第259話 狸と狐の化かし合い
「おやおや、シュリ君。そんな女狐と一緒にいると、頭から喰われてしまいますぞ? ささ、危ないからこちらへおいでなさい」
「あらあら、シュリ。まさかあんな腹黒タヌキと知り合い? 気をつけないと骨までしゃぶられちゃうわよ? 危ないから、私の側から離れちゃだめ。ね?」
授業が終わってバーグさんに再会し、家に帰ろうとしたらアガサに捕まり、その後なぜか学校内へ連れ戻され、訳が分からないまま校長先生の部屋へ連行されて。
あれよあれよという間に、
アガサの腕の中、どこか遠い目をしてシュリは思う。
どうしていつもこうなんだろう、と。
己の巻き込まれ体質の事を自覚しつつも、そう思わずにはいられない。
そして思った。
ああ、早く終わらないかなぁ、と。
しかし、その願いが叶えられないまま、校長室のドアが吹き飛びそうな勢いで開き、
「シュリ! やっぱりここにいたぁ!!」
その向こうから、見覚えがありすぎるくらいにある、極上の美女が飛び込んできた。
その人は、アガサの腕からさっとシュリを奪うと、ぎゅうっと抱きしめ愛おしそうに頬ずりをする。
正直、シュリ以外の6歳児なら、口から内臓が飛び出しかねない圧力だったが、ちょっと顔をしかめるだけでその試練を耐え抜いたシュリは、頬ずりするのに忙しいその人の頭を優しくぽんぽんと叩いた。
「おばー様、おばー様。僕は逃げないから落ち着いて?」
「ん~、やっぱり定期的に会いに来ないとダメね~。シュリ分が全然足りてないわ」
が、シュリの言葉など耳に届いていないようで、ヴィオラはぶつぶつ言いながら、今度はシュリの頭に鼻を突っ込んでくんかくんかと匂いを堪能している。
っていうか、シュリ分ってなんだよ!? と思わないでもないが、突っ込んだところで明確な答えは返って来ないと分かっているシュリはただ苦笑を漏らす。
そして、仕方ないなぁと、体の力をくったりと抜き、ヴィオラの手にその身をすっかり任せるのだった。
が、せっかく抱っこしていたシュリを奪われたアガサが大人しく黙ってるなんて事はなく、彼女は声を大にして旧友に抗議した。
「ちょっと、ヴィオラ! シュリは私が抱っこしてたのよ? 横からかっさらうなんてずるいじゃない!!」
と、そんな風に。
友人の抗議に、ヴィオラはそこで初めて彼女の存在に気がついたように目を瞬いて、
「あれ? アガサ。いたんだ」
返したのはそんな言葉。
その言葉に、アガサはこめかみをぴくりと震わせる。
「いたんだ、じゃないわよ。いたでしょ、あんたが入ってきた時から。まあ、それはどうでもいいから、早くシュリ、返しなさいよ」
「え~? やだ」
「やだ、じゃないっ! か・え・し・な・さ・い・よぅ~!!」
「や! 私だって久しぶりにシュリを堪能してるんだから!!」
「久しぶりって言ったって、絶対私より頻繁にシュリに会ってるでしょうが! なんたってシュリのおばーちゃんなんだから」
「頻繁に会ってるのがなんだってのよぅ。いーじゃない、おばーちゃんの特権でしょ~!! それに、シュリのもう一人のおばあちゃんの方がもっとずっと頻繁にシュリと会ってるもん。文句ならそっちに言って」
「他人巻き込んで話を逸らさないの! 私はあんたに文句言ってんのよ!!ほら、シュリをこっちによこしなさいよ」
「あ~、もう、うるさい、うるさい!!アガサがうるさくてシュリを堪能出来ないじゃない!!」
「知らないわよ、そんなの。とにかく、シュリを抱っこするのは私なの!」
「違う、私!」
「私よ!!」
「私だもん!!」
「……あの~」
永遠に続くかと思われた言い争いに、おそるおそると言った調子で割り込む第三者の声。
その声に、ヴィオラはきょとんとした顔をし、アガサははっとした顔をした。
「アガサ学院長とそちらの女性……恐らくシュリ君の祖母君のヴィオラ・シュナイダー殿とお見受けするが。お知り合い、ですかのう?」
