第358話 黒幕と対決する

 次元の裂け目を通り抜けて目的の場所に着いた瞬間、甘ったるい匂いが鼻につき、シュリは思わず顔をしかめた。

 だが、そんなことを気にしている場合じゃない、と隠れるのに良さそうな物陰をオーギュストに指で示し、こそこそと6人でまずは身を隠す。


 たどり着いたその場所は、部屋のしきりもないような妙にだだっ広い部屋だった。

 元々物置に使われていたのか、部屋の片隅には古い家具やら荷物が放置されていて隠れる場所には事欠かず。

 シュリ達はその物陰の1つに身を落ち着けて周囲の様子を伺う。


 [レーダー]を立ち上げ、間違った場所にいないことを確認し、物陰からそっと顔を出して部屋にいる男達の様子を盗み見た。

 そこにいたのは商人らしき男が4人とフードの怪しげな男が1人。


 商人達は、自分が見られているとは気づかずに豪華なソファーにふんぞり返り、パイプを吹かしながら酒を飲んでいる。

 いい気なものである。

 フードの男も、商人に無理矢理グラスを押しつけられている様子が見えた。


 彼らが悪魔の行動をどこまで把握しているのかは分からないが、祝杯ムードの彼らから察するに、悪魔が国家主席に迫っている事は知っているのだろう。

 まさか頼みの悪魔がすでに捕らえられ、自分達にも捕縛の手が迫っているなどとは夢にも思っていないに違いない。


 そして、シュリ達がいるのと反対側の部屋の端には、小綺麗にはしているが恐らく奴隷であろう男女が数人、固まって震えていた。

 彼らはきっと、仕事を終えた悪魔への成功報酬。

 悪魔の機嫌を損ねないよう、商人達が金に任せて買い集めたのだろう。



 (……人の命を、なんだと思ってるんだ)



 静かな怒りがこみ上げて、シュリは小さな拳をぎゅっと握る。

 腹は立つが、この世界で生きた数年の間に、シュリは学んでもいた。


 この世界での人の命は、前に生きていた世界よりも遙かに簡単に失われてしまう。

 命の重さは同じはずなのに、その価値は身分が低ければ低いほど軽くなる。

 商人が国を動かすこの国の大商人と呼ばれる人達にとっての奴隷の命は、きっと驚くほど軽いものなのだろう。


 シュリにとっては、傲慢な商人の命だろうと、奴隷の命だろうと、どちらも等しく同じ重さをしているというのに。

 とはいえシュリも、悪党の命も他の人の命も同じ重さだと言い切れるほどの聖人君子ではなかったが。



 (……積極的に殺してやろうとは流石に思わないけど、でも助ける順番は考えるよね)



 でもそれは仕方のないことだ。

 シュリは1人しかいないし、助ける為に使える手は2つしかない。

 助けられる命が限られる以上、その順番だって考えなくてはならない。


 今日この場所で優先されるべきは、商人達にとってはただのイケニエでしかない奴隷達。

 本当の優先順位で言えば、身内であるオーギュストとか最重要人物の国家主席という役職のアウグーストがトップにくるのだが、オーギュストは守らなくても大丈夫なくらい強いし、国家主席を守る人材はディリアンと護衛の2人で十分だろう。

 そう考えると、1番無力で守らなくてはならないのは、部屋の片隅で震えている奴隷達、ということになる。



 (ちゃんと守って保護して、後のことも考えてあげないとね。連れかえてルバーノの屋敷で雇ってもいいし、この国に残りたい人がいるなら、それはディリアンに任せちゃえばいいか)



