間話 『猫の遊び場亭』改め『キャット・テイル』にて①

 フィフィアーナ姫の襲撃を受け、シュリは反省した。

 異世界であっても、挨拶まわりは必要なものなのだと。

 少なくとも、知り合いくらいには挨拶をしておいた方がいい。


 そんな訳で、入学式までの間に王都での挨拶まわりの決行を決意したシュリは、アビスを伴い屋敷を出た。

 通常、貴族の外出の際は馬車を使うものなのだが、貴族の屋敷を回る訳でもないし、無駄に目立ちたくないしと言うことで、今回は使わない事にした。


 御者のおじさんはなんだか寂しそうだったが仕方がない。

 王立学校へ入学したら毎日乗るわけだし、それで勘弁してもらおう。

 そんなことを思いつつ、御者のおじさんや門番のロドリックに手を振り、門番見習いのタントに睨まれながら屋敷を後にする。


 先日の、スキルLvアップによる[キキ解放作戦]が見事失敗に終わり、キキに恋する門番少年タントとの関係改善は暗礁に乗り上げたまま。

 故に、シュリを恋敵認定しているタントのシュリを見る眼差しには敵意が満載で、タントを結構気に入っているシュリとしてはちょっぴり悲しい。


 かといって、次のLvアップまでには、さらに愛の奴隷を5人も増やさないといけないという試練があり。

 流石に10人はちょっとなぁ、と流石のシュリも二の足を踏んでいた。


 なので、今のシュリに出来ることは、なるべくキキの恋心を煽らないよう気をつける事くらい。

 とはいえ、キキの想いはもうすでにシュリが間抜けにすっ転んでも素敵、という境地に達してしまっている。

 シュリの前には、そんな彼女の心をどうやったら煽らずにいられるのか、という難題が立ちふさがっており。

 当面の間、この問題については棚上げということになりそうだった。



 (いつか、僕が精力抜群で絶倫な成年男子に成長したら、愛の奴隷10人の可能性も探ってみるから!!)



 だから、諦めずに頑張って、と声に出さないエールをタントに送り、タントからは憎々しそうな睨みを返された。

 それに気付いたロドリックがタントの脳天にげんこつを落とし、シュリは眉を困ったようにへの字にして曖昧に笑う。

 アビスは片眉を器用に上げ、



 『……シュリ様になんと無礼な。殺っておきましょうか?』



 冷たい眼差しをタントに注ぎつつ、恐ろしいことを念話で伝えてくる。

 新たな愛の奴隷の苛烈な愛情に、シュリは思わず苦笑しつつ、



 『いいんだよ、アビス。タントのアレは可愛らしいヤキモチなんだから』



 そんな言葉でアビスをなだめた。



 『ヤキモチ、ですか?』


 『そう。タントは、キキが好きなんだ』


 『ああ、なるほど』



 シュリを軽々と片腕に抱き上げたまま、アビスが納得したように頷く。



 (……どうしてみんな、問答無用で僕を抱っこするんだろうねぇ)



 門を出た瞬間に、反論の余地もなく抱き上げられたシュリは、不満そうに唇を尖らせてそう思う。

 みんなは過保護すぎる、とシュリは思っているのだが実際のところは少し違っていた。


 シュリを抱っこしたがる女性陣は、シュリを甘やかしたくて抱っこしているわけではない。

 ただ単に、シュリを一番近くに感じられる手段が抱っこであり、唇で触れようと思えばすぐに触れられる距離にシュリの顔があると言う現状を余すことなく楽しんでいるだけなのである。


 なので、自分で歩けるというシュリの抗議はほぼ聞き入れて貰えず、平均よりも小さい身長のせいで抱っこの違和感も余りないという現状に、シュリはいつも地味に落ち込んでいたりする。

 そして思うのだ。



 (早くおっきくなって、みんなの身長を追い越したい)



 ……と。

 いつか、高身長な逞しい男子に成長して、逆にみんなを抱っこしてやる、そんなささやかな野望を抱き、こっそり拳を握るシュリの心を正確に読んだように、アビスの手がシュリの頭をそろりと撫でる。



