間話 服屋のおじいさんからの手紙②

 街角にこじんまりとたたずむその店は、以前に来たときのまま、人の流れから取り残されたようにひっそりとそこにあった。

 アビスはシュリをしっかり抱っこしたまま、その店の扉を開けようとした。

 しかし、



 「アビス。抱っこのままだと恥ずかしいから下ろしてよ」



 と、当のシュリから苦情が入り、その唇を尖らせた表情の愛らしさに逆らい切れず、アビスは仕方なしに主の体を地面へと下ろす。

 己の要望が通ったことにシュリは満足そうに頷き、それからなんの躊躇もなく店の扉を開けると、



 「こんにちはぁ~」



 と元気よく店の中に声をかけた。

 以前訪れた時と同様に、さほど広くない店の中に客の姿はない。

 だが、並んでいる商品はどれも丁寧に作り込まれており、職人の腕の良さが見ているだけで伝わってきた。

 それはアビスにも分かったようで、



 「これは……素晴らしい縫製ですね」



 言いながら、商品を手に取り観察する。

 地方貴族とはいえ貴族は貴族。

 他の貴族に侮られないように、それなりの仕事をする服屋と付き合っていたつもりだが、それよりも遙かに高度で丁寧な技術で作られた服の数々に、アビスは素直に感心していた。


 それに伴い、彼女のトゲトゲした警戒心も少しだけ軟化し、シュリはこっそり胸を撫で下ろす。

 シュリの記憶にある服屋のおじいさんは、上品で優しそうで、確実にいい人という印象が強いのだが、それをどんなに訴えてもアビスの警戒心は下がってくれなかったのだ。

 おじいさんの店の商品がアビスの目に適ったのは幸いだったな~、とほくほくしていると、



 「しかし、仕事の腕がどんなに素晴らしくとも、人間性まで素晴らしいとは限らないでしょうし。こんなにいい仕事をしていても、中身は変態かもしれません」



 アビスは真面目な顔でそんなことを言い出した。



 「だ、大丈夫だって。いいおじいさんだよ!」


 「くっ。シュリ様にかばって貰えるなど、なんてうらやましい」



 シュリは慌てておじいさんをかばう。

 がしかし、なぜかおじいさんに対するアビスの好感度が更に下がってしまった。

 ことごとく裏目にでる己の言動に、シュリは困惑した顔をする。

 一体どうすれば、罪無きおじいさんの評価を改善できるのか、検討もつかない。

 これはもう、おじいさん本人に頑張って貰うしか無いなぁ、そんな風にシュリが思ったタイミングを見計らったかの様に、



 「これはこれは。シュリナスカ・ルバーノ様、お久しぶりでございます。わざわざご来店いただき、心より感謝いたします」



 店の奥からおじいさんが姿を現した。

 シュリとアビスの声が聞こえていたのか聞こえていなかったのかは分からないが、見た感じ、おじいさんが気分を害している様子はない。

 そのことにほっとしたシュリを、おじいさんは優しい眼差しで見つめる。

 そして、その瞳に悪戯っぽい光を宿らせた。



 「シュリナスカ様、お気になさらず。そちらのお嬢さんの懸念はもっともです。ただ1度お会いしただけの服屋が主を店に呼びつけたとなれば、主に忠実な使用人ほどそうなります。最大限に警戒して毛を逆立てた猫の様にね。シュリナスカ様は、良い使用人をお持ちですな。それは、貴方様がいい主である、という証明にもなり得ます。まだお若いそのお年で、本当に得難いことです」



 おじいさんの言葉に、シュリは体を小さくする。

 やっぱり聞こえてたか、と。

 気にしなくていい、とおじいさんは言うが、とは言ってもやはり気になるものである。

 申し訳なさそうにシュリが見上げると、おじいさんは全く気にしていませんよと言うように柔らかく微笑み、



 「本当に、お気になさらず。本来なら私の方から出向かねばならぬところを、逆にお呼びつけしてしまったのですから。そちらのお嬢さんのお怒りは正当なものなのですよ。むしろ、問答無用で切り捨てられないだけでもありがたいと思っております。シュリナスカ様にお仕えの方々が理性的な方でよろしゅうございました。私の方から出向けば良かったのですが、1度しかお会いした事のない貴族様のお屋敷にお約束もなく押し掛けるほどの勇気も無く。無礼と承知しつつ、お手紙を差し上げた次第なのですよ。捨て置かれても仕方ないと思っておりましたが、こうして来ていただき、本当にありがとうございます」



 更に言葉を重ねた。

 その言葉を受けて、



 (ほら、やっぱりいいおじいさんだったでしょ?)



