第三十五話 ジュディスの運命
カイゼルと別れ、ジュディスの案内で領主館の客室に案内されたミフィーは、そのあまりの豪華さにあんぐりと口を開けて固まっていた。
昨日も宿の部屋に驚いたが、その何十倍も豪華で煌びやかな部屋だった。
それもそうである。
通常、この部屋に泊まる様な人物と言えば、他領の使者や、来訪した貴族など、高貴な人ばかりなのだ。
高級な宿だったとはいえ、平民も泊まることのある宿の一室と比べる事がおかしいのである。
「どうしましたか?ミフィー様」
後ろに控えるジュディスの声に、ミフィーはぎくしゃくと彼女の方を振り向いた。
顔が、見事なまでに強ばっている。
「あ、あの、ジュディスさん?私、もっと小さな部屋で構わないんですけど……」
むしろ、もっと小さな部屋をあてがって欲しいとの希望を込めて、ミフィーはぎこちなく微笑む。
だが、帰ってきたのは想定外の返事だった。
「この部屋が、一番小さな客間なんですが。もしお気に召さないようでしたら、もっと大きな部屋も用意できますよ?」
「い、いえっ。この部屋でけっこーです!」
ひきつった笑みで、ミフィーは即座に答えた。
これ以上大きな部屋をあてがわれても困ってしまう。今でさえ、十分に困っているというのに。
シュリだけが頼りと言うように、幼い息子をぎゅっと胸に抱きしめたまま、恐る恐る部屋へ足を踏み入れる。
ふかふかの絨毯を踏むのは恐れ多いが、踏まなければ先に進めない。
ぷるぷる震える足で、必死に前に進むミフィーの後ろ姿を見ながら、
(あまり貴族的な方ではなさそうね。もう少しフランクに接した方が、喜びそうな方だわ)
そんな風に考え、ミフィーとの接し方を己の中で再設定する。
「ミフィー様……いえ、ミフィーさんと呼んでも構わないかしら?」
努めてフランクにそう話しかけると、ミフィーは心底ほっとしたような顔をした。
それを見て、ジュディスは自分の判断が間違っていなかったことを確信する。
にこりと笑いかけると、ミフィーもなんとかかろうじて、へにゃりと笑い返してきた。
「も、もちろん。そうしてもらえた方が、私も嬉しいです」
「あ、敬語はやめましょ?私もそうするわ。それから、私の事はジュディスかジュディーって呼んでくれると嬉しいわ。友達はみんなそう呼ぶのよ」
そんな大嘘をつきながらにっこり笑う。
ジュディスに愛称を呼んでくれるような親しい女友達はいない。
同姓からは、慕われるより妬まれる方が多かった。全て、平均以上に麗しい容姿のせいだ。
だが、おそらくミフィーという目の前の女性はそういう差別はしない人だと、ジュディスは半ば確信していた。
そして、ミフィーという人は、正にジュディスが思っている通りの人であった。
ジュディスの言葉に、ミフィーが嬉しそうに笑う。
「えっと、じゃあ、お言葉に甘えてジュディスって呼ばせて貰うわね。出来れば、私のこともミフィーって呼び捨てにして欲しいんだけど、ダメかしら?」
「そんなことないわ。じゃあ、私もミフィーって呼ばせてもらう。よろしくね、ミフィー」
「こちらこそ。こういう風に、普通に接してもらえて嬉しいわ、ジュディス。助けられてからずっと、皆が余りに丁寧に接してくれるから、嬉しいけど、ちょっと疲れちゃってたの」
「大変だったわね?ご主人のことも」
「うん……ありがとう。何だか色々な事がありすぎて、ジョゼの事もゆっくり悲しめてない気がする。あんまり、現実感がないのよ。遺体も、彼の腕しか見ていないし」
「そうだったの。辛いわね」
ジュディスはベッドに腰掛けたミフィーの隣に座り、そっと彼女の体を抱き寄せた。
ミフィーは素直に彼女の肩に頭を預け、シュリを胸に抱いたまま少しだけ涙を流した。そうすると、ほんのちょっとだが心が軽くなる気がした。
しばらく、2人はそうやって寄り添っていた。
それから、ジュディスが遠慮がちに声をかける。
「ねえ、ミフィー。お風呂を準備しておいたんだけど入ってくれば?着替えもあるわ。お風呂に入って、すっきりして、それから夕食にしましょう?息子さんは、私が見ているから、ゆっくり入ってくるといいわ」
「でも、悪いわ」
「遠慮なんかしないで。それに、私、小さい子は大好きなのよ」
ジュディスはにっこり笑う。
言ってる言葉はもちろん真実だ。
ミフィーの息子は幼すぎて守備範囲外だが、もう少し育てば可愛らしい少年になると思えば世話をするのも苦にならない。
むしろ役得と言っていいだろう。
「さ、息子さんは私に任せて」
「そう?じゃあ、お願いしちゃおうかな。シュリっていうの。よろしくね」
言いながら、なんの疑いもなく息子をジュディスの腕に預けるミフィー。
相手が数年後のシュリの貞操を狙っていると知る由もなく。
「シュリ君って言うのね。可愛い名前だわ。さ、ミフィーはゆっくりお風呂に入ってきて。着替えはもう準備してあるから」
見てしまえば欲望が態度に現れてしまうかもしれないと、あえて受け取ったシュリに目を落とさずに、ミフィーを見送る。
その背が浴室のドアの向こうに消えるのを見送って、ジュディスは小さく息をついた。
さて、これでもう邪魔者はいない。
ゆっくりと、将来の美少年を拝もうと、腕の中の存在に目を落とした瞬間、時が止まった。
ジュディスの腕の中、そこに天使がいた。
正確には、天使のように美しくも愛らしい存在が、純真な瞳で欲にまみれたジュディスを見上げていた。
息が、止まる。
菫色の瞳にさらさらと輝く銀色の髪。
まだ赤ん坊なのに、顔立ちは驚くほど整っている。
ジュディスは思わず熱い吐息をこぼした。自然と身体が熱くなってくる。
潤んだ瞳で腕の中の存在を見つめ、もじもじと太股をすり合わせながら、運命に出会ったと、ジュディスはどこまでも真剣に、そう思った。
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