 「……ん? どうしたの??」


 「いえ、なんとなく」



 短い言葉を交わし、会話は再び念話へ移る。



 『しかし、彼も報われませんね』


 『えっと、タントのこと??』


 『ええ。キキは天と地がひっくり返ってもシュリ様以外を愛する事は無いでしょうから』


 『……そ、そんなことは、ないんじゃないかな?』


 『いえ、ありますよ』


 『な、ないと思うよ!?』


 『あります。シュリ様はご自身の影響力というものを、少々軽く身過ぎかと。神にも等しい炎龍様を虜にした時点で、貴方は神をも越えたと言っても過言ではありません』


 『そ、そんなことは……』


 『あります』


 『……』



 念話を通して伝わるアビスからの圧に、シュリはついに言い負かされ押し黙る。

 そして思う。

 女神様すらも虜にしちゃってる事実(しかも複数)は、絶対に言えない、と。


 それがバレたら一体どうなってしまうのか。

 今でさえ信仰じみた崇拝の念がすごいと言うのに。


 念話が途切れ、特に新たに話すことも浮かばなかったので黙っていると、アビスの手がシュリをなでくりまわし始めた。

 最近、新たに愛の奴隷チームに加わったアビスとその姉のルビスだが、新たな関係性を始めたばっかりのせいかもしれないが、他愛のないスキンシップがやけに多い。

 とにかく、暇さえあればシュリにべたべた触りたがるのだ。


 そういう点、古参の三人は比較的落ち着いていて、彼女達はスキンシップの回数よりも、人目を避けてのもっと深いつながり合いを好む。

 どっちがどうというわけでは無いのだが、それぞれの違いが面白い。



 (まあ、どっちも可愛いからいいんだけどね)



 そんなことを思い、シュリはクスリと笑う。

 昔は、それぞれの性欲管理にそれはもう苦労したものだが、最近は随分と余裕が出てきた。


 シュリ自身は役に立たなくとも、言葉や手や唇、その他諸々で攻めてみたり、時には彼女達が互いに慰め合う、なんて事もあったりする。

 その場合、シュリは大人しく見学させられる訳だが、必要ないだろうと席を立とうとすると怒られるのはちょっと理不尽だと思わないでもない。

 が、彼女達曰く、シュリがそこにいて見ていることが非常に重要なんだそうだ。

 不思議な話である。


 定期的な処理が必要な事だから、なるべくローテーションを決めて触れ合う時間をとったりしているが、いずれアビスとルビスもそのローテーションに加わるのだろう。

 今はシュリを抱っこしたり撫でまわしたりで満足してくれているようだから、まだ必要ないかもしれないが。


 その辺りはジュディスが抜かりなく観察して考えていてくれるから、シュリはジュディスからの打診を待つだけで良い。

 どうしましょうか、とジュディスが案件をシュリに上げて来る時は、たいていの場合、よきにはからえ、とただそれだけ答えれば事足りるように下準備されているのだから頼もしい。


 ここ最近……特にアビスとルビスを仲間に加え、スキルの効果が上がってからは、ジュディスを筆頭に愛の奴隷達の活躍はめざましく、シュリがやるべき仕事はほとんどないと言って良かった。