エイゲン校長のその言葉に、アガサは自分がどこにいるかやっと思い出したようだった。
「あ、あら。私としたことが。は、はしたなかったですわね。昔の顔なじみに会ったものですから、ついつい若い頃に気持ちが引き戻されてしまって。場所をわきまえず、失礼いたしました」
驚異のスピードで己を取り繕い、ほほほ、と上品に笑ってみせる。
「おお、そうでしたか。お気になさらず。若い頃の思い出というものは誰にでもあるものですからのう」
そんな彼女にエイゲンがころりと騙されにっこり笑ったその時、再び入り口の扉が乱暴に開いた。
全員の視線が集まる中、引き締まった筋肉の大男がのそりと戸口をくぐって中に入ってくる。
彼は室内を見回し、その中にヴィオラを見つけると、
「おいおい、ヴィオラ。お前は俺の案内人だろうが。ったく、いつまでたっても落ち着きのない奴だな」
重低音の渋い声音でそう言ってにやりと笑った。
そんな彼を見て、
「うげ、ディアルドまで来たの?シュタインバーグの腹黒ダヌキだけでも、十分面倒なのに」
「ぐむ。来なければ重畳と思っておったが、そうはいかんということか」
室内の二カ所から何ともいえない声があがる。
ディアルドは、そんな彼らを交互に見て、
「大した歓迎の言葉だねぇ。アガサもシュタインバーグの爺さんも元気そうで何よりだよ」
言いながら再びにやりと笑い、それから改めて、何かを探すように室内を見回した。
「んで? お前の孫はどこにいるんだよ、ヴィオラ。さっき、シュリの匂いがするとか言って、追跡できないくらいのスピードで走ってっただろう?」
それを聞いてシュリは思う。
おばー様、僕の匂いを追ってきたんだ……と、ちょっと引き気味に。
最初はそこまでじゃなかったはずなのだが、最近のヴィオラはことシュリに関しては少々人間離れしている気がしないでもない。
元々、若干人間の域を逸脱している人だから、今更という感がありはするが。
「あ、ごめんごめん、ディアルド。シュリの匂いに思わず我を忘れちゃって」
「……まあ、いいけどよ。で、どこなんだ?」
「どこって??」
「シュリだよ、シュリ。どこにいるんだよ、お前の孫は」
「どこにいる、って……ここにいるけど?」
ヴィオラはそう答えると、きょろきょろと見当違いのところばかり見ているディアルドの眼前に、腕の中のシュリをぐいと突き出した。
結果、ディアルドは吐息が触れ合わんばかりの近距離から、シュリをまじまじと見つめることとなる。
年の頃は5歳か、もっと幼いと言っても納得出来るくらい、その生き物はちんまりしていた。
ちょっと変わった淡い紫の瞳はびっくりするくらい大きくてくりんっとして愛らしい。
ふわふわの銀の髪もふくふくピンクのほっぺたも、思わず手が出てしまいそうなほどさわり心地が良さそうだった。
ディアルドは別段、可愛いモノ好きという訳ではない。
訳ではないが、思わずうめき声が漏れてしまうほど、その生き物の可愛さは暴力的だった。
とっさの判断で目をそらし、それから恐る恐る目線を戻す。
その生き物は、きょとんとした顔でディアルドの顔を見ていたが、彼の目と目が合うと、条件反射のようににこっと微笑んだ。
可愛いモノに免疫のないディアルドは、ぐぅっと呻いて胸を押さえ、驚愕のまなざしをヴィオラの手に捕らえられた天使に向ける。
そして、その視線をそのままヴィオラに移し、再び天使を見て……そんな動作をしばらく繰り返した後、ディアルドはようやく口を開いた。
「これがシュリ? お前の孫、か? お前の孫にしては、ちょっと可愛すぎるんじゃねぇか?? っていうか、この可愛い生き物とお前の間に血縁関係があるってのがどうも信じがたいんだが……」
「失礼ねぇ。私の面影あるでしょ? 髪の色も一緒だし」
「や、確かに髪の色は一緒だが、どうしてもお前とこの可愛い生き物が結びつかねぇ……」
「そうよね! 私もいつも思ってたのよ。シュリはヴィオラの孫にしては可愛すぎるって。もう、可愛くて可愛くて、頭から食べちゃいたいくらい」
