第百五十話 その頃

その頃。

 エルジャバーノの家では、エルジャを相手にヴィオラが管を巻いていた。

 ヴィオラの細腰にしがみついているのはすっかり酔いつぶれた里長の姿がある。



 「……うーむ。ヴィオラちゃんのスタイルは最高じゃあぁぁ……嫁……わしの嫁に……」



 むにゃむにゃと、幸せそうに寝言をこぼす里長を見るヴィオラの目は非常に冷ややかだった。



 「もう飲めないならさっさと布団に行きなさいよねぇ。このエロじじい」



 ぶつぶつ言いながらグラスに注がれた酒をぐいとあおる。

 ついさっきまで、酒でテンションの上がった里長にあっちやらこっちやらを触りまくられて大変だったのだ。

 殴ってやろうと本気で思ったのだが、ヴィオラの方もシュリが不在の自棄酒で大分酔っていたし、相手も年寄りの癖に妙にすばしっこくて、仕方ないからあきらめて触らせておいた。

 そうこうしている内に、相手が酔いつぶれたので、今は静かに酒を楽しんでいる。まあ、エルジャ相手に少々絡み酒の様相を呈して来ていたが。



 「う~む。ヴィオラちゃんのおっぱい布団でなら寝てもいいぞい……」


 「……ねえ、おじいちゃん?ほんとに寝てるわけ??」



 起きているのか寝言なのか、判別しにくい返答に、ヴィオラがあきれたように里長を見下ろす。

 だが、里長は至って平和に、気持ちよさそうな寝息を立てていた。

 ヴィオラは肩をすくめ、半分ほどに減っていたグラスの中身をぐいっと飲み干す。

 そして空いたグラスをどん、とエルジャの前に置いた。



 「エルジャ、おかわり」


 「……はいはい。仕方ありませんね」



 エルジャはため息混じりに酒を用意してグラスに注ぐと、ヴィオラの前にグラスを戻す。

 ヴィオラはグラスを両手で掴んでちびちびと飲みながら、



 「あ~~……シュリに会いたいぃ。こんなジジィじゃなくて、シュリを抱っこしてほっぺたすりすりしたいぃぃ」



 今日、何度目になるか分からないそんなボヤキをこぼす。



 「何でシュリがエルジャの尻拭いをしなきゃなんないのよぅ。ジジイの孫が難癖つけたいのってエルジャなんでしょぉ?だったらエルジャを連れてって、縛るなり、しばくなり、犯すなり、好きにしたらいいのに」