 奴隷の今後の事を考えつつ、シュリは国家主席へ目配せする。

 彼の手には見慣れない魔道具があり、それこそが音集めの魔道具だった。

 シュリの目から言いたいことを読みとった国家主席は小さく頷いて音集めの魔道具を起動させる。


 自分達の会話を隠れて聞いている者がいるなどとは知らず、彼らは酒とパイプに詰まった魔薬とかいう危ない薬に酔って、ぺらぺらと様々な事を話してくれた。

 召還した悪魔についての話や、悪魔にさせようともくろんだ仕事についてもばっちりと。


 地味にやったら時間がかかってしまったから、犠牲を問わずに好きにやらせればよかった、なんて意見も出てて耳を疑ってしまった。

 更には、リットの父親がリットを悪魔に差し出したような発言も飛び出して。

 それが父親の言葉か、とシュリが眉間に可愛らしいしわを寄せている横で、



 「……ダルモンのような私欲しかない男が国家主席になるようなら、この国も終わりですね」



 ディリアンも不快そうに顔をしかめる。

 その後もしばらく我慢して彼らの話を聞いていたが、その話題が好みの女性の話や特殊な性癖の話に移った辺りで、もう十分だろうとみんなの顔を見回せば、うんざりした顔になりつつあった彼らも即座に頷いた。

 後は事前に打ち合わせた通り動くだけ。

 そう思い見守っていると、国家主席は小さく咳払いをしてのどの調子を整えた後、勢いをつけてその場に立ち上がった。



 「お前等のたくらみ、すべてこの耳で聞かせてもらった!!」


 「だ、誰だ!?」


 「どうしてここがバレたんだ!?」


 「ひぃぃぃ! にげ、逃げないとぉぉ!」



 突然響いた声に、悪徳商人達がわかりやすくうろたえる。

 だが酒の影響か薬の影響か、逃げだそうと動き出した彼らの動きは緩慢だ。互いを押し合ってバランスを崩し、まともに逃げ出せる者は1人もいなかった。

 そんな中、比較的落ち着いた様子を見せたのはノルド・ダルモンで、彼は濁った目で声の元を探し、そこにいる人物を見てその目を見開いた。

 そんな彼を見返して、アウグーストは不敵な顔でニヤリと笑う。



 「流石に俺の顔に覚えがあるみたいだな、ダルモン殿」


 「おやおや。国のトップに立つお方が他人の家に忍び込んで盗み聞きとは。お里が知れますなぁ、アウグースト殿」



 ちくりと返されたが、アウグーストは大してこたえた様子もなく軽く肩をすくめてみせた。

 そして、ダルモンや彼の愉快な仲間達をあざ笑うような笑みをその口元に張りつけ、



 「しかし残念だったなぁ。貴方達の穴だらけの作戦、見事に失敗したぞ? 自分の息子まで巻き込んだ計画だったのにな」



 あおるように軽いジャブを放つ。



 「……作戦? 何の話ですかな? 我々はここで酒をたしなんでいただけですぞ? そちらこそ、誰の許可を得てここへ来たのか……まさか、忍び込んだ訳ではありますまい?」


 「酒を飲んでいただけ? 笑わせないでくれないか?」



 落ち着きを払って言い返したダルモンだが、その目は若干泳いでいる。

 アウグーストはそんな彼を鼻で笑った。

 そして、己が持っていた音集めの魔道具を彼に見えるように取り出し、そして……。



 『……あの忌々しい国家主席の首を刈るまで、あと少しですなぁ』


 『事を荒立てず、秘密裏に始末する為とはいえ、思ったより手間取りましたな』


 『確かに。こんな事なら、あの悪魔が最初に言い出したように国家主席の周囲の人間諸共、広範囲に殺しておいた方が良かったかも知れませんな。無関係の者の命を奪うのは心が痛いなどと、仏心を出したばかりにとんだことです』


