間話 おじさんの、メイドな一日②

 シュリ様付きのメイドさん……シャイナの指示の通りに、今日はシャイナさんに代わって仕事に入ります、とメイド頭に伝えると、あらあらまたなの、と肩をすくめたメイド頭は丁寧に仕事の指示をしてくれた。

 シャイナには時折こういう事があるらしく、こうして代わりを連れてくることもよくあるようだ。


 それって防犯上はどうなんだろうと首を傾げていると、一応シャイナさんもその辺りは考えていて、身元の確かな人しか連れてこないから、そこは信用しているのだと、メイド頭は苦笑混じりに説明してくれた。

 あなたもそうなんでしょう?と。


 おじさんメイドは慌ててこくこくと頷く。

 彼はもともと、御者として長くルバーノ家に使える身。身元はもちろん確かである。

 そんなおじさんメイドを見て、メイド頭はにっこり笑う。

 真面目そうな人で良かったわ。今日一日、よろしくお願いね、と。







 メイド頭の指示で廊下の掃除をせっせとしていると、不意に後ろから誰かが近づく気配がした。

 いけない、道をあけないと、と急いで退こうとしたのだが、それより早く、お尻をぺろりとなで上げられた。



 「ひゃっ!?」



 なんともこそばゆい感覚に、思わず口から情けない悲鳴が漏れる。

 お尻を押さえて慌てて振り向くと、そこには口ひげもダンディなこのお屋敷の旦那様、カイゼル様が立っていた。

 御者としては幾度と無く顔を合わせている相手である。

 ばれるんじゃないかとどきどきしていると、彼はそんなおじさんメイドをまじまじと見つめ、



 「ふ~む?新人かね?見ない顔だが……」



 そう問いかけてきた。 



 「はっ、はひ!!」



 返事の声が裏返り、顔に血が上る。

 カイゼルは、そんなおじさんメイドの顔やら大きく張り出した胸やらを見つめ、



 「そうか。年はいってるようだが、なかなか色気がある顔をしているではないか。体つきもよろしい!うむ、気に入った。今度、わしの部屋も掃除に来なさい。ま、今日は忙しいから、また別の日に、ゆっくりとな?」



 そう言ってダンディに微笑みかけると、妙に機嫌が良さそうなカイゼルは、おじさんメイドをそこに残してスタスタと歩いていってしまった。

 自分がこの姿で働くのは今日だけですと、伝える間もなく。



 「さ、流石に焦った。でもまあ、もうこの姿で会うことも無いだろうし……」



 そんなカイゼルの後ろ姿を見送ってから、ぽそっと小さく呟き、再び掃除を開始しようとしたところで、



 「ちょっとあなた?」



 再びおじさんメイドに声がかかる。

 慌ててそちらを向けば、お屋敷の奥様……エミーユが近づいてくるのが見えた。

 御者としての彼はもちろん、エミーユとも面識がある。

 相手は女性だし、カイゼル相手よりばれる可能性は高そうだと、びくびくしながら待っていると、



 「そんなにおびえなくても良いわよ?あなた、新人の子?子っていうには、少し年がいってるみたいだけど……」


 「は、はい」


 「ふぅん……」



 エミーユは頷き、おじさんメイドの顔をじろじろと見て、そして、おもむろに手を伸ばすと、大きく張り出した胸をもむもむと無遠慮に揉んだ。

 焦ったのはおじさんである。

 なにしろ、その胸は天然物ではなく、中に布の詰まったまがい物なのだ。

 流石にばれたか、と身構えたが、



 「あら、ずいぶん胸周りの筋肉を鍛えてるのね?結構固いわ。やっぱり、バストラインをきれいに保つために?」



 彼女は全く気づかなかったらしい。ほっと胸をなで下ろしつつ、



 「は、はい。その、年と共に、色々と気をつけないとと思いまして」



 何となく彼女に話を合わせておいた。

 エミーユ様は、そうよね~、大事よね、そういうの、と頷きながら、



 「さっき、うちの主人が通ったでしょ?なにかされたか言われた?」



 そうたずねてきた。

 おじさんメイドは、さっきのカイゼルとのやりとりを思い出しつつ、まあ、隠すまでの事は無いだろうと素直に答える。



 「はい。その、お戯れにわたしのお尻を少し。それから、今度カイゼル様のお部屋掃除を言いつかりました」


 「ふぅん、そう。やっぱりね。あの人が気に入りそうなタイプだもの、あなた。ちょっと年はいってるけど」


 「は、はあ?」


 「まあ、私のことは気にしなくてもいいわよ?ただ、避妊だけは忘れないようにね?」



 戸惑うおじさんメイドに、エミーユはにっこり笑ってそう言いおいてカイゼルと同じ方向に消えていった。

 その背中を見送り、おじさんメイドは呆然と呟く。



 「いえ、あの……避妊は必要ないでしょうけど……ってか、わたし、知らない間に貞操の危機だったんですね~……」



 と。





 そんなこんなで時間はあっと言う間に過ぎていき。

 朝のカイゼルやエミーユとの一幕以外は特に危ないことはなく、屋敷の男性職員も優しくしてくれたし、それなりに充実した一日を過ごしたおじさんメイドは、最後にシュリの部屋の掃除をしていた。



