間話 サシャ先生の(目から見た)入学式
今年の入学式は、なんだか妙な入学式だった。
その始まりはまず入学式の会場に向かう途中。
その日は朝から職員室で仕事をしていて、入学式だということは分かっていたのについつい熱が入ってしまった。
結果、ハッと気が付いた時には入学式の時間ぎりぎりになってしまっていて、慌てて職員室を飛び出す羽目になった。
だが、急ぎ入学式の会場に向かう途中、思いがけず妙な拾い物をしてしまう。
拾ったのは新任教師だという4人組。
新任教師らしくない、妙になれなれしいダークエルフの女性に、ダークエルフの女性と同じく綺麗な銀色の髪の妙におどおどした女性、少し気弱そうだが体育教師が似合いそうな体格の真面目そうな女性、それから眠そうな目をした先生と呼ぶには少々抵抗のある卑猥すぎる格好をした女性。
そんな怪しすぎる4人を、すぐに新任教師だと信じるのは難しかった。
だが、今年は少々異例の年で、学校のある街の領主の跡取りと目される少年が入学する関係もあり、先生の入れ替わりが少々多い年だった。
ぎりぎりにねじ込まれたような人事もあり、生真面目な彼女にしては珍しいことに、新任の教師の把握が出来ているとは言い難い状況だったのだ。
まあ、これも、全て校長の仕事が遅いせいで、一般職員まで中々書類が回ってこなかった為でもあるのだが。
全く、迷惑な話だとそんなことを考えながら、彼女は不信感を抱きつつ、目の前の女性達……特に4人を代表して彼女と会話をしているダークエルフの女性をじぃっと見つめた。
だが、ダークエルフの女性は、そんな彼女の視線に臆することなく、自分達は領主の肝いりで教師として赴任したのだと主張した。
それなりに高名な冒険者であることも言外に匂わせながら。
そんな主張を聞きながら、彼女はそう言えばと思い出す。
確か、目の前の女性と同じ種族の、高名な冒険者が確かいたな、と。
そんな思いつきのまま、女性の名前を問うと、名乗られた名前は彼女の記憶していたものとは全く違う物だった。
人違いだったか、と思いつつ、ふと時間を確かめれば、もうすぐ入学式が始まる時間。
彼女……サシャ先生は、細かい確認は後にして、新任教師だと言い張っている4人組が変なことをしないように見張っていることにしようと決め、4人を促し、入学式の会場へと向かったのだった。
講堂に着いて、4人を教員席の片隅に座らせ、ほっと一息をつく。
どうにか間に合った、と思いながら。
だが、大変なのはここからだった。
入学式の最中、しかも生徒達が注目する壇上で、訳の分からないことを言い始めた校長。
引率している4人のことは心配だったが、校長をそのままにしておくことも出来ずに壇上へ駆け上がった。
錯乱状態の校長がおかしな事を口走ったから、ちょっと本気で殴ったらうっかり気絶させてしまって少し焦る。
だが、回収班の先生達を動員して何とか事なきを得た。
念のために、事前に回収担当の先生を決めておいて本当に良かった。
それにしても、校長はルバーノ家の跡取り、シュリナスカ・ルバーノ君を女の子だと勘違いしたらしい。
確かに可愛らしい顔をしているけど、凛々しさもちゃんとあるし、服装も男の子だし、どう見ても女の子ではあり得ないと思うけど。
そんなシュリ君と目があって、少し胸の動悸がいつもより早くなったのは、誰にも言えない秘密である。
その後は、保健室に運ばれた校長の様子を一応確かめるために、ほんの一時会場から離れた。
在校生代表の挨拶は、真面目で固いと有名なルーシェスさんだし、問題ないだろうと軽く考えて。
まあ、その後に問題のシュリ君が行う新入生代表の挨拶までに戻ればいいと考え、校長を見舞った。
保健室に行くと、校長は意識を失ったままだったが、呼吸も安定しているしちょっとほっとする。
高齢だから、やはり心配ではあったのだ。
保健医で同期のアザレア先生には、ちょっと自重しなさいよ~、と軽めの注意を受けた。
確かにその通りだと思い、素直に反省してから会場に戻ると、そこは想像できないくらいの混沌とした空間に変わり果てていた。
新入生挨拶の為か、壇上にはシュリ君がいる。
しかし、なぜか他にも数人の人影が壇上にはあった。
まあ、その内の1人は壇上から降りて、自分の席に向かうところのようだ。
黒髪のその子は、確か、リアという名前だったはず。
住み込みで働く母親と共に、ルバーノ家に住んでいるはずだ。
ちょっと現実逃避気味にそんな情報を再確認しつつ、再び会場内に混乱をまき散らす壇上へと目を移す。
そこにはシュリ君を取り巻く4人の女生徒がいた。
その内の3人はルバーノ家の姉妹だ。
なぜか、昨年卒業したはずのリュミスさんまで混じっている。
彼女は今日、中等学校の入学式のはずだが、なぜここにいるのだろうか? 、そんなことを思いつつ、最後の1人に目を向けた。
最後の1人、学校総代のルーシェスさんに。
彼女はルバーノ家とは特にかかわり合いは無かったはずだが、なにがどうしてこうなったのか?
