第252話 戻ってきた日常

 授業体験週間も無事に終わり、やっとシュリの日常が戻ってきた。

 サシャ先生とバッシュ先生の事は気になるが、とりあえずはまだ何の動きもないので様子を見ている。

 授業を行うバッシュ先生も、特に以前と変わりはなかった。

 ただ時折薄暗い眼差しを感じることはあったが。

 特に、サシャ先生と話している時はその傾向が顕著だった。

 だが、なにを仕掛けてくるという事も無いので、今は放置中。疑わしきは罰せず、という訳だ。


 戻ってきてからは、とにかくアリスとミリシアの束縛がすごい。

 リュミスから色々自慢されたのだろうが、シュリをどうにか決闘に引きずり出そうとするのはやめて貰いたい。

 中等学校での決闘も色々ギリギリだったのだ。

 初等学校の生徒を相手の決闘は手加減も大変そうだし、本当に勘弁して貰いたい。

 二人には、もっと大人になってから大人の決闘相手を見繕うよう、よく言い聞かせておいた。


 しばらく会えなかった事が響いて、なぜかエリザベスはお気に入りのブラシを手に休み時間ごとに待機してるし、自分の為に決闘して貰う野望を諦めた後も、アリスとミリシアの教室訪問は止まらず。


 そんな中、リアは比較的平常運転だったが、それでもいつもよりイライラしていることが多かったかもしれない。

 シュリにまとわりついて離れない三人の目を盗んで、シュリのほっぺをつねったり、かじったりする暴挙が激しくて正直困った。

 つねるならともかく、かじるってどうなんだ、とは思うけど、そこを指摘すると更にリアのご機嫌が悪くなるのは分かり切ってるので、シュリはいつも大人しくかじられてあげる事にしていた。