 『国家転覆を謀るには……』



 彼らがいい気になって語った自分達の悪事についての録音を再生した。

 とたんに色を失ったダルモンの顔を、アウグーストは鋭いまなざしでにらむ。



 「しらを切るのはやめろ、ダルモン。言い逃れ出来ると思うなよ?」


 「くっ!! こうなったら……」



 追いつめられたダルモンは、周囲であわあわしている役に立たない仲間達を見回し、テーブルの上にあったベルを大きく鳴らした。

 その音に反応したように、階段を駆け下りてくる複数の足音が聞こえ。

 その音を耳に捕らえた護衛の2人とディリアンがまず立ち上がり、自分達だけ隠れているのもどうかと思ったシュリも、オーギュストを促して立ち上がった。


 直後、地下室の扉を押し開けて入ってきたのは、いかにも傭兵らしい身支度の荒々しい男達。

 彼らの左胸をかざるエンブレムは3つ首の地獄の番犬を模したもので。

 それをシンボルにしているのは、[ケルベロス]という名前の中堅どころの傭兵団だった。

 後ろ暗い仕事も嫌わずに金次第でどんな仕事も受けるスタイルが人気で、最近はどんどん力をつけていっているらしい。


 そんな彼らにとって、ダルモンのような経済力のある小悪党はいい顧客なのだろう。

 今回もそれなりの精鋭を揃えていたらしく、幹部級の者も何人か混じっていた。

 その中の1人が、国家主席の顔を直接見知っていたようで、



 「……ダルモン様。聞いてませんよ? この国のトップと事を構える予定があるなんて」



 ちょっとだけひきつった顔で雇い主にクレームを入れる。



 「うるさい。これは私としても予定外のことなんだ。少なくはない金を払ってるんだ。相手が誰だろうと仕事はしてもらうぞ!」



 若干逆ギレ気味に返した雇い主に、男は小さなため息をもらし。

 だがすぐに、何かをふっきったようにニヤリと笑った。



 「ま、うちとしては貰えるものを貰えるならいいですけどね。報酬に色、つけて貰えるんでしょうね?」


 「この場をうまく乗り切れたら倍額払う!」


 「りょーかいです。さて、俺らはなにをすれば?」


 「あそこの連中を始末しろ! 1人も逃がすな!!」



 雇い主の命令に、男は国家主席を含めた数人の侵入者達に改めて目を向けた。

 国家主席の他に見知った者は、この国の宮廷魔術師団を率いる男だけ。

 残りは傭兵らしきがっちりした男と魔術師らしきひょろりとした男。

 そして……。



 「……子供と女が混じってますが、アレも?」


 「決まっているだろう! 1人も残さずに、だ!!」


 「女は上玉だし、ガキも上玉に育ちそうなのに、もったいなくないですかい? 高く、売れると思いますぜ?」


 「高く……いや! だめだ!! あの女も子供も、少々知りすぎた。生かしてはおけん!!」



 高く売れる、そう言われて少し揺れたが、やはりシュリもオーギュストも殺されることになったらしい。

 まあ、簡単に殺されてあげるつもりはないんだけどね、と思いつつ、新たに入ってきた傭兵達の人数を数える。


 その数は10を軽く越えるが、シュリとオーギュストがいて遅れをとる人数ではない。

 護衛の2人は若干深刻な顔をしているが、ディリアンとアウグーストはシュリとオーギュストの規格外さに慣れてきたのか、危ないことが起こるはずないとばかりに平気な顔をしていた。



 「言っておくけど、いざとなったら奴隷の人達を優先して守るからね?」


 「ん? そこは普通、私じゃないのか??」


 「護衛が2人もいる人がなに言ってるのさ。ディリアンっていう強い味方だっているでしょ?」


 「……確かにそうだな。りょうかいした。いざとなれば、私自身も戦えない訳じゃないからな」


 「本当に危なくなったら助けるけど、一応念の為にこれを渡しておくね?」



 言いながら、シュリは足下にあった悪魔がつまった袋をアウグーストに手渡す。



 「これは……」


 「いざとなったら身を守るために使ってね? 盾代わりくらいにはなるとおもうんだ」



 中身が何か知っているアウグーストはなんとも微妙な顔をしたが、シュリは有無を言わせずそれを押しつけた。

 そして改めて周囲に展開する傭兵団のみなさまを見回した。

 悪い人に雇われているとは言え、お金で雇われただけの人達を無駄に傷つけるのは本意ではないし、彼らと戦うことでこちらの面々が傷つくのも出来れば避けたい。

 ならどうすればいいか。



 (戦わせたくないなら、動けなくしちゃえばいい)



