第420話 天使の舞い降りるとき⑤
「心は決まったかな、我が花嫁」
薄笑いを浮かべたオリアルドの問いに、ファランは唇を噛みしめる。
そして、問いかけたところで選択肢などない事を分かっているであろう男を、せめてもの抵抗で睨みつけた。
「……私が言うことを聞く間は、アズランに手は出さない。そうよね?」
「もちろん。あなたが我が手の中にいる内は、彼も大事な我が義兄上だからな。あなたの兄として、不自由のない暮らしを約束しよう。無事に婚姻をすませ、あなたが俺のものになった後ならば、彼を自由にしてもいい。俺に逆らわないと、制約をさせた後で、な」
少なくとも、今すぐにアズランが殺されることはなさそうだ。
そう思ったファランは、こっそりと安堵の吐息を漏らす。
ならば、助けが来るまでの間、ほんの少しだけファランが不快感を我慢して、目の前の男の妄想につき合ってやればいい。
きっとすぐに、助けは来る。
それまでの我慢だ。
そう自分に言い聞かせ、
「どうする? 俺の花嫁になってくれるか? それとも拒否して双子の兄の苦しむ声を聞いてみるか?」
「……アズランの苦しむ声をわざわざ聞くほど悪趣味じゃないわ。わかったわよ」
「分かった、とは?」
「……あなたの花嫁に、なるわ」
不本意なその言葉を口にした。
時間稼ぎの為と己に言い訳してもなお、非常に不快な気分にさせられたけれど。
それを聞いたオリアルドは満足そうな笑みを浮かべ、
「聞いたか、ジグゼルド殿。とうとう我が姫が結婚を承諾してくれたぞ」
背後に控えるジグゼルドに話しかける。
「はっ。おめでとうございます。美男美女の、似合いの一対ですな」
「ふ。世辞はいらんぞ。それよりアレを。準備はできているだろう?」
「もちろんです。おい、アレをお持ちしろ!!」
主の言葉を受け、ジグゼルドは扉の外に声をかけた。
だが、すぐに返ってくるはずの返事がなく、
「……なんだ? 持ち場を離れているのか」
ジグゼルドは小さく呟き、扉の方へと向かった。
その瞬間、扉の外……恐らく階下から何かが倒れるような物音が聞こえた。
「酒を飲んでまた騒いでいるのか? それとも……。殿下、念のため、部屋の外を確認して参ります。アレは戻るときにお持ちしますのでもうしばらくお待ち下さい」
「ああ。頼んだぞ。部下の者達に、酒は程々にしろと伝えておけ。結婚の祝宴でイヤと言うほど飲ませてやる、とな」
「はっ。寛大なお言葉、感謝いたします。では少々御前を離れます」
そう言って頭を下げた後、ジグゼルドは扉の外へ姿を消した。
己に忠実な母方のいとこを見送り、オリアルドはベッドに腰掛けている父方のいとことの距離を詰める。
2人きりのこの間に、もう少し心と体の距離を近づけておくのも悪くない、そう考えて。
彼女の隣に腰を下ろし、まだ幼さの残る頬に手を滑らせる。
そしてその顔に嫌悪の表情が浮かぶのを、こみ上げる愉悦と共に見つめた。
もちろん、それ以上の事もしてやろうと考えていた訳だが、それを実行に移す前に、
「な、なにを……うわぁ!!」
扉の向こうから聞こえてきたそんな悲鳴に、オリアルドはファランの方へ傾けていた体を起こしてドアの方へと目を向けた。
そんな彼の見ている目の前で、そのドアはゆっくりと開き、そして。
「あ、ファラン。ごめん。お待たせ!!」
なんの待ち合わせだ、と思わず突っ込みたくなるような気の抜けた台詞と共に、その少年は姿を現した。
「シュリ!!」
隣から聞こえる喜色に満ちた声を聞きながら、1度だけ顔を合わせた事のあるその少年を、