まさか、シュリに一目惚れをしたとでも言うつもりだろうか。
壇上の人間関係の混乱ぶりに、果たしてどこから手をつけたものかと、一瞬呆然としてしまう。
だが、サシャは気づいてしまった。
壇上の小さな男の子が、助けを求めるように周囲を見回したことを。
菫色のきれいな輝きの瞳が、なぜか自分に向けられた様な気がして、気がついたときにはもう体が動いていた。
壇上に駆け上がり、途方に暮れた小さな体を抱き上げる。
そして、パチリ、と指を鳴らした。
それは合図だ。回収班を呼ぶための。
彼女の合図で再び壇上に現れた回収担当の先生達が、彼女の指示の元、壇上にいるはずでなかった4人を手早く連行していく。
その様子を内心ほっとしつつ見送って、それからやっと自分の腕の中の存在に目を落とせば、視界に入ってくるのはちょっと落ち込んだようなシュリ君の後頭部。
何がどうなってああなったのかは分からないが、目の前の少年が望んで招いたことでは無いだろう。
まあ、後でちょっぴり事情を聞く必要はあるだろうけど。
(先生は、君が悪い訳じゃないと思いますけどね?)
そんな風に思いながら、サシャはそっとシュリの後頭部に指を滑らせる。いい子いい子と慰めるように。
そして驚いたように見上げてきたシュリの瞳をのぞき込んで、安心させるように努めて柔らかく微笑んだ。
「災難でしたね、シュリ君。先生が来たから、もう、大丈夫ですよ」
そう話しかければ、シュリの目が更に驚きを含んで大きく見開かれた。
「えっと……」
「どうしました?」
「先生は、僕を怒らないんですか?」
「怒る必要があるなら怒りますけど、そうじゃないんでしょう? それともこの事態は君が望んだこと?」
「いえ、違います……」
どちらかと言うと不可抗力ですけど、でも……と言い募るシュリの後頭部をいなすようにぽんぽんと軽く叩いて、
「じゃあ、怒る必要は無いですね。なら、とりあえず、先生と一緒に壇上から下りちゃいましょう」
サシャは口元を柔らかく微笑ませる。
そしてシュリを抱っこした状態で、素早く壇上から退場した。
その際、進行担当の先生に事態の収拾を忘れずに依頼することも忘れずに行いつつ。
トラブル続きの入学式に、進行担当の先生はもう勘弁して欲しいといった顔をしていたが。
シュリを抱っこしたまま、騒がしい講堂を後にする。
後ろでは何とか生徒達を落ち着けようと、進行担当の先生が悪戦苦闘しているようだった。
ちょっと気の毒だが、これもあの先生の役割だし仕方がないと己に言い訳して、まずはシュリを避難させることを優先した。
途中で、
「あの、僕、1人で歩けます」
そう腕の中のシュリが主張したが、
「気にしなくて良いですよ。先生、結構力持ちですから」
とシュリの意見を煙に巻き、腕の中の小さな体の心地よい重さを堪能する。
もう6歳になる子供の体だ。本当ならもっと重いと感じてもおかしくないはずだけど、なぜかシュリに関してはちっとも重いとは思わず、むしろもっとずっと抱っこしていたいと感じる。
そんな自分の心境をちょっと不思議に思いつつ、今は老人から少女達まで、みんなを惑わず美少年を独り占めする役得を味わいながら、サシャは足取りも軽く、ちょっと遠回りをして職員室へと向かうのだった。
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