第333話 自由貿易都市連合国家の異変

 商業に特化した都市が寄り集まって国家の様相を呈し、物事を完全に合議制で取り決め、国家の代表を、世襲制ではなく10年に1度の選挙で決める民主国家。

 それが大陸の南西に位置する自由貿易都市連合国家である。


 海に大きく開かれたこの国は、その名の通り、自由な貿易で利を得て、その利により国として成長してきた。

 10年に1度の割合で代わる国家元首によって若干の方針変更はあるものの、国の根幹に定められた約定は国家元首であっても早々変更できるものでなく、都市国家の商人達は国の定めに守られ、同時に義務を負う。


 すべての商人は、国家によって商売の自由を守られる。

 すべての商人は、国家の禁じた商品の販売をおこなってはならない。

 すべての商人は、権利を守られる対価として、商売で得た利益の1割を、国家に税として納めなければならない。


 以上の3項目が根幹に定められた商人法である。

 商人法と並ぶ法律に、国民法があり、商人法と国民法をひとまとめにし、国家法、と呼ぶ。これこそが、国の根幹の約定であり、国家元首であっても違えることのできない定め事である。


 10年に1度の選挙による国家元首の選出も、国民法に定められており、今の元首も熾烈な勢力争いを経て数年前に選出された人物だった。

 利に聡く、切れ者であると噂のその人の名前はアウグースト。

 前身は、貧しい身分から当人の才覚で成り上がった商人で、大店だから優遇されるというシステムを一新し、才能とやる気のある者にチャンスを与えた元首として、大多数の国民から愛されていた。

 一部の、富裕層からは非常に恨まれてもいたが。


 そんな彼には味方も多かったが敵も多く。

 命さえも狙ってくる政敵から身を守るため、いくつかの力ある傭兵団と個人的に契約を結んでいた。

 現在、隣国に派遣している傭兵団「月の乙女」も彼のお抱え傭兵団の1つで、連絡の取れない団長を迎えに行くという報告を受けた際、渡りに舟とばかりにある用事を頼んだのだ。

 その用事を頼まねばならなくなった背景には、しばらく前から、政府の上層部でおこっているある異変があった。


 人が、消える。


 それはまず、下位の文官の間で起こった。比較的身分が低く、気にかける者が少ない者を狙うように。

 だから最初は誰も気づかなかった。

 連絡の取れない者が1人増え、2人増え。周囲の者がおかしいと思い始めた頃、それなりの要職につく文官の行方が分からなくなった。

 その頃になって、問題はようやく上層部の耳に届いた。


 すぐに調査に乗り出したが、犯人の目星は全くつかず、行方不明者は十数人にものぼった。報告があった者だけで。

 遺体が出てくるわけでもなく、その人物達は霞のようにある日消えていなくなる。

 中には、最近姿が見えないと思われるだけの者もいるに違いない。


 元首の名前で、なるべく複数人で行動するよう通達を出したが、それでどれだけ抑止出来るか。

 早急に犯人を捕まえなければと誰もが思ったが、それは容易なことではなかった。


 そんな中、国の魔術師団のトップをつとめる男が、ある可能性を口にした。

 悪魔という、超常の存在が関わっている可能性を。

 なぜそう思う? 、そう問いかける元首に彼は答えた。

 現場を検分して回る際、わずかな魔力残滓を感じたのだ、と。人とは違う、特殊な魔力の残り香を。

 それをふまえて感覚を研ぎ澄ませてみれば、そのわずかな残り香は、元首が政治を行う王城の中にも感じられたのだという。



 「私が感じた魔力残滓は非常に特徴があるものでした。人の持つモノとは明らかに違います。恐らく、悪魔が誰かの姿を乗っ取り擬態しているのでしょう」



 魔術師団長はそう推測した。



 「なぜ悪魔だと?」


 「正しい召還術式と対価さえ用意できれば、人であっても比較的簡単に使役する事が出来るからです。扱い方を間違えなければ、という注釈は必要でしょうが。更に言うなら、悪魔は人の皮をかぶるのが上手です。擬態した悪魔は敵の陣営に入り込み、労せず目的を成す。今回の場合、敵とは我々の事でしょう。そしてその目的はもちろん……」



