第二百三十七話 中等学校へいこう~商業科にて~

 「用意して貰ったスケジュールによれば、二日ずつ、各科を回る予定になっているようですね。今日と明日は商業科を回る予定になってますが、とりあえず一年生のクラスから見学してみましょうか?」



 サシャ先生の提案に頷き、一緒に商業科のクラスのある棟へと向かう。

 初等学校では、数学の授業はなかったので、どんな授業を行っているのか、少し興味があった。

 まあ、なんとなく……なんとなく予想は出来そうな気はしたが。


 では、行きましょうか、と応じたサシャに何故か再び抱き上げられてしまったシュリは、そのままある教室へと連れ込まれた。

 後ろの入り口からそっと中に入ったサシャは、教壇に立つ教師に軽く黙礼し、授業を受ける生徒達を後ろから見守る。

 その腕に、シュリをしっかりと抱っこしたまま。


 シュリとしては、抱っこされている現状が正直不本意だったが、ここで抗議して授業の邪魔をするわけにもいかないので、ひとまず授業の様子を見守ることに。

 そのクラスでは、ちょうどタイミング良く数学の授業をしているところだったようで、



 (さて、この世界の数学事情はどんな感じなんだろうな~)



 と、まじめな顔で生徒達と同様、教壇に立つ教師を見つめた。

 が、そんなシュリとは裏腹に、生徒達はどうにも落ち着かない様子。

 どうやら授業の途中で入ってきた、異色の二人組が気になって仕方ないらしい。

 そわそわざわざわする生徒達の様子に、教師もついつい苦笑を浮かべ、



 「あ~、見学者はいるが、あまり気にしないように。まあ、一応紹介しておくが、初等学校の先生のサシャ先生と、その生徒のシュリ君だ。シュリ君は非情に優秀な生徒で、一週間ほど我が校の授業を体験する予定だから、もし見かけたら親切にしてあげるように。だが、今は取りあえずいつも通りの授業の様子を見て貰えるように頑張らないとな」



 そう言って、生徒達の注意を授業の方へと引き戻す。

 取りあえずの好奇心を満たされた生徒達は、教師の思惑通り再び前を向き、授業を聞く体勢となった。

 教師は彼らを見回し、満足そうに頷くと、



 「よし。じゃあ、さっきの続きだ。教本の問題を解いていくぞ。手元に銅貨12枚がある。銅貨2枚のリンゴと、銅貨3枚のオレンジを買うと、手元には銅貨が何枚残るか、計算して、わかった者は手を挙げるように」


 (ふぅん。初歩的な引き算かぁ。まあ、数学の習い始めならこんなもんかな)



 ふむふむと頷きながら授業を見守る。

 しばらくすると、生徒の一人が手を挙げて指名された。

 彼は、得意そうな顔で前に出ると、


 [12ー2ー3=6]


 と迷いなく書き込んだ。



 (……どこをどう間違えちゃったんだろう。間違えようがないと思うんだけどな……でも、そっか。よく覚えてないだけで、僕も小学一年生の頃はこんな感じだったのかなぁ)



 シュリが小さく首を傾げていると、その耳元で、



 「……シュリ君、もしかしてわかりましたか?」



 と小さな声で聞かれた。

 シュリはちらりとサシャを見上げて、



 「……えっと、答えは7ですよね?」



 同じく小さな声で答える。

 その返された答えに、サシャは軽く目を見張った。



 「流石ですね。算術は、中等学校の商業科へ進んで初めて習うはずですが、もしかして誰かに習いましたか?」



 当然と言えば当然の質問に、シュリはなんて答えようかとちょっぴり目を泳がせつつ考える。

 そして、



 「あ~、えっと……ジュ、ジュディスに少し教わったといえば教わった……かもです。あ、ジュディスっていうのは僕付きの従者なんですけど」



 と出来るだけ無難な答えを返した。

 真っ赤な嘘ではあるが、正直に答えるのも難しい。



 (前世で習いましたとは、流石に言えないよねぇ)



 シュリは内心苦笑しつつ、再び目の前で繰り広げられる、前世で言えば小学校一年生レベルの授業に視線を戻した。

 さっきの答えは先生により訂正され、生徒達はもう次の問題を解いているようだ。

 問題は聞き逃したが、さっきのように生徒が前に出て答えを書いてくれるなら、問題を聞いてなくても支障はないだろう。


 そんなことを思いつつ待っていると、先程のように一人の女生徒が手を挙げて前に出た。

 彼女はまじめな顔で黒板の前に立ち、そして、


 [1+2+2+2+2+……]


