第34話 自分探しの旅に出て、最終的にたどり着くのはゴールじゃなくてスタート
ここは本来の自分がいるべき場所ではないとか、自分自身に存在意義を見つけたいなどと言うことで、
「ここでは無いどこか」
を求めて世界を放浪する自分探しの物語は、特別視するまでもなく、アニメやマンガにライトノベルと言うものの中で、テーマとして扱われると言うことが結構な割合で存在いていると言うことは改めて語ることもないだろう。
そしてそれらは多く場合、最終的な場面でたどり着く場所は良くも悪くも一番最初にいた場所である。
ドラマ「北の国から」で、東京に憧れて富良野を飛び出した純は富良野にもどり、漫画版「風の谷のナウシカ」では、ヒロインのナウシカが最後に風の谷に帰ったと書かれており、故郷を飛び出した主人公やヒロインは様々な困難と挫折を乗り越え、故郷に戻って行くのである。
「じゃあ、そもそも故郷を出て行く必要などないじゃない」
そんな意見もあるかも知れないのだけど、主人公やヒロインが夢や希望に満ち溢れて出て行った最初の頃とは変わり、同じ状態で戻って来ることはない。
戻ろうと言う気持ちや意志があったとしても、戻ることは叶わない場合は、出てきたのに戻りたくなったと言う気持ちの振り幅が心情の変化となり、その心の動きにドラマは生まれ、そこに人は心惹かれるのだろう。
または変わろうと言う気持ちが、変わることなどできやしないと言うことに気がついた時、変わることができなかった自分さえも受け入れてくれる場所を求めるのかもしれない。
などと言う話を創作指南の書籍などでよく見かけるのだけれども、それらは当然のように物語の中の事であり、現実世界を考えてみれば、どこにでも行けるけれど、基本的にはどこにも行けないと言うことの方が多いのではないだろうか?
一日二十四時間と言う尺の中で、そうそう簡単には胸が踊るような奇想天外疾風怒濤の神展開な物語など、そうそう起こる事など無く、起きたら起きたで面倒な日々になってしまうのである。
普通が一番。
普通が一番難しい。
物語であるならば、普通と言えば波風立たない日常系の物語になるのかも知れないけれど、本当の意味で何も起こらないと言うわけではないだろう。
読者はきっとそれを求めていないだろうし、作者も何を書いていいのか解らないだろう。
そして、リアルで「ここでは無い何処か」を探したところで、見つかることの方が多いのである。
ところが現実という奴は何も起こらないとなると、本当に何も起こらなくて、すっかり晩年を迎えそうな勢いなのだけれども、そうで無い場合は大抵の場合、ろくな事にならず、むしろ破滅を巻き起こす勢いである。
ゴールしたと思ったらそこはスタート。
成長できるかどうかは自分次第。
個人的にはワンピースの最終回は、ルフィが出発した港に世界一周して辿り着くと思う。
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