 「おか……ヴィオラ、仮にも元夫に対して、なんて言い草なんですか」


 「もう夫じゃないから別にいいんだもん。てかさ~?」


 「はい?」


 「何でジジイの孫娘を置いて旅に出たの?」


 「は?」


 「美人じゃない?あの子。そんな子に慕われてたんでしょぉ?先生、好き~、先生、抱いて~、って」


 「抱いてとは、言われてませんよ、流石に。特に告白もされてません」


 「告白されそうだから逃げたんでしょ?」


 「……」


 「なんで?」



 酔っ払いの癖に、妙に澄んだ目で問いかけられ、エルジャは返答に詰まる。

 こうやって、どうでもいいような事になんでも興味を持つのは、昔からヴィオラの悪い癖だった。

 しかも、興味を持ったら最後、何らかの答えを引き出すまで引かないのも厄介なのだ。

 エルジャはため息をつき、こめかみに指を押し当てて揉み解す。

 そして、当時の事を、少しだけ思い返してみた。


 若い頃のエルジャは、今とは比べ物にならないくらいの捻くれものだった。

 偏屈で、人と触れ合う事を良しとせず、いつも一人で己の研究や精霊魔法の研鑽に励んでいた。

 そんなある日、里長が訪ねてきて、エルジャバーノを無理やりに家から引っ張り出した。

 理由は里長の孫娘の家庭教師をさせる為。


 そんなのごめんだといったが聞いてはもらえず、エルジャは渋々ながら里長の孫娘、リリシュエーラの家庭教師を引き受けることとなった。


 当時のリリシュエーラはとても真面目で、勉強を熱心にこなす愛らしい娘だった。

 エルジャも決して彼女を嫌っていたわけではない。

 ちょっと面倒とは思っていたが、キラキラと目を輝かせて自分を見上げてくる少女を可愛いと思うときもあった。

 彼女に知識を教えるのも、それなりに楽しかった。

 このまま、彼女の己の知識を教え、一人前の精霊術師に育て上げるのも悪くはないと思い始めた頃、気付いてしまったのだ。

 彼女が、熱のこもった眼差しでこちらを見つめている事に。


 可愛い教え子ではあるが、恋愛対象として見るには、彼女はまだ幼すぎた。

 当然のことながらエルジャは彼女の想いに気づかない振りをし、無視し続けることにしたのだが、彼女の想いはエスカレートしていく一方だった。

 夏になれば、必要以上に薄着になり、何かを求めるようにちらちらとこちらを見てくる。

 一緒に出かければ、必要以上に密着し、今よりもっと平らだった胸をぐいぐいと押し付けてくる。

 そんな風に。


 狭い里の中のことだ。

 身近な異性を意識するのは仕方が無い。

 だが、エルジャに応えるつもりは無かった。

 それに、想いを告げられてきっぱりと振ってしまうのは流石に可哀想にも思えた。

 だから。


 だからあの日、エルジャはリリシュエーラにうそをついて里を飛び出したのだ。

 なぜうそをついたのか。

 それが一番簡単そうだったからだ。

 まあ、素直に出奔を告げたらリリシュエーラはどこまでも付いて来そうで、正直恐ろしかったというのも理由の一つだったが。


 エルジャに悪気があったわけではない。

 彼女の想いに応えずに、彼女の傍から離れる方法を模索したら、ああなってしまったのだ。

 だが、結果的には彼女を傷つけてしまったのは事実。

 冒険者家業に疲れ、ヴィオラと別れて里に戻ったエルジャは、久しぶりに会った教え子の豹変した様子に驚愕した。

 彼女は、昔の素直で可愛らしい様子から一転して、わがままで、見栄っ張りで、世間知らずで力不足な自分を認めようともしない、強情な女性に成長していた。


 そんな彼女にも、一応エルジャは歩み寄ろうとはしたのだ。

 だが、彼女は己を裏切ったエルジャを許そうとはせずに、やがてエルジャも彼女に近付くのは諦めた。

 まあ、エルジャとしても今更彼女とどうこうなりたいという気持ちも無かったし、近付かないほうが楽だったから、ずっと放置していた。

 今日、久しぶりにあっちが訪ねてくるまでは。



 (シュリは、大丈夫でしょうか)



 彼女に困らされてないだろうかと、可愛い孫の顔を思い浮かべる。

 だが、何となくシュリならどうにかしてくれる、そんな妙な確信もあった。



 (シュリは私と違って、人としての器が大きそうですからねぇ)



 そんな事を思って苦笑をもらすと、返事をしないエルジャに焦れたように、



 「どうなのよ?エルジャ」



 ヴィオラが唇を尖らせて答えを聞かせろと、せっついてきた。

 エルジャは苦笑して、そうですねぇ、と答えを探すように首を傾げる。



 「まあ、ヴィオラの言う事もあながち間違っていません。私はあの子に告白されて、それを断るのが嫌で逃げたんですよ。あなたに恋することは出来ませんと告げた時の、あの子の傷つく顔が見たくなくて」


 「ふうん?」



 苦く笑いながら答えを返すと、ヴィオラは分かったような分からないような顔をして、エルジャの顔を見上げた。



 「だったら、もうちょっと上手に逃げれば良かったのに。私と別れた時みたいにさ」



 そう言って、ヴィオラがあっけらかんと笑う。

 それを受けたエルジャは何ともいえない表情で、少し困ったように笑って、



 「そうですね。ヴィオラの、言うとおりです」



 そう答えると、昔良くしたように、手を伸ばしてヴィオラの頭をくしゃっと撫でた。

 そして、くすぐったそうに首をすくめて笑うヴィオラを、複雑な表情で見つめるのだった。

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