間話 服屋のおじいさんからの手紙④

 「あの、アビス?」


 「なんでしょう、シュリ様」


 「試着は自分で出来るから平気だよ?」


 「いえ、主のサポートが執事の本分ですから。私に全てお任せ下さい」



 そんなやりとりが、ついたての向こうから聞こえてくる。

 それを並んで聞きながら、



 「悪いな」


 「なにがです?」


 「いや、俺の正体が見破られて」


 「かまいませんよ。彼女は魔人との混血のようですから、貴方の気配に敏感だったのでしょう」


 「魔人との混血。なるほどな。しかし、相変わらずの覗き見趣味だな」


 「覗き見とは人聞きの悪い。ただの情報収集じゃないですか」


 「ステータスを勝手に覗き見ることを、情報収集とは言わない。まあ俺が目くじらをたてる事じゃないが。で?」



 オーギュストは横目で食えない顔をした師匠の方をちらりと見る。

 おじいさんも片眉を上げて、不詳の弟子の顔をちらりと見上げた。



 「で、とは?」


 「あの子供のも見たんだろう?」


 「ああ」


 「で、どうだったんだ?」


 「貴方も好きですねぇ」


 「好きとかどうとかって訳じゃなくてだな。シュリ、とかいったか。あの子供はまだあんなちびっこいのに底が知れない。悪魔の俺が思わずその足下にひれ伏したくなるような、あの強者の気配はなんなんだ? ステータスはどうなっていた?」


 「見えませんでした」


 「は??」


 「ですから、見えなかったんです」


 「見え、なかった?」


 「ええ。こういう事はたまにあるんです。恐らく、相手と私とのレベル差がありすぎるせいなんでしょうが」


 「レベル差って、まだ子供だぞ?」


 「子供ですが、かのヴィオラ・シュナイダーの孫ですよ? あり得ない話では無いでしょう。彼のステータスでかろうじて読みとれたのは、名前と種族と年齢、くらいでしょうか?」


 「師匠のスキルは師匠よりレベルが高い相手には効きにくいんだったな、確か。あの年で、もうその域か。師匠に命令されてスリーサイズを測りに行ったとき、よく殺されなかったものだ」


 「見逃されただけかもしれませんよ?」


 「かもな。末恐ろしい子供だ」



 絶賛お気替え中のシュリに聞こえないように、一般人であれば聞き取れないほどに落とした声で言葉を交わしあう。

 これも、なんでも屋ならではの技術だった。


 相手は素人だが、身体能力が基礎から高い悪魔にとっては、ただの人であれば聞き取れないような声を聞き取ることなど、なんの労もないことだった。

 それと同じ事を出来る人間がこの場にもう1人いるなどとは思わずに、2人はのんきに言葉を交わす。


 おじいさんの方は口も動いておらず、一見するとなにも話していないように見える。

 オーギュストの方はよく見ると口が動いているのが分かるが、その程度だ。

 そんな2人は気づきもしなかった。

 ついたての向こう側で、アビス相手に格闘するシュリが、



 (あ~、そう言えば覚えの無い気配が僕を探ってた時期があったよね。悪意は感じなかったし、他にも同じようなのもいたし、危険は無さそうだから放っておいたけど、アレってオーギュストだったんだ。寝てる間に紐みたいなのを体に巻かれた時は、流石にどうしようか迷ったけど、あれってスリーサイズ測ってたんだねぇ。問答無用で殴っちゃわないでよかった、よかった)



 などと思っているなんてことは。

 正直、悪意も殺気もなく、ただ様子を伺っている相手など大したこと無いと思ってしまう。

 隙あらばシュリの下着を盗み、よからぬ行為に使おうとする女性陣に比べれば。



 (まあ、その情報が悪いことに使われることもあるだろうし、甘いって言えば甘いんだろうけどね)



