第27話 ちいさくなる声
どうしてこうなったと思う事が良くある。
子供の頃は「末は博士か、大臣か」などと、おばあちゃんに言われた事もある利発な子供だったのだが、何故か今となっては自分一人が生きるので精一杯の日々である。
人生五十年と言われた時代なら、私の寿命はあと十年もない計算になるのだけども、人並みの財産やら家庭というものは、きれいさっぱり何ら手にしていないと言うのが現実であった。
技術も学歴もなければ、才能も運もないと自覚している。
それらの多くは今さら考えたところで、どうにかなるわけでもなく、すでに晩年の気配が漂う残りの人生を、ただ静かに暮らしていく事が世間様に迷惑をかける事のない生き方であると言えるのかも知れない。
しかし、ささやかに生きていくという事がどんなに難しいかという事を今は実感している次第である。
若い頃は「自分が本来いるべき場所はこんな所ではない。いまはただ、いつか飛び立つために羽根を休ませているにすぎない」などと、夢と希望に溢れた自分の身の丈を知らない考えを持っていた。
いつかはクリエイターと呼ばれる存在になって、豪邸を建て、美女を侍らせ、ベンツに乗って「とらのあな」に同人誌を買いに行く。
そんな夢物語を父親に「カエルの子はカエル」と否定された反抗心を、プラスの方向に持っていければ良かったのだろうが、元よりマイナス思考の私は気が付けばいつの間にかズルズルと奈落の底に転がり落ちているだけであった。
「オタマジャクシにさえもなる事は出来なかった」
蔑んでいた個人事業主で季節工の父親すら越えられない現実というものを思い知らされ、枕を涙で濡らす夜もあったのだ。
現実を思い知った以降、修羅の如き道が険しく私の前にそびえ立ったのであるが、元より努力というものが嫌いな私にには苦難の日々であったと言えるだろう。
そもそも努力が出来るという人は、努力をする才能というものを持っているからこそ、努力が出来るわけであり、そんなものを鼻クソほども持ち合わせていない私には無理無茶無謀の三連弾であった。
ブログを作れば三日で挫折し、文章教本を読めば最初の 5 ページで挫折する。
そんな飽きっぽい私に、文庫本一冊分の小説や、賞に応募するだけの分量が書けるわけがないのである。
思い返せば子供の頃は漫画家になりたかった。
絵は下手であったが、練習さえすれば何とかなると思っていた。
しかし、やはりそこには才能というモノが必要である。
最初に挫折感を味わったのは、ドラえもんの身体の色だった。アニメで言うなら青い部分なのだけど、漫画版の様に細い線を無数に綺麗に書き込む事が出来ないのである。
自分にはこんな細かい作業は無理であると、小学生だった私は悟り、自分の絵の才能の無さを呪ったのである。
そして、それがスクリーントーンというモノであると言う事を知ったのは中学生になってからの事だ。
スクリーントーンと言う文明の利器的な存在を置いても、やはり私は絵の上達というモノと無縁であり、漫画を読み続けて目だけは肥えた私は、自分の描く絵が売れ筋になるとは到底思えなく、漫画家への道はこうして終わりを迎えた。
それ以降は、ゲームクリエイターだとか、映画監督、脚本家などという如何にもなドリームを夢見るドリーマーであったのだが、高校卒業と同時に勤めたのは何故か印刷会社であった。
卒業目前にして、まだバブル景気の最中で、引く手数多の状態だったのに就職が決まらない私を担任の教師が「オマエここの面接を受けてこい」と半強制的に決められたのである。
「蟹工船」である。
人権はどこにあるというのか、職業選択の自由はどこか !?
