第百七十六話 王都へ向かう馬車でみる夢は

 ヴィオラがやっと街の人から解放され、もう一度ヴィオラと共にギルド長と話をした後、シュリとヴィオラは満足に休む間もなく、アンジェと共に王都へと向かう事となった。

 もちろん、アガサとナーザも一緒に、である。

 疲れてはいたが、王都への移動は基本的には馬車で行うため、その間休んでいられるのはありがたかった。

 馬車の中、ヴィオラの腕に抱かれたまま、頭の上で交わされる女性陣の会話を聞くとはなしに聞きながら、シュリはうとうとと微睡み始める。

 彼女達の会話の中に、自分の名前がひっきりなしにあがるので、後々の己の身を守るためにもきちんと聞いておいた方が良いかもなぁと思いはしたのだが、疲れ切った体は否応なしに休息を求めていた。

 重たくなる一方の瞼を支える努力を放棄して、シュリは目を閉じる。

 そして、その意識はあっという間に穏やかな眠りの底へと落ちていったのだった。






 「しゅりぃぃぃぃ!!なぜ、私の加護を使わなかったのだぁぁぁ!!!」



 心地よい眠りについたはずなのに、なぜか横からものすごい勢いでタックルを受けた。

 顔が、柔らかい固まりに挟み込まれ少々息苦しい思いをしながら、シュリは上目遣いに自分を抱きしめる人物を見上げる。

 見上げてみて、シュリは目を見開いた。

 その人は、当然の事ながら見覚えのある人で、その人を見た瞬間、シュリは思う。

 あ、これ、夢だ、と。

 その人は、現実世界には容易に姿を現せる立場の人ではなかったから。



 「私の加護を使えば、お前があの様に傷つく事も無かったというのに!?傷つくお前を見ながら手出しが出来ず、私がどんなに歯がゆい思いをしたか、お前には分かるまい。あの、駄龍ハイ・エンシェント・ドラゴンめ。限りある命の分際で、私のシュリに傷を付けるとは、本当に許し難い……」



 その人……戦女神は、シュリの体をガックンガックン揺さぶり、次いで抱きしめて頬をすり寄せ、最後には悪鬼の形相でぎりぎりと歯ぎしりをした。

 その、シュリを傷つけたイルルに対して怒り心頭のご様子に、シュリは何とか取りなしてあげないとイルルが危ないと思いながら、戦女神様を見上げる。


 最初こそ敵同士だったが、今のイルルはもうシュリの可愛いペットの一員なのだ。

 どんな事があってもシュリが守ってあげなければならない。

 なんとかイルルから戦女神様の意識を離さないとなぁと思いつつ、シュリは彼女を見上げとっておきの笑顔でにっこり微笑んだ。



 「お久しぶりです、戦女神様。僕のこと、心配してくれてありがとうございます」



 そして、ペコリと頭を下げる。



 「私がお前の事を心配するのは当然の事だ。お前は私の最愛の者なのだからな。怪我は、もう大丈夫なのか?傷とか、残ってないか?」


 「はい。もう平気です。痛いところも無いですから、安心して下さい。傷が残ってるかどうかは、特に確認してないから何とも言えないですけど」


 「痛くないなら良かった。だが、傷が残ってるかどうか、まだ見てないのか??」


 「えっと、ちょっとばたばたしてて……」


 「そうか。忙しかったなら仕方ないな。なら、私が今、確認してやろう」


 「へ?」


 「私とお前の仲だ。恥ずかしがらずに、全部脱いで見せてみろ。もし傷があったら、私の神力で即座に治してやるから」



 戦女神は言いながら、シュリの服をぐいぐいと引っ張ってくる。

 シュリは当然の事ながらそれに抵抗した。

 そんなシュリを、戦女神様は不思議そうに見つめてくる。



 「どうした?そんなに抵抗したら脱がせんではないか?」


 「いやいや、なんでそんな話に!?」


 「脱がなければ傷の有無を確認出来ないだろう?大丈夫だ。私は運命の女神や愛の女神とは違う。お前の意志を無視して手込めにしたりするつもりはないぞ?」


 「えっと、でも……」


 「大丈夫だ。野獣共が入って来られないように結界も厳重に張った。安心して脱ぐといい」



 邪気のかけらもない、純粋な善意に澄み切った瞳を見上げ、シュリは渋々服を脱ぐことを了承した。

 戦女神の言うとおり、運命の女神や愛の女神がいなければ、それほどひどいことにはならなかろうと己を納得させながら。

 なんとかパンツだけは死守しつつも、つるんと脱がされたシュリの体を、戦女神が食い入るように見つめる。



 (な、なんか、視線がギラギラしててこわい……)