 でもまあ、実害がなければいいのだ。

 もし実害があっても跳ね返してしまえばいい。

 大抵の害悪であれば軽く跳ね返せる人材も揃ってるし、とそんなことを考えながら苦笑するシュリの着替えはそろそろ佳境に入ってきていた。


 上はもう着替え終わった。

 白いシャツに光沢のある青銀色のネクタイ。

 ネクタイピンはなぜかグリフォン。

 恐らく、おじいさんの手作りだろう。器用な人である。

 その上に紫紺のブレザーを着て、今、そのボタンを留め終えたところだった。


 さて、後はズボンだな、と今はいているズボンを下ろそうとウエスト部分に手をかけた瞬間、負けじとばかりに伸びてきた手があった。

 その役目は譲りません、とばかりにズボンをつかんできたアビスの手に、シュリは無言で目を落とし、そしてすぐに諦めた。

 抵抗など、無駄なことだ、と。


 アビスに任せるように手を離すと、彼女はぱあっと顔を輝かせた。

 本当に、シュリが絡むとクールさのクの字も感じられない。

 だが、そこも可愛いと言えない事もない。

 普段はクールな彼女のポンコツな部分が可愛い……こういうのをギャップ萌えと言うのかもしれない。


 そんな事をぼんやり考えていると、するりとズボンが下ろされた。

 瞬間、大事な部分にひやりとした空気が触れる。

 次いで、ちょっと湿った熱い空気が。


 ん、なんだかおかしいぞ、と目線を下に向ければ、足下にはパンツごと下ろされたズボンがあり、そして。

 股間の前には理性を飛ばしかけたアビスの顔があった。

 うっすら開いた彼女の唇に、今にもぱっくんされそうな脅威を感じたシュリは、音速で己のパンツを引っ張り上げる。



 「アビス、パンツは脱がなくてもいいんだよ!」


 「そっ、そんなっ!! ちょ、ちょっとくらいいいんじゃありませんか?」


 「ちょっともなにも、パンツの上からズボンを試着するんだから、パンツを脱ぐ必要なんて全く無いでしょ!?」



 これ以上は危険だ、とシュリは慌てておじいさんが用意してくれていた制服のズボンを履いた。

 履いたがすぐに、その長さに疑問を覚え、首を傾げる。

 このズボン、なんだか短いぞ、と。



 「あうぅ~、ちっちゃいシュリ様がお隠れにぃ」



 などと訳の分からない事を言っているアビスを置き去りに、たたたっと走ってシュリはおじいさんの前へ。



 「おじいさん、着てみたよ。どう?」



 そんな言葉と共に、両腕を広げて己の姿を披露する。

 おじいさんはその姿を真正面から見ようと少し腰を屈め、相好を崩した。



 「よくお似合いですよ。着心地はいかがですか?」


 「大丈夫。ぴったりだよ。それよりさ、このズボン、みんなこれなの??」



 シュリの質問に、おじいさんはちょっとだけ笑い、首を横に振る。



 「いいえ。シュリ様の為に少々アレンジしました。他の方々の制服のズボンはちゃんと長いですよ。シュリ様の愛らしい膝小僧は愛でる価値がありますが、むさ苦しい男性のすね毛は鑑賞に堪えませんからね」



 おじいさんの返事に、シュリはほっとしつつも苦笑をこぼした。



 「でもさ、僕だってすぐにおっきくなるし、すね毛だって生えてくるよ? むさくるしいよ??」


 「いいえ! シュリ様のすね毛がむさ苦しいなど、ありえません。シュリ様はすね毛も麗しいでしょうねぇ。とはいえ、生えてくるのはまだ先でしょう。シュリ様の年頃の男の子にはやはり、半ズボンが1番です。少年時代の儚さや愛らしさをより一層際だててくれます。ねえ、オーギュスト」


 「ああ。すばらしい膝小僧だ。思わず舐め回してしまいたくなるな。おっといかん。俺としたことが、よだれが」



 ぼ、ぼくだってすね毛はむさ苦しいと思うよ、というシュリの言葉はまるっと無視して、おじいさんはまだ生えてもいないシュリのすね毛を褒めたたえているし、オーギュストはシュリの膝小僧がごちそうに見えているようだ。