 魔術師団長はそこで言葉を止め、意味ありげに元首の顔を見る。

 その視線を受け、アウグーストは苦虫を噛み潰したような顔をした。



 「目的は、私か」



 アウグーストの言葉に、魔術師団長は頷き、



 「そうでしょうね。となると、我らの敵は、あなたを恨む誰かでしょう」



 そう断じた。

 敵意を向けられる自覚はおありでしょう? と目を向けられて、アウグーストはありすぎる自覚の数々に頭痛を覚えてこめかみをぐりぐりともみほぐす。



 「狙うなら私の命だけを狙ってくれればいいのに、やっかいな事だ。巻き込まれた者には謝っても謝りきれないな。首謀者にはなにがなんでも、生きていることを後悔するほどの罰を受けてもらわねば」



 凄みのある笑みと共に呟くと、魔術師団長も同意するように深く頷いた。



 「そうですね。ですがその為には、まずこの事態をどうにかせねばなりません」


 「ふむ。確かにな。先ほど、魔力の残り香をかいだと言っていたな? その残り香が誰から漂うか、精査できるか?」



 魔術師団長の言葉に頷き、アウグーストはしばし考えた後、そんな問いを投げかける。

 その問いを受け、魔術師団長は難しい顔をした。



 「私程度の能力では難しいですね。私では、せいぜい漂う魔力の香りを感じ、何かがおかしいと感じられる程度なのです。その大本までたどり着くには、少々鼻の精度が足りません」


 「この国では抜きんでた実力を持つと賞賛される君でも無理なのか……」



 それは参ったな、と顔をしかめる元首の様子をながめつつ、



 「ええ。私では無理です。ですが、何とか出来うる人材への伝手がないわけではありません」



 魔術師団長は、やや表情の薄い面に笑みを浮かべる。



 「伝手……どんな伝手だ?」



 怪しげな伝手ならお断りだ、と言わんばかりの視線を向けられ、魔術師団長は浮かべた笑みを更に深めた。



 「怪しいという事はないでしょうが、身元は確かな人物ですよ。この国の者ではありませんが」


 「この国の住人でないのは面倒だが、身元が確かだと君が保証してくれるならなんとかなるか。その者が商都まで面倒なく来られるように、諸々の書類はすぐに用意しよう。後は、そうだな。一応護衛も手配するべきか?」


 「護衛は必要ないとは思いますが、用意いただいた書類や救援要請の書状を届ける者は必要ですから、傭兵団の手配をしましょう。相手は女性ですので、出来れば[月の乙女]に動いて欲しいところですが……」


 「[月の乙女]か。あそこは確か今、団長が休暇を取っていて不在だったな」


 「そうですね。団長がいつ戻るか、団長不在でも依頼を受けられるかを確認しつつ、可能であれば彼女達を派遣しようと思います。どうしても無理なら、[蒼き狼]に依頼を回しましょう。あそこの者達は比較的礼儀をわきまえていますから」


 「そうだな。そうしてくれ。この件に関しては、魔術師団長・ディリアン・カウストに全権を委任しよう。後でその旨、書面にして届けるようにする」


 「よろしくお願いします。全てが無事に解決するまではくれぐれも油断されないように。魔術師団からも腕利きを何人か派遣します。他、傭兵団からも信頼できる人員を何人かお側に置くようにして下さい。不自然な行動、言動をする者は、たとえ側近であっても信用なさいませんように」


 「それは、君であっても、ということか?」



 悪戯っぽく返され、ディリアンは片眉を器用にひょいと上げ、



 「ええ。私でも。さすがの私も、1人で悪魔にあらがうのは難しいでしょうからね」



 まじめな顔でそう返す。



 「私からすると、君は十分人外な部類に入るんだが、上には上がいる、ということか」


 「そうですね。悪魔というものは、例え下位の悪魔だとしても、人1人で対処するような存在ではありませんよ。とはいえ私は非常に優秀な部類に入りますから、下位の悪魔なら何とか出来るかもしれません。が、中位以上の悪魔だと難しいでしょう。十二分に準備を整えておいたとしても、厳しい戦いになるでしょうね」