 持つべきは、優秀な側近だなぁ、と思いながら揺られていることしばらく、目的の建物が見えてきた。


 『猫の遊び場亭』改め『キャット・テイル』。

 ヴィオラのかつての冒険者仲間である猫獣人・ナーザが経営する宿屋である。


 以前は夫のハクレンも共に経営していたのだが、娘のジャズからの手紙によると、二人は少し前に(とうとう)離縁したらしい。


 直接の原因はハクレンの浮気の発覚との事。

 それでも、気持ちが残っていればまだどうにかなったのだろうが、ナーザ側の気持ちがすっかり冷めており他に気になる相手も出来ていた事もあり。

 渡りに船とばかりに、浮気夫のハクレンはさっさと追い出されてしまったようだ。


 前回の王都滞在時、うっかりナーザの気になる相手認定されてしまったシュリとしては、ちょっぴり責任を感じる。

 感じはするが、奥さんに内緒でほかの女性と子供を作ってしまったハクレンにも責任はあるとは思う。


 ジャズの話によれば、ハクレンとその浮気相手の女性とは長く続いており、子供も1人どころの話ではないようだ。

 どうやら、ジャズの弟妹は一気に5人ほど増えたとの事。

 ジャズは急に増えた兄弟を素直に喜んでいるようだが、正直、つい出来心だったと言い訳できるレベルを遙かに突き抜けている。


 相手の女性も最初は、ハクレンの奥さんのナーザと娘のジャズに配慮して長年ずっと日陰の身としてひっそり暮らしていた。

 ハクレンを好いてはいたが、所詮浮気と割り切っており、いつかハクレンが己の元を訪れなくなったら別の男と所帯を持つのもいいだろうと思っていたらしい。

 が、いっこうにハクレンの足が遠のく事はなく、かといって奥さんと別れる気配も感じられず。


 そうこうしているうちに月日は流れ、2人の間の子供もどんどん増えて気がつけば5人を数えるようになり。

 その頃には、ようやく彼女も気がついた。

 5人もの子供がいる以上もう流石に、ハクレン以外の男と所帯を持つのは難しく、かといって一人で5人を育てるには経済的に不安がある。


 ハクレンの援助はもちろんあったが、彼は一応他に家族を持つ身。

 十分な援助を望めるわけもなく、困った彼女は考えた。

 彼の一人娘もすっかり大きくなった事だし、流石にもういいのではないか、と。


 我慢の時はもう終わったと判断した彼女の行動は早かった。

 ある日、彼女はハクレンに相談無く宿を訪れ、彼の妻であるナーザと対面。

 結果、ハクレンの長年の浮気が白日の下に晒された、とそういう事らしい。


 浮気をしていてもなお、ナーザの事が大好きだったハクレンは抵抗したらしいが、ナーザがそれを認めるはずもなく。

 抵抗むなしく荷物をまとめさせられ、耳もしっぽもしょんぼり垂れて、その日のうちに自宅でもある宿から追い出されたのだとか。

 以来、一度も宿の敷居をまたがせてもらっていないらしい


 たまぁにジャズとは外で会っているみたいだけど。

 会う度に泣き言を聞かされる、とジャズは手紙にそう書いていた。


 新たに奥さんとなった元浮気相手の女性に不満があるわけではなく、ただただナーザに会えなくなったことを嘆いているんだそうだ。

 別れてもなお、ハクレンの中でナーザは特別な女性らしい。


 だが、ナーザの方はそうではなく。

 ジャズ曰く、お母さんの中でお父さんの存在はすっかり過去の産物になってる、のだそうだ。


 ジャズがハクレンの話をすると、そんな男もいたなぁ、と屈託無く笑い。

 怒ってないなら会ってあげれば? と提案すれば、なにを言ってるんだ、ときょとんとした顔で、



 「奴にはもう妻がいるだろう? 妻がいる相手にこそこそ会うのは浮気だからな。浮気はよくないぞ、と奴に伝えておけ」



 と返ってくる。

 なので、ハクレンの浮気を怒っているのか、と問うと、



 「いや、むしろ感謝してるんだ。よくぞ浮気をしてくれた、と。そのおかげで私は堂々と奴と離縁できる。あいつもなぁ、悪い奴じゃないし、理由もなく別れてくれと言うのも心苦しいと思っていたから、本当にちょうど良かった」



 そう言って、ナーザは晴れやかに笑ったそうだ。

 ハクレンの一方通行の未練がちょっぴり切ないが、仕方がない。


 この世界は重婚が認められている。

 きちんと手順を踏めば浮気にならずに二人の女性を愛しても問題は無かったはずなのに、その手順を怠ったのはハクレンなのだ。


 よって、彼に文句をいう資格は無く、それが分かっているから彼も諦めたのだろう。

 ナーザの夫という地位にしがみつく事を。


 まあ、きちんと手順を踏んでいたとしても、ただ離縁の時期が早まっただけ、という結果になっていた可能性もないとは言えないが。

 そんな訳で、今、キャットテイルにいるのはナーザとジャズだけ。

 基本的にジャズは冒険者養成学校に通っているだろうから、宿で働くのはナーザだけという事になる。

 以前訪れたときは、お世辞にも流行っているとは言い難い状況ではあったが、それでも1人で宿を運営するのは大変だろうなぁ、と思いつつ、



 「こんにちはぁ~」



 と声をかけながらシュリは懐かしの宿の扉をくぐるのだった。

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