 幸い、少々の歯形などは、[自動回復]のスキルで瞬殺だし。


 ルゥは、アリスとミリシアのようにシュリの教室にやってくることは無かったが、お昼休みの度にシュリを屋上に呼び出して、手製の弁当を振る舞った。

 以前に比べてルゥのお弁当は格段に美味しくなり、それを食べるのは決して苦痛ではなく、むしろ役得だ。

 だがしかし、毎回毎回ルゥの膝に招かれてその胸に頭をもたれ掛からされ、更に親鳥に餌を口に運んで貰う雛鳥のように食べさせて貰うというのはいかがなものか。

 出来ることなら自分で食べたいと訴えてはみたけど、



 「シュー君はボクにあーんってされたくない? いや?」



 と、潤んだ赤い瞳でしょんぼり言われるとどうしても強くは出れず……。

 結局、毎日、シュリのお昼ご飯は、口を開けておくことが僕のお仕事です、状態になっている。


 そんなある日。

 せっかく日常に戻ったはずなのに、騒がしくて忙しく、甘い拘束に満ち満ちた日々に少々疲れたシュリは、放課後、癒しを求めてある場所へと足を運んだ。

 様々な追跡を全力で振り切って。



 「こんにちは~、キキ、います~?」



 キキのいる孤児院に駆け込んでそう声をかけると、奥の方から慌てて走ってくる足音が聞こえた。



 「シュリ様? 今日はどうしたんですか?? 学校帰り、ですか?」



 学校から帰ったキキは、孤児院の仕事を手伝っていたのだろう。

 実用的なエプロンをつけて、びっくりしたような顔で走ってきた彼女を、シュリは笑顔で迎える。



 「うん。ちょっとキキの顔を見て帰ろうと思って」


 「私の顔を? アリス様やミリシア様やリアさんと馬車でお帰りになったんじゃないんですか?」


 「ん? ちょっと用事があるからって言って、まいてきちゃった」


 「ま、まいて……」


 「うん。だって、最近キキの顔を見てなかったから。ちょっと忙しくていつもみたいにここにこれなかったしさ。ほら、学校だと、キキ、僕に会いに来ないでしょう?」


 「あの、だって、シュリ様は人気者ですし、私みたいな身分の者がお顔を見に行くなんて、とても……」


 「遠慮なく来ていいのに。学校は身分なんて関係ないんだから」


 「でも、私はルバーノのお館様にお世話になって学校へ行かせて貰ってますから」


 「ん~、本当にそんなに気にしなくてもいいんだけどなぁ。でも、まあ、いいや。そういうところもキキらしいって思うし」


 「でも、本当にいいんですか?お屋敷の皆様が心配していらっしゃるんじゃ……」


 「大丈夫。ちゃんとジュディスに話は通してあるから。それに、これまでだって遊びに来てたんだから平気だよ。アリス姉様もミリー姉様もリアも、ここ最近学校でも家でもイヤってくらい一緒だし、たまには別々もいいんじゃないかなって思うんだ」


 「そ、そうですか?」



 そんなことないと思いますけど、とでも言いたげに、キキがちょっぴり心配そうな顔をする。

 それだけ、ルバーノ姉妹のシュリ好きは有名な話だった。

 学校でも、彼女達がどれだけシュリを溺愛しているかという噂はもちろん聞こえてきている。


 キキとてもちろんシュリの事が好きだから、こうして会いに来てもらえるのは本当はうれしい。

 でも、シュリが学校に通うようになって、ルバーノ家の姉妹がどれだけシュリに夢中なのか、身にしみて分かるようになってきた。

 そうなってくると、どうしてもお世話になってるルバーノ家の令嬢達への遠慮のような気持ちが出てきてしまい、今回のシュリの訪問も素直に喜べなかったのだ。



 「そうだよ。それとも、僕がここに来るの、迷惑だった?」


 「めっ、迷惑だなんてとんでもないです」



 そう、迷惑なんかじゃない。

 だってキキはずっと前からシュリの事が大好きなのだから。

 身分違いだと、自分にそう言い聞かせてもなお、その想いは消しようが無いほど大きなものだった。



 「じゃあ、うれしい?」


 「う、うれしい、です。もちろん」



 それ以外の答えなどなかった。

 主筋であり、シュリの婚約者でもあるルバーノ姉妹への遠慮はもちろんある。

 でもやっぱり、嬉しいものは嬉しい。

 シュリがこうして自分を気にかけ、会いに来てくれる事は。



 「そっか。よかった。じゃあ、今日は奥にお邪魔していい?」


 「も、もちろんです。でも、小さい子達が騒がしいですよ?」


 「平気。チビ達にお菓子持ってきたから、一緒に食べよう」


 「はい」



 少しだけ自分の気持ちに素直になって微笑んだキキは、シュリと一緒に孤児院の奥へと向かう。

 中庭を越えて食堂へ案内しようと思ったのだが、



 「あ~!シュリだぁ」


 「シュリ~、遊びに来たのぉ?」


 「一緒に遊ぼーぜ」



 目ざとくシュリを見つけたちびっ子達が、わらわらと近寄ってきた。

 年が近いせいなのか、はたまた体格が近いせいなのか、シュリはこの孤児院の年少さん達から多大な支持を集めていた。



 「ん~?今日はキキに会いに来たからダメ。かわりにお菓子を持ってきたから食べていいよ?」


 「ちぇ~、シュリはいつもキキ姉ちゃんばっかかまうよなぁ」


 「お菓子で誤魔化そうっていったって、そうはいかね~ぞ」



 シュリより少し年下の少年達が唇を尖らせれば、



 「あなた達、ダメよ?シュリちゃんとキキお姉ちゃんの邪魔しちゃ」


 「そうよそうよ。二人っきりにしてあげなきゃ」



 同じく年下の少女達がおしゃまな口調でキキとシュリの仲を後押し使用とする。

 そんな彼らに、シュリはまっすぐ向き直った。



 「キキがお姉ちゃんなら、僕もシュリお兄ちゃん、とかシュリ兄ちゃんって呼んでもいいんだよ?ほら、僕だってみんなより年上だし」



 いい機会なので、前々から思っていた提案をそっとぶつけてみた。

 しかし、相手の反応はいまいちで。



 「え~?シュリはシュリって感じだよ」


 「そうそう、体のおっきさも俺達とそんなに違わないじゃん」


 「そうね~、シュリちゃんはやっぱりシュリちゃんって感じ」


 「見た目も中身も、可愛いもんね」



 彼らは口々にそう言って、シュリの持ってきたお菓子をそそくさといなくなってしまった。



 (今日もまた、お兄ちゃんって認めてもらえなかった。ちっちゃいって……。一応、少しはおっきい……はずだもん)