(なんでこんな子供がここにいる? 1人で来れるはずもなかろうに)
オリアルドはそんな疑念と共に見つめる。
「……おい子供。保護者はどこだ?」
「保護者、って。僕はもう常に保護者が必要なほど子供じゃ無いんだけどな。仲間なら、今、ここの1階で悪者を懲らしめてる真っ最中だけどね!」
「レセルファンが一緒ではないのか?」
「レセルももうすぐ来るよ。きっと。応援は呼んである」
「レセルファンはいないのか。ならば小僧、お前はどれほどの兵士を連れて乗り込んできた? 10人か? 20人か?」
「え? 2人だけど? 僕も含めると3人」
「3人? たったそれだけで、だと? 小僧、お前はバカなのか?」
最初こそは驚きを露わにしていたが、シュリと言葉を交わす内に段々と落ち着いてきたオリアルドは、目の前の子供を小馬鹿にするように鼻で笑った。
そしてなにも知らない子供に諭すように言葉を続ける。
「俺がどれだけの戦力を集めていると思っている? まあ、この山荘に収容できる人数はさほど多くは無いが、連絡を飛ばせばすぐに兵が大挙して押し寄せてくるぞ? それに、ここにいるのは手持ちの戦力の中でも力のある者達ばかり。お前とお前の連れが2人暴れ回ったところで同行できる輩ではない」
「え~? そうかなぁ?」
自信満々のオリアルドの言葉に、シュリは無邪気に首を傾げて見せた。
俺の言葉に文句でもあるのか、と睨んできたオリアルドに、
「じゃあ、どうしてこの部屋に皇子様自慢の戦力は駆け込んで来ないの?」
シュリはにっこり微笑んでそう返す。
「僕はこっそりここに来た訳じゃない。ちゃんと正面からお邪魔して、階段を上ってここに来たんだけどなぁ」
自慢の戦力はなにしてるんだろうね? と、言外にそう問われ、オリアルドはようやく事態の異常さに気がついた。言われてみれば、さっき部屋を出ていったジグゼルドも戻らない。
一体この部屋の外で何が起こっているのか?
余裕だったオリアルドの面に、ほんの少しではあるが焦りが混じる。
それをじっと見つめ、シュリは再び微笑んで見せた。
◆◇◆
「ぐっ!? 女のくせに、中々やるな」
己に迫る、スピードと力が十分に乗った剣をどうにか弾き、トゥードが唸るように言った。
それを仮面越しに受け取ったジェスは無言のまま、更に己の剣にスピードを乗せて追撃する。
(力だけでは押し負ける。スピードだけでは押し切れない。だが、その両方を発揮できたなら、私にも分があるはず。そうだろう? トゥード隊長)
新人の騎士時代はよく怒られたものだ。お前の剣は速いが軽い。軽い剣は速くとも怖くはないぞ、と。
トゥードはいい隊長ではなかったが、だがそれでも、戦闘訓練はそれなりに真面目に指導してくれていた、と思う。
あの頃も必死に努力はしていたが、トゥードの求める域に達するより先に国を出る事になってしまった。
しかしその後も、ジェスは己を磨き続けた。
そうしなければ生きて来れなかったし、己を鍛えて強さを得ることは単純に面白かった。
騎士の技に傭兵としての戦いのツボが加わり、かつての自分よりも遙かに強くなったという確かな自信がある。
だが、ジェスは決して油断はしていなかった。
少しの油断が死につながる。
そんな世界でずっと生計を立ててきたのだ。
それに、目の前の男は、油断をさせてくれるような甘い相手ではない。
隙を見せたらその瞬間に喉笛に噛みついてくる、それくらいの事はしかねない男だと、ジェスはそう認識していた。
だから。
(抵抗する暇を与えずにたたみかけるっ!!)