 「そうか。君で厳しいなら、私は瞬殺だな。己の命を第1と考えて、雛鳥のように皆に守られて小さくなっている事にするよ」


 「そうして下さい。では、私はこれで。出来うる限り早急に動きます。諸々の手配が終わりましたら、また報告にあがります」



 そう言い置いて頭を下げ、足早に退去していく誰よりも頼りにしている側近であり友人でもある男の背中を見送ったのが、もう数日前。

 彼の忠告に従い、すぐに護衛を手配し、複数人で行動するシフトを組ませ。

 現在この部屋には、魔術師団より派遣された魔術師と傭兵団に要請して派遣して貰った傭兵が2人ずつつめている。


 決して狭い部屋ではないのだが、5人の人間が集まっていると流石に窮屈で。

 そんな中いつも通り公務を行っていたアウグーストは、思わずこぼれそうになったため息をかみ殺した。

 ただの商人でいられた時は気楽で良かった、と昔を懐かしみながら。


 商売が好きで楽しくて、子供を慈しんで育てるように己の店を育て、商売を広げ。

 気がつけば、大商人と呼ばれる連中の足下までたどり着いていた。

 だが、大商人と呼ばれる者になるには家柄が必要で。

 その家柄を持たぬと言うだけで、大商人には慣れぬと上から頭を踏みつけられた。


 悔しさを噛みしめ周囲を見回せば、彼と同じように大商人の下に押し込められた優秀な商人は数多といて。

 これだけ数多くの才能を伸ばしてやる事も出来ず飼い殺しにするこの国に未来はあるのだろうか、と真剣に考えた。


 国を憂う彼の元にはいつしか同じ志の同志が集まって。気がつけば、彼はそんな同志達の代表に担ぎ上げられていた。

 10年に1度の選挙を戦い抜き、強力な政敵を打ち倒し、ようやく元首の地位に立つことの出来た彼は今日まで精力的に働いてきた。

 旧態然とした国のシステムを、新しくより良いものとするために。全ての商人が、身分に関係なく己の才覚を発揮できる場を作り上げようと。

 彼の求める国は、少しずつ形を成してきてはいるが、まだ道は半ば。

 今、大人しく殺されてやる訳にはいかない。



 (ただでさえ忙しいってのに、面倒なことをしてくれやがって)



