間話 服屋のおじいさんからの手紙③
とまあそんなわけで、アビスのおじいさんへの評価が、晴れて悪人から善人かもしれない変態に上がったところで、そろそろ訪問の目的へ話を移すべきだろう。
おじいさんがシュリの為にわざわざ作ってくれたという、王立学院の制服の話へと。
そんなシュリの気配を敏感に察知したのか、おじいさんはにっこり好々爺然とした笑みを浮かべ、口を開いた。
「シュリ様、いま持ってこさせますので、少しお待ち下さい。オーギュスト、例の物を」
「はい、ただいま」
おじいさんの言葉を受け、店の奥から1人の青年が現れる。
暗赤色の髪と血のような赤い瞳、身につけた服も髪の色に似た暗赤色という、赤に彩られた細身の青年は、その美しい容姿とは裏腹に抜き身の刃のような危うい雰囲気を纏っていた。
しかしその雰囲気とは裏腹に青年は静かに歩を進め、奥から大切に持参した服をおじいさんの傍らに丁寧に置く。
その青年の出現に、シュリは自分を抱くアビスの腕が緊張するのを敏感に感じた。
そしてシュリ自身も、青年がただの人間では無さそうだという事に気づいてはいた。
(ん~? ただの人間じゃなさそう、だけど、精霊とも違う感じだし。でも、人間と精霊だったら、精霊の方に近い、のかなぁ??)
と、そんな風に違和感を感じつつも、シュリはその存在についての知識を持ち合わせていなかった。
しかし、アビスの方には心当たりがあったようで、
「貴方は悪魔を使役しているのですか? それも、下っ端の悪魔ではありませんね?」
青年の正体を正確に言い当てた。
何でそれが正解か分かったかというと、アビスの言葉を聞いた瞬間、悪魔のお兄さんの雰囲気が明らかに尖ったからだ。
すうっと細められた赤い瞳に宿った殺気に、シュリは困ったなぁと思いつつ、半ば戦う覚悟を決めた。
戦いたいわけでもないし、悪魔だからと言って問答無用で退治しなければならないなんて使命感もない。でも、相手がシュリの周りの人を傷つけようとするなら話は別だ。目の前の悪魔が、己の正体を見抜いたアビスを許さないと言うのなら、アビスを守るために撃退するまで。
シュリがきりっと表情を引き締め、向こうが「やる気か? ああん?」と言うように片眉を上げ。
まさに一触即発という雰囲気を見事にぶち壊してくれたのは、おじいさんだった。
「ああ、やはりバレてしまいましたか。確かに、オーギュストは上位悪魔ですが、別に私が使役してる訳ではありませんよ? 弟子のようなものです」
おっとりとそんな言葉を差し挟み、それによってシュリとオーギュストの間の緊張感が霧散する。
シュリはほっとしつつ、おじいさんを見上げた。
「弟子? あんさつしゃ、じゃなくて、なんでも屋さんの??」
「いえいえ。なんでも屋の方の弟子は、今はとっていませんし、オーギュストはなんでも屋をするには少々くせが強すぎますので。第一、悪魔には戦闘技術やら暗殺術やら隠密術など必要ないでしょう? そんなものは必要ないくらいの強者なのですから。これは、私の趣味の方の弟子なのですよ」
「趣味……服屋さんの!?」
「ええ。オーギュストは服作りに大層興味を持っておりまして。ここ数年、私について修行をしている身なのです」
「悪魔が、服屋さんで修行……」
「服作りに興味がある悪魔など、聞いたことありませんが」
嘘じゃないでしょうね、と疑いにかかるアビスの視線を、おじいさんは涼しい顔で受け止める。
「悪魔というものは残虐な本性の者が多いですが、みんながみんなそうとは限らないものですよ。ほら、人間だってそうでしょう? 人間の全てが善などということはあり得ない。貴女も、ご存じのこととは思いますが」
「確かに。人が全て善良とは限りませんね。その理屈で言うなら悪魔も全てが悪という訳ではないのでしょう。では貴方は、その悪魔は善良な存在であると、そう主張するわけですね?」
「まあ、完全なる善では無いでしょうが、無闇に人を虐殺し魂を貪る者でないことは確かです。これにとっては、服飾への興味の方が残虐行為で得る糧より魅力的なようですよ? まあ、今のところは、という注釈は必要かもしれませんが。悪魔とは、人の想像の枠に収まらないほど長く生きる存在ですからね」
「……我らは精神生命体ゆえ、寿命という概念は確かにないな。だが取り敢えず、師匠がしぶとく生きている間は服飾見習いとして大人しくしている予定ではある。信じるか信じないかはそちら次第だが」
「なるほど。理解しました」
おじいさんと、オーギュストという悪魔の人の言葉に、アビスはひとまず頷いた。
少なくとも、この服屋に突入した直後よりは理性的な対応が期待できそうで、シュリはちょっぴり安心する。
とはいえ、シュリの周囲の人は大抵の場合において、シュリの斜め上をいく反応をしてくれるので、完全に安心は出来ないけれど。