ジェスのスピードに追いつけない男の体に無数の傷が刻まれていく。
だが、致命傷は1つもない。
己の命の砦を固く守りつつ、ジェスが息切れするのを待っているのだろう。
反撃する為のわずかな隙が出来る瞬間を。
(流石だな。だが、シュリが信頼して任せてくれたんだ。負ける訳にはいかない!!)
力を振り絞り、更に剣戟を激しくする。
激しい攻撃の最中、ほんの一瞬息継ぎをした。今までよりも少しだけ長く。
その隙を、敵は見逃さなかった。
力の乗り切らなかった剣を弾かれ、わずかに体勢を崩す。
瞬間、相手の剣が斜めに鋭く走った。
受けようと思ったが嫌な予感がして、とっさに後ろに下がる。
際どいタイミングだがどうにかよけたジェスを見て、トゥードはちっと舌打ちをした。
「よけるなよなぁ。剣ごと真っ二つにしてやるつもりだったのによ」
「剣ごと真っ二つだと? どれだけ馬鹿力なんだ!?」
相手の理不尽な要求に、むっとして言い返した瞬間、ぴしっ、と音がして、何かが下に落ちたのが分かった。
なんだ? と視線を下に落とした瞬間、ジェスの顔が固まった。
そこにはシュリからプレゼントされた大事な大事な仮面が、真っ二つになって落ちていた。
それは明らかな攻撃のチャンスだったが、目の前の敵もジェスとは違う理由で固まっていた。
彼は仮面の下から現れたジェスの素顔を目にして、驚愕の表情を浮かべていた。
「お前、ジェシカ、か? ジェシカ・スロゥス。そうだろう?」
最後に見てから何年たったか。
だが、何年たとうとも、その顔を忘れることはないだろう。
なんといっても、トゥードの人生をすっかり狂わせてくれた女の顔だ。
部下であった彼女が大人しくジグゼルドのおもちゃになっていてくれさえすれば、当時の彼があれほど無茶をする事もなく、今も騎士団の中で暗躍出来ていただろうし、上手いこと立ち回ってもっと出世だってしていたことだろう。
幸い、ジグゼルドが拾ってくれはしたが、やっている仕事は正道とはほど遠い裏の仕事ばかり。
へまをすれば、即座に使い捨てられてもおかしくはない。
自分をそんな状況へ押しやった現況の女を、トゥードは憎々しげに睨んだ。
殺すだけでは甘い。
半殺しで捕らえて、手足の腱を切って抵抗出来ないようにした上でさんざんなぶってやろう。
飽きたら女に飢えた部下達に与えて、壊れるまで使いつぶす。
この女には、そんな仕打ちがふさわしい。
目の前の女は動かない。
さっきまでのいきの良さが嘘のように、壊れた仮面に目を落としたまま、不気味な沈黙を保っている。
それをいいことに、トゥードは目の前の女をじろじろと無遠慮に観察した。
見た目はいい。最高級だ。
鍛えられた体も、出るところは出て引き締まるところは引き締まり、男をがっかりさせることはないだろう。
トゥードの好みとしては若干緩みのある柔らかな体つきの方がいいのだが、たまには違った女を味わうのも悪くはない。
そんな事を考えていたからトゥードは気づかなかった。
「よくも……」
目の前の彼女が、低い声で言葉を紡ぐのを。
「よくも、壊してくれたな?」
「あ?」
かすかに耳に届いた低い声に、トゥードは己の妄想から現実へと帰ってくる。
そして怒りに燃えた涙目を正面から見た。
「よくもシュリがくれた大事な仮面を壊してくれたなぁぁぁ!!!」
ジェスが吠え、怒りのブーストで視認できないくらいの早さになった拳を容赦なくトゥードの顔面にたたき込んだ。
「うげっ!!」
為す術もなく拳を受け、トゥードの体が宙を舞う。
その瞬間にはすでに彼の意識は半ばとんでいた。
だが、それで許すほど彼女の怒りは軽くなく、吹き飛ぶ彼の体を追うように駆けたジェスは、再び彼の顔を拳で捕らえる。
