更に何かを探すように視線をさまよわせる彼に、



 「アズランは地下だよ。ここを片づけたら一緒に助けにいこう」



 シュリはそう声をかけた。



 「そうか。アズランも無事か」


 「何もされていない、とは言い切れないけど、命は無事だよ。まあ、アズランは男の子だからね。後回しにされても文句は言わないよ、きっと。まずはお姫様の救出といこうか」


 「そうだな」


 「レセルファン。どうしてお前がここにいる?」



 シュリとレセルの会話を遮るように、オリアルドが問いかける。

 その問いを受け、レセルファンは再び腹違いの兄を見た。



 「皇太子殿下の命を受けたからに決まっているだろう? オリアルド、お前と違って俺は兄上から信頼されているからね」


 「ちっ。ジグゼルドめ。しくじったな」


 「しくじった? ああ、毒の小瓶を俺の部屋に仕掛けて濡れ衣をきせるっていうお粗末な工作のことか。俺の周囲の者は優秀だからね。あんな適当な工作が成功するはずないさ。まあ、もし成功していたとしても、兄上が私を疑うことなんてあり得ないよ。お前と違って俺は兄上から信頼されているからね」


 「オリアルドだのお前だの。俺もお前の兄、なんだがな? もう少し敬意を払ったらどうだ?」


 「あいにく、罪人の兄を持った覚えが無いものでね」



 言いながら、レセルファンは腰の剣を抜く。



 「問答無用、ということか? 俺はただ、愛する女を嫁に迎えようとしているだけなんだがな」


 「そんな言い訳が通用するとでも? 今頃はお前の母親やその協力者も兄上が捕らえているだろう。お前にジグゼルドがついている、ということは、スヴァル公爵が裏にいるのだろう?」


 「ヘリオールが? あの病弱な男にそんなことが出来るはずないだろう?」


 「不敬だぞ、オリアルド。皇太子殿下と呼べ」


 「笑わせるな。あの男はどうせすぐに死ぬさ。そうしたら俺が皇太子だ。お前こそ、未来の皇太子殿下に敬意を示したらどうだ? 可愛く媚びて見せれば、血のつながりのよしみで可愛がってやってもいいぞ」



 にやり、と笑い、オリアルドもまた剣を抜く。

 どうやら、2人はさほど広くないこの部屋の中で剣を振り回して決着をつけるつもりでいるらしい。

 冷静に見えるレセルファンも、かなり頭に血が上っているようだ。

 仕方ないなぁ、と肩をすくめ、シュリはそろそろと場所を移動しはじめる。

 2人の決闘が始まる前に、ファランの側に行っていた方が良さそうだ、そう判断して。



 「兄上は死なぬ! お前や二妃が画策した兄上の暗殺は失敗だ。兄上は毒を克服され、この上なく健やかにお元気でいられるのだからな」


 「はっ。それこそ信じられぬな。あんな吹けば飛ぶようなひ弱な男が劇毒に耐えられるはずがない」


 「ならば己の目で確かめよ。血のつながりに対するせめてもの慈悲として、命まではとらない。生かして兄上の前に連れて行ってやる」


 「ふざけたことを。お前は弱くないが、この俺に勝てるとでも? かかってこい。お前の思い上がりを叩き直してやろう」


 「思い上がってるのはどちらか、思い知るのはそちらの方だ」



 互いの言葉を合図に、2人の剣がぶつかり合う。

 あ、はじまっちゃった、と思いつつ、シュリは急いでファランの傍らに走る。

 天井が高いから、上に剣がぶつかることは無いが、寝室らしきこの部屋の広さは標準程度。

 2人の男が剣を振り回してチャンバラするには少々狭い。

 案の定、レセルファンに弾かれたオリアルドの剣が、ファランの方へ。

 そこでようやくファランの存在を思い出したのだろう。



 「あ!!」



 レセルファンが声を上げ、その顔を青くする。



 「あ!! じゃないよ!! まったく、もう」



 弾かれた剣がファランに届くより前に、シュリの張った魔術障壁がオリアルドの剣を防ぐ。

 ファランを背後にかばい、障壁で剣を受けたシュリはほっと息をついた。

 魔術障壁の練習を真面目にやっといて良かった、と思いながら。


 防御系の魔術を覚えておいて損はない、というカレンのすすめに従って、防御系の魔術だけは毎日少しずつ練習をしていたのだ。

 防御系の魔術のいいところは、魔力を込めすぎても他人に迷惑をかけないというところ。

 シュリの膨大な魔力量で、うっかり手加減を忘れた攻撃魔術でも展開しようものなら、そこらの山の1つや2つ吹き飛ばしかねない危険がある。

 その点、防御系の魔術は魔力をどれだけぶち込んでも、その防御力が増すだけで、人から感謝はされても迷惑をかけることはない。


 ただ、シュリの展開する魔術障壁は少々強力になりすぎて、攻撃や魔術を防ぐだけでなく、どんなものでも通さない仕様になっていた。

 なので、今みたいに一方向展開で盾のように使うなら結構使い勝手がいいが、全方向に展開すると空気すらも遮断されて、空気穴を確保しておかないといずれ中の空気を消費し尽くして酸欠になる、という欠点があった。