 (女の人の格好をして、男性にちやほやされるのも、中々楽しいもんだなぁ。まずいな~、くせになりそう……)



 などと考えながら、ぱたぱたとはたきをかけていると、不意に部屋のドアが開いて、



 「ただいま~……あ~、疲れたぁ……」



 と部屋の主であるシュリが入ってきた。

 おじさんメイドは驚き飛び上がり、慌てて振り返って深々と頭を下げる。



 「おっ、お帰りなさいませ、シュリ様」


 「あ、掃除中だった?ごめんね?邪魔だよね??」


 「いえっ、わたしこそ、お帰りになる前に掃除を済ませておけなくて申し訳ありませんでした」


 「ん~?いいよ~、気にしなくて。新人さん、でしょ?慣れない仕事、大変だったね」



 謝るおじさんメイドを、にっこり微笑んで逆に労る懐の広さに、おじさんは不覚にも感動してしまう。

 思わずじーっとシュリの可愛らしくもきれいな顔を見つめていると、シュリもまたおじさんメイドの顔を見上げてきた。



 「新人さん、美人さんだねぇ」


 「えっ!?いえ、そんな!!もったいないお言葉です」


 「んん~、余計なお世話かもしれないんだけど、カイゼル伯父様のお部屋掃除だけは気をつけて?たぶん、新人さん、伯父様の好きなタイプの美人さんだと思うんだよねぇ」



 突然の誉め言葉に恐縮するおじさんメイドに、そんな忠告。

 あ、でも余計なお世話だったらいいんだけど。こういうのは本人達の自由だからねっ、と、まだ幼い少年からのそんな大人な忠告に、思わず遠い目をするおじさん。

 カイゼル様、色々とあちこちにバレバレですよ……と。



 「あ、ありがとうございます。気をつけますね……」



 色々な感情を飲み込んで、おじさんはシュリに微笑みかける。

 大人な女性の笑顔を意識しながら。


 だがふと、シュリの視線が自分の顔の下の方へ向いているのに気がついた。

 我ながら色っぽい唇がシュリの目を吸い寄せてしまったのだろうか。

 いや、違う。シュリの目線は唇よりもっと下の……

 シュリの目がどこに向いているのかに気がついたおじさんは、慌てて自分の顎を両手で押さえた。

 その手のひらに伝わるのはちくちくとした感触。

 もうとっくにシンデレラのタイムリミットは過ぎていたようだった。



 「あ~、えっと、もしかして?」


 「う……はい。申し訳ありません」



 おじさんは頭を下げる。見苦しいものを見せてごめんなさい、と。

 だが、シュリは素直に感心した瞳でおじさんを見上げた。



 「うわぁ、すごい。女の人にしか見えなかったよ?それに、とっても綺麗だし。体つきも、ちゃんと色っぽく仕上がってる。仕草も、ばっちり女の人みたいだったし!!」



 そんな心からの賞賛に、おじさんはおずおずと顎から手を外してシュリを見た。



 「え~と、見苦しく無かったですか?」



 恐る恐るたずねる。



 「見苦しい?ちっとも!!大丈夫、美人なメイドさんにしか見えなかったよ」



 シュリはにっこり笑って答えた。

 その笑顔に、おじさんの頬がぽっと染まる。



 「そ、そうですか。ありがとうございます、シュリ様」



 な、なんなんだ、この胸の高まりは!?と戸惑いつつ、おじさんはシュリに再び頭を下げる。

 シュリはそんなおじさんの異変には気づかずに、



 「むしろ、こっちこそありがとう。僕のメイドの我が儘を聞いてもらって。迷惑だったでしょ?」



 少し申し訳なさそうにおじさんを見上げる。

 だが、おじさんは首を横に振った。


 確かに最初はちょっぴり……いや、かなり迷惑だったかもしれない。

 しかし、今となってはいい経験をさせてもらえたという思いしかない。

 迷惑どころか、むしろ感謝していた。


 おじさんは素直にそんな心境をシュリに告げ、もう一度深々と頭を下げてから暇乞いをする。

 目立つほどに髭が生えてきてしまった以上、少しでも早くシャイナの部屋に駆け込んで、この変装を解く必要があった。


 シュリの許可を得て、部屋を辞す。

 廊下に出て扉を閉めようとした瞬間、シュリは可愛らしく笑って言った。


 今日は慣れない仕事をお疲れさま。明日から、送り迎えよろしくね、と。


 はい、お任せ下さい、と答えて、おじさんはゆっくりと扉を閉める。

 激しく主張する胸の高鳴りに、戸惑いとほんの少しの心地よさを感じながら。


 おじさんは、高鳴る胸をそっと押さえ、急ぎ足でシャイナの部屋へと向かう。

 今度是非、シャイナさんのメイク技術を教えてもらおうと、固く心に決めながら。



 次の日、おじさんメイドは再び御者のおじさんへと戻った。

 朝に夕に、馬車に乗り込む少年と言葉を交わす瞬間だけ、ほんのりほっぺたを赤くする、ちょっぴり可愛い、だけど冴えないおじさんに。

 だが、メイド体験以来、自分を磨くことに目覚めた彼は、つるつるお肌の奇跡の美御者として名を馳せることになるのだが、それはもう少し先の話である。

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