今度は上から叩きつけるように。
結果、トゥードの体は床に叩きつけられて止まり、
「よくもよくもよくもっ!! せっかくシュリがくれたのに!! シュリからのプレゼントだったのに!! よ、く、も、こ、わ、し、て、く、れ、た、なぁぁ~!!!」
ジェスの怒りの叫びと共に落ちてくる拳をただ受けるだけの人形と化した。
彼にとって幸いだったのは、最初の数発で意識がなくなった事だろう。
意識を無くした後もしばらく殴られていたトゥードは、死にこそはしなかったものの、見事なまでに顔が腫れ上がり、元の顔立ちも最早わからない。
それでもなお怒りはおさまらず、更に拳を振り下ろそうとしていたジェスは、
「な、なにを……うわぁ!!」
階上から聞こえたそんな声に手を止めた。
声がした方を素早く見上げると、誰かの体が手すりを越え、下に落下してくるのが見えた。
落ちても死ぬ高さでもないだろうに何を大げさな、と冷めた目で見ていたが、その落下地点に落ちているものに気づいた瞬間に一気に青ざめた。
「ま、まてっ!! そこはだめだぁっ。落ちてくるなぁぁぁ」
叫び、落下地点を目指して駆けるが……間に合わなかった。
ジェスがそこへ到達するのを待たずに男の体は床に落下し、その体の下からぐしゃっと何かがつぶれる音がした。
直後、その場に到達したジェスが、男の体を思い切り蹴り飛ばしてその場から排除したが、そこにあったのは真っ二つから粉々にバージョンアップしたジェスの仮面だった。
蹴り飛ばされた男が壁に激しくぶち当たって半ば白目になっているのにも気づかず、ジェスはへなへなとその場に崩れ落ちる。
そして、ピースの多いジグソーパズル並みに細かい破片になってしまった残骸を集め、胸元から取り出した布でしっかりとくるんで再び胸元へ。
(……半分に割れた時点で回収するべきだった。まさかこんな事になるとは)
「ジェス殿~、終わったでありますか? ん~、終わってるようでありますね。じゃあ、縛りあげて外に蹴り出しておくでありますよ~? ここに置いておくと邪魔でありますからね~」
シュリのプレゼント(?)を粉々にされたジェスは自己嫌悪にどっぷりつかり、そんなポチの言葉にも気づかない。
だが反応しないジェスの事はそっと放置し、ポチは腫れ上がった顔のトゥードと壁際でぴくぴくしているジグゼルドを淡々と縛り上げ、
「シュリ様の用事が終わるまで大人しくしてるでありますよ~」
そんな言葉と共に軽々と外に放り出した。
すでに放り出されて積みあがっているポチ担当の雑魚戦闘員と同様に。
「ふ~!! これですっきりしたでありますね!! これでいつシュリ様が降りてきても問題なし、であります」
ふ~、っと額の汗を拭う仕草をし、ポチは晴れやかな表情を浮かべる。
床に座り込んでどんよりしてるジェスとはまるで対照的に。
ポチはそんなジェスをちらりと見て、
(なぐさめたいところではあるでありますが、ポチが何を言っても無駄でありますね、あれは。シュリ様のお戻りを待ってどうにかして貰うしかないでありますね~)
彼女を慰めるのを早々に諦めると、突入の為になっていた人形態から獣形態へぽふん、と変わると、床に伏せて前肢に顎を乗せ、
(ポチはシュリ様が戻られるまで一休憩するでありますよ~)
心の中でそっと呟き、昼寝を決め込んだ。しばらくすると、ぷすー、ぷすーと寝息が聞こえはじめ。
しかし、心を和ませるその寝息もジェスを落ち込みから浮上させる事は出来ず、結局シュリがくるまでジェスのどんよりは続くのだった。
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