 そんなことを思いながらもじもじしていると、戦女神の手がするりとシュリの素肌を撫でた。



 「ふあっ!?」



 くすぐったいような、ゾクゾクするような、何とも言えない感覚に、シュリの唇から思わず声が漏れる。

 戦女神は口元に艶やかな笑みを浮かべ、わずかに潤んだ瞳でシュリを見つめた。



 「ああ、すまんな?見ただけでは確認不足だろうから、触って確認をと思ったのだ」



 いやいや、見ただけで十分でしょ!?とつっこみを入れようとしたが、その隙を与えずに戦女神の手のひらや指先がシュリの体を確かめるように撫で回してくる。

 いつもより妙に敏感に感じる皮膚感覚に首を傾げつつ、シュリは悲鳴を押し殺した。



 「ここと、ここと、あとはここに大きな傷を負ったのだな。きれいに治ってはいるが、皮膚がまだ新しい。分かっているのか?シュリ。お前はもう一息で死ぬところだったんだぞ?あの駄龍ハイ・エンシェント・ドラゴンの頭がちょっと弱かったから何とか命拾いしたにすぎない」


 (うわぁ。イルルってば言われたい放題だ。よっぽど嫌われちゃったんだなぁ。でも、そっかぁ。触られてこんなにこそばゆいのは、皮膚が新しいからなのかも)



 戦女神の長い指先が肌の上を滑る度に、背筋をゾクゾクさせながら、シュリはそんなことを思う。

 自分は、それだけ広範囲に傷を負わされていたのだと、今更ながらに実感して反省する。

 自分の規格外さを、少し過信しすぎてたな、と。



 「私はな、お前を愛しているんだ、シュリ。お前がいずれいなくなってしまう事を考えると、どうして良いか分からなくなるくらい。人ではなく神なのにどうしてと思うが、この気持ちはどうしようもない。愚かだとは、思うがな。なあ、シュリ。寿命なら仕方がない。諦めるように努力する。だが、それ以外はダメだ。私が狂って墜ちてしまわないように、お前はもっと自分を守る努力をしろ」



 頬を両手で包み込まれ、まっすぐに瞳を見つめられ、戦女神の真剣すぎる愛の言葉を受け取る。



 (僕、女神様をすごく心配させちゃったんだなぁ)