 ただの商人だった頃の口調のまま心の中でつぶやき、舌打ちをする。

 だが、まだ敵が特定できていない現状では大きく動くことなどできず。

 とりあえず、今日は新たな被害者の報告がないことだけが救いだな、と思いつつ落ち着いた表情を取り繕ったまま、次の書類へ手を伸ばすのだった。


◆◇◆


 目立たぬように国家元首に近づき、事故に見せかけてその命を奪え。

 それが、その悪魔に与えられた命令だった。

 下等な人間に従うのは本意ではなかったが、数人のイケニエの魂につられて召還されてしまったのは己なので文句も言えない。


 命令は、召還主と交わした契約であり、守らなくてはならない約定。

 だが、契約を果たせば、更なる魂が約束されており、契約を遂行する途中で奪った魂も彼のモノとなる。


 目立たぬよう、とされているので、無闇に命を刈ることは出来ないが、ゼロではない。

 少なくとも、標的である国家元首の魂を味わう事は出来るはずだ。

 一国の主にまで登り詰めた者の魂は、力にあふれ甘美な味がするに違いない。


 そんな事を考え、内心舌なめずりしながら、今日も悪魔は人に擬態して、周囲に不信に思われないように業務を行いながら、次なる標的を探す。

 最初は接触の簡単な下っ端を狙った。


 最初の1人の魂と記憶を奪い、抜け殻となった体に入り操ろうとして初めて、己が入り込み自由自在に使うためには、器にそれなりの素養が必要なのだ、と言うことを知った。


 最初の器にはそれがなく、入れはしたがその体を操ることが出来なかった。

 操れる器を探すという大義名分を得た悪魔は、1人、また1人と犠牲者を増やし、その魂を味わった。

 その犠牲者は5人を越え、直接味わう魂の甘美さに悪魔が己に与えられた命令を忘れかけた頃、ようやく素養の揃った器を手に入れた。


 それまでは、夜の闇に紛れて影から人を襲っていたが、人としての姿を得た彼は堂々と人々の間に紛れ込んだ。

 とはいえ、人の姿を得たとは言え、周囲の者に不信がられないように行動する必要がある。

 なので、昼間は盗んだ記憶を頼りに己の仕事をこなしつつ次の獲物を探し、狩りはやはり夜に行った。


 下っ端の姿を借りた彼が接触出来るのは、同じく下っ端か、それよりやや上位の者に限られ。仕方がないので、次の標的は器より少しだけ上位の職につく者を狙った。

 そうして数人の犠牲を経て新たな器を手に入れ、またそれよりも少し上の職責の者を標的とする。

 悪魔は時間をかけ、少しずつ最終標的である国家元首へと近づいていった。


 急ごうと思えば急げたが、己の行動を妨げられる者などいなかろう、という傲慢な思いが彼にはあった。

 故に、彼は急ぐことなく、むしろ必要以上に時間をかけ、必要だからという言い訳で余分な命を喰らいつつ、ゆっくりと最後の標的を目指した。

 それが、己の命取りとなるなど、かけらも思うことなく。


◆◇◆


 自由商業都市連合国家の誇る魔術師団長・ディリアンは、国家元首の執務室を辞した直後から、ひっそりとだが精力的に動き出した。

 まずは己の執務室に戻り、国家元首の為の護衛要因を手配する。

 ただの人間相手であれば元首お抱えの傭兵団に任せておけばいいが、今回の敵は悪魔である。

 いくら人間に擬態していて能力に制限があるとはいえ、悪魔の相手を傭兵団の護衛にだけ任せるのは少々気の毒だろう。


 そんな思いの元、魔術師団の中でも特に優秀で反対勢力の息が確実にかかっていないだろう人物を、交代要員も含め数人選出し、執務室に呼び出す。

 集まった彼らに現在の状況を話し、昼夜問わず交代しながら、必ず2人1組で護衛にあたるよう、指示を出した。

 傭兵団から選出される護衛とも協力し、護衛が1人となる瞬間を作らぬよう、言い聞かせておく事も忘れずに。

 例え用足しの時であっても、1人である瞬間を作るな、と。


 1人になった護衛が悪魔に狙われその体を乗っ取られたら、悪魔は悠々と元首へ近づくことが出来る。

 そうなったら万事休すである。


 その事をよくよく言い聞かせ、ディリアンは護衛に選出した者達を送り出した。

 そうして彼らを送り出した後、ディリアンは再び1人で執務室を抜け出した。

 向かう先は、傭兵団[月の乙女]契約し、ホームにしている屋敷である。


 団員が住居を別にし、有事の際だけ集まる傭兵団がほとんどな中、[月の乙女]達は大きな屋敷で住居を共にし、まるで家族のように暮らしていた。

 団長のジェス・フォルクールは休暇で不在だが、副団長のフェンリーはいるはずだ。


 そんな事を考えながら、特に約束もなく屋敷を訪ねると、団員達の様子がなにやら慌ただしい。

 首を傾げながら、団員の1人を捕まえてフェンリーの所在を尋ねると、団長と副団長の私室にいるはずだと中に通された。

 この屋敷では、2人部屋か3人部屋が基本で、それは団長であろうとも例外ではないらしい。


 雑務を行う執務部屋はあるはずだが、副団長は忙しくしているから私室へ直接向かうよう言われたディリアンは、何か不測の事態でも起こったか、と考えつつ階段を上がり、ジェスとフェンリーの部屋へ向かう。

 入り口でドアをノックして名を名乗れば、



 「ディリアン様? あ~、ちょっととっちらかってるけど、それでよかったら入って下さい」



 中からはフェンリーのそんな声。

 とっちらかってようとなんだろうと用事があるのだから入らないという選択肢はなく。

 ディリアンは、入りますよ、と声をかけつつ扉を開けた。


 開けて室内に入ってみれば、フェンリーの事前告知の通り、部屋の半分はかなりにぎやかなことになっていた。

 その中に、荷造りのためであろうやや大きめの魔法鞄を見つけたディリアンは片眉をひょいと上げ、



 「大がかりな荷造りですね。遠出ですか?」



 せっせと荷造りをするフェンリーの背中にそう尋ねる。

 その質問に、フェンリーは振り返りもせずに答えた。



 「休暇の期間を終えたのにジェスが帰って来ないんですよ。几帳面なあいつにしては連絡も全くないし。なので取りあえず、少数精鋭で迎えに行こうかと準備をしているところです」


 「ジェスの休暇は終わってましたか。確か今回は遠出するという話でしたね?」

 「はい。隣国のドリスティアの王都を見に行くって言ってました。行ってなにをするって訳でもなさそうでしたけど。でも、まあ、そう言うのが結構好きみたいなんですよね、あいつ。目的もなく色々な場所を見て回るってのが。楽しすぎて時間を忘れてるだけならいいんですけどね」


 「ドリスティア、ですか。それは好都合ですね……」


 「はい?」


 「いえ。ドリスティアへジェスを探しに行くという事ですが、彼女がどこにいるか分からないんじゃないですか?」


 「ああ、それは大丈夫です。ああ見えて几帳面な奴なので、旅行のルートを全部書き出してから出発したんです。そのルートの通りに旅してるはずですよ。なので、取りあえずはそのルートを辿りつつ目撃情報を集めればいいかな、と。無事に王都にたどり着いて、ぼけぼけ過ごしてるだけならいいんですけど」


