第九話 生き抜く為に①
「くそっ。しぶてぇ野郎だったぜ。ずいぶんやられちまったなぁ」
聞こえてきたのは盗賊の声だった。恐らく、首領のザーズとかいう奴の声だろう。
ジョゼの声は聞こえない。ジョゼはやられてしまったのだろうか。
ぎしり、と馬車が揺れた。誰かが乗り込んできた。
「おい、どうだ?馬車の中は?」
「どうだもなにも、お頭。ほとんど死んじまってらぁ。景気よく矢を使いすぎたみたいだ」
「なんだと?生きてる女もいねぇのか?」
「あー、ちょっと待ってくれ」
そんなやりとりの後、ぎしりぎしりと馬車の中を歩く足音が近づいてくる。
「どっちみち、女は少なかったみてぇだなぁ。おっ、こいつはどうだ?」
男の手がミフィーに触れたようだった。ミフィーの身体がかすかに揺れる。
男の手でミフィーの上に乗っていた老人が取り除かれた。
ミフィーは動かない。
シュリもぎゅっと目を閉じたまま、じっとしていた。男の顔が、近くにあるのがわかった。
わき起こる恐怖。思わず体が震えてしまいそうになる。
(死んだふりだ、死んだふり、死んだふり、死んだふり……)
強く自分に言い聞かせた瞬間、
・スキル[死んだふり]を取得しました!
そんなアナウンスが脳裏を流れた。途端に男の顔が離れていく。
「あー、ガキ共々死んじまってるみてぇだな。生きてりゃ楽しめたのに、もったいねぇ。ガキも綺麗な顔してやがるから、死んでなきゃ高く売れただろうによ」
言いながら、男が離れていく。
シュリもミフィーも血塗れではあるが、よく見れば生きているのは丸わかりだ。
なのに男は死んでいると断じた。
恐らく、新たに取得したスキルの効果だろう。
男からは、シュリが死んでいるように見えるのだ。なぜかはわからないけどミフィーも。
助かった、と素直に思った。
だが、次の瞬間、血の気が引いた。
「お、このガキは生きてるじゃねぇか」
そう言いながら男が引きずり出したのはキキだった。
彼女は男に射抱え上げられ、恐怖に震えて縮こまっていた。
「ん?母親の方もまだ生きてるな?こいつも連れてくか」
再び男がぼそりとつぶやき、キキの母親を引きずり起こした。
彼女も怪我を負っていたが、死ぬほどの怪我ではなかったらしい。
死んだふりをしていたのだろうが、運が悪かった。男を騙しきれなかったのだ。
シュリとミフィーも、新たなスキルが発動しなければ、きっと同じ運命をたどっていた事だろう。
助けてあげたかった。
だが、シュリには力がなかった。
満足に自分の身体も操れない乳児に一体何が出来るというのか。何も出来やしない。
自分の無力が心底悔しかった。
キキも、キキの母親も男に連れて行かれた。泣き叫びながら。娘だけは助けてほしいと、懇願しながら。
それからしばらく、盗賊の一味は馬車の中を隅々まで漁り、そしてたくさんの人の死体を放置したまま去っていった。
人の気配を感じなくなってからも、しばらくの間はじっと息を殺していた。
また戻ってくる可能性も、ないとは言えなかったから。
どれくらいそうしていたか。
それ程長い時間ではなかっただろうが、ものすごく長い時間の様に感じた。
馬車の中は静寂に包まれていた。
生きているのはシュリとミフィーだけ。
ジョゼがどうなったのかももちろん気になってはいたが、ミフィーの事も心配だった。
ミフィーは血を流しすぎている。何とかしないと命に関わるだろう。
「みー、だー?(ミフィー、大丈夫?)」
声をかけてみるものの、ミフィーから返事はない。
シュリはもぞもぞ動いて、どうにかこうにかミフィーの腕から抜け出して、母の様子を見る。
彼女は血の気のない、青白い顔をしていた。
かろうじて息はある。
だが、それは今にも止まってしまいそうなほど弱々しい。
首に巻かれた布は、じっとりと湿っていて、傷口からはまだ血が流れ続けている様だった。
このままではミフィーは死ぬ。そう思ったら、胸が苦しくなった。
死なせたくないと強く思う。
傷を癒す術は何か無いのかと、一生懸命考えた。だが、思いつかない。
癒しの魔法が使えればすぐにでも治せるのだろうが、シュリにはその手段がない。
どうしていいかわからない。だが、なんとかしなければ。
シュリは手を伸ばし、ミフィーの首に巻かれた布をずらして傷口を露出させた。
思っていたより大きな傷口だ。それに深い。
最初より勢いは落ちているものの、血が止まることなく溢れている。
シュリはその傷口に顔を寄せ、唇を寄せた。
小さな舌で、傷口を必死に舐める。動物が、そうするように。
もちろんシュリも、それで傷が治るなどとは思ってない。
だが、力もなく能力もなく、それしか出来ることはなかった。思いつかなかった。
だから、一心に舐めた。思いを、込めて。
(治れ、治れ、治れ……頼むから治って!!ミフィー)
その思いが神に通じたのか、少しずつ、流れる血が少なくなってきたような気がした。
気のせいかもしれない。だが、シュリは効果を信じて舐め続ける。
すると、再び脳裏にアレが来た。
・スキル[癒しの体液]を取得しました!
一瞬、シュリの動きが止まる。
癒しの体液ってなに?普通は癒し魔法を使えるようになる場面じゃないの?、と。
だが、考えている暇はない。
折角新しいスキルを手に入れたのだ。ミフィーの怪我に有効なスキルを。
ちょっと変なスキルだが、使わない手はない。
シュリはミフィーの傷を癒すことをイメージしながら、一生懸命に彼女の首筋を舐めた。
スキルがしっかり発動しているのだろう。
さっきまでとは違い、一舐めごとに血が少なくなり、傷口がふさがって行くのがわかった。
そうしてしばらく舐め続け、ミフィーの呼吸が少し安定し、首の傷口に薄皮が張ったのを確認して、シュリはほっと息をつく。
そして、母の首筋に顔を埋めたまま、シュリは静かに気を失ったのだった。
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