 少しはおっきい、シュリはそう言うが、実際問題、同じ年頃の子供よりだいぶ小さめなシュリは、彼らの大きさと大差ない体つきだった。

 だが、しょんぼりしてしまったシュリにそんな事実を突きつけることなど出来るはずもなく。



 「も、も~、あの子達ったら。シュリ様は、そんなにちっちゃくなんて無いですよね~?」


 「……そうかな?」


 「そっ、そうですよ! みんな、シュリ様をお兄ちゃんって呼ぶの、恥ずかしがってるだけですよ、きっと!」



 そうですよ、そうに決まってます! と言葉を尽くせば、シュリの気持ちも何となく浮上してきて、



 「そ、そっかな? そうだよね? 僕だって流石にそこまで小さくないよねぇ」



 みんなもそんなに照れなくてもいいのになぁ、とシュリが笑い、その顔をみたキキがほっと胸をなで下ろす。

 やっぱりシュリには笑ってる顔が似合う。シュリが笑うとそれだけで幸せだと、自分の想いを再確認して、キキは可愛らしく頬を染めた。

 そして騒ぎ出す胸の鼓動を落ち着かせながら、穏やかに微笑んで、



 「シュリ様?あの子達を追いかけて、一緒にお菓子を食べますか?」



 そう問いかける。



 「ん~、いいや。もともと、キキと一緒にのんびりしたくて来たんだし。キキ用のお菓子は……ほら、ここに」



 最初から子供達用とは分けておいたお菓子をポケットから取り出して、あそこに座ろう、と中庭に一つだけおいてあるベンチに向かうシュリ。

 キキはその背中を追いかけて、シュリに促されるままその隣に腰を下ろした。



 「はい、これ。食べてね?」



 差し出された包みを受け取りながら、



 「あ、ありがとうございます。えっと、シュリ様のは?」



 そう問いかけると、



 「僕はいいよ。帰ればあるし、これはキキの為に持ってきたんだから」



 シュリはにこっと笑って、キキの腿に頭を乗せて、ごろんと横になった。

 もっとシュリが小さな頃から何度もしていた膝枕なので、キキも特に動揺することなく、ほんのり頬を染めて柔らかく微笑む。



 「お疲れですか?」


 「ん~、少しね。ほんとはさ、キキの側は落ち着くから、ちょっと休ませてもらいに来たんだ」


 「私の側は、落ち着きますか?」


 「うん、落ち着くよ?」


 「そうですか。嬉しいです。シュリ様の、お役に立てて」



 本当に幸せそうにそう言いながら、キキはシュリの髪の毛を指先ですくように撫でる。



 「少し、休んで下さい。最近のシュリ様は、とてもお忙しそうでしたから」



 上の学年の授業に参加したり、そのまた上の中等学校の授業も受けに行ったり。

 キキは遠くから見ていることしか出来なかったけれど、彼がとても忙しく動き回っていたことは知っていた。

 だから、自分の側で心休まるのであれば、好きなだけ休んで貰いたい。



 「ん……ありがと」



 シュリの声がだんだんと眠そうな声になっていく。

 キキはそれを見守りながら、その髪をなで続ける。


 シュリの周りにはいつも誰かがいるけれど、今は自分だけ。

 大好きな人を独り占めできる幸せを噛みしめながら、キキはずっとシュリの頭を撫で、その顔を見つめ続けた。

 周囲が夕日色に染まり、シュリの帰る時間がくるまで、ずっと。

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