間話 おじさんの、メイドな一日①

 我が輩はおじさんである。

 名前は……当然の事ながらあるが、ここではあえて伏せておくのが賢明だろう。

 だって興ざめじゃないか。

 せっかく可愛らしいメイドさんの格好をしても、名前が男名前なんて事じゃ。


 少し前までごく一般的な、御者の仕事と馬車を引く馬の世話をこよなく愛するただのおじさんだったはずなのに、どうしてこうなってしまったんだか。

 きっかけは、働き者の可愛らしいメイドさんが訪ねて来たこと。

 でも、すべての大元はきっと、ルバーノの殿様がこよなく愛する甥御様、シュリ様なんじゃないかなぁと思うのだ。




 御者の朝は早い。

 まだ日も昇らぬ内から起きだして馬の世話をし、お屋敷の皆様のご用事がいつ入っても良いように馬車をきれいに整え、故障がないか点検する。


 特別なことがなければ、その日一番の仕事は、ルバーノ家のお嬢様方を学校へ送る事。

 上のお嬢様は今は王都に行かれてこの屋敷にはいらっしゃらないが、二番目から四番目の、三人のお嬢様はまだアズベルグの学校へ通っていらっしゃるし、もうじき学校へ通う人数も増える事になる。


 なんで人数が増えるのかって?

 そりゃあ、ルバーノ家の当主・カイゼル様の甥御様が学校に上がるお年になったからに決まってる。


 ルバーノの跡取りともっぱらの噂の、カイゼル様の甥御様・シュリ様は眉目秀麗、成績優秀、入学式では一番優秀な生徒がつとめる、新入生代表の挨拶をおつとめになるとか。

 直接言葉を交わす事なんてほとんどないが、それでもうちのお屋敷の若様はとっても優秀な方なんだと、自慢に思わないと言ったら嘘になる。


 それに、なんていうか、たまにお見かけする若様を見てると、なんというか変な気持ちになってくる。

 初恋の時のような、何とも言えない甘酸っぱいような気持ちに。

 まあ、気のせいだとはおもうけど。気のせいだと、自分に言い聞かせてはいるけれど。


 そんなある日のことだった。

 数日後に控えたシュリ様の入学式のために、馬車に磨きをかけていたら、急に後ろから声をかけられた。


 可愛らしい声に驚いて振り向けば、これまた可愛らしい姿のメイドさんがそこには立っていて。

 こんな可愛いメイドさんが、小汚い御者の親父になんの用だろうと戸惑っていると、



 「御者さん、御者さん。お願いがあるんです」



 その子はそう言ってこれまた可愛らしく首を傾げた。

 その頃になって、ようやく気づく。

 そのメイドさんは、シュリ様とよく一緒にいるメイドさんだ、と。

 そんな、シュリ様付きともいえるメイドさんが、それこそこんな一介の御者に何をお願いするというのか?

 戸惑った思いのまま、



 「わ、わたしにお願いですかい?い、一体なにを……?」



 そう返すと、彼女はにっこり笑って言ったんだ。



 「今度、シュリ様の入学式の日。その日だけ、御者さんのお仕事と私のお仕事、交換しませんか?」



 と。



 「わたしの仕事と、お嬢さんの仕事を??それはつまり……」


 「ご想像の通りですよ?その一日だけ、私は御者さんになって、御者さんは可愛い可愛いメイドさん体験が出来るという寸法です!」



 そんな途方もない提案をされ、驚かなかったかと言えば嘘になる。

 そりゃあもう、死ぬほど驚いたし、正直無理だろうって思ったよ。

 まあ、目の前のメイドさんが御者の姿になるのはいい。そりゃあ可愛らしい御者が出来上がるだろう。


 だが、その逆はどうだ?


 冴えない御者のおじさんが、あんなに可愛らしいメイド服を身につける?

