第3談『奏(カナデ)』

A「先生……先生……」


B「……………………」


A「せんせいってば!」


B「……いませんよ」


A「いないんでしたら、返事しないでくださいよ、まったく……」


B「だって、あれほど声を張られたらビックリするじゃないですか」


A「では、一度で返事してください」


B「亜子さんも『いない』って言ってくれればよかったのに」


A「Clesseクレッセのマーマレードジャムをお届けしましたから」


B「抜け目ないですねぇ。1階からする声が目立つから陥落したとは思ったんですが……


  大学の演劇サークルの看板女優は違いますねぇ」


A「先生、それは言わないでくださいよ。恥ずかしいんですから」


B「別に恥ずかしがらなくても」


A「名もなきコメディエンヌでしたし、もう何年も前の話です」


B「誰かを笑わせる事が一番難しいと思いますよ。


  文字だけで読者を笑わせる事は、ほぼ不可能に近いです。」


A「そうですか?」


B「出来る範囲で言えば、口角を上げて微笑むぐらいでしょうね。


  声をあげて笑うのも、笑い声と演者の動作で引っ張られて笑う事があるでしょ?」


A「あー、ありますね」


B「文字だけで感情の揺らぎを籠めるのは至難の業だと常々痛感してしまいますね。


  だからこそ、凄い事をされていたんですよ、貴女は」


A「お褒めの言葉は素直に受け取りますけど、何も出ませんよ。


  今日こそは原稿の骨子ぐらいはいただけるんでしょうね?」


B「……………………」


A「ちょっと、先生……まさか……」


B「そのまさかだったりするんですよ」


A「本当ですか?」


B「ここで嘘をついてどうするんです?」


A「ちょっと待ってくださいよ。笹井さんに何て言えばいいんですか!」


B「まぁまぁ、彼の事です。


  『先生相変わらずだなぁ』とか言って笑ってくれると思いますよ」


A「冗談じゃないですよ!最近笹井さん機嫌悪いんですから」


B「え?どうしたの笹井君?」


A「ここだけの話にしておいてくれます?」


B「勿論」


A「……実は、最近後ろを気にするんですよ」


B「へぇ、後ろねぇ」


A「笹井さんの席って後ろは窓ですから誰も通らないんですけど」


B「……ふ~ん……なるほどねぇ……」


A「何かご存知なんですか先生?」


B「まぁ……心当たりがないわけじゃないなぁって」


A「え?教えてくださいよ」


B「それは、笹井君の沽券こけんに関わるからね」


A「そんなぁ……」


B「はっはっは、拗ねない拗ねない」


A「それで、骨子の方は?」


B「うん。今回も土台は普段着シリーズのつもりでいるんですけど」


A「えぇ」


B「何と言うか……魅力的な人が思い当たらなくてね……


  最近、人間観察ができていないというのもあるんですけど」


A「三者三様で個性的ですから、食われないような性格にしないと消えちゃいますし」


B「しかし、やり過ぎると世界観から大きくかけ離れてしまいかねません」


A「う~ん………」


B「困っちゃったなぁって……」


A「………………」


B「………………」


A「行き詰っちゃいましたね」


B「気晴らしに窓でも開けますか」


A「それぐらい、言ってくだされば私がやりますよ」


B「いいんですよ。これも軽い運動がてらです」


A「部屋の中をうろうろするのは軽い運動じゃありません。


  たまには外に出ないと」


B「そうなんですけど、出不精の性分は治りにくいんです…よっと」


A「はぁ~…ここ高台ですから、風が入ってくると気持ちいいんですよね


B「笹井君もここでよくうたた寝してましたよ。


  あまりにも気持ちよさそうでしたから、起こすのが惜しくなるぐらい」


A「でしょうね」


B「一度起こした事はあるんですけど、物凄い形相で


  『うっせぇ!張り倒すぞ』と一喝されました」


A「あ、それ見た事あります。普段は穏やかな笹井さんも


  起きたては、無茶苦茶機嫌悪いんですよね」


B「それから起こすのは、亜子さんにお願いするようになりました」


A「妥当な判断だと思いますよ、それ」


B「………」


A「そういえば、風で思い出しました」


B「何をです?」


A「小学生の頃に、目が見えない人の立場になってみるという授業があって、


  白杖はくじょうを手に学校まで行った事があったんです」


B「どうでした?」


A「凄く苦労しました。隣に友達が付き添ってくれてたんですけど、


  引っ張ってくれる手だけが頼りで、心細かったのを憶えてます」


B「だろうねぇ」


A「ですから、あの事件を聞いた時は腹立たしかったですよ」


B「何かありましたっけ?」


A「杖を取り上げて折ったり、罵声を浴びせたり……」


B「あぁ、怪我をされた方もいましたね、確か」


A「困った人の立場に立つ授業って、小学校の時に一度は習ったはずなんですけど、


  怒りを通り越して哀しくなっちゃいました」


B「流石に僕も溜息をついてしまいましたね」


A「脱線しちゃいましたけど、


  そんな授業の一環で、白杖を貸してくださった方のお話を聞いたんです」


