第360話 奴隷達の行く末①

 傲慢な大商人達が酒と魔薬に酔い、物騒で大それた話に興じている。

 部屋の片隅に集められて震える他の奴隷達と共に聞くとはなしにその話を聞きながら、奴隷の1人、褐色の肌に黒髪、青い瞳の女は枷につながれた己の手を見ながらふと、これまでの人生を思った。


 彼女の故郷は商都の遙か西。

 そこは美しくも過酷な砂漠の国。

 僅かなオアシスを巡って部族間の争いが絶えない、そんな地で生を受けた。


 部族を率いる父と、美しき旅の踊り子だった母との間に生まれ、部族の姫として大切に育てられた。

 いずれ己が部族を率いるのだと、幼い頃から戦士としての技量を磨き続け、それは年の離れた弟が生まれ、父の後を継ぐ必要が無くなった後も続いた。

 自然の厳しい土地で、家族を愛し、部族の仲間を大切に、決して楽な暮らしではなかったが、それでも彼女は幸せだった。

 だが、女らしくしろと呆れた顔をしていた父も、強い女も悪くないわと微笑んだ母も、姉上のように強い戦士になりますとあこがれの眼差しをむけてくれた弟も、もうこの地上のどこを探しても再び会うことは出来ない。


 戦いの始まりは突然だった。


 小さなオアシスを中心に、狭すぎず広すぎない地を治めていた父のもとへ、縁談の申し入れがあったのが事の始まり。

 娘を求めるその申し出を、彼は即座に断った。

 申し入れてきた相手の部族は粗暴で評判が悪く、とてもではないが娘を嫁に出したいと思える先では無かったからだ。


 しかし、娘を愛する父親としては当然の判断が、戦いの口実を相手に与えてしまった。

 宣戦布告もなしに攻め込んできた敵方を相手に、彼女の部族は良く戦った。

 もちろん、彼女自身も剣を取って戦い、少なくはない数の敵の命を奪いはした。


 だが、数と純粋な力で勝る相手の部族に次第に押され。

 父と幼い弟は無惨に首を落とされ、それを見た母は身を汚される前に自害した。

 生き残った部族の戦士達は奴隷として売られ、散り散りになり。

 女達には奴隷として生きるか、敵方に従い子を産み育てるかの選択肢を与えられたが、多くは奴隷の道を選んだ。


 その運命は首長の娘の上にも平等に与えられ、縁談を持ち込んだ敵の首領の子を生むか、奴隷となるかの選択肢を突きつけられ、彼女もまた、奴隷となる事を選んだ。

 父を母を弟を殺した男のモノになる運命など死んでもうけいれるものか、と頑なに相手を拒んで。


 1つの部族を滅ぼすほどの執着から逃れられないのであれば、母のように死を選ぼうと思っていた彼女だが、相手が本当に欲していたのは土地とオアシスの方だったらしく、彼女の主張はあっさりと受け入れられた。

 そうして彼女は奴隷となり、商都の裏町に店を構える奴隷商人の所有物となった。


 そこで彼女は高級な性奴隷に与えられる教育を受けた。

 男を喜ばせる為の知識はもちろん、淑女としての作法や最低限の学問まで。

 そうして様々な事を学びながら、己はいずれどこかの金持ちの性のはけ口にされるのだろう、と諦めかけたころ、彼女の周囲が急に慌ただしくなった。


 最初に買われていったのは、下働きをさせる為の一般奴隷達。

 それからしばらくして、次の注文が入った。次の注文で求められたのは、男女問わず見目麗しい高級な奴隷。

 彼女や、彼女と共に教育を受けていた娘達が1番最初に選ばれた。


 だが、それでも足りず比較的見目の整った労働奴隷や戦闘奴隷からも数人選ばれ。

 輸送の馬車に乗せられた人数は最終的に10人を越えた。

 自分達がどこへ連れて行かれるのかもわからないまま馬車に揺られ、たどり着いたのは商都の外れの小さな屋敷の地下倉庫だった。


 小さいといっても、地下に作られた倉庫は広々しており、奴隷達はまとめて壁際に繋がれた。

 そこで順番に身を清められ、新しい清潔な衣類を与えられ。

 それなのに、夜の呼び出しをされるでも暴力をふるわれるでもない事に、周囲の奴隷達が喜んでいる中、彼女だけは警戒心を解くことが出来ないでいた。


 その原因はちょっとした違和感。

 その地下の倉庫は綺麗に片づけられ掃除されていたが、入った瞬間に感じたかすかなその臭いを、彼女はよく知っていた。

 奴隷に落とされる前、戦いのさなかでいやというほどにかいだむせかえるような血の臭い。

 生涯忘れることは出来ないであろうその臭いが、連れ込まれた倉庫にも染み着いていた。


 その瞬間、彼女は半ば悟っていた。

 自分が生きてこの場所を出ることは恐らくないだろう、ということを。

 その予感は、この倉庫でこそこそ会合をする男達の会話を聞いて更に確信に変わった。

 奴隷を人と思わない彼らは、平然と語っていた。

 奴隷達かれらは悪魔への貢ぎ物だ、と。



 「しかし、よくこれだけの高級奴隷を集めましたな」


 「呼び出すときのイケニエの質は、正直良いとは言えませんでしたからなぁ。せめて成功報酬くらいは質の良いものを用意せねば、悪魔に我らの命を狙われかねん。そう思いましてな」


