第301話 怒れるお姫様の訪問劇②
己の知らないところでそんな理不尽な怒りをかっていることなどいざ知らず、シュリは庭師ご自慢の庭で優雅に午後のティータイムを楽しんでいた。
今日の給仕は新米愛の奴隷のアビスとルビス。
アビスは今日も執事服を着こなし、とても凛々しい。
ただ、無理矢理胸を締め付けるのはどうだろうとのシュリの指摘により、その胸元は自然のまま。
そのため、男装の麗人という感じはやや薄れていた。
といっても、そんじょそこらの男連中が束になっても叶わないくらいには、イケメン感が出ていらしたが。
ルビスもいつもの通り、メイド服姿がびしっと決まっていた。
なにやらただでさえ大きな胸が更に強調されるように魔改造されているように見えたが、それは気のせいだろう。
たぶん。
とりあえず、とってもエロ可愛いことは確かなのでよしとしよう。
可愛いは正義なのである。
そんな二人に給仕されながらティーカップを傾けていると、なにやら門の方が騒がしくなってきた。
だれかお客様でも来たのかな、と首を傾げつつも、
(まあ、僕に用事ならジュディス辺りが知らせてくれるだろうし、そうじゃなければジュディスが抜かりなく対応してくれるだろうし)
ジュディスに丸投げの姿勢で暢気に構えていたら、背後から人の近づいてくる気配。
(ん? 僕にお客様だったのかな?)
と後ろを振り向こうとしたら、それよりも先に、
「優雅なティータイムを過ごしているようで結構ね。ごきげんよう、シュリナスカ・ルバーノ」
優雅な言葉遣いとは裏腹のとげのある声音が耳を打った。
前に王都を訪れた際、一度だけ耳にする事のできたその声は、記憶に残るものよりずいぶん大人びていて。
シュリは懐かしさを感じながら、ゆっくり振り返る。
「のんびりお茶を楽しむ時間はあっても私に挨拶する時間は無いって事かしら?」
今度は内容・声音共に明らかにとげを感じさせるお言葉に、シュリは初めて会った日の事を思い出し、思わずその口元に笑みを刻んだ。
そして、それに気付かれないよう、素早く膝を折る。
「お久しぶりです。フィフィアーナ姫」
フィフィアーナは己の前に片膝をついて頭を垂れた少年の頭頂部を見つめ、
「お忍びよ。かしこまらなくて良いわ。立ちなさい」
折角会いに来たのに頭ばかり見てても仕方がないと、立ち上がる許可をシュリに与える。
シュリは素直にその言葉を受け入れ立ち上がると、正面からまっすぐにフィフィアーナを見つめ、にっこり微笑んだ。
「わぁ、おっきくなりましたねぇ。姫様。前に会ったときはもっとずっと小さかったのに、もうすっかり素敵なレディですね」
シュリが素直に感嘆の声をあげると、フィフィアーナは少し照れたように頬を染める。
その様子を、姫の斜め後ろに控えるアズサが驚愕したように見つめ、アンジェは微笑ましそうに目を細めた。
「一年……いえ、もう二年になるのかしら。それだけ会っていなければ大きくなって当然よ。シュリ、貴方だって大きく……」
照れてしまった己をごまかすように咳払いをしたフィフィアーナは、目の前のシュリを改めて見つめ、首を傾げた。
「……なっていないわね?」
胸を突き刺す言葉に、うぐっと呻き、シュリは胸を押さえた。
フィフィアーナの言うとおり、シュリの身長の伸びは最後に彼女と会ったときからさほど変わっていない。
ほんの少しは伸びたと思いたいところだが。
フィフィアーナに会った時も、その年頃にしては小さな体格だった為、順調に成長をしている彼女とはそろそろ身長が逆転してしまいそうだ。
その事実を目の当たりにし、シュリはしょんぼり肩を落とす。
そんなシュリを見て、フィフィアーナは少し慌てた。
彼女が悪いわけではない。
彼女はただ、真実をうっかり口にしてしまっただけだ。
でも、なんだか自分がいじめているような気になったフィフィアーナは困ったように口をへの字にしてシュリから目をそらし、
「……まあ、女の子より男の子のほうが成長が遅いって言うし」
と、慰めともつかない言葉をかける。
その言葉は取りあえずシュリには刺さったようで、
「そっ、そうだよね! これからだよねぇ!!」
シュリはぱっと顔を輝かせ、フィフィアーナの手を己の両手で包み込んだ。
「ありがとう、フィフィアーナ姫!」
