第二百三十三話 お見舞いとお料理教室??

 ルゥのお父さんは思っていたより重症に見えた。

 声も動きも弱々しいし、時折痛みを我慢している様子も見られた。

 ルゥの料理に、相当胃腸を痛めつけられているのだろう。


 あの具合の悪さを、ただの料理で解消することはきっと難しい。

 アレを使うべきか、使わざるべきか。


 そんなことを思いながら、シュリはちょっと難しい顔でルゥに指示を出す。

 まずは材料切りからだ。

 この辺りの技術はルゥもしっかりマスターしていて、包丁を扱う手元も全く危なげがない。

 シュリに見守られている事で張り切っているルゥをながめながら、再び考える。


 果たして、アレを使うべきかどうか。


 アレっていうのは、もちろんアレのこと。

 シュリが持ってる唯一の癒しスキル[癒しの体液]の事である。

 堂々と使うにはちょっとアレなスキルなので、使うとしたらこっそり使うしかないかな~、と思いながら、シュリはスキルの使いどころを考える。



 (まさか、ルゥのお父さんに対して、いきなり口移しでご飯……っていうのはハードルが高すぎるしなぁ)



 まあ、それ以前に、いくら癒しの為とはいえ、男子とキスするつもりは毛頭ないのだが。



 (体液……体液ねぇ。唾液以外だと、なにがあるかなぁ。う~ん……汗、とか?)



 唾液もアレだが、汗もハードルが高いんじゃなかろうか。

 友達のお父さんに汗をなめさせるなんて、どんな変態だろうと思うのだ。

 うん、ないない。


 かといって、料理を作ってる横でいきなり汗がうっかり飛び散るほどのハードな運動を繰り広げるのもどうかと思うし。

 加えて言うなら、シュリが汗だくになれるような運動量を、室内で稼げるとも思えない。



 (……うん。汗は実行不可能、と。となると、他には……う~ん。血、とかかな?)