これが奴隷貿易という奴であろうかと、私は世界を祝ったのである。
しかし、それが世間の真実というやつであったのだろう。
インクまみれになりながら、労働基準法などお構いなしの残業続きで、心をすり減らす日々。
出勤する為に家を出て、朝のさわやかな陽射しに包まれただけで嘔吐する。
私はえづきながら涙目になり、いつかこんな商売はさっさと足を洗って、広い世界に羽ばたいていくのだと現状の自分を納得させたものであるが、仕事はキツイけども、人間関係が緩かったので居心地が良くなってしまい、いつの間にか人の出入りの激しい社内において古株と呼ばれる様になったのであった。
そんな安月給な印刷会社もバブルの崩壊と共に倒産し、再就職先もまた印刷会社であった。
もはや泥沼以外の何者でもない。
しかも新しく勤めた会社は残業代は無いという。
「これは何とかしなければならない」
そう思ったところで、何かできるわけでもなく変化の嫌いな私は、ぬるま湯に浸かったような日々を過ごし、歳だけを無駄に積み重ねていくだけであったのだ。
新しい勤め先に移った頃、世の中はインターネットというものが話題になり始めており、私もその波に乗るべくしてパソコンを購入したのである。
その中で私が 2 ちゃんねるを知った事により、その存在感は重要なものになっていったのであった。
2ちゃんねるを知ったのはインターネットに接続してから2ヶ月後のことであり、ネオ麦茶バスジャック事件の少し前の事であった。
すっかり2ちゃんねるに魅了された私は、働いている時間と寝ている時間以外はすべてにちゃんねるに使うほどはまっていたのだけど、板を廻っていくうちに創作文芸板の存在を知り、文章投稿サイト「アリの穴」の存在を知ったのである。
「これならば、俺の人生も変えられるかも知れない。脳味噌とパソコンさえあれば一発当てることができるんじゃないか?」
そう思ったのが、全ての間違いであるとは思いたくはない。
年収 300 万を、 400 万にしたかっただけである。
このままではどうやら何も残す事もなく、存在の意味さえも感じられないままに人生をひっそりと終えていくのが哀しかっただけであると言っておこう。
世に自分が存在していたと言う証を残したいだけの事である。
それが本心であって、泣いてなんかいないんだからねっ !!
そんなある日、こんな夢を見た。
真っ暗な闇の中を右も左も解らないままに私は歩いていた。
しばらくすると前方に微かな光が見えてきたので、私はそこに向かって歩き続ける。
仕組みはよく解らないのだけど、上からスポットライトの様なものが下を照らしており、そこには椅子に座った長い髪の女性がいたのである。
ミチヨと名乗った女性は私に微笑みながら言った。
「やっとここまで来ましたね。私はずっとあなたが来るのを待っていたのです」
「ここはどこなのですか、私はどうしてここに来たのでしょう?」
私はそう訪ねたのだけれど、彼女の答えは曖昧なものだった。
「あなたの中のイデアがやっと出来たのです」
「イデアとは何ですか?それが出来ると何だというのですか?」
「それはあなた次第なのですよ。生かすも殺すもあなた次第。私はただ出来たと言う事をあなたに伝える事が使命なのです」
目が覚めたときに、ああ夢だったのかと思ったのだが、妙にリアルな夢であり、私はそれを書き留めた。
よくよく考えてみれば、自分が見る夢というのは割とリアルであり、話の道筋も意外と破綻することなく、一本の二時間ドラマか映画を見た気分になれる事が割とある。
夢は夢であるから、どんなに楽しい夢だろうが、とてつもなく恐ろしい悪夢であろうが、基本的には無料なものだ。
それを小説に出来たのであれば、こんなに効率の良い妄想生産機は無いだろう。
これでうんこ生産機としての人生をやり直す事が出来るのではないかと思った。
「鰤鰤さんの書く物語は、一見するとハッピーエンドで終わっている様に見えますけど、よくよく読んでみれば、語り口が明るく柔らかいだけで、実際の所は物語の最初から、なんら問題は解決していなくて、むしろ悪化してたりして最悪な終わり方をしますよね。楽しげな冗談交じりの会話文で解りづらくなっていますけど」
そう言うのは私が小説もどきのものを書いていると知っている後輩の I 君であった。
「胸がちくちくする様な話を笑いを入れながら書きたいんだよ」
私はそう答える。
「それは人の不幸を書いて、自分はそれよりもマシだと思いたいだけではないですか?」
そんな核心的な事を言うのである。
「そんあことないよ、本当だよう」
そう言いながら、声が小さくなっていくのを、私は自分で気が付いていたのである。
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