十話 真稚貝ナオは絶望しない。

 さーてと、何から話そうかなー。


 ――そうだね、まずは僕のことから話そうか。


 僕はこの世界に置いて、という役割を持っているんだ。


 この世界の観測者、この学校の観測者、それが僕。


 観測者っていうと、当事者ではなく、どちらかと言えば脇役をイメージするかい?


 実はねー、全てに置いて、観測者という存在が何よりも、誰よりも重要なのさ。


 なぜかというと、観測者無しでは、全てが存在し得ないから。


 例えば、空を見れば太陽があるよね。


 あー、今は何故かふたつあるけど、それは気にしないで。


 あの太陽は、常に存在する。


 君があの太陽を見ていなくても、僕が見ていなくても、常に存在する。


 それはこの瞬間、誰か一人以上があの太陽を見ているから、太陽を感じているから。


 つまり、常に一人以上の観測者が世界のどこかにいるおかげで、太陽はそこに存在し続けるのさ。


 逆に言えば、観測者が一人残らずいなくなった瞬間、太陽は存在出来なくなる。


 それが観測者という存在、存在を確定付ける存在。


 人は常に、何かしらの観測者であり続ける。


 例えば、君は今、この教室の観測者だ。


 この教室も、君が座っている椅子も、机も、目の前の黒板も全て、君が観測者として存在を確定付けているから、ここに存在している。


 ただ、一人の観測者に観測できる存在には限度がある。


 実はそれは、意外なほどに小さい。


 例えば君は、自分の机と椅子の観測者にはなれても、他のクラスメイトの机と椅子までは観測出来ない。


 だから今、この教室には君の席しか存在していない。


 観測者としての限界は、自分が存在できる限界にも関係していて、大きく個人差があるんだ。


 観測者としての限界が小さい者は、他人からも観測され難いし、観測者としての限界が大きい者は、他人からも観測されやすい。


 それで話は戻るけど、僕はこの世界の観測者、この学校の観測者だ。


 っていうと、まるで神様みたいだね。


 でも実際は、そんな大きな存在じゃない。


 むしろ僕の観測者としての限界と、存在の力はあまりにも小さい。


 僕が観測出来るのは、この不安定で小さい世界だけ。


 この世界はあまりにも小さくて、不安定で、儚くて――絶望的だ。


 だからこそ、存在の小さな僕にでも観測者になれるし、僕にしか観測者になれないんだ。


 そして僕は、この世界でしか存在出来ない。


 そんな僕も、誰にも観測されなくなったら存在出来ないから、こうやって金髪にしたりして、少しでも観測されようと頑張ってるんだよ。


 ……まあ、それももう限界みたいだけどねー。


 この世界はもう終わる。


 僕も世界も、存在が無くなる。


 この小さくて、不安定で、儚くて、絶望的な、楽しい学校生活は卒業。


 消えてなくなるから、絶望することすら敵わない。


 僕はね、絶望したくても出来ないんだ。


 まだまだ話したいことはいっぱいあったんだけどねー。


 時間が無くなっちゃったよ。


 ――まあ、いいか。


 残りのお話は学校世界

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