B「うん」


A「唐突ですけど先生、盲目の方が感じる季節感って何だと思います?」


B「う~ん……何でしょう……


  四季のある国ですから、気温とか日射しを肌で感じるとかですか?」


A「捻りましたね先生。


  やはり、耳からの情報を頼りにされるそうです」


B「そりゃそっか。情報は耳からしか入ってこないだろうし、


  蝉の声が聴こえてくれば、夏ってイメージが湧くもんね」


A「そこはちょっと違うみたいなんです」


B「え?違うの?」


A「季節特有の音を聞き分けられるそうです」


B「それって、先程の蝉の声と同じじゃ?」


A「う~ん……何と言ったらいいんでしょうね……


  健常者でしたら気にも止めない音で、季節の移り変わりを知るんですって」


B「例えば?」


A「春だったら葉が擦れる音の強弱だけでわかるみたいです」


B「葉擦れはずれで?」


A「えぇ。3月の微かな音から徐々に強くなるそうです」


B「へぇ~、面白いですねぇ。じゃぁ夏は?」


A「確か、子供がサンダルで走り回る音って仰ってました。


  踵とサンダルが当たる軽い音がよく聴こえるんですって」


B「秋と冬も特有の音があると?」


A「えぇ、ちょっと待ってくださいね。


  印象的でしたから、スマホにメモしてあるんです」


B「小学生の時に聞いた言葉を、よく覚えて残しましたねぇ……」


A「日記を書いていた習慣の名残ですね。


  演劇部の時も、ためになりそうな事を走り書きして今も取ってあります」


B「三日坊主にはできない習慣だなぁ」


A「残す言葉は厳選してますから、言葉の断捨離も一筋縄ではいきません……


  あっ、これですこれです」


B「それで、何と書いてありました?」


A「秋になってくると、雨の音が少しずつ消えていくそうです。


  夏場の雨と言えば夕立や台風の雨で、激しく主張する雨ばかりですけど、


  季節が変わると、雨の主張する音が消えて


  雨が降っているのかが読みづらい季節になるんですって」


B「冬は?」


A「冬が一番わかりやすくって、風が鳴く音がはっきり聞こえてくると仰ってました」


B「と言いますと?」


A「強い風どうしが擦れる時でないと聞こえなくて、


  口では決して表現ができない不思議な音なんだそうです」


B「気にも止めないような音を耳にする……


  五感の一部を失った影響で、他の感覚がそれを補おうと自ずと鋭くなる……」


A「先生?」


B「あれをこうして……うん…うん…」


A「あの……先生?」


B「君、普段着シリーズの骨子は手元にありますか?」


A「あ、それでしたらここに」


B「ちゃんとプリントアウトしたものでですよ」


A「勿論です。先生が突然スイッチが入る時があるのも知ってますから」


B「流石、笹井君仕込み」


A「誤解を招くような事を言わないでください。


 え~っと……確かこれだったと思いますけど……」


B「うん、これですね。助かります」


A「……………………」


B「……………………」





A「……………………」


B「……………………よし、これでいきましょう」


A「え?まだ10分ぐらいしか経っていませんけど」


B「閃いたものは打ち込むよりも書き落とした方が断然速いんです。


  今回はゲストをどうするかという点で止まっていただけでしたから」


A「きっかけがあれば、どのようにも転がせたと?」


B「そう言う事です。


  今回はいいお話が伺えましたので、魅力的なキャラクターになると思いますよ」


A「お力になれてよかったです。早速、笹井さんに確認を取りますね」


B「お願いしますね」


A「はい、では失礼し……」


B「おっと、忘れてましたね」


A「何をですか?」


B「笹井君が後ろを気にする理由ですよ」


A「あ、忘れてました」


B「折角いいお話をくださったんですから、お返しです」


A「えぇ」


B「笹井君って、若作りが趣味っぽい節があるじゃないですか」


A「そうみたいですね」


B「とうとう、ごまかしが利かなくなってきたんじゃないかなぁってね」


A「と言いますと……」


B「後ろから、薄くなってるんじゃないかなぁって」


A「ぷっ……本当ですか?」


B「確証はありませんけどね。


  後ろからこそっと声をかけてみればわかると思います」


A「わかりました。早速やってみます」


B「別にスマホにメモ書きするような事じゃないんじゃ…」


A「忘れたら勿体ないじゃないですか!」


B「…誰からの情報かは言わないでくださいね」


A「はい、そりゃもう」


B「そういえば、次の打ち合わせを聞いてませんでしたね」


A「骨子が通れば、今日のうちに笹井さんか私が連絡します。


  そうなりますと……早くても2、3日後になると思います」


B「では、そのうちにプロットを組んでおきましょう。


  亜子さんが手土産で陥落してしまう前にね」


A「楽しみにしますね。では失礼します。」


B「はい。ご苦労様でした」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る