 内心そんな風に思いつつ、傍らのアビスを見上げると、彼女はそんなの当然のことですと言わんばかりにふんぞり返っていた。


 シュリの愛の奴隷になる前、屋敷全体を取り仕切り、いきなり現れた主に不信感を持っていた頃のアビスはもっとクールだった。

 己の感情を棚上げして物事を冷静に対処出来る、そんな人だった。


 だがしかし。


 今のアビスはどうだろうか?

 シュリを大切に思いすぎる余りに熱くなり過ぎている。

 かつての彼女の持ち味だったであろう冷静な判断力が曇りきっている状態だ。

 冷静沈着な素敵執事から冷静さが失われ、暴走残念執事に成り下がってしまった。

 とはいえ、彼女の優秀さはきっとどこかに残っていると、信じてはいたけれど。



 (でもあれだな~。どうして僕の周りにいる人は残念になりがちなんだろうなぁ)



 シュリは思う。

 身近な例で言うならば、ジュディスもシャイナもカレンも、普段は、というかシュリが余り絡まない状況であればほぼ間違いなく優秀なのだが、それ以外の場面では時折急にポンコツになったりする。

 まあ、それも以前よりは頻度が低くなっては来ているが。

 理由としては、たぶん恐らく、シュリの愛の奴隷としての生活に慣れてきたからかと。

 シュリという存在に対しての耐性が出来てきた、という事なのかもしれない。


 アビスは、あとルビスも、2人はまだ己の中にいきなり大きく育ってしまったシュリへの愛情にまだ戸惑っている状態、なのだろう。

 アビスはまだ、そんなシュリへの愛に振り回されている、それだけなのだ。

 本当に残念な執事になってしまった訳ではない。

 そう、思いたい。


 そんなことを思いつつ、きちっと凛々しく執事服を着こなすアビスを見上げていると、そんなシュリに何を思ったのか、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせ、いそいそとシュリを抱き上げた。



 (べ、別に抱っこを求めた訳じゃ無かったんだけどなぁ)



 思いはするものの、シュリを抱っこできたアビスが余りに嬉しそうにしているので、もう1回下ろしてくれとも言いにくい。



 (ま、まあ、アビスがご機嫌な方が今は助かるし)



 そう自分に言い聞かせ、結局そのまま抱っこされておくことにした。

 その様子をおじいさんが微笑ましそうに見てくるので、何とも言えず恥ずかしかったが。

 そんな羞恥心をぐっと押し殺して、アビスの腕の中、改めてさっきより近くなったおじいさんの顔を見つめ、



 「僕の執事が失礼しました。僕のことは、シュリって呼んで下さいね」



 ぺこりと頭を下げた。

 途端にルビスが不満そうな雰囲気を醸し出してくるが、そんなのまるっと無視である。



 「ありがとうございます。では寛大なお言葉に甘えまして、今後はシュリ様、と呼ばせて頂きましょう。シュリ様も、私に対する敬語はどうか」


 「ん~。分かった。敬語は使わないようにする。これで良いかな?」


 「はい、結構でございます。それはそうと、今日はヴィオラ様はご一緒ではないんですね」


 「ああ、うん。おばー様は用事でちょっと出かけてて。王都にいるなら、一緒に来たんだけどね」


 「なるほど。ヴィオラ様は王都にいらっしゃらないのですか」



 それは残念です、と本当に残念そうにそう言ったおじいさんに、なぜかアビスが眉をつり上げた。



 「貴方。王都にヴィオラ様がいないことを確認して何をする気です?」


 「なにを、と申されましても。ただ、純粋に残念だと思っているだけなのですが。ヴィオラ様とは中々趣味が合いまして、久々に同好の士と語り合える機会だったのに、いらっしゃらないとは本当に残念な事です」