にっこり笑ってお礼を言えば、フィフィアーナは再び照れたようにその頬をほんのり染めて、可愛らしい唇をちょっぴり尖らせて、
「……ったく、ほんと、調子が狂うわね」
姫様らしからぬ口調で小さく呟く。
目の前の少年は、フィフィアーナの一番のお気に入りのアンジェの心を盗んだ憎い奴のはずなのに、全く恋敵らしくなくて困る。
もう少し憎い恋敵らしくイヤな奴であれば、全力で叩き潰す事もできるのに、と。
だけど、思ってしまうのだ。シュリを知れば知るほど。
アンジェがこいつを好きな気持ちも少しは分かる、と。
恋敵だと、己の敵だと認識しているのに嫌いきれない。
複雑な気持ちで、フィフィアーナはシュリの手をふりほどく。
そして、あえてツンと顔をそらし、
「馴れ馴れしくするのはやめてくれる? シュリナスカ・ルバーノ。貴方となれ合うつもりはないわ」
あえて冷たい声でそう告げれば、
「あ、ごめんなさい。つい、嬉しくて……」
シュリは面白いくらいしょんぼりする。
きっとこういう風に冷たく拒絶される事に慣れていないのだろう。
シュリを敵と認識していてもうっかり好感を抱きそうになるくらいだ。
普段はさぞ、周囲の者から愛されて過ごしているに違いない。
実際、シュリに対するフィフィアーナの態度が気に入らなかったのか、その場にいる使用人二人からは、殺意すら感じさせる視線を向けられている。
いくら主を軽んじられたからとは言え、幼いとはいえ王族に殺気をむけるとはいい度胸だ。
更に言うなら、美しさも申し分ない。
彼女達がシュリに心酔しているのでなければ、己の側近にスカウトしたいどころだと思いながら眺めていると、シュリもその事に気付いたらしく。
「ルビス、アビス。ひかえなさい。悪いのは、僕の方なんだから」
シュリが主らしくビシリと叱れば、叱られた二人の頬が一瞬で赤く染まり、わかりやすく腰砕けとなる。
叱るシュリが格好よすぎて、とでもいうのだろうか。
己が欲しいと思った美女二人をわかりやすく虜にしているシュリに、正直イラっとする。
(やっぱりこいつは敵ね!)
心の中でその事実を再確認しつつ、でもやっぱりどうしても嫌いだと言いきれない。
(あんまり長時間一緒にいるのは危険だわ)
フィフィアーナは的確に状況を判断し、
(さっさと用事を済ませて、今日はもう帰った方が良さそうね)
一つうなずき、改めてシュリへと視線を戻した。
「……王立学院へ進学するそうね」
「あ、うん……いえ、ハイ」
「とりあえず今は、おめでとうと言わせてもらうわ」
「あ、ありがとう、ございます?」
「でも、油断しない事ね。私もすぐに追いつくわ。そうね……来年には私も王立学院に入学してみせるわ。だから、それまでせいぜい首を洗って待っていなさい」
「へえ、フィフィアーナ姫も王立学院を目指してるんだね! じゃあ、来年は先輩として恥ずかしくない姿で姫を迎えられるよう、一年間、しっかり頑張っておくね」
「すぐに追い抜いてあげるから、覚悟なさい」
「分かった。覚悟しておく」
わぁ、楽しみだなぁ、と覚悟の欠片も無い顔でにこにこ笑うシュリを前に、フィフィアーナは妙な敗北感を感じ、
「くっ!」
小さくうめいて唇をかんだ。
そして、
「もういいわ。用事が済んだから長居は無用ね。帰るわよ、アンジェ、アズサ」
そう言うと、さっと踵を返す。
「え!? あ、あの、私、全然シュリ君と話せてないんですけど??」
アンジェがあわあわと言い募るが、
「貴方は私の護衛として付いてきたのよ? ただの護衛が、シュリナスカ・ルバーノと会話する必要なんて無いでしょう?」
フィフィアーナの足は止まらない。
アンジェはちょっぴり涙目になりつつも、それでも姫を一人にする選択肢は無かったようで。
「シュ、シュリ君。こ、今度、絶対時間を作って会いに来ますからっ!」
フィフィアーナの後をのろのろ追いつつ、未練たらたらにシュリへの言葉を紡ぐアンジェの様子に、不快そうに目を細めたフィフィアーナが、
「……うるさいわよ、アンジェ。みっともない。アズサ、さっさとアンジェを回収しなさい」
さっさと帰りたいとばかりに急ぎ足で傍らを歩くアズサに命令を下した。
「うええぇぇ~? こっちにふるっすか!?」
ついうっかり主に向かってイヤそうな声をあげてしまうという失態を犯したお抱えの隠密に、フィフィアーナはにっこり微笑みかける。