 といっても、足の腱を切るとか、足自体を切るとか、そういう生臭い話ではもちろんない。

 なんといっても実行するのはシュリなのである。

 魔物は狩った事はあるし、カレンの教育を受けて解体だってお手の物なシュリだが、相手が人となると話は別なのだ。


 甘いと言われようがなんと言われようが、傷つけないで済むなら傷つけないですませたい。

 もちろん、命でしかあがなえないほどの罪を犯した者までかばうつもりはないが、どんな悪人だろうとも、裁きを受ける権利くらいはあるんじゃないかと思うのだ。

 勝手に殺していい命なんてない。


 だが、命は思いの外簡単に失われ、失われたものは2度とかえらない。

 殺した後にもし間違いに気づいたとしても、死んだ相手を前に間違っていましたと頭を下げたってなんの意味もない。


 自分の命を守るために人を傷つける事はあるだろう。

 だが、シュリは強く、大抵の相手は傷つけずに無力化する事が出来る。 もし万に一つ、判断に間違って危地に踏み込んだとしても。

 そんなときに助けてくれる強い味方は沢山いる。シュリが間違った判断をしたときに、間違っていると教えてくれる人も。


 だからシュリは、安心して自分のしたいように、甘い偽善を行う事が出来る。

 今回も、シュリはシュリのしたいようにするだけだ。

 己の望む結果を得るために。



 (ん~と。動けなくするには、どうするのがいいかなぁ? 罠で足を挟む、とか?? でも、あんまり凶悪な罠だと足を痛めそうだし……あ、ロープで縛る?)



 考えながら、作り出すマッドパペットのイメージを練り込んでいく。

 今までは、ネズミだったり自分の形だったり、元々あるものを想像して作るだけで良かったが、どちらも今回の目的にはそぐわない。


 大きな自分を作り出して抱きつかせてしまってもいいかも知れないが、不特定多数のむさ苦しい男性達に自分が抱きつく姿など、出来ることなら見たくない。それに、ここにいる拘束すべき対象と同じ数の自分を作るとなると、ちょっと数が多すぎて正直うざい気もするし。



 (ロープ……ロープかぁ。自走するロープ?? ん~、蛇みたいな感じに作ってみる? んで、絡みつかせて……。でもなぁ。数を作ると制御が面倒くさいしなぁ。なら、タコとかイカをイメージに元は1つにして、そこから伸び縮みするロープ……っていうか触手を沢山出して。あ、でも、頭はいらないから、本体から触手がうねうね生えてるイメージで……あ、イソギンチャク! イソギンチャクみたいな感じで……)