 「高価だっただけあってどの奴隷も美しいですなぁ。ただ悪魔に魂を喰わせるだけ、というのは少々もったいない気もしますが」


 「なぁに。所詮は奴隷。金で買える命ですからな。そう惜しまずともいいでしょう。もしそういう目的の奴隷をお求めなら、わしが懇意にしている奴隷商人をご紹介しますぞ? 商品には、ここにいる者よりずっと高級で美しい者もいるでしょうからな」



 彼らの語る言葉に、ようやく己の運命を悟って震える者も多かったが、彼女は静かに諦念を深めただけだった。

 嘆いても仕方がない。己の運命は変わらない。両親や弟と共に死んでいるはずの命だったのだ。今更惜しむ命でもない。

 そう、思っていたから。

 弟と同じ銀色の髪の、少女と見間違うほどに美しい少年が奇跡を起こすまでは。


 その少年を含めた集団は、突然その場所に現れた。

 不意に現れた気配に驚き目を向けた時にはもう、彼らの姿はその場にあった。

 酒に酔い魔薬に酔い、いい気分で口を滑らせ続けている男達からは死角になっていたが、彼女達のいる場所からはその姿がよく見えた。


 その視線に気づいたのだろう。

 銀色の髪の少年が不意にこちらを見て、己に集まる視線に一瞬目を丸くしてから、怯えて固まる奴隷達を安心させるように柔らかく微笑んだ。

 その微笑みに、周囲の緊張が瞬時に弛緩するのを感じて、彼女は軽く目を見張った。

 そして思う。あの少年は何者なんだろう、と。


 だが、心の中で発した問いに答えが返るはずもなく、少年は彼女の疑問も知らず立てた人差し指を己の唇にそっと押し当てた。

 静かにしててね、とお願いするように。

 それに逆らう理由もなく、奴隷達はみんな、ひっそりと口をつぐむ。

 その様子を確かめて満足したのか、少年は再び共に来た人達に向き直った。


 遠く見えるその横顔を見ながら彼女は思う。

 どこか小さい頃の弟に似ている、と。

 もちろん、少年の方が弟よりも遙かに美しい顔立ちをしているし肌の色も違う。


 でも、それでも。

 母親譲りの銀色の髪をしていた弟と同じ髪の色のせいなのか。

 その少年は、どうしようもなく弟の面影と重なった。


 そんな幼い少年が、大人に混じってこんなところでなにをするつもりなのか。

 彼女も、ほかの奴隷達も固唾をのんで彼らの様子を伺う。

 しばらくの間は特に動きは無かった。

 しかし、彼らは本当になにをしに来たんだろうか、と奴隷達が首を傾げはじめた頃になってようやく、事態は動き出す。


 最初に動いたのは、仕立てのいい服を身につけた壮年の男だった。

 彼が立ち上がり、驚き慌てる家主とその客人達と話し始めてすぐに、侵入者チームがどこの勢力かが明らかになる。


 立ち上がったその男は、どうやらこの国のトップらしい。

 ということは、彼と共にある少年も他の者も、国の権力に属する人員なのだろう。

 まあ、あの少年だけは幼すぎるし異色なので、全く似てはいないが国のトップの男の子供か身内なのかもしれない。

 少年にくっついて離れない女性は、恐らく彼の世話係かなにかなのだろう。

 そう予測しながら事態を見守る。


 しかし、事態は彼女の予想とは全く違う様相を見せた。


 少し離れた場所に出現して暴れているのは、にょろにょろした触手を多数持つ不思議な物体。

 砂漠しか知らない彼女が見たことのない魔物(?)だった。

 そのにょろにょろした触手の1つ1つに悪者達が捕らえられ、正しく手も足も出ない状況に陥っている。


 悪者の中の魔術師が、とらわれながらも氷の魔術で反撃をしたときは少しひやっとしたが、己に向けられた攻撃を国のトップが持っていた袋で防いだら、なぜか攻撃を仕掛けた魔術師の方が死んでいた。

 穴が開き、こぼれたのか中身がなくなってしまった袋を見ながら彼女は思う。

 アレはきっと、伝説の袋かなにかだったのだ。

 そうに違いない。そうじゃないと説明がつかない、と。


 ともあれ、頼みの綱の魔術師が死んで、悪党達も観念したらしい。

 彼らが抵抗をやめて大人しくなった頃、ようやく兵隊がなだれ込んできた。

 兵隊達は触手に捕まっている悪党達を1人1人触手から解放しては縛り上げ。

 縛りあがった悪党が一所に集められて、触手の魔物が霞のように消えた時にはもう、あの少年の姿はどこにも見つけられなかった。


 この国のトップの男の姿と世話係の姿も見えなかったから、彼らと共に一足先に帰ったのだろう。

 もう1度だけ、あの少年の姿を見て目に焼き付けたかったが、いないものは仕方がない。

 2度と再び、あの少年に会うことはないだろう。

 そう、思った。思っていた。


 だが。

 何の冗談か、いま、目の前にその少年がちょこんと座ってこちらを見上げている。

 にこにこ笑う顔は文句なしに美しくも愛らしく、顔立ちはまるで似ていないのにやはり、もう2度と会えない弟の面影が色濃く感じられた。


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