No Plot New Life

 通勤ラッシュの朝が終わって、すでにごくごく一般的な商社の始業時間を過ぎた今……俺はいつも通り、ガラガラの電車に揺られていた。

 車両に客はまばらで、俺を入れても五人しかいない。ビジネスマン風の背広姿は携帯をチェックしているし、老夫婦は楽しそうに笑みを交わしていた。

 当然、みんな座っている。

 それくらい、席はいている。

 マナー違反だが、全員が身を投げだして横になっても不自由はしないだろう。

 もう一度、断言する。

 

 ダース単位で空いているのだ。


「……ゴホン! えーっと……その、ちょっと? な、なんかなー、どうしたもんかなこれー」


 わざとらしく独り言のように、確実に伝わるように違和感の表明。

 だが、となりの彼女は全く動じない。

 そう、隣だ。

 正確に言うと、右隣。

 全車両合わせても十人いるかどうかの乗車率の中、その少女は俺の隣でピタリと身を寄せているのだ。勿論もちろん居眠いねむりして乗り越したたぐいではない。バリバリに目が覚めている。

 なにせ、俺のスマホをガン見している。

 おかげで俺はスマホの文章に集中できない訳だ。

 そして、隣の少女は俺のスマホにのめり込むように集中しきっていた。


「あ、えと……君、ちょっと。その、読みにくいん、です、けど」


 真っ直ぐ液晶画面を見詰める少女の耳元に、渋々つぶやいてやる。

 なにかとトラブルがあると面倒だが、しょいうがなく『聴こえていますか……今、貴女あなたの心に語り掛けています』というエクスキューズを試みる。

 ようやく顔を上げた少女は、顔を真っ赤にして向こうを向いてしまった。

 よろしい、それでいい。

 人の読書を邪魔してはいけない。

 しかし、どういう訳か彼女は肩越しにチラチラとこちらを振り向いてくる。

 制服を着ているから、女子高生だ。女子中学生とは思えぬスタイルのよさもだが、ばっちり決めたメイクに染めた金髪、いわゆるギャルギャルしい容姿は女子高生だろう。彼女から見ておじさん、おっさんという世代の俺としては……率直に言って近寄りたくない。

 だが、ギャル子から密着してくるのだ。

 妙なもいるものだと、改めて読書に戻る、無理にでも集中する。

 電車では読書と決めているし、最近はwebウェブ小説が面白い。出版最大手の角川かどかわが運営してる投稿サイト『カクヨム』がいい。玉石混交ぎょくせきこんごうだが、荒削あらけずりな作品は嫌いじゃない。俺がアマチュアの作品に求めるのは、パッション……そう、情熱だ。


「……とりあえず、まあ……集中だ、集中。続きが気になるからな」


 わざとらしく牽制けんせいの独り言で、隣のギャル子を意識から切り離そうとする。

 ――はい無理! 無理です!

 ほのかにいいにおいがするし、若い女の子は体温が高いような気がする。ほんのりとしたぬくもりに思わず基礎体温の話などしてしまったら、セクハラで一発アウトだから気をつけよう。

 とにかく、何故かまだ彼女は俺を……俺のスマホを盗み見ている。

 こちらとて見たくはないが、視線を感じてなかなか読書が進まない。

 一見して遊んでる風の派手目なティーンエイジャーだが、整った顔立ちに理知的なひとみだ。人の品格というのは瞳に出るから、ああ見えてモラルやマナーに反することはやってないのかもしれない。

 だが、大きくはだけたシャツの胸元が無防備で、やはりビッチかもしれない。

 こんな時間に学校はどうした? 朝帰りかもしれない。

 それよりなにより、俺を誘惑してのこれは……新手の援助交際かもしれない。

 そうこうしていると、気持ちが乗らぬまま追いかけていた作品の最新話を読了してしまった。……ものすごーく損した気分、分かりやすく言うなら膝枕ひざまくらを許してくれる位に親密な女性の膝枕でなにもせずに熟睡じゅくすいしたまま一日を終えた心境だ。

 わかる? わかるだろう、そうだろう。

 この発想、完全に膝枕してくれる女性のいない人間のものだ。

 それもわかるだろうさ。


「はぁ……緻密ちみつな構成力に勢いのある描写、割りと好きなタイプだったが、なあ」


 ジトリと横の少女をすがめると、彼女はあわてて目をそらした。

 そして、自分の携帯電話を取り出すや、ズガガガガ! とメールを打ち出した。恐らく『なーんか隣のおっさんキモいんですけどー?』みたいな頭悪いメールだろう。勿論もちろん、その内容を否定しないし事実だし、好きでキモいおっさんな訳でもない。ただ、時間に自由な仕事をしているからこそ、こうした寸暇すんかの読書が楽しみだと――ん?