 考えがほぼほぼ固まり、シュリは頭の中でイメージを練り上げていく。

 そして。

 手を前に突きだし、叫んだ。



 「おいで! イソギンチャクパペット!!」



 と。

 その言葉を合図に、シュリの魔法が発動し。部屋のど真ん中に、どーんと巨大なイソギンチャクもどきが現れ、鎮座した。

 その瞬間、オーギュスト以外の全員の口があんぐりと開き、目が点になるのが分かった。

 作ったシュリ本人も若干ひいているのだから、それも仕方ないことだろう。


 だが、いつまでも呆然としているわけにはいかない。

 敵方があっけにとられている今こそ好機である。

 そんなわけで、シュリは新たに考案したパペットの出来には少々目をつむり、



 「や、やっておしまいなさい?」



 ちょっとした嫌な予感はそっと横に置いて、容赦なく(?)指示を出した。

 やってしまえとの指示だが、イソギンチャクパペットに捕獲する以外の機能はないので、どうなるのかというと……



 「うわぁぁ!?」


 「触手!? 触手がぁ!!」


 「なんかにょろにょろしたのが絡みついてぇ!?」


 「み、身動きが出来ねぇ!!」



 一斉に伸びた触手が、傭兵達をはじめとした敵方勢力を捕らえ、絡め取り、半ば予想しつつも目をそらしていた、触手責めの地獄絵図が展開された。

 責められる側が女性なら、マニアな男性が夢見る光景が見られたのかもしれない。


 だが、責められているのは筋肉ガチムチの男性や、不摂生の固まりのふくよかなお腹がチャームポイントの脂ぎったおじさんばかり、なのである。

 正直楽しくないどころの騒ぎではなく、ただただ見苦しい。



 「えっと、アウグースト?」


 「なんだ?」


 「出来れば早く捕縛の人員を連れてきてほしいな~、なんて」


 「……確かに。これを見続けるのは精神衛生上良くないな。伝令を飛ばそう」



 目の前の光景を半眼で見ていたアウグーストは、シュリの提案にはっとしたように、音集めの魔道具と同様に持ち込んでいた伝令の魔鳥を取り出そうとした。

 だが、触手責めにあいながらもそれを目敏く見咎めたダルモンが、



 「くっ! 応援を呼ばれたらおしまいだ。ラモン、やれっ!!」



 そう叫んだ。

 その声に反応したのは黒いローブの怪しげな魔術師で。

 悪魔を呼び出した張本人であろうその人は、一瞬で魔法を練り、巨大な氷の刃を作り出した。

 それに気づいたシュリは、



 「危ない!!」



 と叫んで、最重要人物の国家主席であるアウグーストの前に飛び出してかばおうとしたのだが、



 「シュリ、危ないぞ」



 その行為は、オーギュストによって見事に阻まれた。



 「アウグースト!!」



 国家主席の名前を呼ぶ。事態に気づいた護衛もディリアンも動き出しているが遅い。

 彼らが国家主席の前に立つよりも先に、氷の刃が彼の胸を貫くだろう。

 そう思われた。


 だが、アウグーストは飛んでくる氷の刃を前にしても冷静だった。

 なぜなら彼の手には、手渡したシュリもすっかり忘れていた、影の薄い切り札があったから。


 彼は迫る氷刃と己を結ぶ導線上に、そっとあるものを配置した。

 それはついさっき、シュリに手渡された袋。

 そしてその中には。

 でも、その凶悪な中身について全く知らない敵方のラモンという魔術師は、



 「バカめ! 気でも狂ったか!? そんな袋で我が氷の刃が防げるとでも? 死ねぇ!!」



 己の勝利を確信し、叫んだ。

 もしその中身についての情報があれば、彼はどんな手を駆使してでも己の作った氷刃をその袋に到達させる事はなかっただろう。


 悪魔を召還する時、人と悪魔は契約を結ぶ。契約の内容は様々だが、その中に必ず組み込まれる項目が2つある。


 1つは成功した時の報酬。

 これは通常、呼び出したときと同じか、それを越える数のイケニエが相当する。


 2つ目は、失敗した時の約束事……というか暗黙の了解である。

 失敗したんだからなにも必要なかろうと思いがちだが、失敗してこの世界で死んだ悪魔は、本来の世界へ送還される。

 だが、彼らはただでは還らない。

 強制送還される彼らは、その時1番手に入れやすい魂に手を伸ばす。

 己と繋がるもの。己を召還したその人の魂に。


 悪魔にも個性がある以上、全ての悪魔がそうするとは限らないが、ほとんどの悪魔は残忍で強欲だ。

 それは、今回召還されたブロディグマも例外ではない。

 魔術師の放った氷刃はねらい違わず、アウグーストの持つ何の変哲もない袋に突き刺さった。

 だが、いつまでたってもその袋を突き破る気配はなく、



 「むごぉぉっ!?」



 騒がないように猿ぐつわをかまされた悪魔のくぐもった悲鳴が響く。

 オーギュストによって死なない程度に痛めつけられていた彼にとって、それが致命傷となった。 

 人のいる物質世界での仮初めの命の限界を迎えた悪魔は、己が本来いるべき世界へと送還される。

 だが、やはりブロディグマは何の土産もなく還るような、無欲な悪魔ではなかった。