 シュリから見て、おじいさんの言葉に嘘はないと思うのだが、アビスは納得していないらしい。

 彼女は更におじいさんに詰め寄った。



 「白々しいですよ。シュリ様にとっての最強の護衛、ヴィオラ様の不在を確認して、何かよからぬ事を企むつもりでしょう?」


 「企む、ですか……」


 「もう、アビスってば落ち着いて! おじいさんが僕に対して何を企むって言うのさ。第一、僕に何かしたところで、おじいさんに何の得もないでしょ?」


 「いーえ、得だらけですよ。シュリ様はご自身を過小評価しすぎです。シュリ様を手に入れたなら、世界の半分を手に入れたのと同じ事です。もちろん、そんなシュリ様を邪魔に思う勢力だってあちらこちらにあるに違いありません!」



 ルビスは何の迷いもなく言い切った。

 きりりと格好良く引き締まった彼女の顔を見上げながら思う。



 (そういうアビスも、僕を過大評価しすぎだよ……)



 と。

 きっとおじいさんも呆れた顔をしているに違いないと、恐る恐るそちらに目を向けると、ロマンスグレーでダンディなおじいさんは、なぜか目を見開き非常に感心した様子で、なるほどと言うように頷いていた。



 (え、えーっと。まさか2回会っただけのおじいさんも、僕に世界の半分程度の価値はあるとおっしゃりたいと? い、いやぁ、まさかねぇ)


 「確かに。シュリ様の価値は無限大ではありますが、しかし」



 そんなことある訳ない、と心の中で否定したが、おじいさんは大きく頷き認めてしまわれた。



 「しかし、私にシュリ様を害するつもりは全く無いのですが。ヴィオラ様ともちょっと新たな作品について語り合いたいと思っただけで」


 「嘘おっしゃい! 貴方、シュリ様の誘拐を企む悪人か、シュリ様の暗殺を企む暗殺者でしょう? そうに違いありません」



 アビスは器用に腕の中のシュリを片手だけで支えつつ、もう片方の手でびしりとおじいさんを指さした。

 ひどい決め付けだなぁ、と思いつつシュリは即座にその手をぺしりとたたき落とす。



 「こら。無闇に人を指さしちゃダメでしょ? それに、簡単に人を暗殺者とか決めつけちゃダメだよ」


 「あう。で、でもでも、この老人の落ち着きは異常ですよ? こんなに疑われても全く動揺してないですし。絶対に暗殺者か何かそれに類したモノです! 絶対凄腕です!!」


 「でもでも、じゃない! 全くもう~」



 食い下がるアビスに、呆れた声しか出てこない。

 あらぬ疑いをかけられて流石に怒っているだろう、とシュリはおじいさんの方を見る。自分の執事が失礼な事を言ったのだから、ここは自分が謝るべきだろう、と。

 だが、再びシュリの予想は裏切られ、おじいさんは全く怒っている様子は無かった。

 むしろ今回も、感心したようなちょっと驚いたような表情を浮かべている。



 「えーっと、おじいさん?」


 「見抜かれてしまうとは驚きましたね」


 (ええっ!? ちょ、ちょっとちょっと、おじいさん!!)