 血はどうなんだろう。

 僕の血は滋養強壮にいいのでなめて下さいってごり押ししてなめさせるのはちょっと無理があるとして。

 たとえば料理に使う野菜を切っていて、うっかり指を切って出血。その血がたまたまうっかり材料に付着して料理に混ざっちゃうのは、まあ、それほど無理はないかも知れない。

 ちらりとルゥを見れば、幸いなことにまだ材料は切り終わっていない様子。



 「ルゥ、僕も一緒にやるよ」



 言いながら、シュリは無限収納アイテムボックスから、愛用のナイフを取り出す。

 これは、普通のナイフでは解体しにくい高位の魔物等の為に用意したもの。

 グランに探してもらった鉱石をイグニスの炎で鍛えた、シュリお気に入りの特別製のナイフだった。

 一般的なナイフや包丁だと、シュリの皮膚に歯が立たないかもしれないので、一応、年の為……というやつである。


 更に、普通のまな板だとすぱっと真っ二つにしてしまう可能性大なので、これまた特製のまな板も収納から引っ張り出しておく。

 このまな板もかなり特別なもの……というか、イルルからいらない鱗をもらって表面を軽く加工しただけのものなのだが、さすがは腐っても上位古龍の鱗。

 軽くて固くて熱に強い、とってもお役立ちな一品で、特製ナイフと共にシュリのお気に入りのアイテムだった。



 「シュー君。もう終わるからいいのに」



 そんなルゥの言葉に、



 「これは僕からのお見舞いの品って事になってるんだし、全部ルゥに作って貰うのもどうかと思ってさ。僕にも少し手伝わせて?」



 にっこり微笑みそう返し、シュリはまだカットされていない材料を手に取り、ナイフを構える。

 年の為、常時発動状態の[自動回復]のスキルをオフにしておいた。

 そうしないと、せっかく指先を傷つけても、血が出る間もなく癒されてしまうかもしれないから。


 サクサクと食材を切りながら、シュリは己の指を傷つけるタイミングをはかる。

 そして、ここぞ!というタイミングで、ナイフを思い切り自分の指先に押しつけた。


 わずかな……というか、結構な抵抗感。

 鋭いはずのナイフの切っ先はなかなか皮膚の内側へ入り込まず、シュリはぐぬぬ、と更に力を込める。


 そして、数秒の攻防にどうにかこうにか勝利して、ぷつりとナイフが入り込んだ指先から、赤い滴がこぼれた。

 それを見たシュリはナイフを置いてぐっと拳を握る。

 ちらっとルゥの方をうかがってから、いそいそと血の付いた手でカットした材料をかき集め、手早く鍋の中へ。

 更に、ルゥの切ってくれた食材や米も投入、軽く下味をつけて火を入れてしまう。

 ここまですれば、流石にルゥも水を入れ替えようとは言わないはずだ。


 そんなことを思い、やり遂げた感満載でふぅと息をつき、額を拭う仕草をしたとき、とうとうルゥがシュリの負傷に気がついた。



 「シュー君、指、ケガしてる!!」



 慌てたようなルゥの声に、さっさと[自動回復]をオンにしておけば良かったと思ってももう遅い。

 心配そうにシュリの手を取り、傷の様子を見ているルゥの目の前でいきなり傷を治すわけにもいかず、シュリはちらりと様子を伺うようにルゥの顔を見た。



 「あ~……ほんとだ。痛くないから気がつかなかったな~。これじゃあ、材料を入れるときにちょっと血が付いちゃったかもしれないね……?」


 「シュー君の血が!?鍋に!!」



 シュリの言葉に、ルゥの表情が変わる。

 なんだか鬼気迫る様子に、シュリは思わず身を引きつつ、



 「ご、ごめん!!で、でも、もう火も入れちゃったし、よく煮れば大丈夫だよね???」



 即座に謝った。が、ルーの様子は変わらない。



 「シュー君の血が鍋に……」



 確かめるようにそう呟いたルゥの口から、ぎりぎりと歯ぎしりの音が聞こえる。

 正直言って怖い。

 怖いが、放置して逃げるわけにもいかず、



 「ル、ルゥ??ほ、ほんとにごめん。悪気はなかったんだけど、ルゥのお父さんの口に入るものに変なものが混ざっちゃって、気分良くないよね?ごめんね?」



 シュリは、一生懸命謝った。

 ……が、作り直そうとはもちろん提案しない。

 そんなことをしたら、さっきの苦労が水の泡である。


 シュリに申し訳なさそうな顔で謝られ、怒り心頭という様子だったルゥははっとしたようにシュリを見た。

 次の瞬間、ちっちゃな般若はあっという間に元の可愛らしいルゥに戻り、



 「あ、違うよ?これは、シュー君に怒ってるんじゃなくて、お父さんが妬ましくてつい……」



 なぜか恥じらいつつ、ルゥはそう答えた。

 なぜ、恥じらう!?と心の中でそっと突っ込みつつ、



 「ね、妬ましいって、なんで??」



 さっきまでの会話のどこに、ルゥがお父さんを妬むような内容があっただろうと頭を捻りながら問いかけた。



 「私より先にシュー君の体液を口にするなんて……お父さんのくせに生意気。ずるい」


 「えええ~……」



 それって妬むような事かなぁ??むしろ、不衛生だって怒られる事だと思うんだけど……と、ちょっと引き気味にルゥを見る。

 そんなことくらいで、愛娘からずるいと妬まれるお父さんがなんとも可哀相だった。



 「いやいや。ここは僕が怒られて、お父さんが同情される場面だと思うんだけど……」


 「シュー君を怒る?なんで??だって、シュー君は悪くないでしょ?わざわざお父さんの為にお見舞いに来てくれて、お父さんの為に料理までしてくれて。そのせいでケガをしたシュー君を怒ることなんてできないよ。むしろお父さんは、もっと自分の幸運をかみしめるべき!!」



 包丁を持ったままエキサイトするルゥ。

 ぶんぶんと振り回される包丁が地味に怖い。

 まあ、それが飛んできたところで、傷つきはしないと思うけど。



 「……いや、うん。いったん包丁を置こうか」



 ちょっぴりひきつった笑顔でそう促すと、あ、いけない、とばかりに、包丁から手を離すルゥ。

 


 (どうして僕の周りって、こう、微妙な……いやいや……気が強い……いやいや……えーと、個性的?そうそう、個性的な女の子が多いんだろうなぁ)



 そんなことを思ってちっちゃな吐息を漏らす。

 そんなシュリを、ちょっと不思議そうに見たルゥは、視界に入ったシュリのケガを見てはっとして、



 「あ、そうだ、シュー君。傷の手当てしなきゃ」



 慌てたようにシュリの手を取った。

 手当て、と言われても、どうにかこうにかつけた傷はほんのちょっぴり。

 シュリは今にもお医者さんを呼びに行きそうなルゥを、苦笑混じりに押しとどめ、言った。



 「大丈夫だよ。ルゥ。こんなの……」



 言ってしまったのだ。

 舐めておけば治るよ、と。



 「舐める……」



 その瞬間、ルゥの瞳がきらーんと光った。

 狩り人の目になったルゥを目の当たりにして、シュリは慌てて言葉を紡ぐ。



 「大丈夫だよ!じ、自分で……」



 出来るから、と、言おうとした言葉は最後まで言わせて貰うことは出来なかった。

 飢えた獣のように、傷ついた指先に食いついてきたルゥの勢いに思わず恐怖を覚えたが、暖かな口腔に柔らかく包み込まれた指先に痛みはなく、



 「はひひょうぶ!ひゅーふんのへはは、ふぉふがへひにんふぉもふてひひょーふふ!!(大丈夫!シュー君のケガは、ボクが責任を持って治療する!!)」



 ルゥも離してくれそうもないので、シュリは諦めて手の力を抜いた。

 まあ、舐められて減るものでもないしね……とそれ程長くは無い人生経験で、諦めと言うものをいやと言うほど学んできたシュリは、抵抗しても無駄だとルゥの好きなようにさせる事にした。


 しかし、すぐに終わるだろうと思っていたルゥの治療(?)は全く終わる気配がなく。

 シュリの指を舐めしゃぶるルゥの表情はなんだかうっとりしていて、ほっぺたはリンゴのように赤い。

 流石に、もういいよ、と声をかけようとしたら、ひざまづいてシュリの指を熱心に舐めていたルゥが、上目遣いにシュリを見上げた。



 「ひゅーふん……ひもひひひ??(シュー君、気持ちいい??)」


 「えっと……うん。そ、そうだね?」



 とろけた瞳で問われ、シュリは気圧されたように頷く。

 シュリのそんな返事を聞いたルゥは、嬉しそうに瞳を細め、更に熱心にシュリの指に舌を這わせ始めた。



 「いや、あのね??も、もう十分だから……」


 「はめ!もうひょっと……(ダメ!もうちょっと……)」



 もういいと言っても聞いてくれないルゥ。

 その鼻から漏れる妙に甘い吐息を聞きながら、シュリは遠い目をして諦めの吐息を漏らす。

 火にかかった鍋からは、具材が煮える音。



 (……もうちょっとしたら、味を整えないとなぁ)



 現実逃避気味にそんなことを考えながら、もう一度ため息。

 それからしばらくの間、具材が煮上がるまでの決して短くはない時間、シュリの指はルゥの口から解放してもらえることはなかったのだった。

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