バブみは尊み、そして辛み!?

 父が特殊な人間だということは、中学を出たあたりから俺にはわかっていた。

 有名なルポライターで、世界中を飛び回って社会のやみあばく。帰国してればテレビに引っ張りだこのコメンテーターだ。

 そして最近、再婚した。

 自分よりも二回りも若い、いわゆる幼妻おさなづまだ。

 父よりずっと若い、つまり……俺と四つしか違わない。

 そんな二人のベッドルームをのぞいてしまった、これは全くの偶然ぐうぜんだ。


「ママ、今日も頑張ったよ……ねえママ、ほめて

「ええ、あなたはとっても頑張ってるわ。ママの自慢の息子よ? 本当にいい子ね」


 俺が見てしまったのは、夫婦のちぎりなどではなかった。

 妻の胸に顔を埋めて、甘えた声で抱きつく父の背中。そして、そんな父の母親をやってる人、それが俺の新しい母なのである。

 その時、突然のことに混乱したが、俺はドアの隙間から後ずさった。だが、大の大人をあやして寝かしつける女性と目が合ってしまう。

 これが、新しい母……天音アマネさんとの関係の始まりだった。





 いつものように父は、大きなスーツケースを持って取材にでかけてしまった。

 そして、家に俺と天音さんが残された。

 気まずい。

 そして、どうしてもよそよそしくなる。

 家事全般をバリバリこなす天音さんは、パッと見は俺より若く見えるくらいだ。幼く見える、といった方がいいだろう。紹介された時は父のロリコンを疑ったが、今は疑いようのないマザコンを知ってしまった。

 そして、それを承知で天音さんは結婚したらしい。


「ごちそうさま!」

「お粗末そまつさま。どうだったかな?」

「い、いつも美味おいしいよ。じゃ」

「あ、待って……少し、いい?」


 夕食を終えるなり、俺は自室に逃げようとした。

 だが、エプロンを脱ぎながら天音さんは引き止めてくる。

 改めて見ると、トランジスタ・グラマーという単語はこの人のためにあると思う。小柄で細くて、そして局所的に肉付きがいい。長い黒髪にやや童顔、黒目がちな瞳は星海うちゅうのようだ。

 クラスの女子なんかより、何倍も綺麗で、かわいくて、でも俺の母親だ。

 そして、父の母親役をやってる人だ。


「ね、あの……夜、見てた? よね?」

「うっ! そ、それは……誰にも言ってませんから!」

「ん、そこは大丈夫だと思って。ただ……あの人を責めないでほしいの」


 父はそんなに強い人間じゃない。

 そう言って、天音さんはさびしそうに笑った。

 世界中を駆け回り、差別や紛争、経済格差や宗教対立を取材する。時には命がけで戦場を駆け抜けることもある。そして、帰ってくれば良識派の論客ろんかくとしてもてはやされる。

 そんな父のストレスのはけ口が、妻の天音さんだ。

 天音さんへ妻としてではなく、母親として甘えることなのだ。


「俺……父さんのこと、尊敬してますよ。してました、って思ったけど……今は、もう一度尊敬できると、思います」

「ふふ、ありがと。それでね、私のことなんだけど」

「たまたま覗き見ちゃって! でも、黙ってますから……誰にも言わないし、その」


 テーブルの上にエプロンを畳んで置くと、俺を見上げる位置まで天音さんが歩み寄ってくる。そのたわわな胸の膨らみが、俺の腹にくっつきそうな距離だ。

 そして彼女は、笑顔で意外なことを言い放った。


「えっと、私はあの人の妻だけど、夜は母親なの。だから……そういうの、全然なくて」

「あ、ああ……はい。でも、夫婦の形にも色々あると思うし」

「うん。だから……義理の母子ははこにも、色々な形があると思わない?」

「それは、どういう、意味で……」

「こういう意味、だぞ?」


 突然、すっと天音さんが背伸びしてきた。

 呆気あっけにとられる俺のくちびるが、とてもやわらかな感触に触れる。

 思わず驚きに目を見開き、全身が硬直してしまった。

 天音さんは唐突に、俺のファーストキスをあっさりうばった。

 永遠にも思える数秒が過ぎて、唇を放した彼女がチロリと赤い舌を見せる。慈母じぼごとき包容力で、父を癒いやしていた天音さんはそこにはいなかった。少し悪戯いたずらっ気けを見せた、蠱惑的こわくてきな笑顔が妖艶ようえんな美しさをかたどる。

 あどけない少女のような新妻は、俺の母親もやめてしまったのだ。


「私、あの人のことはとっても立派だと思ってる。でも、求められるのは母親なの。だから……私はいつ、誰と男女になればいいと思う?」

「ええと……へ? まさか、俺?」

「ふふ、正解。ね……夜だけでいいの。駄目、かな?」

「駄目、じゃないですか? 普通に考えて」

「普通じゃないのは、いけないこと?」

「いけない、です、けど……けど」


 身を寄せてくる天音さんが、ピタリと抱きついた。

 理性と論理が、脳裏に警鐘けいしょうを鳴らしていた。

 この人は父の妻、つまり義理の母親だ。しかし、夜の彼女は父の母親、つまり――


「えっと……父さんの母親役だから……俺から見れば、おばあちゃん?」

「あ、ひどーい! ……でもね、あんなことばかりしてたら本当に老け込んじゃう。だって私、まだ二十歳はたちだもの」

「です、よね。じゃあ、そういうことで……俺、宿題とかあるんで」

「だーめ。ね、夜だけでいいの……夜だけ、私の息子はあの人になるから……逆にキミが、私の夫になってくれないかな? いや?」

「だっ、駄目ですよ!」

「嫌では、ないんだ? 駄目なだけなら、ふふ……その先はすぐだぞ?」


 こうして、俺のいびつな家族関係が始まった。

 夜だけ、俺と父とは逆転する。

 甘えん坊のマザコン優等生と、年上の女性にリードされっぱなしの男。

 俺が少年でいられた時間が、あっという間に使われてしまった。罪悪感と背徳感は、天音さんとの毎夜毎晩のいとなみで消し飛んでゆく。

 手を繋いでデートし、買い物や外食、そして男女の時間。

 父と子が夜だけ立場を入れ替える関係の中で、ただれた情愛が俺を大人にしていった。その頃にはもう、天音さんはどんどん俺好みの女性へと変貌へんぼうしていたのだった。


「ねね、キミはホントは……どういう私が欲しいのかな? 母親、恋人、妻……私にとってのキミはね、キミは――」


 甘やかなささやきが、耳元に吐息といきとともに広がってゆく。

 秘密を抱えた父へと、俺もまた秘密を持った。

 その共犯者である天音さんは、今日も夜だけ俺の母親をやめるのだった。

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