 まあ、酸素がなくなるまで籠もらなければいいだけの話なのだろうけど。


 そんな訳で魔法障壁の全方位展開は自重して、とりあえず前と上、左右に障壁を展開し、ファランの手を引いて出来るだけ壁際へ下がっておく。

 これでどこから攻撃が来ても防げるし、後ろは壁だから背後から攻撃される心配もない。

 安全がしっかり確保されていることを確かめてから、シュリは改めてファランの顔を見上げた。



 「ファラン、平気? ひどいこと、されてない? 僕はちゃんと間に合ったかな?」



 心配そうなシュリの言葉に、ファランは頷く。

 彼らに捕まってからされたことと言えば、馬車で運ばれてアズランと引き離され、この部屋に閉じこめられたことくらい。

 言葉での脅しはあったが、まだ暴力的な意味でも性的な意味でもその身を侵害されてはいなかった。



 「でも、怖かったでしょ? 僕が離れてたせいでごめん」



 その言葉に、今度は首を横に振った。

 離れていた、といってもそれはシュリのせいではない。

 シュリを呼んだのは皇太子殿下だし、ファランとアズランに先に帰るように言ったのも皇太子殿下。

 更に言うなら、先に帰らずにシュリを待っていても良かったのに、そうしなかったのはファランとアズランだ。



 「謝らないで。シュリは何も悪くないんだから。私もアズランも大丈夫よ。アズランは、少しくらい手荒な扱いを受けたかもしれないけど、でもそんなに酷いことはされていないはずよ。ただ、アーズイールとルスファが……」



 アズランのことはあまり心配していなかった。

 先のことはともかく、救助がくるまでの間くらいはなんとかなるだろう、と。

 自分が、彼らの言うことを聞いて大人しくさえしていれば。

 でも、あの森に残してきたアーズイールとルスファのことだけは気がかりだった。

 彼らは無事だろうか。怪我だけで済んでいるならいい。

 だけど、もし……。



 「アーズイールとルスファ? 2人なら大丈夫。ちゃんと治療して、お守りの僕の眷属と一緒に救助を待ってるから。ここにこうしてレセルがいるってことは、あっちにももう救助隊がついてるかもしれないし、何も心配ないよ」



 シュリは微笑み、ファランの不安を払拭する。



 「本当に? 2人は無事なのね。良かった……」



 シュリの言葉に、ファランは小さく息をつき、ようやくかすかに微笑んだ。

 心からほっとしたように。

 そんな風に2人が言葉を交わす間も、障壁の向こうでは母親の違う兄弟同士の戦いは続いていた。

 実力が拮抗しているのか、お互いに小さな傷はあちこちに負っている。

 だが動きを鈍らせるほどの怪我はなく、2人は更に激しく剣を打ち合わせる。



 「中々やるじゃないか、レセルファン。さすがは俺の弟だな」


 「お褒めに与り光栄だが、褒めてくれたところで俺は手をゆるめるつもりはない」


 「そんな頼みをするほど頭が悪いように見えるか?」


 「さぁね。俺には分からない。俺はあんたを知らないからな」


 「ま、それもそうだな。俺もお前を知らなかった。もっとずっと弱いと思っていた。みくびっていて、悪かった。俺はもっとお前を警戒するべきだったんだな」



 お互いに荒くなった呼吸を整えつつ言葉を交わす。

 言葉を交わしながら静かに力をためていた。

 先に動いたのはオリアルドだった。

 素早い動きで距離を詰め、大きく振りかぶった剣を驚くほどのスピードを乗せて振り下ろす。


 大振りの一撃だ。

 本来なら避けるところだが、そのスピードはレセルファンの回避能力を上回った。

 レセルファンはとっさに掲げた剣でその威力を受け流す。

 受け流しながら体を回転させ、左手で腰の短剣を抜くと、回転の勢いのまま、その短剣をオリアルドの腹に突き刺した。


 一瞬の出来事だった。


 だが、腹に剣を受けたオリアルドは、信じられないという表情をその面に張り付けたまま、床に膝をつく。

 刺さったのは短剣だから、すぐに死ぬというほどの傷ではない。

 だが、このまま何もなかったかのように戦い続けられるほど軽い怪我でもなかった。


 その隙を逃さずにレセルファンがその首筋に己の剣を当て、異母兄に武装を解除するように迫る。

 オリアルドに残された選択肢は2つ。

 武装を解除して拘束されるか、あくまで抵抗してこの場で殺されるか。

 オリアルドは前者を選んだ。


 剣から手を離し、大人しくなった彼の手を後ろに回し、レセルファンが持参していた魔術具で拘束する。

 輪が2つあり、それぞれの輪の中に手を通すと抜け出せないくらいに輪が縮まるというシンプルな道具だ。

 解除するにはそれぞれの拘束具に対応した鍵が必要で、一般にはあまり出回っていないが、警邏の兵士などは国から支給されて常備されていることが多い。

 まあ、前世でいうところの警察が持っていた手錠のようなものだろう。

 人を捕まえる人向けの便利アイテムだ。


 オリアルドの拘束が完了したのを目視してから、シュリは展開していた障壁を解く。

 レセルファンは疲れた表情をしていたが、それでもファランの方を向いた瞬間には柔らかな笑顔を浮かべて見せた。


********************************


1週休んでしまいすみません。

例のワクチンで撃沈しておりました。

もうすっかり元気になりましたので、今週からまた頑張ります!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る