 そんな彼女を見つめながら、シュリはそう思い、申し訳ない気持ちになった。

 確かに、シュリは自分を守る努力が足りなかったかもしれない。

 自分を傷つけられるほどの攻撃などないんじゃないかと、心のどこかで思っていたから。

 今回の事はいい勉強だった。

 いくら規格外な存在であっても、上位の存在はどこかに存在しているものなのだと。

 これからは、もっと注意深く生きようーシュリは心の中でそっと自分に言い聞かせる。周囲の人を、自分を大切に想ってくれる人を悲しませる事がないように、と。



 「戦女神様、ごめんなさい」


 「シュリ、私のことは、ブリュンヒルデ、と名前で呼んで欲しいと、前に言っただろう?」


 「はい。戦女神ブリュンヒルデ様」


 「様も、いらん。恋人のように、ただ、名前だけ呼んでくれ。せめて、二人だけの時は」


 「わかった。ブリュンヒルデ」


 「それでいい、シュリ。今後は、ためらわずに加護の力を使うのだぞ?」


 「加護……」



 戦女神の言葉に、シュリは一瞬目を泳がせた。ブリュンヒルデの加護って、なんだっけ?と。

 普段あまり使わないせいで、とっさに思い出せなかったのだ。

 そんなシュリの様子をみた戦女神の視線が鋭くなる。



 「もしや、シュリ。私の加護の存在を忘れていたのか?まさか、とは思うが」


 「うっ……」



 鋭い問いかけに、思わず言葉に詰まる。戦女神は更に目線を鋭くしてシュリを見つめたが、すぐに大きなため息を漏らした。



 「なんと言うことだ。それで私の加護を使わなかったのか」


 「えっと、ごめんなさい」


 「私の加護[完全防御]を発動していれば、あんな駄龍ハイ・エンシェント・ドラゴンの攻撃など、シュリに届かせる事は無かったと言うのに」


 「ほ、ほんとにごめんね?ブリュンヒルデ。次からは、惜しまずに使うから」



 だから許して?と手を合わせるが、戦女神はすっかりすねてしまって、唇を尖らせて恨めしそうにシュリを見つめるばかり。

 シュリは困ったように眉根を寄せ、どうしたら許してくれるだろうと探るように戦女神の凛々しく整った顔をじっと見上げた。

 シュリのそんな視線を受けて、戦女神の白い頬がほんのりと赤く染まる。



 「……キス」


 「ん?」


 「キス、してくれたら、許してやっても良い」


 「キス、したら許してくれるの?」


 「……ん」



 戦女神は言葉少なに頷いて、恥じらうように目を閉じる。

 キスを待つ乙女の顔を見つめながら、シュリはしばし悩むように考えた。だが、すぐに結論に達する。まあ、キスで許してくれるならいいか、と。

 常日頃、キス三昧な日常を送るシュリの、キスに対するハードルは限りなく低かった。

 更に、相手は真面目な戦女神。運命の女神や愛の女神にキスするのとは訳が違う。

 あの二人にうっかりキスしてしまうと、なし崩しに他のもっととんでもないことを求められてしまいそうだが、戦女神に関してはそういう心配をしていなかった。

 他の人には凛々しくて強い面を見せる戦女神かのじょが、自分の前でだけ見せる乙女な部分が可愛いな、と思う。

 その想いのまま、シュリは戦女神の色っぽい唇に己の唇をそっとふれあわせた。そのまま、彼女の唇を軽く吸い、そして離れる。



 「これで、許してくれる?」


 「……んむ」

 戦女神が恥ずかしそうに頷く様子が、また何とも可愛かった。

 シュリは、微笑み、微笑んだまま彼女に問いかける。実は少し前から、気になる事があったのだ。



 「ブリュンヒルデ?」


 「なんだ、シュリ?」


 「さっきから聞こえるあの音ってなんなのかな?ガショーン、ガショーンって」


 「ああ、あれか。もう少し保つと思ったが、思ったより早かったな」



 彼女はそう言って小さく嘆息し、さっき脱がせたシュリの服を手早くシュリに着せていく。



 「んぅ??」


 「ほら、早く服を着ろ。急がんと野獣達がくるぞ?」



 大人しく服を着せられながら、かわいらしく首を傾げるシュリに向かって、戦女神がくすりと笑いかける。

 野獣達?とシュリが傾げる首の角度を更に深くした時、ガッショーンと一際大きな音が響いた。



 「油断した、油断した、油断した~~~~!!!まさか、お堅い戦女神に出し抜かれるとは!?ボクが甘かった!甘すぎた!!世の中のどんなバカップルより甘々だったよ!!」


 「こぉら、この戦バカ女っ!!私のシュリに、イヤらしいことしてないでしょうねぇぇぇ!?」



 そんな叫び声と共に、戦女神とシュリだけだった空間に飛び込んできたのは、運命の女神と愛の女神。

 二人は飛び込んできた勢いのまま、先を争うようにシュリに飛びついてきた。

 とっさのことによける事が出来ず、



 (あ、もしかして、僕、つぶされる??)



 そう思った瞬間、シュリの体は軽々と抱き上げられていた。戦女神の手によって。

 いきなり目標地点を見失った二人の女神は、そのまま地面にヘッドスライディングをかます。

 そんな二人を、



 (わ~……見事にお顔から。あれは痛そうだな~)



 とシュリが見守る中、先に飛び起きたのは運命の女神様だった。



 「き、き、き、君さあぁぁ!?な、なんて事するんだい!?危うくシュリのお気に入りのボクの美貌がのっぺらぼうになるところだったじゃないか??」


 「ほ~、それはそれは。のっぺらぼうになれなくて残念だったな。運命の」



 くってかかる運命の女神に、にやりと笑って返す戦女神。

 その頃になって、やっと愛の女神がのそのそと起きあがる。



 「ふ、ふえぇぇ。鼻が、私の完璧な鼻があぁぁ。ね、ねえ?ちゃんと鼻、ついてる?ついてるよね!?」



 愛の女神は半泣きで問いかけてくる。真っ赤になった鼻を両手で押さえて。



 (いやね?真っ赤だけど一応ついてるよ?っていうかさ、自分で自分の鼻、ちゃんと押さえてるよね??)



 シュリは内心つっこみ、



 「愛の女神も、鼻はちゃんとついてるから安心しろ。大体、人の張った結界を無理矢理破ったりするからこんな事になるんだぞ?ちゃんと反省しろ」



 戦女神は呆れたようにそう返す。



 「うっ、うっさいなぁ。大体ね、結界張ってこそこそ一人でシュリとあってる君が一番卑怯だろ!?」


 「そうだ、そうだぁ!!二人っきりで、いったいなにをやってたのよぅ!?」



 そんな戦女神に、大いに反論をする二人の女神。

 なにをやって……その言葉に、シュリと戦女神は思わず顔を見合わせた。

 目を開わせた瞬間、さっきのことを思い出したのか、一瞬で真っ赤になる戦女神。

 それを見たシュリが、あ~、それじゃバレバレだよ、と苦笑を漏らす。



 「な、なんだよ、その顔は!?ま、まさか!?まさかなのかぁっ!!??」


 「その顔、絶対シュリと二人でえっちぃことしてたんでしょおぉぉぉ!?」



 ずるい、横暴だと、二人の女神が鬼の首を取った如く騒ぎ立てる。

 騒ぎ立てられた戦女神のコメカミに徐々に青筋が浮かび上がり、うるさーい!と怒鳴る声。

 そこから後は、三人でいつ終わるのか分からない言い合いが始まった。


 そんな彼女達のまっただ中でシュリは思う。

 この三人の女神様が集まる空間はいつもどんなときも騒がしい、と。

 最愛の相手にそんな風に思われているとは夢にも思わず、三人はお互いの主張を妥協することなくぶつけ合う。

 それは、シュリが目を覚ます時まで、延々と続いたのだった。


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