 彼は最後の力で手を伸ばす。

 己を召還し、己を死に追いやった魔術師の魂へと。



 「俺様を召還しておいて自分で殺すたぁいい度胸だなぁ」



 己の命を掴むひやりとした感触と、心に直接響いたその言葉に、魔術師は悟る。

 己のしてしまった事を。

 だが、時すでに遅し。

 後悔したところでなにを出来る訳もなく、次の瞬間、魂の抜け殻となった魔術師の体からは一切の力が抜け落ちた。


 触手に捕らえられたままだらんとなったその体をそっと地面に降ろし、シュリは残りの面々に目を移す。

 かみ殺したため息に気づかれないように、ポーカーフェイスを張りつけて。



 「ラモン!? おい、ラモン、どうした!? 続けて攻撃をして奴らを一掃せんか!!」



 触手に捕らえられたままのダルモンが叫ぶ。

 己の子飼いの魔術師の魂が、もうそこにないなどとは夢にも思わずに。



 「往生際がわるいよ? そろそろ諦めたらどうかな。お仲間も、雇った傭兵も、もう大人しくなって後に残ってるのはあなただけだ」



 かすかに首を傾げ、普段のシュリからは想像できないような冷たい声音で首謀者の商人に話しかける。



 「うるさい! まだラモンがおる。奴が魔術でお前等を殺し尽くせば……」


 「無理だよ。もうその人の魂はそこにはない」


 「……なんだと?」


 「自分で召還した悪魔に魂を持って行かれたんだ。その人は、もうあなたを助けてくれないよ」


 「悪魔に、魂を? ま、まさか。そ、そんなこと……」


 「あるわけないとでも? 悪魔を召還して、あれだけ好き勝手して、自分達だけは無事だとでも思ってた?」


 「ぐ、ぅ……」

 「まあ、どうしても捕まりたくないって言うなら、それもいいさ。今回頑張ってくれた僕の悪魔もお腹を空かせているだろうし、あなた達が魂をくれるって言うなら喜んでもらってあげるよ?」



 シュリの言葉に、主の意を汲んだオーギュストが前に進み出る。

 悪魔らしく見えるように、普段はしまってある角としっぽを出現させた状態で。


 その姿に商人達はわかりやすく震え上がった。

 傭兵達はそこまで怯えていなかったが、所詮は金で雇われた身。

 無駄に抵抗するつもりはないようだった。



 「あなた以外は大人しく捕まってくれるみたいだけど、あなたはどうするの? うちの子のおやつになってくれるのかな?」



 口角を持ち上げ笑い顔を作る。

 だが、その瞳に笑みはなく、シュリは冷たくノルド・ダルモンを見つめた。

 その言葉に、視線に、ノルド・ダルモンは観念したように肩を落とす。

 そしてそのまま、国家主席が手配した兵士達の手によって、素直にお縄についたのだった。

 ともに悪巧みをした他の商人達、大金で雇った傭兵達と共に。


 彼らの証言から、その場にいなかった仲間も芋づる的に捕まって。

 自由貿易都市国家の悪魔事件は、無事幕を閉じた。

 宮廷魔術師団長・ディリアンの呼んだ本来の助っ人の参戦を待つことなく。


◆◇◆


 その頃。

 先行したシュリ達に遅れ、ようやく国家主席の執務室に到着した本来の助っ人とその仲間達は開かない扉の前で立ち往生していた。



 「……ノックしたけど返事がないわね?」


 「……まさかとは思うが、我々が到着するまでに全員やられてしまったということはないだろうか?」


 「……まさかぁ、って言いたいけど、敵は悪魔だっていうし。ない、とは言い切れない、のかしら?」



 そんな会話を交わし、3人は揃って顔色を悪くする。

 実際は、シュリやオーギュスト、国家主席を含めた突撃隊6人は敵地に乗り込んでおり、残った者は意識の戻らないリットの治療のために部屋を留守にしているだけなのだが、3人にそれを知る術はなく。


 最悪の予想をした3人は、迷うことなく実力を行使した。

 アガサが容赦なく炎の魔法をぶっ放し、焦げてもろくなった扉をジェスとフェンリーが思いっきり蹴破る。


 居残りの護衛達が、リットを連れて部屋を出る際、誰もいないと不用心だ、と部屋にきっちり鍵をかけたのがあだとなった。

 分厚い木で作られた重厚な扉は見るも無残に焼け焦げ、蹴破られ。

 ぼろぼろになった入り口を通り抜け中に入った3人は、もぬけの殻の室内を見回し、どういうことだろう、と首を傾げる。



 「え~っと。誰もいない、わね?」


 「シュリも、いないな?」


 「ま、まあ、いないって事はたぶん、無事、なんじゃないかしら?」



 室内で倒れているシュリを連想していた3人は、なんだか拍子抜けした顔で周囲を見回した。

 そんな3人の元へシュリと国家主席を抱えたオーギュストが、黒い空間をくぐり抜けて帰ってくるまであと少し。

 3人は、シュリはどこに行ったんだろう、とか、扉を壊してしまったけど大丈夫だろうか、とか、心の中で色々考えつつ、行くあてもなくその場にたたずむのだった。

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