「おいおい、アガサ。お前が言うとなんだかシャレにならねぇぞ? いいか? どんなに可愛くてもおいしくいただいたりするんじゃねぇぞ? この可愛い生き物には、そんなのまだ早すぎだ。お前は、その辺の発情した男でも捕まえりゃいいだろ」
「ん~、でも、最近はシュリ以外にそういう欲求を抱けなくて、正直真剣に困ってるのよねぇ。シュリ、早く大きくならないかしら。そうじゃなきゃ、私、飢えて死んじゃうわ」
「こんな愛らしい生き物に欲求不満をぶつけるようなら、その時点でもう終わってんだろ? いっそ飢え死にしとけや」
「ひどいわねぇ、ディアルド。私の本当の姿知ってるくせに、そうやって意地悪なこと言って」
「うっせ。俺はこの可愛い生き物の味方だ。猫かぶりババアの味方なんてしてやんねぇよ」
「あ、あの~?」
色っぽく唇を尖らせたアガサをディアルドがすげなく突っぱね、そこに再び第三者の声が割り込む。
言わずとしれたエイゲン校長の声である。
その声にはっとしたアガサは、再び大慌てで猫を被った。
「あ、あらぁ。私としたことが……。ほほほ……」
そんなアガサと、彼女にほんのり疑いのまなざしを注ぐエイゲン校長の事などまるっと無視して、ディアルドは今度はシュリ本人に問いかけた。
「このねーちゃん、本当に坊主のばーちゃんか?」
まっすぐ、直球に。
シュリは素直にこっくりと頷いて、それをみたディアルドは、まじかぁ、と呻く。
それを見て、ヴィオラは、失礼ね、と唇を尖らせた。
「こんなに可愛いのにヴィオラの孫なのかぁ。ヴィオラよりとんでもないのか」
なんだか非常に聞き捨てならないことを言われた。
(僕はおばー様よりとんでもなくなんかないぞ!? そ、そこまでじゃないはず、だよね? たぶん)
スペックはともかく、常識とか他の部分はおばー様よりましなはずだ、と結構ひどい事を思いつつ、シュリは抗議の声を上げようとした。
しかし、そんなシュリより先にヴィオラが声を上げる。
「んふふ。そうよぉ~? シュリは私なんかよりずぅ~っと優秀なんだから!!」
「……ほぉ。ヴィオラ殿より優秀か。6歳の、子供が?」
「もちろん、そうよ。スキルだって、レベルだって……」
「おばー様?」
上手に話の先を促され、うっかりシュリの隠しておきたい部分を明かしてしまいそうになったヴィオラにそっと釘をさす。
シュリの呼びかけに彼女ははっとし、
「ス、スキルだって、レベルだって、も、もちろんまだまだ私の方が上だけど、きっとすぐに追い抜かれちゃうかもって言おうと思ったのよ。うん」
慌ててそう言い直した。
シュリはとりあえずほっと胸をなで下ろし、それからちらりと質問を挟んできた相手に目を向ける。
その人物……シュタインバーグは、相変わらず
だが、その目は笑っておらず、鋭くヴィオラを見つめている。
そんな彼の様子を見ながら、シュリは思った。
(バーグさん、ただの優しいお爺さんだと思ってたけど、なんか、油断できなそうな感じだな~)
そして思う。
油断できない王立学院の学院長のバーグさんに、なぜかアズベルグに現れた高等魔術学院の学院長のアガサ。
そして、その二人が警戒するディアルドと呼ばれている三人目の人物。
この三人、一体何のためにここに集まったのか。そして何故自分はここにいるのだろう。
ある予感が頭をよぎるが、まさかという思いもある。
たかが6歳の子供の為に、まさか、と。
しかし、その反面、思いもする。
それ以外に、これだけの面子が集まる理由が見あたらない、とも。
体をヴィオラに掲げられ、眼前には男前とは言えごつい男の顔。
シュリは少し疲れたようにこっそり吐息を漏らし、そし切実に思った。
どんな理由であれ、とにかく色々終わらせて、出来るだけ早くお家に帰りたい、と。
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