 ぺろっと白状してしまったおじいさんに、シュリは内心つっこむ。

 もうちょっと気合いを入れて白を切ろうよ、と。



 「ほらっ!! ほら、やっぱりですよ、シュリ様!!」



 己の予想が当たったアビスは鼻息も荒く、非常に嬉しそうだ。

 っていうか、正体を暴かれたおじいさんが襲いかかってくるとか思わないのだろうか。

 自分で凄腕の、とか予想してたくせに危機感はないのか、と少々呆れてしまう。


 撃退する自信があるのか、それともなにも考えていないのか。

 微妙に後者な気がしてならない。


 まあ、万が一おじいさんが襲いかかってきても、黙ってやられてあげるつもりはないし、負けるなどとは微塵も思ってはいないけれど。

 そんな訳で、シュリとしてはたとえおじいさんの職業が暗殺者であったとしても、恐怖心は全く無く。

 シュリは通常営業のまま、小首を傾げておじいさんを見上げる。



 「おじいさん、暗殺者さんなの??」


 「暗殺者、と言い切るには、私の仕事は多岐に渡っていましたからねぇ。なんと表現するのが正しいかは分かりませんが、前国王陛下や周囲の方々は我らの事を、影やら、暗部やら、隠密やら……結構それぞれ自由に呼んでおられましたね。まあ、私共の認識としましては、なんでも屋、というのが1番近いような気がします」


 「なんでも屋さんかぁ。でも、悪いなんでも屋さんじゃないんだよね?」



 シュリの問いに、おじいさんは少しだけ考え込む様子を見せた。



 「相手にとって私が悪い人間か否か、それは相手の立ち位置にもよりますでしょうなぁ。味方や何の関係も無い人達にとっての私は良い人でしょうし、敵対する者にとっての私は悪夢のようなものだったでしょう」


 「そうかぁ。でも、それって誰でも同じだよね。味方にとっては良い人でも、敵にとっては悪い人にもなる。誰にとっても悪い人って、そこまでいないんじゃないかな」



 とはいっても、悪いことは悪いことで、罪を犯したら裁かれなければいけないのは間違いない。

 だが、前世と違い、こちらの世界での罪の判定は複雑だ。

 国によってその罪の基準は大きく異なるし、本当はそれじゃあいけないんだろうけど身分によっても大きく変わる。


 かつてシュリが生きた幸せな世界では、表向きにはとりあえず、人の命は等価であり、他人を害することは等しく罪として裁かれた。


 しかし、この世界ではそうではない。

 王の命の価値を頂点としてのピラミッドが出来上がっている。

 だから。



 「偉い人の命令で誰かを傷つけたら、傷つけられた側から見れば、おじいさんは悪い人だ」


 「そうですね。その通りだと思います」


 「でも、命令した人の側から見たら、おじいさんは悪くない。むしろ、敵をやっつけた功労者だ」


 「確かに、そうなりますね」


 「自分の立つ位置や相手の立場によって悪い人かそうじゃないかが変わるって、そういうこと、だよね? 前国王陛下はってさっき言ってたけど、おじいさんは王家に仕えているの?」



 王家に仕えるほどの人物であれば、アビスも一応は安心してくれるだろうと思い、問いかけてみる。



 「以前は。今は後身に跡を譲り、私はしがない隠居の身ですよ。今は趣味の服屋を細々と経営しているただの老人です。それにしても……」


 「ん?」


 「シュリ様は、見た目のままの年齢とは思えないほどに思慮深くていらっしゃる。このお年で王立学院へ進学という異例の措置も、シュリ様の能力からすれば当然の流れだったのでしょうなぁ」



 おじいさんの言葉には、心からの感嘆がこもっていた。



 (まあ、実際、見た目のままの年齢じゃないしね。正確に数えるなら、中身は29歳プラス今の年齢だもん)



 シュリは当たり障り無く微笑みながらそんなことを考え、ちらりとアビスの顔を伺う。

 そろそろおじいさんへの疑いは晴れたかなぁ、と思いつつ。



 「むむっ。変態の可能性はまだ捨て切れませんが、シュリ様の偉大さはきちんと理解しているようですね! まあ、王家にゆかりがある人物のようですし、少しは警戒を解いても良さそうです」



 なんとか、アビスの警戒心を下げることには成功したようだ。

 まだ、おじいさんが変態さんの可能性は捨てきっていないようだが。



 (っていうかさ、僕の周りって変わった人達ばかりだから、今更だと思うけどなぁ)



 決しておじいさんを変態だと思っている訳では無いが、周囲に変態が1人増えたところで今更騒ぐことではないと思う。

 シュリも昔はもう少し繊細だったが、最近はずいぶんとおおらかになった。

 だから思うのだ。



 (悪い変態さんじゃなければ、それでいいじゃない!)



 と。

 賢くも、声に出して言いはしなかったが。

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