「……今、この状況で他の誰に命令しろと? むしろ私が教えて欲しいわね」
暖かさの欠片もない、冷たい笑顔で。
アズサは即座に震え上がった。
「ひっ、ひいっ! も、申し訳ないっすぅ。すぐっ、すぐに回収するっすぅぅ」
お仕置きは勘弁っすぅ、と怯えきった声をあげたアズサが、即座にアンジェ回収に動く。
「シュリ君、シュリく~んっ!! って、こら! アズサ、なにをするんですか! 私は、シュリ君との別れを惜しんで……」
「申し訳ないけどアンジェさんより姫様の方が怖いっすよ。黙って回収されて欲しいっす」
「いっ、いやですっ! もう少し、もう少しだけ、シュリ君との別れを惜しませてくれたって……」
「……アズサ、やっておしまいなさい」
「は、はいっすぅぅぅ!」
フィフィアーナの意を受けて、アズサが即座に動く。
懐から取り出した怪しげな布でアンジェの口と鼻を覆い、
「もがっ!? もがぁ~、もぐぅぅ~……もむにゃむにゃ……ふへっ。ふへへっ。シュリくぅん、だめですよぉ、そんなぁ……むにゃむにゃ」
最初はもがもが暴れていたアンジェは、すぐに安らかな眠りへ落ちた。
「申し訳ないっす。でも、姫様の命令は絶対っすから!」
言いながら、アズサは長身のアンジェを軽々と肩に担ぎ、ぽかんとした顔のシュリに、ぺこりと申し訳程度に頭を下げると、そそくさと主の元へと戻っていった。
フィフィアーナは満足そうな顔でアズサを迎え、
「騒がせたわね、シュリ。では、今日はこれでおいとまするわ」
ツンとした顔でそう言い放ち、アンジェを担いだアズサを引き連れ、悠々と去っていった。
残されたシュリは、呆然とそれを見送り、首を傾げる。
姫様は一体なにがしたくてここに来たんだろう、そんな風に思いながら。
そして、ようやく落ち着いた時間が戻ってきたので、ティータイムの続きをしようと再びテーブルにつく。
お茶はすっかり冷めてしまっていたが、入れ直そうとするルビスを、もったいないからと制して。
カップに残っていたお茶を一息に飲み干して、ようやく人心地ついた。
そして改めて、
(フィフィアーナ姫も、アンジェも、元気そうで良かった)
と頬を緩め、
(それにしても、時々周囲を探って回ってたのって、姫様の手の者だったんだなぁ)
さっきみたアズサの顔を思い出しつつ、そんなことを思う。
彼女が時折シュリの周囲に現れ、色々探っているのは知っていたが、敵意を感じなかったし、特に知られて困るような情報も無かったので放置していたのだ。
結果、彼女は姫様の手駒だった訳で、どんな理由でシュリを探っていたのかは分からないが、姫の意を受ける駒に手を出さずにすんだ事は重畳だった、とシュリはほっと息をつく。
そして、今日、久しぶりに顔をあわせたフィフィアーナの事を思った。
会った瞬間からなぜか目の敵にされ、今日も好かれているとは言い難い反応しか見せてくれなかった彼女を、シュリは決して嫌ってはいなかった。
むしろ、好感を抱いていると言っても過言では無いだろう。
そこそこな頻度で文通していた事もあり、シュリの姫に対する好感度はそれなりに高い。
できたら仲良くなりたいとは思うけど、あれだけ嫌われている状態から好感度を上げていくのは、きっと大変だろうなぁ、とシュリは思う。
姫様の好感度が、己が思っているほど低くないという事実にまるで気付くことなく。
(でも、まあ、来年には王立学院に来るって言っていたし、そうしたら同じ学校の先輩後輩としてもう少しは仲良くなれるよね?)
その事に期待しつつ、結局ルビスが入れ直してくれた温かいお茶を口に運ぶ。
そんな自分をうっとり見つめる二組の視線に気付くことなく。
自分達を叱責する、シュリの厳しくも凛々しい表情がたまらなく素敵だったとルビスとアビスに自慢されたジュディス達三人が、深夜の叱責プレイを求めてくる未来など、夢にも思うことなく。
シュリは、来る王立学院の入学式へと思いを馳せた。
十分余裕をもってアズベルグから出てきたはずだが、色々とばたばた忙しく過ごす間に時は過ぎ。
気が付けば、入学式はすぐ目前。その日はもう一週間後に迫っていた。
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