 「なるほど。では最終的にはドリスティアの王都へ行く、ということですね」


 「まあ、その前にあいつが見つかればすぐに帰ってきますよ。なにか依頼なら、私とあいつが戻ってからお願いします。残った団員だけに任せられるくらいの内容なら別に構いませんけど」


 「いえ、途中でジェスを見つけたとしても、是非王都へ行って貰いたい。それがあなた達への依頼です」


 「ドリスティアの王都へ行くことが、ですか?」


 「正確には、王都にいるある人物へこの書状を確実に届けて頂きたいのです。可及的速やかに」


 「えーっと、ジェスを探しながら行くから、そんなに早くは動けませんよ? 国境を越える通行証もないので審査に時間がかかると思いますし」


 「通行証はこちらで準備してあります。依頼は[月の乙女]全体への依頼ですから、団員は全て同行するといいでしょう。そうすれば、ジェスの捜索もはかどるでしょうし。まあ、ジェスの捜索が思うように進まなかった場合は、あなたと精鋭で先に王都へ向かって貰う必要はありますが」



 いかがでしょう、と問われ、フェンリーはしばし考え込む。

 全員で移動するのはお金もかかるし、少数で移動しようと考えていたが、依頼となれば必要経費も請求できるだろう。

 ディリアンの依頼はこれまでにも受けたことがあるし、彼はが必要な事に払うお金をケチる男ではないことは分かっていた。



 (小人数より、大人数で情報を得た方が早くあいつを見つけられる、か。そういう意味でも、ついでの依頼は悪い話じゃないわよね)



 そう判断したフェンリーは、ディリアンの依頼を受けることにした。



 「分かりました。隣国への届け物依頼お受けします」


 「そう言ってもらえて助かりますよ、フェンリー。届けた相手が私の願いを聞いてくれた場合、その人物をこちらまで護衛して戻って貰うところまでを依頼内容とさせて下さい」


 「まあ、どっちみちジェスを見つけたらすぐに帰ってくるつもりでしたし、それは問題ないですけど。でも、護衛なら他にそう言うのが得意な傭兵団もいるんじゃないですか?」


 「護衛対象が女性なので、出来れば[月の乙女]にお願いしたいと思っていました」


 「ああ。なるほど。理解しました。じゃあ依頼の細かい内容と報酬についての話を詰めたいんですが、ここじゃあなんなので……」



 言いながら、フェンリーは散らかり尽くした周囲を見回して苦笑する。



 「えっと、話の続きはジェスの仕事部屋でやりますか。お茶かなにか用意させますから、先に行ってて貰えます? みんなに指示を出したら私もすぐに向かいます」


 「分かりました。では後ほど」



 フェンリーの提案にディリアンは頷き、素直に散らかり尽くした部屋を辞した。

 そのままジェスの仕事部屋と呼ばれている部屋を目指しつつ、[月の乙女]が仕事を受けてくれて良かった、と小さく安堵の息をつく。


 彼の脳裏に浮かぶのは、もうずいぶん長く会っていない女性の面影。

 肉感的で美しく、男にとっては毒にも薬にもなるような危険な色香を放つその女性の名前はアガサ。


 かつて、ディリアンが隣国ドリスティアの高等魔術学園で効率的に魔法を操る術を学んでいた頃、共に学んだ友人である。

 最初はいけ好かない相手だと互いに思っていたが、特殊な血を持つ者同士と分かってからは、他の者には相談しにくい事を相談しあう仲となった。


 ディリアンは、彼女がただの男にだらしない女ではない事を知っているし、彼女の高い能力をちゃんと評価していた。

 それは彼女も同様で、高等魔術学園を卒業した後も2人の友人関係は続き、仕えるべき国を違えた今でもそれは続いている。

 時折思い出したように手紙のやりとりをするだけの、極めて細いつながりではあったが。


 だが、ディリアンは信じていた。彼女が己の願いを断ることはないだろう、と。

 彼女ならきっと、そんな思いと共に、主のいない仕事部屋の扉を開ける。

 そして。



 (アガサ。あなたは私を……友を見捨てはしない。そう信じていますよ)



 心の中でそっと、国境の向こうで暮らす友人に話しかけるのだった。

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