「なんだ……? あ、あれ? 最新話が更新、か。こんな時間に突然? ……まあ、読むか」


 突然、追いかけてた作品の最新話が更新された。

 不思議に思いつつも……まあ、読むわな。

 丁度こまってたギャル子ちゃんも、自分の携帯に夢中だし。……できれば離れて欲しいんだが、今度は携帯を夢中でいじっているせいか俺に寄りかかってくる。

 だが、残り二駅ふたえきと思えばあきらめも肝心かんじんだ。

 せめて有意義な時間に近付けたくて、俺は最新話を読む。

 ……意外な展開と、それを示唆していた伏線の回収。

 悔しいが見事だ、読めてよかった。

 先程までの不機嫌が嘘のように、俺はピシャリと膝を打ったわな。


「そう来たか……じゃあ、犯人は別にいるってことだな。ふむ!」

「そーなのっ!」


 不意に隣のギャル子が小さく叫んだ。

 俺は突然のことで、絶句してしまう。

 脈絡もなく独り言を横取りで会話につなげて、ギャル子は猛烈な勢いで喋り出した。


「あーしもね、そこで怨恨えんこん一直線なラストもいいと思った! けど、けどっ」

「……まあ、少しありきたりだわなあ。おじさんもそう思う」

「っしょ? だーかーらー、ここはやっぱさ。あーしも考えたの! 感情以外で人を殺せるのって、やっぱー」

「金、だなあ。それもデカい金」

「それもあるけど! それも考えたけど! でも」

「え? じゃあなに、この続き……犯人は銀行の彼じゃなくて、ってオイオイ、どんだけ俺のスマホで読んでんだよ。君さあ」


 俺はあきれて、あまりにも突然だから苦笑してしまう。

 二人で一冊の本ならぬ、一個のスマホで物語を読んでたらしい。正確に言うと、彼女は俺の読書を邪魔しながら盗み見ていた訳だ。それも、作中の面白さを語り、その先を予想し合うことが可能なレベルで。

 俺はわざと大げさな溜息ためいきをついてみせる。

 ギャル子は赤面にうつむき黙ってしまった。


「あのねえ、君。あんま大人をからかうんじゃないよ? おじさんだってねえ、君みたいな若い娘とトラブルは避けたいの。わかる?」

「……さーせん」

「な? 人のスマホで人の話を読んでないで、小説が読みたいなら自分の携帯で――」

「人のじゃないしー」


 何故か涙目でにらまれた。

 なんだなんだ、なにが不満なんだ?

 やっぱりこれ、最近の女子高生が流行はやらせてる遊びかなにかか? 俺は思わず周囲を見渡す。ギャル仲間がどこかで見てるドッキリ的なものを予想したが、それはなさそうだ。

 気付けば先ほどとは客が様変わりしていたが、空いていることには変わりはない。

 何故なぜ、ギャル子はガラ空きの電車で俺の隣に座ってるのか。

 どうして俺のスマホを盗み見るのか。

 その答えを知った時、俺は理解した。

 そうか、そうだったか……そんなことが頭の片隅にも浮かばぬ俺は、だから売れない小説家なのか、と。


「……それ、人の話じゃないし。あーしが書いた話だし」

「へ?」

「あーし、作者だし! ……読者の興味、ちょーあるし」

「お、おう。そ、そうだよな。書き手ならな」

「書き手だし。てゆーか、おじさんメッチャ真剣に読んでたし」

「いや、わりと面白かったから」

「マジ! どこ!」

「いや、まあ……そうだなあ、どこと言えば話は長くなるんだけど」


 そう、話は長くなりそうだ。

 二駅なんてすぐだと思ってた俺が、乗り過ごすくらい。

 ギャル子なんて呼んで少し軽蔑けいべつしてた、その実見た目を裏切る真面目な文学少女だった彼女との話は……これから長くなるのだ。きっと、もっと、ずっと……売れない小説家が天才マネージャーとなって、文学界の超新星を輝かせ続ける、大長編だいちょうへんの始まりだったのだ。

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