「お洋服、作るの好きなの?」
「ああ。お前の制服を作る作業も手伝わせて貰った。ほんの、少しだが」
「わあ、ありがとう。僕の制服、見せて貰っても良い??」
「もちろんだ」
シュリが問いかけると、彼はいそいそと服を取り出すと、紫紺の上着をそっと広げて見せてくれた。
「紫紺は王立学院のカラーだが、ちょうどお前の瞳や髪の色によく合う色だな」
言いながら、彼はシュリが見やすいように広げた上着を目の前に掲げてくれる。ジャケットのようなブレザーのような形の上着の胸元には、王立学院のエンブレムらしきデザインを見事に刺繍されたワッペンが丁寧に縫いつけられていた。
シュリは、エンブレムの刺繍にそっと手を伸ばして触れながら、
「すごい。刺繍、上手だね。きれい」
思わず呟くと、オーギュストが身を乗り出してきた。
「そう、思うか?」
「うん」
「そうか」
彼の問いに素直に頷くと、オーギュストは満足したように数度、大きく頷いた。
そんな彼の様子を微笑ましそうに見ながら、そそっと進み出てきたおじいさんが、
「その刺繍はオーギュストが担当したんですよ。彼は刺繍や細かい縫製仕事がとても丁寧でして。全体を作り上げる能力はまだまだですが、刺繍に関してはもう一人前といってもいいかもしれません」
そんな情報を教えてくれる。
そうなんだ、すごいなぁ、と美形の悪魔を見上げると、彼は照れたように目元を赤く染めて、恥ずかしそうに目線を反らした。
そんな彼を見ながら思う。
究極の美ってものは、性別が男の人であっても色気があるもんなんだなぁ、と。
自分のことはすっかり棚に上げて。
|前世(むかし)も|今世(いま)も、己の美というものに全く無頓着なのが、シュリという人間だった。
|前世(むかし)は、自分がモテているという自覚は全くなかったし、|今世(いま)のモテはスキルのせいだと信じ切っている。
前世で親友の桜と、暇な休みはよく映画を見たり、マンガ喫茶に行ったり、最近読んだ小説談義をすることがよくあった。
そんなとき、鈍感すぎる主人公を評してよく言ったものだ。
「なんで主役を張る人は鈍感な作りの人が多いんだろうねぇ? ヒロインの人、可哀想じゃない?」
と。
そんな言葉を受けた桜はいつも、変わらぬクオリティのあきれ顔で答えてくれた。
「……まあ、ちょっとくらい主人公が鈍感じゃないと、あっという間にハッピーエンドで物語がモたないんでしょ」
っていうか、あんたも結構なもんだと思うけど、とちくりと刺すことも忘れずに。
とはいえ、桜の答えに感心している|瑞希(シュリ)に、最後の1刺しは全く効いていなかったが。
そんなわけで、全く他人事のようにオーギュストの美しさと漏れ出る色気を眺めていると、おじいさんが再び進み出てシュリに1つの提案をした。
折角ですし、この場で制服を着てみませんか、と。
「もし窮屈な部分や大きすぎる部分があれば、この場で調整しますので、よろしければ」
「ん? ちょっとくらい大きめでも平気だよ? ほら、僕、ちょうど育ち盛りなお年頃だしさ」
「育ち盛り……そうでございますね?」
「……今、絶対失礼なこと、考えたでしょ? 育ち盛りの割には育ってない、とか」
「いえ、めっそうもございません。ですが、窮屈になりましたらすぐに調整出来ますので」
「そう?」
「ええ、全く」
シュリの疑いの眼差しを、おじいさんは全く動じることなくにっこり微笑んで跳ね返す。
アビスはそんなおじいさんを援護するように口を開いた。
「そうですよ、シュリ様。今の体型にあわせて貰った方が動きやすいですし。まあ、ぶかぶかな服を着ているシュリ様も、ちょっと捨てがたいかな、とは思いますが。きっと可愛らしいです」
「……そうだな。ちょっぴり背伸びしてわざと大きな制服を注文してしまった感じも悪くない。むしろ、いい」
「確かに。裾を折り上げて腕まくりをしたシュリ様も、それはそれは愛らしいでしょうが、ここはひとつ、私のセンスを信じて頂きたい」
ぶかぶかの服は中々評価が高かったが、おじいさんはきっぱりとそう言いきった。
そして、一揃いの制服をシュリに差しだし、
「さ、まずは腕を通してみて下さい。お話はまたそれから」
「わかりました。貴方のセンスがどれほどのものか、しかと確かめさせて貰いましょう!」
差し出された服を、なぜかアビスが受け取った。
「ええ、ご存分に。更衣スペースはあちらでございます」
余裕の笑顔でおじいさんが示した更衣室に、アビスは片手にシュリを、もう片手にシュリの制服を装備したまま、迷うことなく進んでいく。
そしてそのまま一切のためらいもなく、シュリとともに更衣スペースへ入り込んだ。
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