 とやり始めた。

 どうやら、今度は足し算のようだ。同じ金額のものを複数購入したという想定の元の。

 銅貨2枚の商品を何個買ったって想定なんだろう……そんな事を思いつつ、延々と続いていく2を見ていたシュリは、思わず、



 「……かけ算とか、ないのかな」



 ついうっかり呟いてしまった。

 ごくごく小さな独り言だったはずだが、抱っこされている関係上、すぐ近く似合ったサシャの耳には余裕で届いてしまったようで。



 「かけ算?なんですか??それは」



 聞き覚えのない言葉にサシャが不思議そうに首をかしげた。

 それを見たシュリは、しまったと顔をしかめる。

 彼女の様子からすると、この世界ではまだ、かけ算という計算方式は確率されていない事が察せられたからだ。



 「かけ算、というのは、何か、計算の仕方なんでしょうか?」



 重ねて問われ、シュリはどう答えようかと一瞬言葉に詰まる。



 「もしかして、シュリ君が考えた、計算の仕方、ですか?」



 それは違う、と言いたかったが、じゃあその計算方法をどこで学んだかと問われても答えようがない。

 困った顔でサシャを見上げると、彼女はなるほど、と一つ頷き、シュリをそっと下へ降ろすと、教壇に立つ教師の元へと一人で歩いていってしまった。

 そのまま一言二言教師と言葉を交わし、それから後ろを振り向くとシュリを手招いた。


 逃げたいような気もするが、逃げるわけにもいかず、シュリは小さな吐息をこぼし、それからとぼとぼとサシャの元へと歩いていく。

 前へ出ると、



 「サシャ先生が、シュリ君が独自の計算式を持っているようだと言っているが、本当かい?出来れば、その計算式を使って計算をして見せてほしいんだが」



 半信半疑といった様子の教師に請われ、更に、無表情ながらも期待に満ち満ちているのが丸わかりのサシャ先生の様子に背中を押され、シュリは黒板の前に立った。

 立った……のだが、どうにもこうにも背が足らず、結局サシャ先生に再び抱っこして貰う羽目になった。

 シュリはため息をかみ殺し、せめて恥ずかしい時間をさっさと終わらせようと、黒板に計算式を書き込んでいく。


 [2×8+1=17]


 と、そんな感じに。



 「ふむ、答えはあっているな……」


 「そうですね……さすがシュリ君です」



 二人の教師は顔をつき合わせ、シュリの書いた計算式を見ている。

 それから、数学教師がおもむろに、×の部分を指差して、



 「あ~、その、シュリ君?この印はどんな意味があるのかね?」



 そう問いかけてきたので、ちょっぴりやけになったシュリは、毒くらわば皿までの気持ちで、


 「その印は、かけるって言って、かけ算をするときに使う記号です。えっと、銅貨2枚の物を8個買うから、それで2×8=16、それに銅貨1枚の物を1個買うので、その分を足すから+1で17って計算なんですけど……」



 簡単な言葉を心がけつつ、そう説明した。だが、



 「ほほう……だが、2×8が16になると、何故わかるのだね?結局は全部足していかないとわからないのではないかな?」



 続けてそう問われて、思わず言葉に詰まる。

 そう言われても、2×8は16になるのは分かり切ったことで、そう言う風に覚えているからとしか答えようがないのだ。

 九九は覚えていても、一番最初のなぜ?と言う部分は流石に覚えていない。


 もしかしたら、小学生の時に説明されているのかもしれないが、そんなの、記憶の片隅にすら残ってないのだから、問われたところで説明のしようがないのである。

 シュリは困った顔でしばし考え、それから答えた。



 「それは、そう言うものだとしか言いようがないというか、そういう表で覚えたというか……」


 「表?この計算式の為の表があると言うのかね!?」


 「ええ、まあ」


 「どこに!?」


 「ぼ、僕の頭の中に?」



 先生の食い付きの良さに、思わず顔をひきつらせつつ答えると、彼の大きな手ががっしりとシュリの肩を掴んだ。



 「シュリ君、ちょっと私と、そのかけ算という計算と、かけ算の表に関してお話しようじゃないかね」



 にっこり笑って彼は言い、そのままサシャの腕からひょいとシュリをさらうとその腕の中にしっかりと閉じ込め、



 「では、サシャ先生、後はよろしくお願いします」



 有無を言わせずそう言って、びっくりした顔のサシャ先生に後のことを丸投げし、引き留められては大変だとばかりにものすごい勢いで教室を飛び出していく。

 後には、事態についていけずにぽかんとする生徒達と、シュリと引き離された事に不満はあるものの、生徒達を放って追う事も出来ない、生真面目なサシャ先生が残されたのだった。


 その後、シュリはその先生が満足するまでかけ算の仕組みについてのレクチャーをさせられ、九九の表もしっかり書かされた。

 その画期的な(?)計算方式に、先生は狂喜乱舞したそうな。


 更にその日の残りと翌日にかけて、シュリはサシャ先生と共に二年生と三年生の授業も見学したが、数字の桁が増えただけの足し算、引き算と言った授業内容で、なぜかそれぞれの学年の先生にもかけ算を教える事になり。

 二日目の放課後はなぜか数学に関わる先生達を集めての勉強会をする羽目に。

 そして、かけ算に関する教本を作るから監修してくれと懇願されて、渋々了承した。


 その結果、アズベルグの中等学校の商業科は、計算に秀でた優秀な人材を輩出すると有名になり、各地から生徒が集まってくる程になるのだが、それはまだ先の話。

 後に、シュリが監修した教本は、王国全土へと広がっていくこととなる。


 その教本の中で、なぜか「かけ算」は「シュリの計算式」と書き記されており、その画期的な(?)計算式は末永く「シュリの計算式」として人々の記憶に残った。

 「シュリの計算式」という呼び名が広まるだけ広まり、もうどうにもならなくなってからその事に気付いたシュリは、自分が監修したときはちゃんと「かけ算」と記されていた、と大騒ぎしたとかしないとか。

 まあ、それもすべて、まだ当分先の未来の話である。

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