 そして、シュリの目の前には、



 「なんて愛くるしくて美味しそうな膝小僧でしょうか……。シュリ様?」



 正座をしてシュリの膝に目が釘付けの男装執事が1人。

 アビスも、オーギュストと同様、シュリの膝がごちそうに見えているらしい。2人とも、目がおかしいんだと思う。



 「……なぁに?」



 聞きたくはないが、一応聞き返してみる。

 アビスは主の膝を愛おしそうになで回しながらシュリを見上げた。



 「ちょっとでいいので舐めてもいいですか?」


 「ダメです!」



 アビスがなんだか頭の悪いお願いをしてきたので、即座に断っておいた。

 そして、訴えるように涙目で見上げてくるだめだめアビスを半眼で見返すのだった。


◆◇◆


 「あ、そう言えば僕、おじいさんの名前知らないや」


 「おやおやそうでしたか。それは失礼しました」


 「教えて貰える?」


 「もちろんですとも。私の名前はセバスチャンと申します」



 おじいさんの口から出た、執事の定番的な響きの名前にシュリは目を瞬かせる。



 「セバスチャン……なんか執事っぽい名前だね」


 「ええ。なぜか色々な方にそう言われます。服屋は私の趣味ですが、私の夢は心から敬愛する主に執事として仕える事だったのですよ。今更、叶うわけは無いでしょうが、執事としての業務に関しては一通り修めております」


 「へえ、そうなんだね」


 「シュリ様にお仕え出来れば、これ以上ない幸せなのですけれどね」



 おじいさんの意味ありげな視線に、シュリはきょとんとした顔で首を傾げた。



 「えっと、敬愛する人に仕えたいって」


 「敬愛しておりますよ。これ以上ないほどに」


 「そ、そうなの?」


 「ええ。心から。お近くにお仕え出来れば、日々の成長にあわせて細々と服の手入れも出来ますし。執事がダメでしたらお抱えの服屋としてでも構わないんですが」



 冗談めかしたおじいさん……もとい、セバスチャンの言葉にシュリも思わず微笑み、それからこじんまりとした店内を見回した。



 「おじいさん……じゃなくて、セバスチャンさんが僕に仕えたいって言ってくれるのは嬉しいけど、このお店は?」


 「その点は。この店を任せられる者の1人や2人はおります。シュリ様、私のことは呼び捨てか、あるいはセバスとお呼び下さい。敬称は不要です」



 断固とした口調で呼び捨てを強要される。

 正直、年上の人を呼び捨てにするのはいつだって抵抗はあるのだが、この世界では年功序列よりも身分が重視されている。

 同じ身分ならともかく、身分差がある相手への敬語は、相手がどれだけ年上であっても倦厭されることが多い。

 身分の差があればあるほど、その傾向は強かった。

 この世界で生きて5年以上が過ぎ、そんな常識もすっかり理解しているシュリは、求めに応じて敬称抜きでおじいさんの名前を呼ぶ。



 「えーっと、じゃあ、セバス? この店を任せられる人ってオーギュスト?」


 「いえ、オーギュストはまだ未熟者ですから。私がシュリ様にお仕えするなら共に仕えさせます」


 「そっかぁ」



 どうしようか、と傍らのアビスを見上げると、彼女は真面目な顔をして何かを考え込んでいるようだった。

 その口元を見ると、なにかぶつぶつ呟いているようなので、シュリはそっと耳をすませてみる。



 「執事……執事ですか。ふむ。私の他に屋敷を取り仕切ってくれる執事がいれば、私はシュリ様のお世話に専念できますね。お姉様は早々に他のメイドに仕事を押しつけ……ごほん。若いメイドに仕事を覚える機会を与えてあげて、自身はほぼシュリ様の専属メイドになってますし。ジュディスさんはシュリ様専属の秘書、シャイナさんもお姉様同様シュリ様専属のメイド、カレンさんもシュリ様専属の護衛官。私だけシュリ様専属という肩書きが無いのも面白く無いですし、ここは思い切った雇用をすべきでしょうか。アズベルグのお館様からはその辺りの裁量は許して頂いておりますし。それに、セバスチャンとやらは元は国王に仕えていたほどの凄腕のようですし、縫製の腕前も中々のものですし、あのオーギュストとかいう悪魔もまあ使えそうですし。悪くない買い物かもしれませんね」



 どうやら、アビスはセバスチャンの雇用に前向きのようだ。

 シュリとしても、特にそれに反対する理由はない。

 最近はアビスがシュリにべったりなので、彼女に代わって全体を取り仕切る人が必要かもなぁとは思っていたのだ。


 とはいえアビスも何とか両立しようと頑張っていたし、シュリから言い出すのも悪いような気がしたので、特に口出しはしなかったが。

 アビスはそれからしばらくぶつぶつ独り言を言っていたが、ようやく考えがまとまったのか、



 「執事になりたいという貴方の思いが本物であるならば、前向きに雇用を考えようかと思いますが、どうでしょう?」



 顔を上げ、セバスチャンに雇用に関する話を切り出した。



 「雇っていただけるなら望外の喜びです。もちろん、執事になりたいという気持ちに間違いはありませんとも」


 「そうですか。ならば、貴方の話を聞かせて貰いつつ細かい条件を詰めましょう。使用人の雇用に関しては私に一任されていますから、面接もかねていると思って下さい。私が雇うと言えば、その時点で貴方はルバーノ家の執事となります」