 似合うはずがない。無理に決まってる。

 正直にそう伝えると、彼女はにっこり微笑んで、



 「大丈夫です。御者さんのサイズのメイド服は、ほら、この通り、もう出来上がってますから!!」



 どこから取り出したのか、ちょっと大きめなメイド服を広げて見せて、自信満々にそう言いきった。

 いや、だからね?服の問題じゃなくてね??と、更に説得を試みるものの、彼女はちっとも動じない。



 「こんな冴えないおじさんが女の子の服を着れるはずがない」



 そう言えば、



 「大丈夫。私のメイク術は完璧ですよ?きちんと可愛く仕上げてあげます」



 と答える。



 「ほら、わたしの髪はこんなに短いしね?」



 と言うと、



 「あ、その点もバッチリです。ほら、きれいな金髪のカツラを用意しておきました」



 そう返ってくる。



 「いや、ほらさ。わたしの体つきは、どう見ても男だし」



 との言葉に、



 「平気ですよ、平気。きちんと補正して出すとこ出せばごまかせます。幸い、御者さんはそんなにガチムチじゃ無いですし、結構スラッとしてますから」



 そんな風にマイナス要素をあげる度に、弁舌も鮮やかに論破されてしまった。

 そんな会話をしている内に、だんだんと変な気持ちになってくる。

 もしかしたら自分も、可愛いメイドさんになれるんじゃないか、と。

 女装になど、まるで興味は無かったのに、面白いものである。



 「え~と、わたしみたいなおじさんでも、可愛いメイドさんになれるかな?」



 おずおずとたずねると、



 「大丈夫です。私に任せて下さい。腕によりをかけて、おじさんを最高のメイドさんにしてあげますから」



 打てば響くようにメイドさんはそう答えた。これで契約成立ですね、と嬉しそうに笑いながら。

 そんな彼女の笑顔を見ながら、御者のおじさんはとりあえず思う。

 せめて、腕と足の毛は、つるつるに剃っておこう、と。






 そんな出来事から、あっという間に日は過ぎて。

 とうとう、シュリ様の入学式の日がやってきた。

 いつもより早く起きて、メイドさんとの待ち合わせ場所へと急ぐ。


 手も足も、昨日の内につるつるに剃っておいた。髭もいつもより丁寧に剃り上げている。

 自分にできることは全部した。後は、メイドさんにお任せするのみだ。


 待ち合わせの場所で合流した後、連れて行かれたのはメイドさんの部屋だった。

 女の子の部屋に男が入るのは、と一応遠慮はしたが、時間がないから早くと急かされて、強引に連れ込まれてしまった。

 まずは服を着ちゃいましょうと、さっさと脱ぐように指示されて、パンツ一丁にさせられる。



 「ん~……そのパンツはいただけませんね~。念のため、買っておいて正解でした」



 と差し出されたのは、レースできれいに装飾された女物のパンツ。

 流石にこれは、と突き返そうとしたのだが、



 「御者さん、いけません。メイドになるなら身も心もなりきらないと。お掃除の最中にスカートの中をのぞかれたらどうするんですか?メイド服の下のパンツがそんな男物のパンツだなんて、夢が壊れるのも良いところですよ!!」



 彼女は強くそう説得してきた。

 だが、言われてみれば確かにそうである。


 自分がもし、メイドさんのスカートの下をみる機会に恵まれたとしよう。

 期待に胸を膨らませ、ワクワクして覗き込んだそのスカートの下の下着が男物だったら、きっと夢はぼろぼろの再起不能になってしまうに違いない。


 そう考えると、今日、自分はメイドさんになるのだから、そんな夢を壊すような事をしてはいけない……なんだかそんな使命感がむくむくと沸いてきて、気がついたときには彼女の差し出すレースのパンツを手に握りしめていた。

 そんなおじさんを見て、彼女は満足そうに微笑み、



 「じゃあ、背中を向けてますからどうぞはいちゃって下さい」



 そう言って背を向けた。

 言われるがまま、レースのパンツに足を通す。サイズはぴったり。

 彼女はいったいいつの間に、自分のサイズを測ったんだろうかと不思議に思いつつも、こっちを向いても大丈夫だと彼女に告げた。

 振り向いた彼女の前で、なんだか股間が心許なくてついつい内股になってしまう。

 そんな彼を見ながら、メイドさんは再び満足そうに頷いた。



 「良いですね。その恥じらいも大切です。すっごく女性らしく見えますよ」



 そう誉めながら、彼女はてきぱきとおじさんに色々な装備を装着していく。


 おなか周りにはくびれを演出するコルセット。

 あまりの苦しさに、今日の食事はあきらめよう、おじさんは思った。


 更に、胸には女性がつける、胸を支えるための下着を。

 当然の事ながらおじさんの胸に膨らみは求めようが無いので、彼女は持参した布を下着の隙間にぎゅうぎゅうと詰め込んで、素敵な胸を作り上げてくれた。


 足下にはつるつるとした薄手の靴下をはき、後は、おじさんのサイズに合わせたメイド服を纏うのみ。

 着終わったところで、いったん全身を映す鏡の前に立つ。


 鏡の中には、当然の事ながらメイド服を着ただけのしょぼくれたおじさんが立っていた。

 その事実に、分かってはいたものの、ついついしょんぼりしてしまう。


 だが、そんなおじさんをみてメイドさんはニヤリと不敵に笑った。

 本番はこれからですよ、と。

 そしておじさんを鏡台の前に座らせると、ものすごい勢いでメイクをし始めた。


 眉を整え、顔におしろいを塗り、まつげをカールさせ、他にも色々なものを重ね塗りしているのが目を閉じていても感じられた。

 特に、目元の辺りには手をかけているようだった。

 そして最後に唇も鮮やかに色づけて。


 メイクの後は、丁寧にカツラをかぶせられ、はずれないようにしっかり固定され、目を開けて良いですよと言われて目を開けると、そこにはさっきまでのおじさんなんて、どこを探しても見あたらなかった。


 流石に元が元だ。絶世の美女、とは言い難い。

 だが少なくとも普通の女性には見えた。


 いや、目元のメイクや口紅の効果で、なんだかちょっぴり色っぽくすらある。

 そんな顔を縁取るのは肩の上辺りで切り整えられ、緩やかにウェーブしている金髪だ。

 そこへメイドさんがつけているヘッドドレスもきちんとつけられていて、それがまた何とも似合ってる。


 全身を、映してみてみたいーそんな衝動に駆られ、あわてて立ち上がって全身鏡の前へ。

 そこにはさっきとは違い、ちょっと年増ではあるが、紛れもないメイドさんが映っていた。



 「こ、これがわたし?」



 思わずそんな声が漏れる。



 「そうですよ~?ね?女の人にしか見えないでしょう??」



 呆然と……いや、うっとりと鏡を見つめるおじさんメイドに向かって、メイドさんは得意そうにそう言った。

 その後は、メイドさんからメイドとしての仕事の内容を聞いてメモを取り、もし困ったらこの部屋か、シュリ様の部屋に隠れているように言われた。

 シュリ様の部屋に隠れるなんて恐れ多いと言い返すと、メイドさんは笑って、シュリ様は優しいから大丈夫と、なぜか得意そうに胸を張った。


 一通りの事を教えられてから、今度は私が着替えるので、と部屋から追い出される。

 おじさんは、メモにもう一度目を落としてから、そろそろと内股で屋敷の中を歩き出すのだった。

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