 「はい、なんなりと。どんなご質問にもお答えいたします」


 「よい心がけです。では……」



 そんな感じに、アビスの面接が始まり、手持ちぶさたになったシュリは、同じくぼーっと突っ立っているオーギュストの顔を見上げた。



 「オーギュストも僕の家に来てくれるの?」


 「そうだな。師匠がそうしろと言うならそうする。今の俺は、師匠に師事している身だからな」


 「そっか。じゃあ、これからよろしくね? 僕の周りにはちょっと変わった人が多いけど、美人もいっぱいだから楽しみにしてていいと思うよ」


 「女か。別に女に困っている訳ではないから、美人が多いと言われてもな。それより……」


 「それより??」


 「今はデザインを含め、1から服を作る練習をしてるんだが、たまにで良いから完成品を着てみてくれないか?」


 「オーギュストが作った服を? いいよ。今はどんなの作ってるの?」


 「今か。最近完成したのはこれだ」



 言いながら、オーギュストはいそいそと己が作った服を取り出した。

 もふっとしたそれは、どうやら着ぐるみらしい。


 「着ぐるみかぁ。僕もそろそろ着ぐるみが似合う年じゃなくなってくるけど……」


 「いや、まだしばらくは似合うと思うぞ?」


 「え? でもさ? こういうのはちっちゃい子が着るやつだし」


 「お前も十分ちっちゃい子だろうが。あと3、4年はいけるさ」


 「うぐっ。そ、そりゃあ、まだちっちゃいけど、成長期だからすぐにおっきくなるもん! 着ぐるみなんか似合わないごっつくて頼れる男前になる予定なんだから!!」


 「ほ~、そりゃあすごいな。すごい、すごい。それより、ちょっと体に当ててみてくれ。ちゃんとお前のサイズで作ってある。師匠のもの程とは言えないが、精一杯丁寧に作ったつもりだ」



 シュリの言葉を華麗にスルーして、オーギュストは自作の着ぐるみを広げて見せた。

 もふもふ加減もすばらしく、作りは確かに丁寧だ。

 丁寧、なのだが。


 シュリはオーギュストが掲げる着ぐるみを見て首を傾げた。

 作りは悪くないが、それがなんの着ぐるみだが判別が非常に難しい。

 動物なのはなんとなく分かる。強いて言うなら……。



 「え、えーっと、イノシシさん、かなぁ?」


 「いや、犬だが?」



 オーギュストは真面目な顔で答えた。

 彼は犬だと言うが、犬と言うには鼻が大きすぎ、耳が小さく、牙の主張が少々強すぎるその着ぐるみを見ながらシュリは思う。

 確かに服のデザインに関しては、セバスチャンが言っていたように、まだまだ修行が必要みたいだなぁ、と。


 その後、アビスによるセバスチャンの面接も滞りなく終わり、条件もしっかりすりあわせ、王都のルバーノ屋敷に新たな仲間が加わる事となった。

 多才なセバスチャンは、シュリの服だけに止まらず、ルバーノ屋敷の使用人達の服も一挙に引き受けてくれた。


 デザインは、使用人達の要望も取り入れつつセバスチャンが描き上げ、それを元に睡眠を必要としないオーギュストが昼夜を問わず縫い上げて。

 あっという間にルバーノ家の使用人達の制服は一新された。

 その洗練されたデザインと機能性に、他家の使用人達のうらやむ声も多く聞こえ、セバスチャンとオーギュストを引き抜こうとする動きも当然の事ながらありはしたが、どんな好条件も2人の心を動かす事は出来なかった。


 どんな高給を得られたとしても、シュリという主に仕えられる幸せとは比べようもない、とはセバスチャンの言葉だが、シュリはいつだってその言葉に心から首を傾げた。

 己の価値に無自覚な主をセバスチャンは心から愛おしく思い、その生涯をかけて心から尽くす良き執事となるのだが、それはまだ先の話である。


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